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4.ある日の作戦決行の話(後編)

 ヤマギシと作戦会議をした日、学校から帰るとテーブルにこんな書置きが残っていた。

〝今日は業界のお付き合いで遅くなります。晩ご飯は買うか出前でやってください。夜更かしせずに早く寝ること。みぃくんよろしくね。〟

 おばさんから見た俺と莉々夏の信用度のほどはさて置き。

 普段なら「うわめんどくせえことになった」と思うだろう内容に、しかし今日だけはガッツポーズを繰り出してしまった。

 これもまた天命というものなんだろうか。

 俺はヤマギシの自宅の方向(例によって勘)を見やって、気を引き締めた。


 ――今宵、作戦結構だ!


   ※※※


 作戦は、端的にこうだ。


 莉々夏の入浴中に、俺が突撃する。

 今までさんざん突撃されてきたけど、俺から突撃したことなんて皆無だ。たぶんだけどめちゃくちゃ驚くことだろう。

 そして、さらに莉々夏は目にすることになるのだ。この俺の下半身の変貌ぶりを。

 ――俺が莉々夏を見ると現実にこうなってしまうんだと。

 ――俺だってなりたくてなってる訳じゃないけど、でも制御なんてできないしどうしようもないことなんだと。

 包み隠さずこちらから能動的に見せることで、いかにニブニブチンな莉々夏でもこの現状を察することになるだろう。

 そのうえで引かれるなら、それはそれだ。構わない。

 今後は莉々夏のほうから一定距離を取るようになり、やがては適度な距離感で落ち着くはずだ。……その〝適度〟がどれくらいかは、それからの俺の頑張り次第になるだろうけど――。


 と、これがヤマギシと俺の立案結果だった。

 頭で何度も何度もシミュレーションを行う。何度も何度もセリフを反芻する。

 こっ恥ずかしいという感情や、なにやってんだろ俺という俯瞰した思考がところどころで顔を覗かせるが、そのすべてを心の奥底に封印してやった。

 ――今日の俺は作戦遂行だけを考えるモンスターだ。ターミ○ーターなんだ。余計な思考など持ち合わせなくていい――

「なにやってんのみぃくん」

 ふと、背後から声。

 チカッとリビングに明かりが灯る。

「真っ暗な中でブツブツ言って……、大丈夫?」

「……大丈夫だから、気にしないで」

 気づけばすっかり暗くなっていたらしい。

「みぃくん……やっぱり最近ヘンだよ?」

 やっぱりってなんだやっぱりって。

「へ、ヘンとかじゃねーし」

「………………」

 不振顔を崩さない莉々夏におばさんの書置きを押し付け、強引に方向転換する。

 晩メシは食べたいものを宅配で注文し、表向きは穏やかに夜が更けていったのだった。


   ※※※


 そして、時は満ちた。

「よし」

 気合いの掛け声とともに俺は腰を上げた。

 リビングで全裸になり、先に用意しておいたバスタオルを腰に巻く。

 何十回と繰り返した思考シミュレーションで準備はカンペキのはずだが、いざ作戦開始となると緊張で心臓がドキドキする。

 リビングから短い廊下に出ると、シャワー音が聞こえてくる。

 いま、莉々夏は体を洗っているところだろうか。

 意を決して脱衣所の扉を開く。視界に飛び込む脱衣かご、そして脱ぎ捨てられたばかりの莉々夏の下着。

 それでも今日の俺は冷静だ。なんてったって作戦遂行モンスターなのだから。

 心臓が張り裂けんばかりに高鳴っている。大勢を前にした学芸発表会で、あと二人で自分のセリフが回ってくるときのような緊張感だ。

 いざ、と気合いを込めて扉を開く。

「あれっ、えっ、みぃくん?」

 ちょうど髪を洗い終わったところだろうか。

 バスチェアに腰かけて体を洗うスポンジ片手に、莉々夏が肩越しに振り返り俺を視認する。

「ど、どうしたの? みぃくんも一緒に入る?」

 それでも驚きはそこそこに、莉々夏はいつもの雰囲気で体をずらし、俺のためのスペースを開けようとする。

 そんな莉々夏に、俺は冷徹なサイボーグよろしく告げる。

「りっちゃん」

「は、はい」

 重ねるが、今日の俺は任務遂行のためなら何でもするモンスターだ。

 いつもなら恥ずかしくて直視できない莉々夏の裸を、これでもかと睨めつける。

 小さな背中。筋肉も無駄肉もないくせになぜか柔らかい体。真っ白な肌を濡れた髪から雫が伝い落ちる。

 ――肉親じゃないってんならただの他人の女だ。女の裸なんだよ。

 ヤマギシの言葉が脳裏を過ぎる。

 そう。目の前のコレが、女の裸なんだ。俺とは違う、これがオンナってやつなんだ――。

「りっちゃん」

「は、はい」

 再度の俺の呼びかけに、まったく同じ返事をする莉々夏。

 その顔には困惑の表情がありありと浮かぶが、それ以上の緊張に包まれる俺はシミュレートを反芻する以外に余裕がない。

 莉々夏の視線を誘導するように、俺は両の手でカッコを作り、バスタオルに包まれた自分の股間にあてがった。

「りっちゃん……コレを見てくれっ!」

 ついに言った。言ってしまった。

「………………」

 莉々夏の視線が俺の腰元に刺さる。

 そして、その目が腰と、次いで俺の瞳とを行ったり来たりする。

「…………」

「………………」

 無言。圧倒的無言。

 恥ずかしいとか、何がどうとか、意味を成すコトバが一切浮かばなかった。

 とにかく聞こえるのは鼓動の音。そして血流が耳元を流れる雑音。

 顔が熱い。全身が熱い。限界まで酷使された心臓の筋肉が悲鳴をあげて、それでも俺の脳が血流を求める。

「………………みぃくん」

 やがて、永遠を感じるほどの末に、莉々夏が声を発した。

「は、はい」

 返事をしたつもりだが、言葉になったかは定かじゃない。少なくとも太鼓のように鳴り響く心音には負けた。

「みぃくん……」

 莉々夏は言葉を彷徨わせているようだった。

 そりゃそうだよな。いきなり風呂に凸されて、自分(てめえ)の凸を見せつけられてんだから。

 くっそ気まずい。けど居たたまれない。

 莉々夏と視線を合わすことができず、俺は誰もいない浴槽の水面をひたすら睨んだ。

「りっちゃんさ……、その、コレ……の意味って、わかるよな?」

 そしてついに、俺は自分から真意を切り出していく。

「…………うん」

「俺さ、最近ヘンなんだよ。自分でもどうしていいかわからないし、どうしようもないんだけど、でもりっちゃんを見るとこうなっちゃうんだよ」

 家族のように思う同居人からこんなことを言われて、逆の立場なら果たしてどう思うだろうか。

「だから、ちょっとりっちゃんとの距離を確かめてみようっていうか、俺たちももうガキじゃなくなってきたから、いま一度そこらへんをあらためられたらって思ったんだ。んで部屋を分けたりとか、当たり前にしてた部分をまずは変えてみようって」

 しどろもどろで、言いたいことがうまく言葉でまとめられない。

 脳に一気に血が廻りすぎて空転してしまったかのような、俺という人間のデカさはこの程度なんだと思い知らされてしまったかのような。

「りっちゃんだって、こんな状態の俺と同じ部屋で過ごしたくないだろ。ヘンな形で気まずくなったりしても嫌だろ」


「うん、嫌だ」


 その一言を耳にした瞬間、俺の知覚に紐づくすべての感覚が消えた。

 ――うん、嫌だ――

 その短いフレーズだけが世界から切り離され、烙印として俺の心に刻み込まれる。

 ……そうか、やっぱりそうだよな。

 そりゃ、嫌だよな。ただの同居人、良くて家族。でもそれは、そういう(・・・・)対象ではないもんな。

 思いがけず、深くショックを受けている自分に驚いた。

「みぃくん」

 呼ばれて、莉々夏を見た。

 いつの間にか、莉々夏は体ごとこちらを向いていた。その莉々夏と、目と目が合う。

 莉々夏の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれた。

「へっ……!?」

「私って……そんなに魅力ないかな」

 そして継がれた言葉が、それだった。

「な、え……どういうこと」

「そりゃ、私はぺったんこだし、どこも成長しないし、未だに毛も生えてこないおこちゃま体型だけど」

 なんだ、なんの話をしてるんだ……?

「でも……、それでも一応は女子高生なんだよ! それなりの歳の女の子なんだよ! そんな私に向かって、そこまで無反応を強調しなくたっていいじゃない!」

 最後は叫ぶように言い捨てて、莉々夏はびしっと指を刺した。

 その指の向く先は、当然ながら俺の股間だ。

「…………え?」

 その仕草に俺の視線も誘導されて、はじめて気づいた。

 真っ平。まな板もかくやというほどに盛り上がりのない、平面。

 俺が手でカッコまで作って強調させた下半身は、見事なまでに静まり返っていたのだった。

「は……、え、いやちが……っ、これはその、でかくなるつもりで」

「なってないじゃない! こんな私の裸を見ても、反応なんてしませんよってことなんでしょ!」

 もうやだ! と言って莉々夏は両手で顔を覆い、うわーーーーーんと近所迷惑な大声で泣いた。


 風呂から早々に退散して、しばらくしてから莉々夏もあがって2階の自室に戻り、さすがに悪いこと(?)をしたと謝りに行こうとしたものの。

「入ってこないで!」

 生まれて初めて部屋に入ることを拒絶された。

 どうしてこうなった……。なんでこんなことに……。

 想定と真逆の進展をしてしまい、でも想定していた一番最悪の結果を引いてしまったみたいだ、と。そう分かったところでどうしようもないもどかしさに頭を抱えるしかなかった。

 やがておばさんが帰ってきて、莉々夏の様子に勘づいて問いただされたけど、さすがに正直に答えるわけにもいかず。

 いやなんつーか、俺の反応が悪くて……、と。

 歯切れの悪い俺の返答と、質問すら受け付けず泣くだけの莉々夏に、おばさんは「一晩様子をみましょう」と言って2階へ戻っていった。

 こうして一人の夜、二日目はわけのわからないままに更けていったのだった。


   ※※※


 追伸。

 極度の緊張をすると男のアヤツは縮みあがっちゃって大きくならないんだ、って。

 夜中、グー○ル先生に教えてもらいました。

 俺も一人静かに泣きました。おしまい。


※不定期更新ですが数日中に次話更新の予定です。

 また今後の参考、方向性決定のためにぜひ各話ごとの評価にご協力ください。

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