ドラゴンたちがまだ美しかったころのお話
「ひだまり童話館 開館3周年記念祭」企画参加作品です。
むかしむかしのお話です。それはもう随分むかしのことなので、もう誰も覚えている人はいないくらいに。これはドラゴンたちがまだ美しかったころのお話です……
澄んだ泉に咲く藻の花が揺れていました。それをのぞき込んでいたのはまだ小さい真っ白なドラゴンでした。
「ノース。また花を見ているのかい。」
「ええ。兄さん。とっても優しくてきれいなのよ。」
末っ子のドラゴンはきれいな花や優しい風や何処までも高い空が大好きでした。ノースには兄が二人いました。一番上のドラゴンはもう大人程に大きくて銀色に光るミスリルドラゴンでした。真ん中のお兄さんはノースと少ししか違いません。それでもその薄緑の身体を精一杯大きく見せて、お兄さんぶるのでした。そうです。この世で最も美しいエメラルドドラゴンなのでした。
三人は一族で住んでいる山から随分と遠く離れたところまで飛んで来ていました。日暮れまでに戻るのよと、おかあさんはいつも言うのでした。
「大丈夫さ。僕らドラゴンなんだから。怖いものなんてないんだ。」
「お兄ちゃん。またそんなこと言って。北の山に沈んでる氷のドラゴンのお話を聞いてから、夜震えてるのをわたし知ってるんだから。」
「ははは。二人とも。それじゃあ、今度北の山へ飛んでみるかい。」
大きなお兄ちゃんがそういうと、二人は顔を見合わせて俯いてしまうのでした。
ある日のことです。ノースが朝、目を覚ますとなんだか家の中が変です。真ん中のお兄ちゃんはいなくて、おかあさんはじっと心配そうに黙っていました。大きなお兄ちゃんは寝たふりをしていました。(ドラゴンの家族は、母と子どもで暮らします。大人の雄のドラゴンは一人何処かで暮らすのです。)
「お兄ちゃんは。」
「火を宿しにいったのよ。あなたもじきに行かなければならないのよ。」
目を伏せたまま、おかあさんは言うのでした。ノースまだ小さかったので知りませんが、大きなお兄ちゃんが火の山へ旅立ち、そして戻ったとき、その身に大けがをしていたのでした。命がけの旅なのです。しかしドラゴンたちは、そうして火を宿し炎を吐くことが出来るようになって、大人になっていくのでした。
「きっと戻ってくるよね。」
「そうね。」
「大丈夫さ。あいつなら。」
それでも、旅は過酷です。何日も、何日も帰ることがありません。ノースは毎日空を見上げて待っているのでした。
暖かな日がそろそろ終わり薄寒い季節になってきました。朝、ノースが目を覚ますとすぐ横に大きなドラゴンが横たわっていました。とても濃い緑色をしていて、大きなお兄ちゃんと同じくらいの大きさでした。大きなイビキをかいています。
「うるさいなぁ。おかあさん、誰なの。」
「え。何を言ってるの、ノース。お兄ちゃんよ。」
兄は、冒険を無事終えて、昨日の夜遅くに帰って来ていたのでした。その体はすっかりと逞しくなり、鼻息にはちらちらと炎が見えます。ノースは驚きました。そして、ちょっと寂しくなりました。
それから何日かして、嵐の日でした。ごうごうと風雨が逆巻き、空は掻き曇り、草花は吹き千切れました。ノースが怖がっていると、大きな兄は突然のっそりと起き上がり、
「もう行く。」そう言ったきり外へ出ていきました。
「…。」おかあさんは向こうを向いていました。
「そうかい。」緑の兄もそう言ったきりでした。
「どこに行くの。」ノースはとことことついていきました。
兄は強い風にもまったくびくともせずに、嵐の中で真っ直ぐに背を伸ばし立ちました。その銀色の身体に雷が光り、燃える瞳は赤々と遠くを見据えていました。やがて、その大きな美しい翼をばさりと広げて、おもむろに飛び立ち、吹き寄せる雨風をまるで気にもせずに行ってしまいました。もう会えないのかなと、ノースは濡れた地面に残された大きな足跡を見つめるのでした。
何年かして、ノースは大人になりました。人間たちは彼女を白の女王と呼んで恐れました。その炎はドラゴンたちの中でも最も熱いプラズマの炎でした。そしてノースもやがて子を産み育てます。それはそれは大切に大切に。でもそれはまた別のお話です。
……おわり