夏の縁側
大学生の兄と妹の話。夏の寂しさを書きました。
縁側に腰掛けて、妹は地面に届かない足をぷらぷらさせている。開けっ放しの扉から、残暑の生ぬるさを載せた重い風が室内に流れこむ。
「おにいちゃん、かえっちゃうの」
少し不貞腐れながら、妹は呟いた。
大学一年生の、はじめての夏。ようやく暮らしにもなれ、4ヶ月ぶりに実家に帰省した。お盆はあっという間に終わり、自宅へ帰る日となった。
「うん、ごめんな」
妹の頭を撫でる。
「……そ、っか」
しゃくりあげるのを必死にこらえ、妹は絞り出すように声を出した。
「また、冬になったら帰ってくるから。それまでお利口にまっててね」
妹はへそを曲げて、そっぽを向いた。
「おーい……。ひな?」
いくら呼びかけても、こちらに一瞥もくれなかった。
台所から、母の制すような声。
「お兄ちゃん、そろそろ帰る準備したー?」
家を出る前によく聞いた、馴染みのあった声色だ。思わず、涙がこぼれそうになる。今はもう中々聞けない温かさ。
帰りたくないな。
感傷に浸っていると、妹がいきなり立ち上がり、ぐいぐいと俺の背中を押し始めた。
どうやら、荷物を置いてあるリビングへ向かわせようという魂胆らしい。
「てのひら急に返してどうしたの」
「ほら、おにいちゃん。帰る準備しないとママが怒るよ」
仕方ないなぁという風に、泣き顔から一転、すっかり俺を急かすような顔つきをしている。
幼い子は切り替えが早いな。自分の頃はどうだったかしら。結構俺は、ねちねちと根に持つタイプだったけれどなあ。
我が妹は、秋の空のように、心の移り変わりが誰よりも早いだけなのかもしれない。 ごっこ遊びもすぐ飽きて、別の遊びをしだすから。
「うん、わかったから。押すのやめて」
足元にかかる、妹の小さな力。押し返すのは簡単だけど、あえてその力に押し負けてみた。こうでもしないと、帰る準備に取り掛かれそうにない。
「まだー?お父さんが車で待ってるけど」
母の声が、先程よりも大きくなる。少し苛立ちを帯びた声色だった。
「いまやってるー!」
急ぎ大声で返答する。
すると妹が被せて 「まだやってないー!」 と叫ぶ。
やめろ。怒られるだろ。
「いや、ちゃんとやってるよ〜!」
思わず吹き出して、へにゃりとした返事になってしまった。
妹と押し問答をしていると、母に早くしなさいと怒られた。ちょっと前まで、ふざけた時はこうして叱られたものだ。
懐かしいな、この感じ。
結局母に手伝ってもらい、準備が終わった。
「気をつけて帰るんだよ」
母が車の後部座席に、俺の荷物を詰めながら言った。先程の厳しい顔とは一転、少し寂しげに見えた。
「……うん」
涙腺は決壊寸前だったが、親の前で泣きたくない。みっともない、とプライドが叫ぶ。
「雛は?」
「寝ちゃったみたい。」
「じゃあ、いこうか」
運転席に座る父が、俺に呼びかけた。
「向こうに着いたら連絡してね」
母が、心配そうにこちらをのぞき込む。
「いや大丈夫だよ。日付変わる頃につくし……」
「いいから。心配だから連絡ちょうだいね」
母はしきりに念を押してきた。
「わかった」
そう答えると、母は満足気に頷いた。
「絶対だからね」
本当は全員で見送る予定だったらしい。が、雛が寝てしまったので、母は家で留守番するようだった。
父が車を走らせた。母の姿がどんどん小さくなって、やがて曲がり角の向こうで見えなくなった。
車が駅へ進む。言葉少ない父が、いつもに増して饒舌だ。
勉強の進捗や、来学期の話だとか、アルバイトの話だとか色々話したけど、父はどれも興味が無いのかどこか上滑りしていた。
別れに関して、俺も父もどちらも触れなかった。
駅に着く。いつも荷物を持ってくれない父がに、重いだろうと代わりに抱えてくれた。
「重いのに……腰に悪いだろうからいいよ」
「いや問題ない。母さんに色々持たされただろ。せめて電車が来るまで持たせろ」
父は有無を言わせてくれなかった。
父と2人、駅の改札前で静かに待つ。いつも通りの、近すぎない距離感に少し安心した。
しばらくして、新幹線の時間になった。
「気をつけるんだぞ」
「おう」
荷物が渡された。友への土産と食べものが沢山入っているから、来たよりもずっしりと重かった。
荷物を受け取って、改札をくぐり抜けた。
長い長いホームへの階段を上がると、既に目当ての新幹線は到着していた。中へ乗り込み、座席に着席する。
疲れ果てて、ぼんやりとスマホを眺めた。通知が表示される。母からのメッセージだ。
「どうしておこしてくれなかったの」
「ばいばいしたかったのに」
「きらい」
連続して短いメッセージが送られてくる。これは雛からだ。
「ごめん」
返信を送った。しかし送られてきたのは、大量のしろくまの怒った表情のイラスト。スタンプ爆弾だ。
通知が鳴り止まない。どうも許して貰えそうになかった。
しばらくして、連絡は来なくなった。もう10時すぎた。飽きたか、寝たのか。
最後、少しでも顔を見せてやれば良かったな。冬に帰った時、嫌われてたらどうしよう。
重い足を引きずり、自宅に戻る。言いつけ通り、母に連絡した。
「お疲れ様。――あのね、雛、本当は見送りたかったって大泣きしてたのよ。意地張って怒ってたけれど。本当は優斗のこと、大好きだから」
それを聞いた途端俺はたまらなくなって、電話の裏でひっそりと泣いた。
早く雪が降ればいいのに。