身代わり
僕は画面を見た。
学者の来歴が羅列されている。けど、これは……。
「な? つまり、こういう事だ」
志骸先輩の静かな声が書棚たちに吸い込まれる。
僕は彼女の深い黒の瞳を、じっと見る。
「これが、先輩の答え……」
ここまで言った時PCの電源が落ちた。照明も。
マンション全体が、停電。
「……なんですか」
「ああ、そうだ。てか、敵さんも行動が早いな。電気落として攻めてくる」
「普通、夜ですけどね。こういうのをやるのは」
暗がりの中で先輩は、光が消えた蛍光管を見上げている。
僕は彼女のシルエットに、視線を注ぎ続ける。
「まあ、確かにな。とりあえず、階段に行こうぜ。光に目を慣らしとかねえとな。危ねえ」
「はい」
僕らは階段まで行って、階下を見渡した。
バルコニーとリビングを隔てていた大ガラスはペルシャの絨毯の上に、無数の、大小の破片たちとなって山をなしていた。
吹き込む風はカーテンを帆のようにふくらませている。
風が帯びる光にガラスたちが煌めいていた。
高級ブランドの椅子もテーブルも、銃撃で穴だらけだ。
穴というか、酷く、痛々しく砕けている。
家具や家主を打ちぬいた銃撃は止んでいた。
ガラスの山、肉塊となった死体、ずたずたの家具たちを奇妙な静寂が浸している。
かもされるのは、得体の知れない不吉。
風が時折、カーテンを帆のように膨らませながら吹き込む。
その音だけが妙に平和だ。
ミゲルはシガレットを取り出し、煙草を吸い始めた。
「九虚」
「はい」
「コート、脱げよ。弾受けて、痛んでるだろ。直してやる」
先輩の言葉に、僕は腕を上げて、脇付近に視線を落とした。
確かに、大分痛んでいる。
黒だった布部分が、黒白のまだら模様に変色していた。
僕はコートを脱ぎ、彼女に手渡す。
先輩は階段の最上部に座り込んだ。
ポケットから黒の糸と布、そして縫い針を取り出して、裁縫を始める。
視線を指元に落とす彼女に注視しながら、僕は考える。
十三聖教会が、羽根の人と戦って逃走を決めた。
逃走に当たって、痕跡を消す事にした。
だから今、彼らはここを襲いに来ている。
フロアはめちゃくちゃだし、マルク・エスタッソは死んだ。
ミゲルも狙撃された。
電源は切られている。
彼らは下から上がってくるのだろう。
人数は分からない。
けど、こういう派手な行動は人目につく。
引く目の持ち主には、羽根の人だっているはずだ。
という事はつまり、彼らは陽動なのだ。
今回の襲撃に高位聖職者はいない。
僕らと派手に戦闘をして、羽根の人を引きつけて、その間に高位聖職者を逃がす。
そういう事だ。
……羽根の人は来るだろうか。
もし彼または彼女が村人と似た気質なら、来るだろう。
しらみ潰しで、目につく物を全て破壊する。
それは一見無駄だけど、一番効率がいい。
つまり今、1つの具体的な脅威があって、僕らも十三聖教会も『分かれる』ことで対応しようとしている。
トカゲの尻尾きりだ。
でも、その論理でいくと先輩は尻尾で、僕が本体になる。
「九虚」
「はい」
「お前は不死身だ。オレはお前が今回の案件の肝だと踏んでいる。それに比べたら、オレはちょっとした、付け合せみたいなもんだ」
「先輩」
彼女の声は相変わらず穏やかだった。
手元も正確に、コートを縫い続ける。
僕の声はかすれた。
鼻の奥が熱い。
「未来のがきどもの為に頑張ろうぜ。まだオレたちは、死ぬところじゃねえ。羽根野郎がどんなに強くても、な」
志骸先輩は、僕を見上げて、瞳を柔らかくした。
僕は……。
「先輩」
「あんた、化け物なくせに、中身は14歳だな」
呆れをはらんだミゲルの声。
白人は、相変わらずの無表情だ。
でもだからこそ、彼の声と表情に、僕は反応した。
つまり、酷い敵意を覚えたのだ。
「ミゲル、君に何が」
「何も分からないよ」
ミゲルは遮って、床に吸殻を落とした。
足先で丹念に踏み潰し、続ける。
「……分からないが、あんた達が真剣だってことは分かるし、感謝もしている。だから俺はあんた達に最後まで付き合う」
「ありがたいな。雇った甲斐があったぜ。俺がお前ならとっくに逃げ出してるけどな」
ちゃちゃを入れる先輩に、ミゲルが微笑む。
「ま、あんたもいい女だからな。実際は何歳か分からんが」
「……ここ出たら教えてやるよ」
言いながら、先輩は立ち上がり、僕にコートをひょいと放った。
「ま、がんばろうぜ。ここから先は、九虚。お前の判断で動け。大学でPC覗けば大体が分かるはずだ。そこから先は、敬虔な奴らを追うなり、羽根野郎をやり過ごすなり、ロシアの細菌野郎と合流するなり、何でも自由だ。どういう道順でも、お前は学者にたどり着く。羽根野郎とソフィの奴らが、学者とつながってるのは確かだからな」
その通りだった。
けれど、先輩は?
貴女はどうするんだ!?
「……先輩は」
「学者を追ってりゃいずれ合流するさ。とりあえずオレはここをしのぐ。なあ、九虚」
「はい」
「死ぬなよ。お前は不死身だからって、無自覚に全てを舐め腐っている。だが悪い奴じゃない。俺はお前に生き残って欲しい」
「は……い」
落とされているのか励まされているのか、分からなかった。
それでも僕は力を込めて、頷く。
生き残る。そして、村の子供たちを救う。
それが、僕がここにいる意味だ。
先輩は僕を見上げたまま、何故か、この状況で、何故だか分からないが、とても幸せそうに、微笑んだ。式場に向う花嫁のような、そんな幸せな微笑みだった。
でもそれが、彼女の決意なのだろう。
「じゃ、いくぜ」
先輩は僕に背を向けて、階段を降り始めた。
ミゲルが僕を一瞥して、
「世話になった」
という言葉と共に、僕のポケットにシガレットケースをねじり込んだ。
それから彼女を追って、階段を下り始める。
その針金みたいな後ろ姿、彼の先の先輩の華奢な影が、階下の向こうに消えるまで、僕は1人で佇んでいた。
そう、僕は1人になった。
これから、『外から』地上に降りて、大学に向わねばならない。
それが、彼女が僕に託した任務だからだ。




