夜の水面から
夜景が遠くなると、なぜか悲しくなる。大切な何かを残して、こんな遠くまできてしまったように思うから。
ことり、と窓に頭をもたげる。
故郷でも、何でも無い街の光が、遥かに遠かった。
現在住んでいる場所は、ここから見えるはずも無い遠い場所で、
たった今向かっている故郷は、1時間近く空を飛んだ先だった。
夜の便は、窓側の席が良いと言ったのは母だった。
夜景が綺麗だから。
初めて飛行機を使って実家へ帰る時、帰る便を予約したのはその母で、夜景が見える窓側の席を取ったのだと、自慢げに報告された。
それが、初めての夜の飛行だったから、母が自慢げに言う理由がちっともわからなかったが、良く晴れた上空からは眼下に広がる夜景が綺麗に見え、
その幻想的な光景に、心の中で母に拍手を送ったくらいだ。
今日は生憎の天候だから、一度上空に出てしまえば、街の光は雲の底に沈んで見えなくなってしまう。
それでも、急遽決まった帰郷に伴って、土壇場で出立した自分に、飛行機の便があっただけ良かったとも言える。
生憎の天気でも、窓側がとれたのは幸運だろう。僅かな時間でも、外の景色が見えたから。
そもそも、帰るつもりは無かった。
仕事も、こちらでの生活もある。
去年の母の三回忌は、親戚一同できちんとした形のものをしたし、
来年の五回忌には休みを取ってきちんと帰るつもりだった。
それでも、帰宅して風呂にも入らず荷物をまとめ、最後の便に飛び乗ったのは、父からの電話だった。
母が亡くなり、たった一人で家を守っていた父の声が、あんなにも心細く老いて聞こえなければ、こうして景色を見ることも無かった。
深夜だと言うのに、眼下の街は光で溢れている。
規則正しく並んだ光は、住宅街の街灯だろうか。
実家の周囲など、ぽつぽつと街灯があるだけで、とても歩けたものではないが、歩く分には心許なくても、こうして上空から見るとまばゆい光なのかもしれない。
不規則に連なりながら、ゆったりと進む小さな光は、車だろうか。
彼らもまた、どこかへ向かっていっているのだろう。
そう考えると感慨深い。
空港に着いたらタクシーを拾って、あの列に加わろう。
そうして家路につくのだ。
あの、光の海の底を。