遺跡の魔女
森の中を沢山の荷物を背負って歩く若者がいた。
──珍しい客だの。
美しい銀髪を靡かせながら、水の上位精霊はそれを何ともなしに眺めていた。小さな精霊達がこの来訪者に騒いでいたので様子見にやって来たのだ。相手はウンディーネに気付く事も無くただ森の中を彷徨っているようだった。
──迷い人かの? さして、騒ぐ事もあるまい。
この精霊はどうでもいい相手には興味を持たない。この精霊が興味を持つのはたった一人──燃えるような赤毛を持つその人だけだった。
けれど、ウンディーネは後にこの若者を気に掛けなかった事を酷く後悔した。何故なら、彼が遺していった物に随分と悩まされる事となったからだ。
✣✣✣
──《魔女の国》滅亡10日後
炎は7日7晩に渡り森を焼き尽くした後、漸く鎮火した。残ったのは真っ黒な煤と灰。生き物の焦げたような匂いもしたが、それが既に何か分からなくなるほど燃えていて殆ど残りカスの様なものだった。
「──生き残りが居ないか探せ!!」
「はっ!!」
燃え尽きた森には多数の帝国の兵士がおり、逃げ遅れた者、または森に戻って来た者を探しているようだった。
──愚かだな。彼奴等が戻ってくるはずが無いのに。
その様子を木影から見つめ、若者は小馬鹿にした様にふんと鼻を鳴らした。
枯草色の髪にアイスブルーの瞳をした彼の目は細くやや吊り目がちだったので、どことなく狐を連想させた。
彼は兵士達が立ち去るのを見計らうと《魔女の国》の中心部だった場所に向かった。焼け野原を迷いながら進み、彼は辛うじて立っている塔の前までやって来た。
「ああ、女王よ。何故こんな事に」
彼は瓦礫の上に立ち、夜の空を見上げて嘆いた。
《魔女の女王》の訃報は瞬く間に広がった。
しかし、彼は未だ彼女の死が信じられないでいた。彼が知る限り彼女は《魔女の国》で最も強く聡明な人であり、長命であったからだ。
彼は彼女に憧れるか弱いの魔女──名も無き魔女の一人であり、その思いは崇拝に近いものだった。
『──兄さんも飽きないね』
彼女を褒め称える彼に向かって、自身によく似た弟は何時もそう言って呆れた顔をしていた。
その弟は、どうしたのか。
彼は帝国軍がやって攻めて来た時に運良く行商に出掛けていていなかった。
──彼奴は戻って来ない。
彼の考えは確信に近かった。
弟は自分よりも容量が良く、《魔女の国》が滅んだ事を何処かで聞いて上手くやっているだろうと、彼は漠然とそう考えていたのだ。
彼は歩を進めた。
一面焼け野原になった場所から彼等の家だった場所を探し出すと、瓦礫を避け始めた。
瓦礫を避けると床に隠した物置を開く。そこには今まで彼等兄弟が研究した成果があった。彼にはこれが必要だった。
彼は魔道具を作る職人だった。瑣末な物もあったが帝国軍に渡ると少々厄介な物も多数あった少々数が多くて直ぐには持ち出せなかったのだ。
彼はそれを闇夜に紛れて収集し、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
✣✣✣
──《魔女の国》滅亡20日後
枯草色の髪の青年は浸すら森を進んでいた。額にはびっしょりと汗をかいている。どれくらい進んだであろうか、彼は不意に立ち止まった。
「このあたりで良いだろう」
そう呟き、青年は人一人入れるくらいの洞窟の前に荷物を下ろすと、手早くテントの準備を始めた。
彼の荷物には食料品や日用品の他は多くの書籍が含まれていた。異国から集めてきた物もある。
彼はその中の一つを手に取った。
分厚い装丁の本であった。
──魔導書
悪魔が人間界に遺したと言われる書だ。人ならざる物を呼び出し、どんな願いでも叶えるものだという。
「これが、これさえあれば……」
彼はその本の表紙を捲った。
彼はその森から何時しか居なくなっていた。
彼の作った魔道具を残して──。
✣✣✣
薄暗い部屋の中、蠟燭の灯りが本棚を照らす。そこには一冊分の隙間が空いていた。
白い手がその隙間をなぞる様に軽く撫ぜた。
その指先の黒く塗られた爪が蠟燭の灯りを反射して異様な輝きを放っていた。