序章
──その場所は辺り一面闇に包まれていた。
例えるならば其処だけがこの世界から切り離され、黒く塗り潰された様な場所であった。ただ其処にいるものを得も知れない恐怖、不安に駆り立てるのには十分であった。
その真っ暗な部屋の中に一つの明かりが灯った。その明かりはランプの火。小さなランプの明かり一つで照らせるのはその周囲と持ち主の手元ぐらいである。
しかし、真っ暗な部屋の中でもランプの持ち主は迷う事なく歩を進めると、一つの棚が現れた。その棚をランプで照らし出すと、棚にはぎっしりと本が並べられているのが分かる。
持ち主は暗闇の中でもはっきりと見える白い手でその中の一冊の本を選び取った。古い本の装丁をランプの持ち主は大切そうに撫でる。
そして、丁寧に表紙を捲った。そこに書かれている文字を爪の黒く塗られた人差し指で丁寧になぞっていく。
そこに書かれていたのは『回顧録』の文字。
『回顧録』──それは誰かの過去の記録である。
✣✣✣
──赤く燃え盛る炎を呆然と見つめる少女がいた。
そこには森があった。
そこには家があった。
揺れる草花があった。
美しい泉があった。
囀る小鳥がいた。
今はそれら全てが燃え盛る炎に呑み込まれ、いずれ灰になるだろう。
──どうして……?
炎を見つめながら少女は問う。その問いに答える者はいない。ただ叩き付けられる現実を少女は受け入れられなかった。
『──逃げなさい』
少女にそう告げた人の姿が脳裏に過ぎるが、少女はその場所から動けずにいた。
その人は未だ炎の中にいる。周りには一目散に逃げて行く人々。彼等の多くは元々根無し草だ。だから、ここを失ってもどうにかやっていけるだろう。彼等は決して弱くはない。弱くは無いが、誰も彼女を助けはしないだろう。
そういう場所だった。
彼女はそれを理解していたつもりだった。
遠くで挙兵した兵士達の怒号が響く。兵士は逃げ遅れた人々を殲滅しにやってくるだろう。
「──何やってるんだい!?」
多くの人々が彼女の脇を通り抜けていく中で、誰かが少女の細い腕をいきなり引っ張った。それは若い女だった。亜麻色の髪を一つに結わえた女は少女をグイグイと引っ張って連れて行こうとする。
「止めて!!」
少女が抵抗すると、女はキッと眦を釣り上げる。
「死にたいのかい!?」
そう言って、女はバシッと少女の頬を叩いた。少女はその場に崩れ落ちそうになるが、女に腕を掴まれていたままだったので、その場に留まった。
「アタシは他の奴等と違ってお節介なんだ!! あんたが嫌がっても連れて行くよ!!」
少女は目を見開き、信じられない物を見るかの様な目で女の顔を見た。
「さあ、帝国の兵が来る! 早く逃げるよ!」
そうして少女は女に引きずられる形でその場を後にした。
背後で赤く燃え盛っていた炎は7日7晩燃え続け、辺り一帯を炭にして漸く鎮火した。
その場所には殆ど何も残らなかったという。
──この日、魔女の国は滅んだのだ。そして、これがとある魔女の始まりの話。