プロローグ 『生前の最推しキャラは悪役令嬢です。』
乙女ゲーム+悪役令嬢という王道を一度書いて見たかったんです。
……王道?
とりあえず主人公が双子の妹可愛い可愛いばかり言ってます。
それでは少しでも楽しんで頂けると幸いです。
よろしくお願い致します。
――意識を取り戻すきっかけになったのはか細いながらも懸命に生きようとする小さな鳴き声だった。
「…………ん。」
それに促されるようにやけに重い瞼をこじ開ければ真っ先に目に飛び込んできたのは今朝から降り続く雨に濡れ、周囲の光を乱反射させる黒々としたアスファルトで。
横たわったままぴくりとも動かない体に容赦なく打ち付けるまだ春先の冷たいそれにどんどん体温が奪われていく感覚に瞳を細める。
……そっか、私……。
ぼんやりと自分が置かれた状況を理解しながらもこのままだと風邪引きそうだなぁなんてどこか他人事のように考えているとミャーー……と小さな鳴き声が耳朶を打ち、ついさっきまで車がびゅんびゅん走る交差点のど真ん中で蹲っていた黒の仔猫が胸元から這い出し、私の顔を覗き込んできた。
……ああ良かった、怪我とかはしてないっぽい。
その橄欖石の瞳と目が合うと、ゴロゴロと喉を鳴らしすりっと頬に体を擦り寄せるその小さな命の温かさに自然と笑みがこぼれ落ちる。
……きっと私の選択は正しくはなかったんだろう。
仔猫を助けて自分が車に撥ねられるとか本末転倒にも程がある。
…………でも。それでも。
「……後悔だけは、してないんだよね。」
もう声を出すのも億劫で。
雨に溶けて消えていく酷く掠れたその小さな吐息に苦笑し肺が空になる程深く長く息を吐き出した。
――そう、結局私はそうなのだ。
視界に入ってしまうなら、自らの手が届いてしまうのならきっと放っておく事など出来る筈などないのだ。
「……我ながら、お節介だとは思うけど。……それで、君を守れたんだったら、もう、満足かな。」
だから、この人生もきっと悪いものじゃなかったはず、なんだ。
意識を保てたのはそこまでだった。
そのままざあざあと降る雨の音が遠ざかっていくのを感じながら、まるで深い海の底に沈んでいくような眠気に襲われ瞳を閉じた。
………………筈だった。
※※※
「リーナ! ねえ、起きてったら。リーナ!」
「…………ん。」
鈴を転がしたような可愛らしい声が耳朶を打つ。
それまで闇に沈んで意識がふわりと浮かびあがるような感覚に閉じていた瞳をあけ顔をあげると同時にバッと私の顔を覗き込んだのは、腰まである燃えるような紅の髪をツーサイドアップにしたぱさぱさの長いまつ毛に縁どられた眦がきりっとつり上がった二重の紅玉の瞳に小さな鼻、瑞々しく触ればぷるんとはじけるようで綺麗なピンク色の形の良い唇を持つハッと目が覚めるような美少女――生前どハマりしていた乙女系学園恋愛ADV『オヴエイグリムストーリー』に出てくるキャラクター且つ最推しキャラ――ミレイユ・アイレンヴェルグの顔だった。
「……ミレイユ、今日も相変わらず綺麗だね。」
「……それ、髪型と瞳の色以外同じ顔のリーナに言われても微妙なんですけど。と言うか、いつまでも寝ぼけてないでさっさと起きる! もうHRも終わったわよ!」
目が覚めた直後特有のふわふわとした頭でそう笑いかければその表情を呆れ返ったものに変化させていった彼女に一回こつんと頭を小突かれ漸く意識が少し覚醒する。
思い切り机に突っ伏していた上半身を起こし周囲を見回せば四十畳程の広さがある典型的な学校の教室の中に残っているのは帰り支度をばっちり済ませた数人のクラスメイト達のみな事に気が付き、あーー……と小さく呻き声をあげた。
「……やっちゃった……。六限目の『魔法歴史学』が自習になったって聞いた辺りから記憶がない。何でもっと早く起こしてくれなかったのさミレイユ。」
「居眠りしてる事を周囲に気付かれないようにさらっと認識阻害魔法使ってた奴の台詞とは思えないんだけど?! とにかく! これで起こしたんだから二度寝なんてしないでよね。じゃあ私生徒会行くから。あ、帰りは遅くなるから先帰ってて。」
「ん、了解ー。」
そう軽く手を振れば、一つ息を付いた彼女が少し急ぎ足で教室から出ていくのを見送ってからふと視線を向けた教室の窓に彼女が先程言ったようにミディアムヘアと彼女とは対象的な空色の瞳、そしてスタイル抜群なミレイユに比べると少し控えめかなってくらいの胸以外は彼女と全く同じ姿をしている私がうっすらと映っているのを確認して軽く肩を竦める。
……うん。確かに私はミレイユが推しだけど、別に彼女の外見だけが好みなわけじゃないし、いくら同じ顔に生まれ変わろうがそれがミレイユじゃなければ全く萌えないんだよなあ、残念ながら。てかそもそも私だし。
……それにしても。
「今日でこのリュミラルス魔法学校に入学してから二週間。ここが本当に『オヴエイグリムストーリー』の世界なら本編開始まであと三日かあ……。」
誰にも聞こえないよう口の中だけでそう呟くと帰り支度を始めつつ小さく息を吐いた。
『オヴエイグリムストーリー』略称は『OS』。
アニメ化は勿論の事、小説化、コミカライズ化、映画化、果ては舞台化などしていないものはないんじゃないかというくらい様々な媒体で展開し、そのどれもで大ヒットした先述の通り家庭用ゲーム機向け乙女系学園恋愛ADVである。
舞台は魔法と科学が融合し独自の発展を遂げた中世ヨーロッパ風な世界イェクルーシュ。
その最大大陸であるロシェレヴェルクを治めるアリヴェイユ国にひょんな事からトリップした現代日本に住む女子高生である主人公が名門として名高いリュミラルス魔法学校に転入するところから物語はスタートする。
そこからは乙女系ゲームにありがちなイケメン生徒達に囲まれて学園ライフを過ごし、様々なイベントを通してキャラ達との恋愛模様を繰り広げていくというこれまたありがちだけど分かりやすい設定に加え、総プレイ時間五十時間超えのボリューム満点なストーリーに魅力的なキャラクター達に有名声優陣によるフルボイス。
さらに主人公となるキャラクターは名前は勿論の事、容姿まで細かく変更可能というカスタマイズの多様性がユーザー間ではかなり話題になっており、かくいう私も発売の二ヶ月前にはキャラの簡易プロフィールや声優陣へのインタビューが載った小冊子付き初回限定版ソフトをばっちりネット予約したし、発売日当日にゲットしてからは寝る間も惜しんでプレイして、ストーリークリア後のやり込み要素まできっちりこなしたものだ。
そしてそんなOSにおいての私の最推しキャラクターこそが、メインルートとされるアリヴェイユ国第二王子ジル・アリヴェイユ攻略ルートに登場する名家アイレンヴェルグ家令嬢、ミレイユ・アイレンヴェルグ、その人である。
ジルの婚約者兼主人公の恋敵という所謂悪役令嬢と言う立場でありながら、主人公に対して牽制はするものの嫌がらせ等一切せずに常に堂々とジルをかけての勝負を挑み続け、ラストシーンであるライリーンシェ城でのパーティー会場で彼に一方的に婚約破棄を宣言された時も顔色一つ変えず『人の心を永遠に縛る事など出来はしませんものね。』と微笑んでそれを受け入れた彼女の立ち振舞いは一般的な悪役令嬢の定義からは一線を画すものではあったものの、ミレイユのその凛とした強さはユーザー間でも高評価だった。
ただ私が彼女を推すようになったのはOSのエンディングで流れたバルコニーのような場所で微笑み夜空を見上げている彼女のワンカットがきっかけで。
目元は前髪で隠れて見えないものの微笑んでいる筈のその横顔が何故か凄く淋しげで、切なくて。
もしかしたらミレイユは強いんじゃなくて名家の令嬢として強くあろうとしたんじゃないかとか。
ゲーム本編中、主人公に挑む時に浮かべていた不敵な笑みの裏でずっとこんな表情をしていたのかもしれないとか。
大勢の前で一方的に婚約破棄なんて事をされても尚、この子は泣くことすらできないのかとか思ったらもう駄目だった。
あと一度そう言う視点で見てしまうと、ミレイユという婚約者がありながらあっさり過ぎるほど主人公に惚れた挙げ句彼女を捨てたジルがクズにしか見えなくなった事は別ルートをプレイしてる最中の弊害と言えば弊害だったかもしれない。
……まあ、これ全部生前の話なんだけど。
そう、てっとり早い話、私には前世の記憶がある。
前世の私――黒枝結奈――は都内に住むしがないOLだった。
春先の冷たい雨が降るその日。
新卒で入社して七年間勤めた典型的なブラック企業である弊社から同期や先輩十二人と共に『人員整理』と称してあっさりとリストラを言い渡され、初めは呆然としてしたものの、でもこれで弊社に入社してからはそんな時間も余裕もほとんどなかったが故にそれこそ『オヴエイグリムストーリー』関連以外は出来ていなかったオタ活が出来るようになるんじゃないかって、叩けばいくらでも埃が出る弊社の在り方を変える為にも明日の朝一で労基に駆け込もうと話し合う先輩達を横目で見ながら現実逃避気味に考えていた日の夜。
今思えば半ば自棄になってたんだろうけどネット通販サイトで前から気になっていた漫画やゲームソフトを片っ端から注文するという愚行を繰り広げながら浴びるように飲んでいた缶ビールがなくなった事に気がつき、ついでにおつまみも買って来ようと住んでるアパートから徒歩五分の距離にあるコンビニに雨の中出掛け。
その途中にある交通量が多い交差点のど真ん中で踞っている仔猫を見つけたら考えるより先に体が動いてた、と言うわけだ。
そんな自分の前世と最期を思い出したのはこの世界――魔法と科学が融合し独自の発展を遂げた中世ヨーロッパ風な世界イェクルーシュ――はアリヴェイユ国に居を構えるアイレンヴェルグ公爵家に一卵性双生児の双子の姉の方として生を受けてから五年後のある冬の日。
その年初の積雪にミレイユと大はしゃぎして屋敷の庭で遊びまわった次の日から質の悪い風邪にかかり生死の境をさ迷いかけた時で、その時私は自分の運命を察した。
『ああ、私は――リーナ・アイレンヴェルグはここで死ぬんだな』って。
そもそもOSストーリー本編に『ミレイユ・アイレンヴェルグの双子の姉であるリーナ・アイレンヴェルグ』は登場しない。
唯一ミレイユ関連のイベントか何かの際に『ミレイユには五歳の時に死別した双子の姉がいた』という台詞を主人公のクラスメイトが語ったのが存在を示唆されたシーンであるくらいの存在だ。
……うん、むしろOSでは名前すら出てなかったし。
だから、前世を思い出すと同時に今世の生を終えるとかどういう事だと怨み言の一つや二つ吐きたくなりながらも、ここがマジでオヴエイグリムストーリーの世界なら仕方ないのかと諦めかけた時に今世の母親と共に私の看病をずっとしてくれていたミレイユが。
私が寝込んでからというものどれだけ言っても枕元から離れようとしなかった私の片割れで、妹で、かつての最推しキャラだった彼女がその紅玉の瞳にたっぷりの涙を浮かべて私の手を痛いくらいに握るから。
もしかしたらリーナの死がたった一人で泣く事すらできないあのミレイユを作ったのかもって高熱に浮かされ朦朧とした頭で気が付いたから。
ああ、やっぱり死ねないなって。
ここで死んじゃったらお姉ちゃん失格だよね、って。
……ミレイユを、私の大切な妹を独りにしたくないって。
ミレイユにはいつも笑っていて欲しい。
幸せになって欲しい。
いやむしろ私が幸せにするとか強く強く思って、それで。
『……絶対に、死んでなんかやるものか。』
そううわ言のように呟いてミレイユに笑いかけた後気を失った私だったが、その意思の固さが幸いしたのか二日後に完全復活した。
で、それからは風邪も滅多に引かない健康優良児になった事もあり、ミレイユを幸せにすると決めた以上やはり一番回避すべきはあのパーティー会場でのジルによる一方的な婚約破棄だろうって事で原作を改変する事を心に誓ったのだ。
……とは言っても。
「あの時死んでいた筈の『ミレイユの双子の姉』が今こうして生きてるって時点ですでにかなり大きな改変だよね。実際そのせいか今の時点でもゲームとの相違点とか生まれてるし……。」
例えばOSのミレイユは物腰は穏やかではあるものの常に沈着冷静で人とつるむ事はあまりしない、高嶺の花と言えば聞こえはいいけど少しツンとしてどこかとっつきにくい的なキャラだったけど、今のミレイユはそんな感じ一切ないし。
まあ、このリュミラルス魔法の入学試験に首席で合格する程には頭脳明晰に加え容姿端麗な才色兼備ってのは変わらないけど。
でもそれでもOSのミレイユ推しが今のミレイユを見たらキャラ改変にも程があると嘆くレベルには別人だろう。
じゃあミレイユ最推しの私はどうかって? 妹が可愛い事に異論があるわけないでしょ馬鹿じゃないの?
「…………て、あれ。気がついたら誰もいない。」
そこでふと思考を区切り周囲を見回せば、先程まで残っていた筈のクラスメイト達も帰路についたのか誰もいない教室の中にぽつんと一人で残されていた事に気が付き小さく苦笑すると教科書やら魔術書を詰めた学生鞄を手に取り立ち上がる。
さらに続けて、てか色々考え出すと周囲が見えなくなるの私の悪い癖だよね、気を付けないと一人で自戒しつつ教室を後にした。
……そう、この時の私は自分で『大きな改変』とか宣いながら事の重大が全く分かっていなかった。
本来なら死んでいる筈の人間が生きてすでに用意されている運命という名のシナリオに乗ることがどういう事なのか。
だから、これから先私とミレイユは勿論、主人公や攻略キャラ達、はたまた『オヴエイグリムストーリー』の全てを巻き込んで起こりまくる一連の騒動は起こるべくして起きたんだろうと理解できたのはずっと後になってからだった。