森の魔女
──その昔、森に棲む薬師の一族を《森の民》と呼んでいた。
彼等は精霊とともに有り森の草木に精通していた。彼等の調合する薬は下手な医者にかかるよりも効果があると評判だった。
時は流れ、とある時代、大陸を制した大国があった。その国は精霊を慈しんだが、時代が流れるに連れその信仰は苛烈なものへと変化していった。
この影響は彼等と同じく精霊を慈しんでいた筈の《森の民》にも及び、彼等も魔女とされ《魔女狩り》の対象となった。
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ローズブレイド帝国の辺境の村に住むハンナは魔女──《森の民》末裔であった。
母は流れ者、父は不明だ。
この何も無い村の何が気に入ったのか、母この村に居つきハンナを産んだ。
薬師である彼女の作る薬は医者のいないこの村には貴重で、遠巻きにはされるものの邪険にはされなかった。
「──あら! ハンナ大きくなったわね」
「!?」
早朝、戸を開けると何時から居たのか妖艶な美女が微笑んでいた。その横では母がせっせと薬を調合している。
「あ、アナスタシア?」
時折ふらりと現れ、ふらりと消える妖艶な美女に戸惑っていると、母はハンナに机の上の包を指した。
「ジョーおじさんの所に薬を持って行っておくれ」
ジョーおじさんは湖の小屋一人で暮らすだ初老の男性だ。ハンナはお使いでよく彼に薬を届けていた。
「わかった。母さんは薬草取り?」
「分かりきった事を聞くんじゃないよ」
母とこの妖艶な美女がどういった関係なのかは知らないが、母はハンナに彼女の事を本物の魔女だと言った。
『──魔女とは、人の理から外れた者を指す。
魔女とは、悪しき妖精と契約を交わした者を指す。
魔女とは、一つの事象についての探求者を指す。』
彼女に初めて出会った日、彼女はハンナに《魔女の心得》とやらを教えてくれた。
しかし、それは《森の民》末裔であるハンナにとってはあまり意味の無い事に思えた。彼女が魔女であろうと無かろうと薬を作って、売るという彼女の日常は何も変わらない。
「行ってきます」
「行ってらっしゃぁい」
ひらひらと手を振るアナスタシアに見送られ、ハンナは家を出た。
「──よう、ハンナ。今日はどこ行くんだ?」
ジョーおじさんの家の近くまで来ると淡い茶色の髪を短く切った少年がいた。
「ジャン、あんた暇なの」
「ああ、暇だ!」
そう言ってジャンは白い歯を見せて笑った。
ハンナは気恥ずかしさを隠す為に敢えて突慳貪な物言いをしていたが、ジャンはそんな彼女にも気さくに話しかける世話好きな少年であった。
──月日は流れ、ハンナは薬師にジャンは国境を護る衛兵になった。
そして、気付けばハンナはジャンと結婚して、息子ユリウスを一人もうけていた。村は貧しかったが家族3人幸せに暮らしていた。
一方で、ローズブレイド帝国国内では、年々紛争が激化していた。
一人息子が10歳になる頃、紛争が更に激しくなり、とうとう辺境の警備にあたっていた男達にまで戦場に駆り出される様になった。
「ジャン、あんたが行かなくても……」
「大丈夫だ。必ず帰って来るさ。ハンナ、その間ユリウスを頼む」
ジャンはハンナの顔を真っ直ぐ見て彼女を心配させない様ににかっと笑った。ハンナは気持ちを押し殺しそれを励みにするしかなかった。
国境を護る衛兵とはいえ所詮は辺境の村人だ。彼等が戦地に行った所で殆ど死にに行くようなものだった。
案の定、ジャンは帰って来なかった。
「父さんを探しに行く」
成長した息子のユリウスはそう言って18歳になると同時に兵士に志願して戦場へ行ってしまった。
ハンナは彼の帰りを1年、2年と待ち続けたが、結局彼も帰って来なかった。
その間にハンナの母は儚くなり、ハンナは一人途方に暮れた。悲しみを擦れる為に毎日只管に薬を作り続けていた。
その頃にはハンナには《森の魔女》という異名が付けられていた。
「──ハンナ頼みがあるんだ」
そんな折、ジョーおじさんからある頼み事をされたのだ。その頃のジョーおじさんは寝付く事が増えていた。
「ある子を迎えに行って欲しい」
「ジョーおじさん、あんた親戚がいたのかい?」
そう尋ねたが、ジョーおじさんは首を左右に振って連れて来てくれれば全て話すとだけ言った。
彼は湖の側の小屋にひっそりと住む老人で殆どその小屋からは出て来なかった。ハンナと彼女の母以外の村人とは殆ど交流を持たない不思議な人であった。
──本物に見つかるのかね。
初めは疑っていたが、ジョーおじさんの言われた通りの場所に行くと確かにそれらしい特徴の子供がいて、あっさり連れ帰ることが出来たのだ。
その子供の名はユリウス。
図らずも、彼女の亡くなった息子と同じ名前だった。
「──初めまして、新しい《先見の魔女》」
彼はユリウスを連れて帰ると手始めにそう声をかけた。彼等は《魔女》だったのだ。
彼は約束通り自分の話しをぽつりぽつりと話し始めた。彼の人生は聞くに絶えないほど壮絶な人生だった。
一方で、長年謎だったハンナの母とアナスタシアの関係、彼が此処にいる理由を初めて知る事になった。ハンナの母は彼の世話をする為、この村にやって来た事を知った。
その仲介人は勿論、あのアナスタシアである。
「──最期にお前を見つけてやれて良かった」
そう言ってユリウスの柔らかな金の髪を撫でる様子は孫を慈しむ祖父のようであったが、その瞳には僅かに憐憫の情が見え隠れしていた。それは自身の経験から来るものだろう。
全て話した彼は何処か晴れやかだった。
その後、暫くして彼は静かに息を引き取った。
葬儀の後、ハンナはユリウスの手を引いて湖面を眺めていた。彼の最期の言葉が耳に遺っていた。
『──ハンナ、それでも私はこの人生も悪くなかったと思うんだ』
──私はどうだろう?
ハンナは自身に問うた。
──私は最後の時にこの人生を誇れるだろうか? 悪くなかったと言えるだろうか?
ハンナはユリウスの手を強く握った。ユリウスが彼女を見上げ、彼女もユリウスを見た。
──私はもう後悔したくない。
そんな思いが込み上げて来た。
──なら……。
「手始めに《魔女の心得》を教えないといけないね」
そう言ってハンナはにかっと笑った。