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【おまけ】堤昌親と星崎涼子

 細い注ぎ口からお湯を注ぐと、フィルターの中のコーヒー豆は健康的に膨らんだ。市販のコーヒー豆もいいが、取り寄せで名店の豆を自宅で嗜むのも密かな楽しみだ。


「へぇ。じゃあ、涼子先生。本当に黙ってたんですね」

「そうよー? まぁ、ウチのコーチ陣の間じゃ有名な話だから、雅の耳にいつ入るんじゃないかって冷や冷やはしてたけど。生徒の間じゃ学校行事だと思っていたみたいね」

「まぁ、中間テストや地味にイベントがあったり課題が重なったりする時期ではありますから」


 細く細く注ぎたす。ハンズフリーにして会話する相手は、星崎涼子。かつての師匠で、今は同僚。星崎雅の母親だ。さっき哲也の部屋を覗いたら寝ているのを確認できたので、台所で堂々と今回の会話ができる。今はまだ微熱が続いている状態なので、「飯食ったら薬飲んでさっさと寝ろ」指令を出しているのだ。


「……チカ、高校もろくに行ってないくせに理解あるわね」


 苦い笑いをする。高校もろくにいっていない、という事実より、チカという呼び名だ。昔は祖母以外にチカと呼ばれるのが好きではなかったが、慣れというものは怖いものだ。「まあいっか」と思うし、今では俺をチカちゃん先生と呼ぶ生意気な子供も出てきた。


「うちにくる生徒を見りゃわかりますよ。誰々がいつ中間テストだ、とかいろいろ話してるじゃないですか」

「それもそうね。でもチカ。なんで今回、私じゃなくて雅に電話したの? あの子の性格から、哲也くんのところにいくのはわかるでしょ?」

「それは、涼子先生だって気がついてると思いますけど」

「あの子はわかりやすいもの。だから今まで、私は哲也くんの気持ちの方を尊重したの。娘に心配かけさせたくないっていう健気な心よ! ……まぁ、逆効果だったけど」

「そうですね。でもお陰で哲也にはいい薬になりましたよ」


 ドリッパーを外して流しに置く。話しているうちに、カップの中にはそれなりに味のいいコーヒーが出来上がっていた。今日の豆は、京都の老舗コーヒーショップの豆だ。真珠のようなまろやかな甘さがある。それなりというのは、自分で淹れても店の味にならないからだ。まぁ、仕方ないっちゃ仕方がないけど。


「あいつは雅ちゃんのことになると、結構硬くなになりますから。でもそれが雅ちゃんを傷つけるって、多少はわかったんじゃないですか?」


 ついでに自分の弱さを認める強さも身につけてほしいものだ。哲也にはその辺りがちぐはぐになっている節が多々見受けられる。強がりたい年頃なのだろうか。かつての自分を思い出し……すみやかに横に置いておくことにする。


「そういうところは弟子の味方じゃないのね」

「哲也はよくできた息子みたいなもんですが、雅ちゃんは俺の可愛い妹弟子ですからね。俺から見ても娘みたいなものです」

「それ、総ちゃんに聞かれない方がいいわよ」


 わかってますってば。電話はそこで切れた。昔から思っていたが、アイスパレス横浜で「修羅の総一郎」と恐れられる星崎総一郎を総ちゃん呼びできるのは、この人ぐらいだろう。パイプ椅子投げられたことあるしなー、俺。


 コーヒーに口をつける。思った通りの「それなりの味」。

 他人の恋愛に口を出したくはないが、見ているこちらとしてはとてももどかしい。いい加減哲也も気がついてほしいものだ。自分の気持ちは自分が一番わからないかもしれないが。

 あの日。調布から帰ってきて玄関の鍵を回すと、逆にかかってしまった。解錠して電気をつけると、女の子用のスニーカーが一足、玄関に並んでいた。


 部屋に入ると哲也は眠ったままだった。そのまま、ベッドの横に腰を下ろしてうたた寝している雅ちゃんの手をしっかりと握っていた。


 幸せそうな二つの寝息が重なっている。


 自分が離さないように、自分から離れていかないように、しっかりと握っているように見えたのは俺の錯覚だろうか。握りしめていたのは手だけじゃないだろう。

 彼女の優しさと祈りだ。


「……否定してもさ、君の場合は行動に出ちゃってるんだよね」


 それにすら気がついているか怪しい。無自覚というのは厄介なものだ。


 口の中でコーヒーが余韻を残して消えていく。病人がいていいと思うのは、自分の健康状態や休息状態を改めて振り返れることだ。試合のシーズンは終わったが、ぽろぽろとイベントは入ってくる。ありがたいことに。

 そしてありがたいことに、明日は一日休みだ。

 だから休める時は思い切り休む。休むための、高級コーヒーだ。

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