なろうテンプレの魅力
早速だけど、定義から。
ここで言う「なろうテンプレ」は、以下の要素を含むものとする。
・異世界(剣と魔法のファンタジー世界)が舞台である(異世界要素)
・主人公最強、無双、俺Tueeee、ストレスフリー(主人公最強要素)
・男主人公の周囲にはたくさんの美少女がいて、みんな主人公のことが好き(ハーレム要素)
・主人公の一人称で表記される
なお「異世界転移/転生」は要件に含まないものとする。
つまり、ここではいわゆる「現地主人公モノ」も「なろうテンプレ」に含むものとする。
さて、こうした要素を含む作品をなろうテンプレとして定義したときに、こうした作品の魅力とは一体何かを言葉にするという挑戦をしてみたいと思う。
これはとても難しいことだと思っていて、「どこからどう見ても妥当」なことを言えるとは思っていない。
あくまでも仮説の一つとして受け取ってほしいと思う。
で、結論から言おう。
僕が見出したなろうテンプレ特有の魅力は、大きく二つだ。
一つ目、「ディズニーランド」と同質の魅力であること。
二つ目、「物事がうまくいく」ことの気持ちよさ。
これだけで内容にあたりがついた人は、以下は読む必要なしなのでブラウザバック推奨である。
では一つ目に関する説明。
ディズニーランドと同質の魅力とは、どういう意味か。
これは「ハリウッド流ドラマの魅力」と対置すると分かりやすいかと思う。
ハリウッド流ドラマの基本形は、何か欠損を持った主人公が、大きな障害にぶつかり、葛藤し、それを乗り越え、エンディングには最初に足りなかった何かを獲得していて完全な状態になっている、といったものだ。
人はこういった物語に魅力を覚え、面白いと感じる──というのがまあ、基本的なドラマに関する認識と言って良いだろう。
で、小説も物語を描く媒体の一つなので、このハリウッド流ドラマを意識して作られている作品は非常に多い。
いま、世界中で最も愛されている物語の型がこれであることに、異論を唱える人はそんなにいないと思う。
が、さて。
ディズニーランドの魅力は、ハリウッド流ドラマの構造に寄るものか。
というと、これはノーであろう。
ディズニーランドの魅力は、欠如、障害、葛藤、克服などという文脈には基づいていない。
ディズニーランドの魅力とは、「魔法」である。
現実世界から離れた「夢と魔法の世界」にご招待するのがディズニーランドの魅力だ。
なろうテンプレ系の作品の魅力は、こうした「夢と魔法の世界」にご招待することにあるのではないか。
もちろん、ディズニーランドの徹底ぶりと比べれば、細部へのこだわりなどが稚拙かもしれないが、それはまあ格の違いと捉えて問題ないと思う。
(まあ一方で、素人の個人が作った作品と世界最高峰のトッププロが集まって作った作品とを同格であって当たり前と見ることには、「バカじゃないの?」とは思うが)
なお、よくなろうテンプレ系の作品をリアリティの観点から非難する人がいるが、これは的外れであり、愚昧なマウント取りであると思う。
特に、リアルの過酷さ、わずらわしさなどは、「夢と魔法の世界」の魅力を引き出すために必要な範囲でのみ用いられるべきもので、リアリティを前面に押し出して「夢と魔法の世界」の魅力を落とすようでは、本末転倒と言わざるを得ないだろう。
さて次。
「物事がうまくいく」ことの気持ちよさとは何か。
これは、仕事で例えてみればわかりやすいと思う。
僕らは普段、いずれかの企業に雇われ、給料を受け取って仕事をしている。
仕事は仕事、給料を受け取っているので、楽しい楽しくないはさておきやらなければならないのだが、その日常の仕事の中でも、「気持ちよく仕事ができる」ときと「イライラする、ムカムカする」ときとがあると思う。
イライラする、ムカムカするのはどういうときかというと(人間関係によるものを除けば)「物事がうまくいかない」ときだろう。
こうやりたいのに、できない、うまくいかない、やりたいようにできない。
そういうときに、僕らはイライラしたり、ムカムカしたりする。
殊に、上司や会社からリソースを絞られているせいでそれができないときには、ムカムカは絶好調になる。
もっと人手が使えれば、もっとお金が使えればどうとでもなるのに、それがないからやるべきことをやるべきようにできない。
そんなときには、天に向かって唾を吐きたくなる。
ちゃんとやれと言うなら、もっと人をよこせ、時間をよこせ、金をよこせ。
そうしたら、いくらだってちゃんとやってやる。
こんな少ないリソースでまともな仕事なんかできるわけねぇだろ。
──じゃあ、もっとたっぷりリソースが与えられていたら?
自分の手に、すべての問題をそつなくこなせるだけの力が、宿っているとしたら?
うまくいく。
やりたいようにできる。
すべての問題を、あるべき形に解決できる。
気持ちいい。
これが「主人公最強」作品の魅力である──というのが、僕の立てた一つの仮説だ。
主人公一人称で、主人公の立場に強く感情移入するからこその仕掛け。
だから存外、現実社会で厳しい環境で苦労している人ほど、主人公最強系の作品を好むような側面はあるのかもしれない。
物語の中でぐらいは、気持ちのいい成功体験を、ということだ。
そして、「主人公に同調する」ような性質を持つ主人公一人称の物語であれば、「弱くて過酷な運命を背負う主人公」よりも「最強で美少女たちからチヤホヤされて楽しい日常を送れる主人公」に同調したほうが、楽しい時間を疑似体験できる。
読者が「主人公最強」作品を選ぶのは、わりと合理的なことなのかもしれないなと思ったりもするのである。
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