3.また明日、同じ時間に来るよ
トンっ、トンっと、この前と同じ音が聞こえた。
その音でまた目が覚めてしまった。
もしかして、また?
などと思って、起き上がり窓の外を見てみると、やはり皇太子様だった。
話すか話さないか悩んだけれど、一応挨拶くらいはしておかないといけないと思い、わたしは窓を開けた。
「おはようって言った方がいいか? 今起きたばかりみたいだしな」
「いえ、こんばんはで大丈夫です。それじゃあ」
わたしは挨拶をしたから、もう良いかと思い、窓を閉めようとした。
起きたばかりだし、いつもはもっと寝ているから、今はとても眠たい。
「ちょっと待った。少しくらい話そう。外務大臣との話、早めに切ってきたんだから」
「え、えぇ……」
皇太子様が言った今の台詞、それがとても凄くて衝撃的すぎた。
わたしみたいな人のために、大事な外交を早めに切ってまで来るなんて、どれだけ『夜の守り手』が欲しいのだろう。
なんてことを思ってしまい、話す気が失せてしまった。
そして今度は完全に窓を閉め、再びベッドで寝ようとすると、トンっ、トンっという音が鳴り始めた。
我慢して寝ようと思ったけれど、うるさすぎて寝ることができず、起き上がって窓を開けた。
「やめてくれませんか?」
わたしは相手が皇太子様ということを少しだけ忘れてしまい、怒り気味で言ってしまった。
それを聞いた皇太子様はニカっという感じで笑ってきた。
「来てくれたな」
その顔は無邪気な少年がするような顔で、とても優しく嬉しそうな顔だった。
その顔を見たわたしは、可愛いやカッコいいという思いではなく、面白い人という感想が浮かび上がってきた。
だって怒っている相手に笑顔で「来てくれたな」なんて言う人、普通は居ない。
それにたとえわたしが『夜の守り手』だとしても、重要な外交をすぐに終わらせてまで来るなんて、面白いでしょ?
「それで、何の用ですか?」
「昨日言っただろ? 好きになってもらうって」
「……。おやすみなさい」
わたしはあの冗談を本気で実行するような馬鹿な人だとは流石に思っていなかったのだけれど、それを本当に実行する人を好きになるとは思えない。
またわたしは寝ることにしようとした。
「寝ないでくれ」
「わたしの行動を先に止めるの、やめてもらえませんか」
わたしが窓を閉め寝ようとする前に、その行動を止めてきた。
さっき言った台詞で分かったんだろうけど。
「少しでいい」
「……分かりました。何について話すんですか?」
わたしは仕方なく話すことにした。
話す内容は完全に皇太子様に任せ、相槌だけを打つことに決めた。
「そうだな……。今日の昼間に街を見てきた話でもしようか」
「早めに終わらせてくださいね。寝たいので」
わたしは眠たいというのを口実に皇太子様との話を早く切ろうとし、敢えて冷たい口調で言った。
ここまでしてくれた人を無下の扱うこともできないので、仕方ないという思いで話すことにした。
「善処するよ」
善処するっていうのは、大抵しない。
善処という言葉は本当の意味の割に、上部だけで使われて、実行されることはあまりない気がする。
多分皇太子様が言っている善処は実行されないかな。
「そうですか。ならさっさと話し始めてください」
「ふっ。皇太子のオレ相手にこんな風に言う人は初めてだよ。とても面白い。益々リエリアのことが好きになったよ」
その言い方だと元から好きだったみたいだ。
それにわたしだってこんな風に言おうとは思っていないのだけれど、『夜の守り手』だから結婚しようとか睡眠妨害をしてくるとか、そんなことをしてくる人が皇太子様だとは思えない。
睡眠妨害は皇太子様でも許したくない。
「早くしてください。寝ますよ」
わたしは脅しとは捉えられないくらいの軽い脅しをしてみた。
きっと皇太子様からしたらなんともないのだろうけど。
「分かった分かった。話すよ。リエリアは長年ここに引きこもっていたから、知らないかもしれないけど、最近名物ができたらしいんだよ。食べてみたらとても美味しかった」
わたしが何故長い間引きこもっていたことを知っているのか、どこで知ったのかが気になるところだけど、どうせ誰かに聞いたんだろうな。
でも王都に名物と呼べるものは無かったはず。
「様々な肉を串に刺して火で焼く、という簡単な物なのだけれど、それがとても美味しかったんだ。串焼という名前だったな」
そんな料理が流行っていて、名物にまでなっている。
やっぱり全くここから出ていないから、そういうところにも疎い。
まあイエア人はあまり食事を取らなくていいから、食べ物に対して執着は無い。
わたしだけかもしれないけど、別にそこまで食べたいとも思わない。
「へぇ、そうなんですね」
「あれ? 興味無しみたいだな」
興味が無いわけではないけど、食べ物の話は聞かなくていいし、他人が食べた感想を聞いても楽しくも面白くもない。
どちらかというと今の街の様子の方が興味がある。
でもそんなことは絶対に言わないけど。
「いえいえ、興味が無いわけではなく、面白くないからです」
「それは傷付くな」
皇太子様は傷付くなどと言いながら、へらへらとし笑っていた。
この人には悪口を言っても意味がなさそうと思った。
「じゃあ、街のことでも話そう。それなら少しは興味があるだろ?」
「まあ、否定はしませんね」
わたしは敢えて言い方を変えた。
否定はしないということは肯定しているのと同じようなものだ。
けれど皇太子様が言ったことを肯定するなどと言うのは、何故か癪だから違う言い方をすることにした。
「そうか。そんなに興味を持ってくれたのか。嬉しい限りだ」
「早く話してください」
「分かったよ。オレが見てきた街は、一言で言えば“差”だな」
「差、ですか?」
一言というか一文字で今の街を表現した。
わたしは少し嫌な感じなのかと思いつつも、どういう意味なのか気になった。
「簡単に表せば三段階に分かれている。一番目は貴族や商人などの豊かな生活を出来ている者達、二番目は豊かとは言えなくても人並みと呼べるような生活をしている者達だ」
「三番目は、どうなんですか?」
これは今、ここに住んでいる人達の生活についてだろう。
今の流れからして三番目の想像は容易い。
けれど一縷の望みを持って、三番目はどのような生活をしているのかを聞いた。
「三番目は、酷く最悪だ。ただただ生きるためだけに生活していると言えるだろう。街を歩き回っている時に、少なくとも三回はスリに遭っている者を見た」
わたしは愕然とした。
お父様が王様だった頃は、皆が幸せに暮らしていた。
皆んなが皆んな人並みの生活はしていたはず。
もしかしたらわたしが見ていたのは表だけで、皇太子様が言ったような裏の存在について知らなかったのかもしれない。
もしくは今の王様が王国をそのようなことにしたのかもしれない。
わたしはどっちなのか分からず、混乱してしまった。
「オレが昔来た時よりも、確実に街は悪くなっている」
「そんなに、ですか?」
「ああ、そうだ。先代の時は、皆が笑っていたのに。今は少し道を外れれば、飢え苦しむ者が溢れるようにいた」
皇太子様の言葉を聞いて、わたしはほっとし、混乱が収まった。
お父様はきちんと民のことを想い、皆んなが笑顔で暮らせる国を作っていたことに。
でも同時に今の王様はなんて酷いことをしているのだろう、そう思ってしまった。
「そして何よりッ」
急に皇太子様の声が大きくなって、少し怒っているように見えた。
わたしは何故そうなったのか分からず、再び混乱してしまう。
「いいや、これはリエリアに向かって言うことではないな」
落ち着きを取り戻し、冷静になった皇太子。
今の発言からわたしが何かしたようではないので、少し安心した。
「そろそろ、時間だな。オレは戻るが、まだ居て欲しいか?」
「いいえ、結構です」
「ははっ、分かった。じゃあ、また明日、同じ時間に来るよ」
そう言って、皇太子様はすぐに去って行ってしまった。
わたしは皇太子様が何故怒ったか、ということを考えようとしたけど、まあいいかと思い、そのまま眠った。