さわやかな夜明け
翌朝、目が覚めて少し経つと、エルフの集落メルディスに泊まらせてもらったことを思い出した。今いるのはそのために用意してくれた部屋だ。
昨晩は着替えをせずに寝てしまったので、部屋に用意された水瓶で身体を清潔にしてから、新しい服と下着に着替えた。
身だしなみを整えて外に出ると、清々しい朝日が上っていた。
近くには数人のエルフが歩いていて、皆一様にこちらにあいさつをしてくれた。
不自然な距離を感じさせない日常風景のようだった。
空気がさわやかで気持ちのいい朝なので、集落の中を歩くことにした。
メルディスが次にいつ来れるか分からない場所という認識も影響があった。
どうせならできる限りたくさんの風景を記憶にとどめておきたかった。
ほぼ等間隔でログハウス風の建物が並び、その合間に森の中に生えているのと同じ針葉樹がいくつか伸びている。
そんな風景の中で掃除をする人、何かの作業をしている人。エルフと人の違いは大してないように思えた。
地球的感覚では、違う種族は争いがちな側面が多いが、こちらの世界で見聞きする限りではエルフと人の間に争いがあるような印象は受けなかった。
ただ、紆余曲折があった末に今のような平和につながった可能性はあるのかもしれない。
争いの歴史を訊こうとするのは不躾だと思うので、たずねるのはやめておこう。
目的もなくぶらぶらと歩き続けているとせせらぎの音が聞こえてきて、進んだ道の先に小川が流れているのが目にとまった。
木製の簡素な橋を渡ろうとしたところで、エルネスを見かけて足を止めた。
彼は細い木の棒のような物を持って水面を眺めていた。
最初は分からなかったが、すぐに釣りをしているのだと気がついた。
「エルネス、おはよう。何か釣れますか?」
「ああっ、カナタさん。集落の人に道具を借りました」
エルネスは竿を上げてこちらを見た。
「ここはミュキスが釣れます。近くに泳いでいるのがそうです」
彼は目の前の小川を指さした。
たしかに済んだ流れの中に魚が何匹か泳いでいるのが見える。
言葉の勉強不足なのか、ミュキスというのがどんな魚か分からなかった。
エルネスは釣りを再開して水面の様子に注意していた。
それからしばらくして、釣り竿がしなった。
彼は手早い動作で糸を取りこんで、包みこむように魚体を掴んだ。
その手の中で活きのいい魚がピチピチと尾びれを動かしている。
「まずまずのミュキスですね」
針にかかっていたのはマスによく似た魚だった。20センチぐらいある。
「へえ、この魚のことか。きれいな模様をしてる」
全体に小さな黒い点が広がり、胴の中心に伸びる金色の帯が光を反射している。
エルネスは器用に針を外して、足元にある木の箱のようなものに入れた。
「これで三匹目です。朝食分ぐらいにはなるでしょう」
彼は満足したような笑みを浮かべた。
「カナタさん、よかったらやってみますか?」
「そうですね。ちょっと試してみようかな」
エルネスは針に餌のついた状態で釣り竿を貸してくれた。
見た目は完全に木の棒にしか見えないが、魚がかかった時はしなっていた。
「何とも不思議な釣り竿だな」
そう口にしながら水面に糸を垂らした。
「森のエルフの技術だと思います。ウィリデにも釣り道具はありますが、こんなに使いやすい釣り竿はあまり見たことがありません」
エルネスは感心するようにいった。
「……おっ? 食った?」
太めの糸が横に走ったように見えた。
「惜しいですね。もう少し早くても大丈夫ですよ」
今はエルネスが釣りの師匠にもなっていた。
「子どもの頃はやったことあるんですけど」
「カナタさんの国でも釣りをするんですね」
彼は興味深そうな言い方をした。
日本製の釣り道具を見たら、技術が発達しすぎていて驚くだろう。
「海、川、あと湖かな。都会に住んでるとなかなか縁遠いですけどね」
「……海ですか。はるか遠方の地に存在すると聞いたことはありますが、一度も行ったことがありません。海とはどんなところなのでしょうか」
俺にとっては単純な話でも、エルネスは真面目に知りたがっていた。
「海はしょっぱくて、波があって、とにかく広い。これぐらいですかね」
「なるほど、水がしょっぱいとは。それは面白いです」
彼は楽しそうに微笑んだ。
「二人ともここにいたのね。朝食の時間よ」
俺たちが話しているとリサがやってきた。
「……おはよう」
昨夜のことが思い浮かんでいた。
「うん、おはよう。ヨセフが話したいことあるみたいだからすぐ来てね」
彼女はそれだけいって、そそくさと戻っていった。