5.ある日の仲直りの話
三日目。
「最終日、か……」
学校からの帰路、声に出してみてもまるで実感がわいてこない。
そも、これ以上なにをしたらいいのか。
思っていたものとはちがう形で、莉々夏とは妙な壁ができてしまった。
――今朝の、莉々夏が俺を見る目がそれだ。
無機物を見るような目、とでも言ったらいいか。
そこに存在していることだけは認識しているが、およそ興味のかけらもない――、そんな目だった。
今までだって喧嘩は数えきれず、小学生のときなんて取っ組み合いや殴り合いだってしたこともある。それでも、ここまで空虚な目で俺を見ることはなかった。
まあ……ちょっと想定とは違ったけれど、こういったアレコレの末にバグった距離感が修正されて、適度なところで落ち着けたらというのが俺の当初の計画ではあったのだ。
結果論としてすでに目標達成と言えなくもないのだから、別室生活の最終日といえどこれ以上することが無いのも致し方ない。
そう落としどころの目途をつけて、家の玄関をくぐった途端。
俺の目論見はまたしても見当違いの方向に崩れ去ったのだった。
※※※
「……何でしょうか、これは」
「読んで」
「えっと……どれを?」
「全部。読んで。すぐに」
有無を言わさぬとはこのことか。
俺が帰るとすでに莉々夏の靴があり、リビングに入ると無機物を見る目が俺を出迎えた。目の主はどうやら持ち帰ってきた大量の本をせっせせっせとテーブルに並べているところだったらしい。
表紙を見た感じ、少女漫画だろうか?
タイトルの同じものがナンバリングでそれぞれ数冊ずつ、それがおよそ10タイトル。合計したら50冊ほどの本の塊だ。
ちなみに我が家では漫画などの本はほとんど持たない。理由は単純、置き場がないからである。
「はやく読んで」
「は、はい」
謎に急かされながら、とりあえず一番左上に置かれたナンバリング1巻の漫画を手に取る。なになにタイトルが――『俺に調教されたがってる雌犬の遠吠え』………………、ナンデスカコレハ?
「それ、いま人気急上昇1位の作品だから」
目のハイライトが消えたまま、抑揚のない声で莉々夏が言う。
「え、マジ……」
とりあえず頭から数ページめくってみる。
第1話、トビラ絵で可愛らしい女の子が自分の倍くらいデカい身長のイケメン(?)に首輪を渡しながら告白するシーンから物語は始まっていた。
「な、なんだこれは……」
顔を上げると、冷徹な半目に射抜かれる。黙ってはよ読め、とその目が言う。
しぶしぶ、つづきをめくる。
第1話。首輪をつけた主人公の女の子が深夜、くだんの告白したイケメンに公園で散歩してもらって木におしっこをして終わった。
第2話。イケメンの自宅(?)だという地平線まで広がる庭で、おもちゃ(隠語)を投げてもらって遊ぶ主人公が、そのおもちゃに絡まって大変なことになって終わった。
第3話。汗をかいたとイケメンが言って、風呂にでも入るのかと思ったら女の子に体を舐めさせはじめた。女の子も恍惚の表情で舐めつづけ、それがおよそ15ページにわたって描画されてオチもなく終わった。
「なんだこれ……」
ぱらぱらと先をめくっていっても、どうやら似たような展開が延々続くだけのようだった。2巻を手にしてみても同じ。
「どう」
「え、どうってなにが」
「おっきくなった」
「は、なにが」
雪女のような視線が俺の下半身に向く。
「いや……こんなんでどう大きくなれと?」
「じゃあ次、こっち読んで」
差し出されたのが……『わたしの蜜と、あなたの針』?
とりあえず言われるままに本を開いてみる。
こちらは別れた元カレとその後もズルズルとカラダの関係が続いてしまって本当は次の恋に向かいたいのにどうしよう、みたいな内容だった。
青春っぽい心理的な揺れ動き、みたいなものの見せ方に注目すれば最初のよりは面白い……と思わなくもないこともないような気がしないでもなかったけれど、それよりなにより絵の見せ方があまりにもストレートすぎて、身内の前で読むにはハードルの高すぎるやつだった。
「つーかコレ、未成年が買っちゃいけないやつだろ!?」
「小学生でも買えるフツーの漫画ですけど? 主人公もフツーの中学生ですけど? んで、たった? じゃあ次コレ」
「いやいやちょっと待てって」
さらに次を勧めようとする莉々夏にストップをかける。
「こんなん読まされて、俺になにをさせようってんだよ」
「みぃくんが私の裸でたたなかったから、じゃあえっちな漫画ならたつのか実験してるんじゃない」
「……自分がなに口走ってるかわかってますか?」
とんでもない内容の台詞には似つかわしくない無表情。まるで人形のような無表情。ちょっとコワい。
「次、こっちも読んでみて」
「…………」
とにもかくにも、この騒動の原因が俺にあるのは確かなのだ。
これで莉々夏の気が少しでも紛れるなら、と俺はその後もしばらくエロ漫画読書会に付き合ってやったのだった。
※※※
「もう! こんなに読んだのになんでたたないの!?」
お前は男を何だと思ってんだ。
「みぃくんってアレなの? EDっていうんだっけ、そういう人なの?」
お前はつい数日前にフルに元気になった俺のを見てるでしょうが。
「もしかしてどこか悪いの? 専門のお医者さん行く? 怖かったら私もついてってあげるから」
そんなトコについて来られたらそれこそ二度と立ち直れなくなるわ。
「ねえなんか言ってよみぃくん!」
「ぐにゅう」
リビングのソファベッドに突っ伏す俺の肩がぐわんぐわんと揺さぶられる。
「……あの緊張感の中でエロいもん見せられたって、勃つものも勃たねえっての」
妙な緊張感と漫画読書のダブルパンチで疲弊した俺は顔も上げられずに言う。
「…………、そうなの?」
横から般若の形相で見下されながら、拷問のごとく淡々とページを捲らされる苦行……。それでも勃つなんて、言っちゃ悪いがそういう性癖の奴だけだろうよきっと。
「ああいうのは深夜に一人でこっそり読むからいいんだろ。気持ちの問題だって」
「じゃあなんで昨日みぃくんはたたなかったの」
「昨日は……」
言いよどんで、俺は顔を上げた。
ソファのわきに膝立ちとなり、俺を見る目がそこにあった。
無機質に感情の欠如したそれではない、真剣に意思のこもった莉々夏の目が俺を射抜く。
「……その、この数日りっちゃんを見ると反応するようになっちまって、っていうのを伝えに行ったんだけど……肝心の俺が緊張しすぎて縮こまっちゃったんだよ」
言いながらスマホを操作し、夜中にたどり着いたホームぺージを差し出す。
莉々夏はしばらく黙読し、やがてゆっくりと顔を上げた。
「……ほんとうに?」
「こんな話で嘘ついてどうすんだって」
「みぃくんは私の裸に興味がないわけじゃないのね?」
「その言い方は語弊がある気が……」
真剣だった莉々夏の表情が、今にも泣き崩れそうに弱々しく変化していく。
何であれ、どのみちもう否定はできないんだ。認めるだけ認めて、あとは良い折り合い点を見つけてやっていくしかないんだ。
「……まあでも、そうだよ。その通りだよ。りっちゃんの体を見てヘンな気になっちゃったりするから、だからもう風呂に凸とかは――」
「良かった」
ふわっと、抱きしめられた。
やわらかい。莉々夏の良い匂いがする。
「……や、あの、莉々夏さん……?」
たっぷり十秒くらい密着されて、莉々夏が体を起こした。
その顔がなぜか、またしても険しく変化している。
「でもまだ信用してないよ」
「は?」
唇を尖らせて、またしても莉々夏はとんでもない方向にぶっ飛んでいく。
「口で言うだけじゃ信用できない! 見せて! ちゃんと私でたつところを今ここで見せて!」
「なに言ってんだオメーは!?」
「どうしたらいい? 脱いだらいい? おっぱい見せたらみぃくんちゃんとたつ?」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえって! そんなことして今後どうやってこの家で一緒に生活してくんだっての」
「え、別に今まで通りでいいじゃない」
「……っぐ」
そうだった。莉々夏という人はこういう人だった。
言い合いでの勝ちを確信したのか、莉々夏はどや顔になって自分の制服のボタンをはずし始める。
徐々に徐々に、インナーとして着ている淡いブルーのキャミソールがあらわとなっていって……。
「……ちょ、本当にまずいって」
「いまさらグダグダ言わないの」
こんなときだけやけにお姉さんぽく言われ、二の句が継げなくなってしまった。
莉々夏はシャツのボタンを全部はずすと、中のキャミソールごとスカートから引っ張り出した。
そして、ほんの一瞬ためらったのち、キャミソールをまくり上げた。
「……今日はブラジャーしてんだな」
「高校生なんだから当たり前でしょ」
莉々夏はすこし怒ったような口調で言い、でもその手を止めずに背中にまわす。パチっと音がし、胸の拘束が一気に緩んだ。
「見て、いいよ」
「え……?」
背中に回した手を中途半端に脱力させた形で、莉々夏は動きを止めた。
「どう……しろと?」
「この先は恥ずかしいから、みぃくんが好きにしていいよ!」
言って、莉々夏はぎゅっと目を閉じた。
恥ずかしいから、って……。
今さら何を、とか。どの口が言うんだ、とか。
頭で思ったことが、別の意識に塗り替えられていく。
目の前には、無防備に緩んだブラジャーがぶら下がっている。
見たい。その先が知りたい。
心臓がこれまでの比ではないくらい高鳴る。そのまま肋骨を破って飛び出してしまいそうなほどだ。
それに合わせて、俺の意識もきゅーっと音が鳴るような感覚で一点に向けて収束していく。
「…………」
俺の手が見えない何かに導かれてゆるゆると伸びていく。
これが俺の意思なのか、はたまた本能の賜物なのか、区別もつかない状態で。
微妙な位置で留まっていたシャツを両の手で押し広げ、指先がブラジャーの下端を捉える。
厚みのあるそれを指先で支えるようにし、そのまま上へずらしていった。
そうして、ある意味では何度も目にしたことのある、でもこんな形では見たことのない、莉々夏の胸部があらわになった。
ぺったんこを絵に描いたような、それ。
でもわずかにではあるが昔より膨らんだ気のする、それ。
ずらし上げたブラジャーを鎖骨のあたりで保持しようとして力を加えると、莉々夏がぴくっと反応した。
誘われるようにその顔へ視線を向ければ、これ以上ないくらいに真っ赤になった莉々夏の表情――、って。
「えっと、その……莉々夏さん?」
「……はい」
「たいへん申し上げにくいのですが、目をつぶってると本来の目的である確認ができないのではないでしょうか」
「あ」
莉々夏がぱちっと目を開いた。
そもそもこんなくっそ恥ずかしい行いをしている理由が、俺が勃つかどうかの確認なんだろ? 忘れないでくれ。
「うわ、すっご……」
そしてその目が、俺の下半身に釘付けとなる。
いま俺は莉々夏へ両手を伸ばすために仰向けに近い恰好になっているんだが、その腰元――通称社会の窓のところに、見事なまでに大きなテントが一張り屹立している。
「ね、コレってどうしてこうなってるの?」
「知らねえよ。ってか、りっちゃんこの前ナマで見たじゃん」
「あのときはビックリしすぎて、観察なんてできなかったもん」
「……まあ、そりゃそうか」
しばし、無言の時が流れる。
片方はおっ勃てて、片方は胸丸出しで。ナンダコレ?
「ね、ねえ……みぃくん」
莉々夏が口を開く。その呼吸がやけに乱れている気がする。
「……なに?」
「あのさ、ちょ、ちょっとだけでいいんだけど……」
「…………、なにさ?」
「ちょっとだけ、見せてくれないかな? ……ナマで」
「はあ!?」
ナニ言ってんのこの人!?
「アホ言ってんじゃねーよ! ンなことしたらそれこそ後戻りできなくなるだろうが!」
一瞬、どの口がそれを言うのか、と天の声に囁かれた気がしたが聞こえないふりをして。
「えっじゃあさじゃあさ、ズボンの上からでいいからちょっとだけ触るのはどう? ズボンの上なら問題ないでしょ」
「なんでノリノリなんだよ!? 前のめりになんな!」
「ね、みぃくんも私のおっぱい触っていいから。ね、それならおあいこなんだからいいでしょ?」
莉々夏は小さな頃から基本的には聞き分けのいい子で育ってきた。お菓子を買ってと駄々を捏ねることもなければ、癇癪を起こしたりすることもなかった。
ただ、莉々夏にとってここぞというとき。
本当にごく稀にではあるが、莉々夏が絶対に譲れないと判断したそのときだけは、なにがなんでも引かない強情さを見せるのだ。
……ちょうど、今のような顔で。
「はい、いいよ触って」
さっきまでの恥ずかしがりようはどこへやら、莉々夏は自分で服をまくって胸を近づけてくる。
こうなってしまったら、俺の意思の力なんて雑魚の末端以下だ。
だってそうだろ? 目の前に差し出され、はいどうぞと言われたら男である以上逆らえるわけがなかろうもん(動揺中)。
俺の指が恐る恐る空をわたり、触れる。
ぺったんこのくせに、例えようのない柔らかさが刺激となって神経を脳まで伝ってくる。
指先から、掌へ。わずかな膨らみを包み込むようにして全体を捉える。
――この感触を俺は生涯忘れることはないんだろうな、きっと。
前、莉々夏が寝ているときに触ったのとも違う。シチュエーションも関係あるのかもしれないけれど、とにかく頭への血ののぼり方がヤバい。
そのときだった。
さわっと。
下半身に刺激が走った。
それがどういう感覚だったのか、経験不足すぎて言い表す言葉が見つからない。
とにかく、腰が撥ねた。体全体に電気が走り抜けたような感じで。
「きゃっ」
莉々夏が驚いて、状態を仰け反らせる。俺の手からも莉々夏がいなくなる。
「ごっ、ごめん! 痛かった……?」
「いや、大丈夫……ちょっと反応しちゃっただけ」
言うのも恥ずかしい。けどもうそれどころじゃない。
「もっかい……触ってみていい?」
「……ん」
莉々夏はあらためて姿勢を正す。
俺が差し出したままの手に、もはや恥ずかし気な素振りすらなく自分の胸を押し付ける。……ていうかきっと、莉々夏の胸中も今はそれどころではないんだろう。
あらためて、莉々夏の手が俺のソイツに触れる。
今度は俺も見ていたから、さっきのように反応することはなかった。
莉々夏の指先の圧力が、ズボンの生地ごしに伝わってくる。
ぞわぞわぞわ、とナニモノかが腰から背筋を這い上がってくるような……。
「ん……っ」
その刺激の影響か、俺の手にも力が加わっていたらしい。
親指が莉々夏の乳首を弾いてしまい、艶めかしい声が上がる。
またそれがさらなる刺激を生んで、ぞわぞわが高まっていく。
「……みぃくん、きもちい……?」
荒い呼吸とともに、莉々夏がちいさく訊いてくる。
気持ちいい。ヤバい。こんなの知ったら人生ダメになる。
「も、もういいだろ……、このへんでやめよう」
「嫌ではないでしょ……? なら、もうちょっとだけ……」
やめようと言っている俺の手も止まらない。
莉々夏の手も、もうどういう動きをしてるのか俺にはわからない。
いつしか気づけば、俺は莉々夏に抱き留められていた。仰向けに寝転がる俺の頭を、莉々夏が右腕で抱え込むような格好で。
俺も左腕を莉々夏の背に回し、右手で胸を触り続ける。
莉々夏は空いた左手で俺の下半身を触り続ける。
そして――
「ぅあ……っ」
「んっ――あっ……」
奇しくも前日と同様に、俺は莉々夏に包まれて果てた。
そしておそらくは――――莉々夏も同時に。
「はぁはぁ……」
「はぁはぁ……」
二人して、密着しあったまま荒い呼吸を繰り返す。
びっしょり汗もかいていて、上下ともに服の中は大変なことになっていそうだった。
呼吸が落ち着くまでしばらく、生温くやわらかな時間が過ぎていき――。
「あは、あはは……やりすぎちゃったね」
「……もう何も言うな。頼むから」
二人して、見せかけだけでも乱れた着衣を整える。
「お母さん帰ってくる前にお風呂に入らなきゃ」
「一緒には入らないぞ」
即座に言った俺に、莉々夏はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて言う。
「なんで? またたっちゃうから?」
こんなの相手に認めるなんて、本当に癪だ。癪なんだけれども……。
「ああそうだよ! 毎回こんなになったら大変なんだよ! これからはりっちゃんも察して行動しろよな!」
「まあまあ、どうしてもな時はまたさすさすしてあげるから」
「……っぐ」
ここで瞬時に「ふざけんな!」と言い返せなかった俺の、結局は完敗だったんだろうなって。
※※※
その夜、夕食を終えて。
「やっぱ俺、今までどおり上で寝るよ」
俺はおばさんに告げた。
この結論は、決してピンクな意図を期待したようなものじゃなくって。
俺がこんな風になって、でも莉々夏はそれを受け入れてくれた。
俺にとって大切な莉々夏との距離感は崩れなかった。これからも莉々夏と同室で気まずくなることが多々あるかもしれないけれど、それも含めて俺たちの距離感なんだろうと思えたのだ。
この先、長い目で見た将来については正直わからない。でも、どっちに向かうかは時間とともに二人で見定めていけばいいさ。
莉々夏は俺の発言を聞いて、飛び跳ねて喜んだ。やれパーティだ赤飯だと意味わからないことを喚いていた。
「……いいかな、おばさん」
「ま、そういう結論が出たならいいんじゃないの」
おばさんは驚くほど無反応だった。
まるで最初からわかりきっていたかのような…………って、え、もしやすべてバレてるわけじゃないよな? 俺そんなわかりやすくないよな???
おばさんは対面に座る俺をちらりとだけ見やって、
「ま、程々にね。みぃくんを信用してるからね」
「……わ、わかりました」
…………OK、今はなにも考えまい。
鋭く光るおばさんの眼光を、俺は居たたまれない気持ちで受け取って。
一人、そんな空気など感じ取れるわけもない莉々夏が最後までハイテンションで大騒ぎを続けて、この夜は賑やかに更けていったのだった。
※不定期更新ですが数日中に次話更新の予定です。
また今後の参考、方向性決定のためにぜひ各話ごとの評価にご協力ください。