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3.ある日のお願いの話(前編)

「みぃくんが……みぃくんが……」

 莉々夏が泣いていた。号泣していた。

 ぐっしょり濡れたタオルがその凄惨さを物語っている。

 リビングテーブルをはさんだ向かいではおばさんが困ったように嘆息する。

 まるで俺の身に何かがあったかのような悲しがりようであるが、当の本人たる俺はいまテーブル脇に立たされて、ただ判決を待つだけの被告人と成り果てていた。

 現在、時刻は午後十時を過ぎたあたり。莉々夏が泣き始めてから――俺がその原因を作ってから早くも二時間が経過したわけで。

「んで?」

 いや、そんな目で俺を見られても困ります。

「その、なんつーか……」

「みぃくんは私が嫌いになったんだ!」

 俺の発言を遮るように、テーブルをバンと叩いて莉々夏が立ち上がる。

「そんなこと言ってないだろ」

「だってそういうことじゃない!」

 涙でドベドベになった顔をひん曲げて、髪を振り乱しながら半狂乱に荒れ狂う莉々夏。

 その姿を見てまたしてもおばさんがため息を漏らす。

「はあ……、どうすんのコレ」

「俺に言われても……」

「だってみぃくんが元凶でしょう? どうにかしないと今夜寝られないわよ」

「ん……まあ否定はできないっすけど……」

 おばさんの言う元凶、おそらくは莉々夏にとっての諸悪の根源たる俺の発言を遡って思い起こす――。


   ※※※


「自分の部屋をください」


「…………」

「……………………」

「………………………………」

 あれ? 世界止まった?

「……あと、ご飯おかわりいっすか」

「はいどうぞ」

 あ、動いた。世界ちゃんと動いてるわ。

 おばさんから新たに盛られた茶碗を受け取りながら、未だに時が止まり続けている莉々夏の顔を上目遣いで覗き見る。

 晩ご飯の鯵の開きの身の一切れを箸でつまんで開いた口まであと十センチ、というところでピタッと止まった莉々夏。

 ――と。

「は……うぇっ!?」

 その固まった顔のまま、莉々夏の両目からツーっと涙が流れ落ちた。

 切り身がポトンとテーブルに落ち、箸も手からこぼれ落ちて、莉々夏の顔がくしゃくしゃっと歪んでいき。

「う……わあああああああああああああああああああああああああん!!」

 こんなに想像通りな泣き声ってほんとにあるんだなあ。

 なんて他人事のように思いながら黙々とご飯を平らげ、おばさんが後片付けをし、食後のコーヒーで一服したのち、今に至るまで莉々夏は泣きどおしなのである。

 回想おわり。


   ※※※


「元はと言えば、なんで自分の部屋が欲しいなんて話になったのさ」

 頬杖をついたおばさんに問われるも。

「なんで、っても……」

 まさか『あなたの娘さんに性的興奮を覚えるようになってしまったからです』なんて馬鹿正直に言えるわけがない。

「もう俺たちもいい年頃だし、そろそろプライベートは分けるべきだろ、ってさ」

「一緒にお風呂まで入ってるのに?」

「ぐふっ」

 おばさんからストレートに言われるとボディに効くぜ……。

「ぐしゅ……私のはだか見てたっちゃったのに……」

 それが直接の原因だよ!!

 ……って言えたらどれだけ楽なことか。

 ていうかその発言はどうなんだ現役JK?

「んまあ冗談はさておき、みぃくんの気持ちもわからないでもないわね」

「だろ?」

 冗談かどうかの部分はおくびにも出さずに、俺はおばさんに同調する。

「この家の家主の一人でもあるみぃくんの意見だもの、尊重してあげたいのは山々なんだけれど」

 おばさんは少しだけ困ったように微笑んだ。

「みぃくんもご存じの通り、この家には空き部屋がひとつもございません」

 そうなのだ。

 もともと血の繋がりのない男女を同室に住まわせているのも、一人一人に部屋を与える余裕がこの家になかったためなのだ。

 東京都二十三区内――と言えば聞こえはいいが、俗にいう下町エリアに居を構える莉々夏家は、道がせまく入り組んで車も入ってこられないほどの密集地のど真ん中に存在する。

 当然ながら家そのものも極めて小さい。我が家も小さければ隣近所みな小さい。

 そんな小ささが極まった木造二階建てとはいえ、いちおう3LDKの間取りではある……んだけど、特殊な事情によりそのうちの二部屋はすでに固定の用途を持ってしまっているのだ。

 おばさんが仕事で着物の先生をやっている関係で、一部屋はあらゆる衣装置き場として箪笥が所狭しとならんで布団を敷く隙間もないほど、という現状だ。

 もうひとつは俺の父親の研究室兼資料置き場となっている。研究の内容が内容なだけに子供がいじってはまずいものもあるらしく、今は厳重に鍵をかけて封印してある。

 というわけで残った二階の一部屋に俺と莉々夏が勉強机をならべて二段ベッドで生活し、おばさんはリビングに布団を敷いて寝起きしている毎日、といった実情なのだ。

 つまるところ、おばさんの言う通りこの家には空き部屋などひとつもなく、当然それを承知しているはずの俺の発言意図が汲み取れない、というところに繋がっていくのだが。

「提案がある」

 俺の一言に、莉々夏がごくりと喉を鳴らした。泣いている場合ではないと気づいたのか真剣な眼差しを向けてくる。

「上でおばさんが莉々夏と一緒に寝て、俺がリビングで寝ることにする。服とか勉強道具は最低限をリビングに置かせてもらえればそれでいいし、なるべく邪魔にならないようにするつもりだ。……どうだろう?」

 俺の提案を、おばさんは表情を変えることなく聞いていた。

 そして。

「ほらあああやっぱり私のことが嫌いになったんだああああああうわああああああああん」

 莉々夏はまたも半狂乱に突入した。のでほっとこう。

「……その提案自体は検討の余地はあるわね」

「お母さんまでえええええ私の見方はいないんだああああああ」

「ただね」

 おばさんも莉々夏のわめきを完全無視し、俺にだけ向けて真剣な顔で言う。

「昨日まで至って普通に一緒の部屋で暮らしてきて、お風呂だって一緒に入ったりしていたってのに、今日いきなりそんなこと言いだした理由が解せないのよ。もし仮にあんたたちが喧嘩でもして、その一時的な気分から別室を望んでいるんだとしたら、そんな理由を認めてしまったら我が家はまたしても家庭崩壊してしまうかもしれないの」

 ……なるほど。

 おばさんの懸念は理由としては外れているけど、本質的には的を射ていると思った。

 たしかにこの気まずい空気のまま部屋を分けたら、日常にも距離感が生まれ、さらにそれを意識することでやがて壁ができてしまう可能性だってゼロじゃない。

「あたしはねえ、一度自分が失敗してるから、あんたたちにそういう思いだけはさせたくないのよ。後悔するような経験も時には必要かもしれないけれど、家族の絆だけは一度失ってしまったらもう二度と戻らないものなの」

 それは、一方的な不義理により離別したおばさんにも、死別を経験した俺にも刺さる言葉だった。

 とはいえ。

 ――同室の莉々夏を至近距離で性対象として意識してしまうことこそ、家族の絆を失うことに繋がりかねないんですけどね!

 声に出すことはできず、俺は脳内だけで頭を抱えた。

 ……さて、どう説得したもんか。

 莉々夏を除けば女の子とまともに喋ったこともない童貞中坊の俺だ。あまりにも高難易度ミッションすぎる思案じゃないかコレ。

「……なんつーか、うまく説明はできないんだけど」

 それでも俺は、思うままに口を動かした。

「今まで当然だと思ってた価値感がバグりはじめたというか……、それって一時的な迷いとかそういうもんじゃなくって、もしかしたら俺の将来を左右するかもしれない曲がり角、みたいな……。でもまだそれをどっちに曲がったらいいかの判断ができないから、しばらくのあいだ自分で自分を冷静に見つめる時間がほしいな、って思ったんだ」

「そう……」

 おばさんはそれだけ呟いて、黙り込んだ。そうして虚空を見つめて考え込むこと、数十秒。

 俺は静かに待った。気づけば莉々夏も泣き止んで、行く末を不安な顔で見つめている。

 やがて、しずかにおばさんは口を開く。

「わかったわ。部屋を交換しましょう」

「おお!」「なんでよ!」

 両極端な反応がリビングに響く。

 ――が、しかし。

 おばさんが俺ら二人の前に手をかざし、制止のポーズを取る。

「ただし、期間は三日間だけ。みぃくんはその間にしっかり考えて、それからまた話し合いましょう。そこであたしが納得できる答えを導き出せたら、部屋の交換を正式なものにしていいわ」

「お母さん!」

 莉々夏のヒステリックな声を遮断するように、おばさんは静かに目を閉じた。

 こうして、俺が物心ついてほとんど初めてとなる一人の夜が幕を開けたのだった――。


(後編へ続く)

※不定期更新ですが数日中に次話更新の予定です。

 また今後の参考、方向性決定のためにぜひ各話ごとの評価にご協力ください。

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