6.ある日のしょうもない話(完)
昨夜はいろいろあって疲れていたんだろう。安心したのもあるのかもしれない。
結局、あらためて2階の部屋へ戻った俺はそのまますぐに眠ってしまったのだった。
そうして清々しく朝を迎えれば、また怒涛の一日のはじまりだ。
あわただしく朝の身支度をし、朝食をかき込んで学校へ行く。
心身ともに平穏を取り戻した俺の日常がそこにはあった。
時間は少し進んで、放課後。
この晴れやかな気持ちで、ただ黙って家に帰るのも勿体ない気分だった。少し羽を伸ばしたかった……のだが。
「わり、今日はアレがコレでよ」
ヤマギシは小指を立てて、違う方の手でお腹が膨らんだジェスチャーをする。
「パパも大変なんだな……」
「ま、お前もすぐに実感するようになるよ。あ、とはいえしばらくはちゃんと避妊しろよ。学生のできちゃったは只でさえご近所の目につくんだからな」
「余計なお世話だっての」
どうせしょうもない冗談だろうが、アレがコレな奴に言われる筋合いはねえ!
というわけで、一人になってしまった。
……いや、決して友達がヤマギシしかいないわけじゃないんだぞ?
放課後遊びに誘うような仲の奴で部活をやっていないのが単にヤマギシだけだった。それだけなんだって。ほんとだよ?
駅前の書店に寄ってみたり、ゲーセンを覗いてみたりしたけれど、たいした目的がないんだから時間潰しにもならない。
そうして飽きて家に帰り着いたのは、いつもより1時間ほど遅いだけの夕方だった。
家にはまだ誰も帰ってきていなかった。
帰宅と同時におばさんから家族グループにメッセージが入る。今日は無難に仕事を終えたので夜メシの買い物をしがてら帰ってくるらしい。晩ご飯はハンバーグだそうだ。
と、画面を見てる最中に莉々夏の返信スタンプがぽこんと上がってくる。
寄生虫とエイリアンを足して2で割ったようなビジュアルの細長クリーチャーが左右に胴を揺らして喜んでいるスタンプだった。同じ釜の飯を食っているのにどうしてこういうセンスになるのか、本当に理解に苦しむ。
次いで『私ももうすぐ家に着くよ! 家まで徒歩23分!』と追撃が入る。
ちなみにウチは駅から徒歩15~6分の立地だ。どこで道草食ってやがるんだか。
兎にも角にも。
莉々夏が帰ってきたらまためんどくさいことになるな、と判断した俺は、この20分を有り難くシャワーに費やさせてもらうことにした。
※※※
夕食が終わって、食後の一服(今日はベリー系の紅茶だった)もひと段落ついた、午後8時半。
俺がすでにシャワーを浴び終えていたことに莉々夏がキレ散らかした以外は……、いやそれも含めか、今まで通りの我が家の日常ってな光景だった。
莉々夏が騒ぎ、おばさんがたしなめ、俺が呆れてため息をつき、そんな俺に莉々夏が突っかかってきて、おばさんが微笑み、釣られて俺も笑う。
「さて、そろそろあたしは片づけをするわ」
おばさんが言って席を立つ。
今回の別室騒動を教訓に、今後また同様のことが起こったらと考えて少しでも居住スペースとなる空間を増やそうと思い立ったらしい。おばさんの倉庫と化している1階奥の部屋を整理し、せめて布団一枚くらいは敷けるようにしたいと言っていた。
「手伝おうか?」
「ありがとう。でも大丈夫。重いものじゃないし、下手に触られて折り目でもついちゃったらその方が面倒になるからね」
「ん」
とすると、だ。
「ここにいても邪魔になりそうだな。上行くか」
「そだね。おかーさんおやすみー」
「はいはい、おやすみー」
すでに目が戦闘態勢になったおばさんを見送ってから、俺らもリビングを出た。
階段を昇り切って、すぐのところにあるドアをくぐる。
俺が先頭で入って、莉々夏も続いて後ろ手にドアを閉めて。
空気が止まった。
あれ……?
俺、いつもこの時間に部屋に戻って、何してたんだっけ……?
中学3年も半ばにさしかかり、もうそこまで量の出なくなった宿題は夕食前にぱぱっと終わらせてしまった。
俺はいちおう受験生でもあるんだが、ほぼほぼ推薦が内定しているので特段試験勉強が必要なわけでもない。
「…………」
ちら、と莉々夏を見やると、どうやらこちらも同じ心境らしい。中空を見据えたまま固まってしまっている。
――莉々夏と二人。机を並べて、布団も並べて、水入らずの夜。
心臓がヘンな音をたてはじめ、かあっと顔が熱くなる。
どうしたらいい……? 本でも読むか……いや、今日に限ってストックが無いんだった。
帰りに寄った本屋で何でもいいから買ってくればよかった、といまさら思っても後の祭りだ。
莉々夏はどうか知らないけれど、俺はスマホゲーはやらない。
自室にはパソコンもない。携帯ゲーム機なんてものもこの家にはない。
ふらふら、と。
夢遊病者のような足取りで、とりあえず自分の机のキャスター付き椅子に腰かける。
それを見て、倣うように莉々夏も自分の椅子を引く。
「あ、あはは……、手持ち無沙汰だね……」
「ああ、だな……」
ちらりと莉々夏を見る。と、莉々夏もちょうど目線をこちらに向けたところで、一瞬合ってしまった視線を莉々夏が慌てて逸らした。
「……なあ、俺たちって今までこの時間なにしてたんだっけ」
「えっ、あっ……そうだな、お勉強したり、本を読んだり……あと何してたっけ?」
「いざ思い出そうとするとわかんないよな」
「そうだねえ」
こんな他愛のない会話でも緊張を紐解く手助けにはなるようで、わずかに部屋のピリつきが弛緩したように感じた。
「あ、そうかりっちゃんはまだ風呂入ってないんだよな。入ってくりゃいいじゃん」
「やだ~、私をお風呂に入らせてどうするつもり~」
身を抱くようにして言ったそれは、おそらくアホな莉々夏流の冗談だったのだろう。
が、しかし。
「ばっ……! な、なにも……!」
――冗談は、冗談として捉えられなければ冗談では済まされないのである。
「……なにも、しねえよ……」
勢い込んだ俺の脳裏に昨日の出来事がフラッシュバックし、言葉尻が急速にしぼんでいく。顔は自分でもわかるくらいたぶん真っ赤だ。
「そ、そうだよね。そんな毎日なんて大変だもんね、あはは……」
なにか会話がすれ違っている気がしても、その答えもわからないくらいに動揺が表面化していたりする。
――何なんだよコレ……。
今回いろんなあれやこれやがあったけれど、最後は今まで通りの日常に戻れたと思っていた。
莉々夏との妙な進展(?)はあったにせよ、精神的な関係性は変わらなかったと思っていた。
でも、そんなことはなかった。
仲が悪くなったわけでもないのに、こんな気まずい思いをするようになるだなんて。
この居たたまれない気持ちがこの先延々続くのであれば、今度こそ生活環境の変更を本気で考えなきゃいけなくなるぞ。
と、そのとき。
「……みぃくんは、後悔してる?」
やけに落ち着いた、ともすれば神妙な声で、莉々夏が訊ねてくる。
「……してないと言えば、嘘になるかな」
「そっか」
俺の気持ちを雰囲気から感じ取ったのか、莉々夏ははにかんで、そして俯いた。
その横顔を見て、俺も悟った。
――俺が感じてることとまったく同じ思いを、莉々夏も抱いているんだ。
勢いで致してしまった事実は、俺らの若さゆえのことなのかもしれない。それによって歪んでしまった関係性は、不可逆的なものなのかもしれない。
「……でも」
俺らはいつまでも子供じゃない。成長して、変化していくことは当然のことなんだ。
「俺は、どのみちこうなってたと思う。りっちゃんを意識して、ヘンな感じになって、モヤモヤして、でもそれをどこにぶつけていいかわからなくて……」
独白する俺の手に、りっちゃんがそっと手を重ねた。
「それはね、私も同じ。私だってもうすぐ限界がきて、爆発しちゃってたかもしれない。だってみぃくんがどんどんおっきくなって、どんどんカッコよくなっていくんだもん」
「なん、だよそれ……」
顔を上げれば、艶やかな莉々夏の表情がまっすぐこちらに向けられていた。
「みぃくんはちゃんと成長して大きくなってるのに、私はいつまで経ってもこんなでしょ? だからみぃくんには見向きもしてもらえないだろうって、勝手に思って落ち込んでた」
「…………」
「本当はね、良いお姉ちゃんになろうって思ったこともあるんだよ? お姉ちゃんになって、家族になって、家族として大切に思ってもらえればそれでいいじゃない、って思おうとしたこともあるの。
でもね、駄目だった。それじゃ嫌だった。私はみぃくんのお姉ちゃんで、いつか将来みぃくんがお付き合いしてる女の子を連れてきて、その子にうちの弟をよろしくねなんて言いたくなかった」
「……そんなこと」
「あるわけない、なんて思えないじゃない。だって私たちは小さいころから一緒に暮らしてきて、血は繋がってないけど家族で、家族だからこそ恋愛の好きは成立しないって、それが当然なんだって……」
莉々夏の瞳から涙がこぼれ落ちる。
――莉々夏がここまでのことを思っていたなんて……。
まったく気づかなかった。ある意味、人生で一番の衝撃的事実だったかもしれない。
「だからね、この数日、いろんなことがあって私はずっとドキドキしてた。不安な気持ちもあったけど、今までと違うみぃくんの顔があって、みぃくんの気持ちがあって、何かが変わるかもしれないって、新しいみぃくんが見られるかもしれないって、そう思った。そうして変わってみて、また今日もいっぱいドキドキしてるけど……」
莉々夏はそこで言葉を区切り、俺に重ねた手にきゅっと力を込めた。
「……私は今日のドキドキ、嫌いじゃないよ」
照れ交じりに頬を赤らめて、でも嬉しそうにはにかんで。
それは俺がこれまで見てきたどの莉々夏よりも可愛くて、魅力的な表情だった。
って、良いムードになったからって勢いでまたアレなことするわけないだろ。猿じゃねえんだぞって。
「よし、わかったから落ち着こうな。どうどう」
「なっ、なによ! ひとがせっかくアイノコクハクみたいなことをしてあげたのに!」
「ありがとよ、気持ちだけもらっておく」
飄々と言い切る俺に、莉々夏が見事なフグと化す。
「ねえええ! いま絶対にキスする流れだったじゃない! 知ってる!? 私たちあんだけのことしてながら、まだキスしてないんだよ!?」
「してなくて当然だろ! ていうかこれからもしねえし」
「なんでよ! みぃくんはやっぱり私のこと嫌いなの!?」
「嫌いなわけないだろ」
それだけは即答できる。
「じゃあ……なんで?」
「おばさんと約束したからな」
曰く、程々にね、とのお達しだ。
「なんでみぃくんとおかーさんが約束するのよ」
「おばさんは俺を信用してるんだってさ」
「信じらんない!」
莉々夏は立ち上がり、部屋の隅に畳まれた布団へダイブする。ハウスダストでくしゃみが止まらなくなるから本気でやめてほしい。
「もう知らない……みぃくんも、おかーさんも、みんな嫌い……」
布団に顔を埋めながら、莉々夏は泣きごとを漏らす。
……ったく。
今までなら、こうなった莉々夏は放っておいて俺は俺の時間を過ごしていただろう。
仕方ねえなあ。
俺は椅子から腰を上げ、莉々夏の脇へ移動する。
「よっこらしょい」
「……みぃくん、お爺さんみたい」
俺がお爺さんならあなたはお婆さんですね。お婆さんが地べたで駄々を捏ねても庇護欲0%ですよ?
「な、映画でも観ないか? ゾマプラでちょうど観たいやつがあったの思い出したんだ」
「みる!」
今までの不機嫌はどこへやら。
莉々夏はがばっ! と起き上がり、俺の腕にべったりひっ付いてくる。
「ちょ、まだ待てって。せっかくだから飲み物用意して、部屋の電気も消して観ようぜ」
「うん! とってくる!」
くノ一もかくやという速度で莉々夏が部屋から消え去る。
「……ま、この辺が今の落としどころかな」
俺は誰にともなく呟き、苦笑した。
まずは中学を卒業して、高校生になって、大学は行くかわからないけれど、いつかちゃんと自分でお金を稼げるようになって。
そのときまでに答えが出ていれば、それでいいじゃんって。
「がんばれ、未来の俺」
天井を見上げて呟いた直後。
ズドドドドドドと足音を響かせて、莉々夏が階段を駆け上がってくる。木造の我が家も一緒になって踊ってる。
今の俺はまだまだ子供で、せいぜい莉々夏の保護者くらいにしかなれないけれど。(調教師って言わないだけ成長したな俺……。)
「みぃくん! 今から部屋真っ暗にして2人で映画みるのっておかーさんに言ったら、『エロいことしないように!』、だってさ!」
「信用されてねーじゃん俺!」
まったく、さすがは莉々夏の母親なだけあるぜ……。
自分の好きなことに対しては手間と努力を惜しまない莉々夏の働きによって、快適な映画視聴環境がすぐさま出来上がる。
俺と莉々夏の布団を全部重ねてモフモフ度を増した舞台に、いろんな姿勢に対応できるよう四方八方へクッションが並べられている。スマホじゃ何だからとおばさんから大きいタブレットを借りてきて、Bluetooth接続のスピーカーまで用意する周到さだ。
どこから調達してきたのか、焼き菓子と飲み物を最後に並べ終えて、部屋の電気を消す。
「さ、みよー!」
「おー」
俺たちは肩をぴったり寄り添わせて、映画の世界に没入していった。
――この数日、いろんなことが起こったけれど。
もう後戻りできない形で日常は変化してしまったけれど。
それでも俺は。
「りっちゃんとのこの距離感が大好きだ」
※※※
「ね、みぃくん。そういえばだけどさ」
「ん?」
「何日か前みぃくんが風邪ひいて休んだとき、私いっしょに添い寝してたじゃない?」
「うん」
「あのとき、みぃくん途中で起きてどうして私の体を触ったの?」
「ぶほっ、げほっげほ」
「だっ、大丈夫!?」
「だいじょうぶ…………で、何だって?」
「えっと、なんで触ったのかなあって」
「……起きてたの?」
「みぃくんがゴソゴソしてたから目が覚めたんだけど、すぐ戻ってくるかなと思ってそのまま寝てたの」
「くっ……不覚」
「もしかしてみぃくん、触りたかったの? 今までずっと触りたいのを我慢してたの?」
「…………」
「んも~~~、みぃくんって変なところでむっつりだよねえ? 別に触るくらい、言ってくれればいつだってさせてあげるのに~」
「……………………」
暗い部屋で、ふたりひとつの布団に寄り添って。
俺の理性がどこまで保てたのか、それは俺たち二人だけの秘密だ。
……おい、待ってたって続きはないぞ! 秘密ったら秘密なんだって! 俺たちのしょうもない話はこれにておしまいだ!
もし仮に続きがあるとして、それはきっとしょうもなくない――――『りっちゃんと俺の大事な話』、になるはずなんだからな。
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