九虚1
「気持ち悪くはないですか? 航空機でどこかに行くのは、初めてなんですよね」
ゆったり確保されたスペースの隣で、九虚青年がそう言ったので、マーシャはどう答えたものか、考えあぐねた。
気持ち悪くはない。でも違和感は確実にある。
樹皮の上を這っていた甲虫が、プラスチック版の箱に放り込まれて、移動もままならなくなる映像。
マーシャはあれを思い出して、ため息をこらえる。
しかも、そんな違和感の原因が、自分が航空機に搭乗して、ロシアからベネズエラに向かっているとか、そんな理由ではないのだ。むしろそちらの方が、まだ納得がいく。
「初めてなんですが……。あの……」
「大丈夫ですよ。マーシャさん。貴女の体調管理は、狐の末裔である僕が、完璧にします」
涼やかな、慈しみにあふれた九虚青年の瞳に、マーシャはうつむくしかない。
祈りの形に組んだ指を、ローブのシルクの下に隠す。震える指を見られたくない、と思った。
プライベート・ジェットの窓から、ずっと外を、蒼穹を見入っていた少女・志骸が小さく肩をすくめた。蜂蜜色の髪が揺れ、安心のオーラが空間を伝播するのを、マーシャは感じた。
「大丈夫みてえだ。ジャガー野郎は追ってこねえ。それなりのダメージがあったみてえだな。祝砲をあげるには大げさだが、オリーブオイルの1本くらいはあおっても良い。そんな状況だ」
少女・志骸は、やれやれといった感じで、マーシャと九虚青年の座席の前の床に、どっかりと腰をおろす。華奢な体つきの、ロシア人からしたら9歳ほどにしか見えない少女なのに……。
マーシャはやはり混乱する。フランス人形のように愛らしいこの少女が、15歳の自分の2倍の年齢に達しているという事実に。
「そうですか」
「ああ。そうだ。だからマーシャの聖女さんよお。係員の姉ちゃんたちに、オリーブオイルを頼んでくれないか。俺が頼むよりも、あんたの方が姉ちゃんたちもびびらねえ。なんせ、あんたは今でも聖女様だ」
「はい」
「呼ばなくても良いです。先輩も、もう少し体をいたわってください」
九虚青年の声が厳しくなった。
余裕が失われる。
マーシャは、少女が立ち上がり、うるせえ、などと言って、青年の顔面に拳を叩き込む姿を予想した。が、実際に少女・志骸は何もせず、ただ、
「ああ。そうだな。忘れっぽくていけねえ」
と寂しそうに笑っただけだった。
微妙な空気が流れる機内。
沈黙を破るように、九虚青年がマーシャに話題をふる。あえての優しい口調。
「マーシャさん。先ほど、何か言いかけていましたよね。体調管理を完璧にします、と僕が割り込んだので、邪魔をしてしまいました」
「ああ。それだ」
マーシャが答える前に、少女・志骸が立ち上がる。
「九虚」
「はい」
少女を青年は見た。
その鼻っ柱に、固めた小さな拳がめり込んだ。
「女心が分からねえんなら、半端な訊き方はするんじゃねえ」
「どういう意味ですか? 僕はいたわりの心をもって……ぼふ」
再度、青年の顔面にめり込む少女の拳。
「いたわりの心ってのが上から目線なんだよ。なあ、聖女の姉ちゃん。そうだろう?」
「ええと、その……」
マーシャは答えることができない。たしかに、少女の言葉は真実だが、それを認めることに抵抗を覚える自分がいる、と聖女は思う。
「あー。そうか。そうだったな。聖女ちゃんよお。あえてオレはさんじゃなくてちゃんって呼ぶぜ。なんせ、一蓮托生のチームなんだからな。オレたちはよ」
マーシャは顔をあげた。不思議な青の瞳と、目が合う。
少女は優しく瞼を落とし、口角を上げる。
「うん。顔を上げたな。聖女ちゃん。あんたはまず、そこからだ。で、オレも努力するぜ。とりあえずあんたの信頼を得る。この馬鹿狐よりも、女心は分かるからな。そこら辺は安心してくれ。小舟で嵐の海に乗り出すと、高い確率で沈んじまうが、でけえ船だと安心だろう? まあ、そういう理屈だ」
「ええと、はい」
自信満々に語る少女を不思議に思いながらも、気持ちは嬉しいと思った。
「うん。良い返事だ。けど、聖女ちゃんはまだ信じてねえな。じゃあ、とりあえず、あんたはさっき、『違和感を感じる』と言いかけて、やめた」
少女の言葉に、マーシャの瞳は大きくなり、ライ麦色のまつ毛が強調される。
「どうして、お分かりになったんですか?」
「視線と仕草だ。あんたはさっき、馬鹿狐と視線を合わせることしかできなかった。指もその上等なローブの下に隠しただろう。いや、とがめてるんじゃねえよ。後ろめたいところがある人間ってのは、大体そういう反応をする。馬鹿狐は初めての搭乗で不安なんだろう、と思っているみたいだが、あんたの場合はちがう。腹ん中の子どもの心配をしているわけでもねえ。九虚がいるからな。こいつの治癒能力は聖書レベルだ。性格はへたれだけどな」
「先輩」
「酷いですよ。へたれとか」
「だまれ」
「はい」
沈黙する青年を、マーシャは一瞬哀れに思ったが、すぐに判断をあらためた。
少女と青年の間には、強靭な信頼関係が成立している。
やり取りは荒くても、少女のオーラは優しいし、それは青年も同様だ。
「話の腰が折れちまったな。とにかく聖女ちゃんよお。あんたが違和感を感じるのは、後ろめたい自分に慣れていないからだ。嘘をつかねえ人間なんていねえ。が、聖人なら別だ。そういう奴は存在する。工場で土なしに育てられたレタスみてえなもんだな。嘘は土みてえなもんだ。汚ねえけどよ、色々な役には立つ。で、あんたの心は|もう聖女を辞めちまったのに《・・・・・・・・・・・・・》、奇蹟の力は健在だ。信者なら治癒できるし、不信心な野郎でも、オーラを見て色々分かる。オレは思うんだ。聖女ちゃん。あんたは新宿にでも行って、占い師になればそれなりに人気が出るんじゃねえかなってな。善良だし、オーラで判断もできる。適職じゃねえかなってな。俺は考えている。聖女じゃなくてもヒトを救う方法なんて、色々あるんだぜ?」
「将来は……。今は、とにかくカルロスに会ってから、考えたいです」
マーシャは、声を震わせながらも、強い決意を込めて、そう言った。
「ああ。その決意は正解だ。このジェットはオレたちにハイジャックされている。まあ、奈崩の細菌野郎がほとんど潰しちまった教団の備品だからな。
問題はねえ。ちゃんとこれはベネズエラに向かってるし、いけ好かねえが仕事はできそうな巨乳女が情報を集めている。そうすりゃ教授の故郷にだって行けるし、ジャガー野郎はさっきみたいに追いかけて来やがるし、だから教授は聖女ちゃん、あんたを救うために、もう一度あんたの前に現れる。
それまで、オレたちはあんたを守る。それは契約だ。けど、契約だけじゃつまんねえだろう? だから、言ってやるぜ。オレは、あんたみたいな選択をする女が嫌いじゃねえ。
傭兵の1人と駆け落ちするジャンヌ・ダルクみてえに、夢とロマンがある」
少女の言葉に、マーシャは引き込まれていた。
いや、言葉だけではない。瞳だ。それは、夜明けの空のような色の。
抱えていても、気付くことのできない感情を、はっきりと認識させてくれるような、強い瞳。
でも、オーラの色調は、配慮を示している。
マーシャは少女を疑っているわけではない。彼女は本当のことしか語っていない。
何より、もしそれが嘘でも、航空機に乗ってしまったのだ。
遠くの地鳴りのような音と、振動が床や椅子から伝わってくる。
この航空機は、確実に太平洋をアメリカの方向に向かっている。
カラカスという熱帯の国に降り立てば、カルロスについての謎が解ける。
少女にはそう言われている。真実であれば良いと思う。
それは希望。聖女をやめて、教団を離れて、凶悪な組織に属する異能の人間たちと行動を共にするようになっても、彼女はまだ、希望を抱くという性質を捨てることができない。
※※※※※※
フラカンは、その手のひらにゆっくりと舌を這わせて、丹念になめた。
女の血と脳漿が混ざった味がした。
なめればなめるほど、味は薄くなっていく。
だが、だからこそ愛おしさが増していく。
強者の血肉は至福の味覚を、フラカンにもたらす。
それが、聖域を呪いで蹂躙した女のものならなおさらだ。
だから、フラカンはなめ続ける。
蜂の巣を割った後の熊が、蜜でぬれた手のひらをなめる時の感情は、このようなものかもしれない、と彼は思う。格子に囲まれた密室で差し出される、皿に盛られた蜂蜜よりも、巣を割って手に入れる蜜の方が甘美なのだ。
女は強かった。殺戮の意志があり、最後まであきらめなかった。
上質な時間だった、とフラカンは満足する。
一方で、恥辱と悲しみにもくれる。
彼は聖域の最も高い場所、水晶宮で最高神の目覚めを待っていた時を思い出す。
それはくり返し。
フラカンは、最高神のあらゆる表情を愛していた。
幸福も不幸も。悦楽も悲哀も。
だから、3つの集落の壊滅を、報告する瞬間を、彼は心待ちにしていたし、実際水晶宮の寝所から最高神が出てきた時には、尾てい骨から伸びた尻尾が、犬のように踊り出すのを、必死に抑えなければならなかった。
「フラカン。久しぶりだね。いや、そうでもないか。時間というものは一瞬だから。で、どうしたんだい? 君からは血の臭いがする」
「呪いをあやつる女が聖域を侵した。3つの集落が潰れた。俺は女を完膚なきまでに痛めつけ、最後は頭をこの手で潰した」
どういう言葉にせよ、最高神の言葉なら嬉しい。フラカンはそう思っていたから、次の言葉を心待ちにした。
「そうか。人魚は死んだか。そして、集落の民も。ああ、一番望まないことが起こってしまった。いや、僕はどこかで望んでいたのか。終末が加速するのを」
片手で艶やかなその唇をおさえ、視線を水晶の床にさまよわせる最高神。
最高神に首を傾げるフラカン。
「最高神よ。あの女を知っているのか?」
「君が出かけていた間に、僕も出かけたのさ。凶悪ながらも善良な、魅力的な女性だったよ。踊りもとても上手だった。僕は感心した。でも、もうそれは見れない。民も死滅した。もう、僕は……」
「俺がいるだろう。民が死滅したなら、生み出せば良い。最高神。俺の子を産め」
「……」
酷く冷たい目が、フラカンをとらえた。
最高神は何も言わない。ただ、去れと手の甲を振った。
それだけで、フラカンは吹き飛ぶ。それは意識ごと。
気が付けば、肉体は聖域の外部、火山の頂き付近まで、弾き飛ばされている。
「……何故、俺を拒むのだ」
フラカンは聖域の上空、水晶宮の位置を睨みながら言う。
「俺が悪いのか。男女の愛とは時間をかけるのか。俺は急いだのか」
思考は自責に沈み、恥辱と悲しみにくれる。
では、どうするか。気分の転換が必要だ。
ケツアルクアトルを殺しにいくのも良いが、あの女のような奴を、心ゆくまで蹂躙した方が、建設的な気もする。
最高神の悲しみの原因。それは女の死もあるが、民の死滅が大きい。
なら、その責任を女の仲間に広げるのが、道理ではないのか。元々全滅させるつもりだった。
いつでもそれはできた。だが、できることを後回しにするのは、良くないかもしれない。
そこまで思って、フラカンは肩甲骨を盛り上がらせ、暗黒の羽根を広げた。
まずは、女が来た道を、逆にたどろう。
奴らは合流をもくろんでいたはずだ。
すん、と鼻を鳴らしてから、ジャガー頭の神は、残り香をなぞるように、西に向かって飛翔を開始した。
※※※※※※※※※※
九虚、志骸、マーシャを乗せたプライベート・ジェットが着陸したのは、ミランダ空軍基地だった。シモン・ボリバル空港ではなかった。
青年と少女と聖女を迎えたのは、悪忌という村人の老人だった。
彼は屍鬼の末裔で、タラップ車のたもとで3人を見上げて、
「多濡奇様より、情報を預かっております」
と、開口一番、言った。
「そうか」
「はい」
「多濡奇さんは今どこにいるんですか? 貴方に預けて去ったということは、境間さんが5人目の派遣を決定……ぐ」
12歳の見た目にしては重い声を出す、志骸。
頷く老人。
やり取りに割り込み、早口で問いただす九虚のすねを、少女は蹴った。
「だまれ。九虚。ここで訊いていい内容じゃねえ」
「そうですね。詳しくは、車内で」
老人の案内によって空軍基地を出た3人を待っていたのは、古いアメリカ車だった。
「シボレーGMC C-1480か」
「はい。私の車ではありませんが、本日はさるお方よりお借りしております」
「ジェットに連絡くれた奴だろう。
『ボリバル空港には降りるな。ミランダ空軍基地に着陸しろ。軍には根回ししておく』
って話して切りやがった素敵野郎だよな」
志骸の問いに、老人は肯く。
「お乗りください。あの方、プロビオ様についての資料も、車内で閲覧できますので」
※※※※※※※※
「古い見た目にしては、ずいぶん贅沢な内装だな」
「あの方の趣味でして。私とプロビオ様をつなげてくれたのも、この車なのです。元々は多濡奇様が愛用されていらした車なのですけれどね。この車については、資料にもたくさん記載箇所があります。シボレーGMC C-1480ではなく……」
「プンスカ号か」
後部座席に乗り込んだ志骸が、えんじ色のカバーの日記帳に視線を落としたまま、問う。
老人は運転席から、ミラー越しに肯く。
「はい。楽しそうでしょう。日記の中の多濡奇様は」
「あの人、何やってたんですか。遊んでばかりじゃないですか……!!!!」
微笑みつつ、イグニッションキーを回す老人。
助手席の、備え付けのノート型PCのモニター画面を睨んだまま、その長い眉をひそめる九虚。
そんな彼に、ため息を1つつく志骸。
「九虚」
「はい」
「歌野郎は確かに馬鹿野郎だが、言ってやるな。それに、お前だって洗脳されて好き勝手してたんだから、人のこと言えねえだろ」
「はい……」
しゅんとなる九虚。
その通り過ぎて、彼は何も言えない。
去年の秋、彼はバルセロナ大学で、十三聖教会の使徒によって、瞬間洗脳の因果、『教化』を受けてしまった。
九虚は彼を洗脳した使徒と共にバルセロナを去り、現在志骸の臨席に座っている、聖女マーシャの執事となった。そうして、長い期間を好き勝手に過ごしたのだった。
そして、彼の洗脳を解くために、志骸は……。
「発車しますが、マーシャ様。先ほどから一言も話されませんが、調子は大丈夫でしょうか? もしや……」
「大丈夫です。つわりはきていません」
聖女マーシャは妊娠して久しい。月齢的には臨月にさしかかっている。
「それなら良かったです。古い車ですが、プロビオ様によって大胆なチューニングが施されています。乗り心地は快適ですよ。私も驚きました」
笑う悪忌に、九虚は、かすかな腐臭以外は、人好きのする人だな、という感想を抱く。
志骸は日記から視線を上げず、小さな肩だけを、大きくすくめる。
「チューニングって感じじゃねえな。歌野郎は荒馬にロデオしてるみたいな乗り心地って書いてやがる。プロビオってやつは相当なマニア野郎だな」
「南米の上流階級の人間にしては、珍しいヒトですね。好感が持てます」
「初めて顔を合わせたその日に殺し合いしかけてくるとな、中々のタマだ。こういうアツい奴は嫌いじゃねえ。てかよお。止まっているような乗り心地だな。こりゃまるで高級車だ」
「そうですね。ゆっくりとおくつろぎください」
そう言ってから、老人は、
「まだ獣の襲撃範囲ではありませんから」
と付け加えつつ、ハンドルを回した。
「……しぼれているんですね。範囲が」
老人の言葉にモニターから顔を上げる九虚。
九虚に肯く老人。
「シモン・ボリバル空港を根城にしています。プロビオ様が監視カメラの映像で確認なさいました。人間の姿をしているようです」
「何で、奴が獣だって分かったんだ?」
「まず、あれが姿を現したのは、カリブ海でした。
プロビオ様から映像をいただいたのですが、羽根を広げた巨獣の姿は、かなり恐ろしいものですね。何かを探していたようで、旋回を続けていました。
この街では、最近獣があふれ、相当の被害が出ましたからね。軍も近づきません。
ゆるゆると、まるで進みの襲いハリケーンのように、巨獣は南米に進路を変えました。
そしてベネズエラに侵入。シモン・ボリバル空港で航空機を1機だけ破壊して、現在は人間の姿に変わり、空港を根城にしています」
「で、その哀れな飛行機ってのは、ジャガー野郎とどういう縁だったんだ? マークが気に入らなかったとか、そんなカワイイ動機じゃねえんだろう」
志骸の問いに、老人は頷く。
「多濡奇様が、ニカラグアに渡航された際に、使用された機体でした」
「……そうか」
「はい」
重いやり取りに、九虚は震える。
「そんな……!!! てことは、多濡奇さんは、もう……!!!!」
志骸はシートにその背を預け、天井を見上げて、やり切れないように、瞼を閉じた。
「論理的に考えると、そうだわな。カリブ海をジャガー野郎はうろついていた。
でたらめに鼻がきくやろうだ。歌野郎の匂いをたどっていたんだろう。
嵐の神なんかより、警察犬でもやってた方がお似合いだぜ。まったくよお。
だが飛行機だと匂いが切れる。海の上は空気が動いてるからな。陸地の比じゃねえ。
まあ、そんなことをしなくても、ショジヒンを漁ればパスポートでルートは確認できる。
が、それじゃつまんなかったんだろうな。
警察犬なジャガー野郎は、カリブ海の上で迷ってから、ふらふらと空港にたどり着きやがった。
そして歌野郎の匂いが濃くついた飛行機を破壊したんだろう」
「ご明察感服いたします」
老人の言葉に、志骸は目を開き、ふっと微笑みながら、その首を振った。
「お世辞はいらねえよ。悪忌のじいさん。褒め言葉ってのは嬉しいがな。
で、プロビオの兄ちゃんが得たのは、それだけじゃねえだろう? 空港にたちの悪いジャガーが居ついているから、軍の基地に着陸しろって、ずいぶんデタラメな話だ。
軍にパイプがあるなら、軍総出でドンパチをやりゃあいい。直接じゃねえ。ミサイルならいくらでも飛ばせる。冷戦は終わったし、中東の戦争だってあっけなかった。だから武器なら世界に余っている。そうだろう?」
「プロビオ様は、衛星兵器の発動を確認されました。23のレーザーが、宇宙からニカラグアの1つの地点に向かって、降り注ぎました。多濡奇様に危機が迫った場合、それが発動するように、プロビオ様は工作をなさっておられました」
老人の言葉に、車内の空気が、冬のロシアの街角のように、決定的に凍り付いた。
九虚は考える。
軍事衛星からの援護射撃に、獣は耐え切った。
だから、プロビオ氏は通常兵器ではもう、無理だと判断した。
兵器は多濡奇に危機が迫ると、発動するようになっていたらしい。
つまり、多濡奇さんはやっぱり……。
「もう、手遅れなんです、か」
「プロビオ様は状況をそう判断なさっています。その……よろしいでしょうか。奈崩君は」
老人の問いに、蜂蜜色の髪の少女は、ため息をついた。
「……別れたのはカルト野郎どもの街だ。ロシアの東の方の、中核都市の郊外だった。
細菌野郎は、ジャガー野郎に襲われたオレたちを逃がした。その後は知らねえ。
ジェットで空港を発ったオレたちを襲ってきたのはジャガー野郎で、何かの因果を使った。空港の周りをハッチャクしていた飛行機が、いきなり全部ばらばらな軌道をなぞり始めて、結局墜落した。その1つが巨大ジャガー野郎にぶち当たって、奴ごと爆発した。後は知らねえ。
知らねえことばかりだぜ。まったくよお」
「それは獣の特性ですね。カラカスでも多くの被害が出ました。HCが産むフラカンの眷属は、一般人の精神を恐怖に閉じ込めます。多濡奇様は、九虚様に、被害者の治療を希望なさって……」
「今、記録を読んでいます。まったく、あの人は馬鹿だ。こんなに、大量の人間を全部治療しろなんて。理不尽にもほどがある。村では、僕はそんなに軽々しくは使われなかった。きつい案件を1個こなして、やっと1人の治療の許可がでる。それが普通ですよ。1人の村人が、この数の人間の代償に案件をこなすなら、一生かかってもさばききれない」
「ま、遺言みたいなもんだな。叶えるかどうかは、九虚、お前次第だ」
声に感情をこめずに言う志骸。
「でも、時間が……」
「それは、歌野郎が遺してくれた、情報を材料にして、決めようぜ」
そう言ってから、志骸は手帳から顔を上げ、車窓の向こうを眺めた。
後方に流れていくカラカスの街。路上を歩く褐色の肌の人々。
熱帯の国らしくカラフルな服装の彼らの中に、黒髪の多濡奇の姿を探そうとしている自分に気が付いて、少女は舌打ちをしたくなったが、こらえた。
※※※※※※
カラカスに到着してから2日目の朝。
志骸と九虚の2人は、宿泊先であるカイエナ・ホテルに戻ってきた。
フロントの目をすり抜け、最上階のスィートルームに向かう。
エレベーターなどの閉鎖空間を嫌う村人の多分にもれず、少女と青年は非常階段を使用。
「疲れたな」
「そうでもないです」
段差につま先をのせながら、志骸は言った。
彼女の後ろから続く九虚。その返事はそっけない。
そんな彼を振り返って、少女はふん、と、あどけない鼻で笑った。
「さすがは狐の末裔。不死者ってあだ名は伊達じゃねえな」
基礎体力の話ではないと説明しようとして、九虚はだまった。
段差を蹴り、志骸に回り込み、オリーブオイルの小瓶を取り上げる。
「オレたちはちゃんと仕事をしたんだ。気付けになめてもいいだろう?」
「駄目です。先輩はそう言って、すぐ1本あけてしまいます。俺はもうだまされません」
ちっ、と舌打ちをし、やり切れなく首を横に振る少女。
蜂蜜色の髪が、重力を忘れてわずかにふくらんだ。
「お前は正しいよ。九虚」
「すいません。先輩。それでも、俺の責任だからこそ、ゆずれないんです」
「…………」
返事の代わりに、志骸は九虚の横をすり抜け、ふたたび、最上階を目指し始めた。
そんな彼女を肩ごしに振り返る青年の胸に、やるせない想いがせり上がる。
それはロシアの記憶と共に。
……志骸と奈崩が十三聖教会の本部を突き止め、襲撃した時。
九虚の洗脳はみじんも解けておらず、結果、彼は少女と対峙することになった。
「帰って下さい。僕は人類の救済のために、尽くさなければならないのです」
「ちがうだろう。お前が救いたいのは、お前自身だ。正確に言うと、早羅の兄ちゃんを救えなかった、昔のお前を救いたい。それだけだろう」
「軽々しく、あの人の名前を口にしないで下さい」
不快の感情を、わずかに眉にこめる、九虚。
挑発的な笑みを浮かべながら、正解だった、こいつは揺れてる、と思う志骸。
早羅は伝説の防人だ。保育所で1人しか殺さず、ばば様の予定者である、器様の守護者になった。
ばば様は因果。発現すると器様の自我は吹き飛ぶ。防人はそれまでの期間、身命を賭して、器様を守り抜く。
早羅はこの案件に成功。村には新しいばば様が誕生した。
が、その後、彼は精神を病み、病魔に蝕まれて死んだ。
このことを、九虚は後悔している。
以前、まだ九虚が保育所で、他の子どもたちから壮絶な虐待にあっていた頃。
防人である早羅が、九虚の治癒能力を必要とした機会があった。
2人はそれをきっかけに親しくなり、結果、早羅の働きかけで、虐待は終わった。
元々は、暴力性の抑制が困難な子どもたちの中に、他者を攻撃できないという因果を背負う九虚がいることが間違っていたのだ。
九虚もそのことは感じていた。が、どうしようもなかった。
だから、早羅が虐待の停止のために動いた時、九虚は恥辱を感じた。弱いから憐れまれたのだと思った。
だがそんな彼に、早羅は言った。
「君は強いんだ。誰も君を殺せない。だから、もっと傲慢に振る舞っても良い」
「でも、俺は誰も殺せません」
「じゃあ、君に合った武を磨けばいい。殺せないから殺せない、よりもね。殺せるけど殺せない、の方がカッコいいと思う」
「……結果は同じじゃないですか」
「そうだね。うん。今の返事は良かった。生意気な方が強そうだよ。そして、実際に強くなればいいんだ」
早羅はそう言って笑った。
話したのは保育所の校庭で、桜が吹雪いていた。
この人が笑ってくれるなら、強く、そして傲慢になるのも、良いかもしれない、と九虚は思った。
それが、彼が15歳の時の話だ。
九虚が22歳の夏、新しいばば様が村に誕生し、早羅は任を解かれた。
そして、支給された首都の高層マンションの一室で、孤独に病魔に蝕まれていった。
早羅の死の前に、九虚は彼を訪れたことがある。
治癒行為を希望したが、やんわりと断られた。あの時、無理矢理にでも治療をしていれば、と、九虚は後悔をし続け、もしもという仮定形にすがる精神が、洗脳を許す隙を生んだ。
「……何度でも言ってやるよ。九虚。早羅の兄ちゃんは死んだんだ。誰も救えなかった。お前は神じゃない。少なくとも、十三聖教会の聖女は死者を救わねえよ」
「らちがあきません。先輩。俺は聖女様と共に逃げます。さような……」
ら、と九虚が言い終える前に、志骸は彼女自身の首に手をやる。
ピンポン玉サイズの光球が出現。少女の頸動脈をえぐった。
「な……!!!!」
「お前はオレも、救えねえ」
絨毯に崩れる志骸。小さな首に生まれた空洞から、流れ続ける血液。
「先輩、貴女は……!!!!」
駆けより、背に手をさし入れ、抱えあげ、視線を合わせる、九虚。
発動するのは治癒の因果。
傷はふさがる。
同時に吹き飛んだのは、少女の小指。続いて中指。それから親指。
それはささやかな自爆行為。
志骸は、体内でナノ爆弾を起爆させているのだ。
それは指先から始まり、少女の腕を穴のあいたチーズのように蝕んでいく。
「やめて下さい!! 先輩はサイボーグなんですよ? 器官を損傷させたら、貴女は……!!!!」
整った顔面を蒼白にして、九虚は懇願。
そんな青年に、少女はとても優しく、弱弱しく、笑う。
「言っただろ? お前はオレも救えねえ。それが現実だ。お前が救えるのは、もっと別の、生まれてすらいねえ、ガキどもだ。そうだろう?」
無残にえぐれていく少女。爆発は肩を経由して、もう、内臓にまで及んでしまった。
体内の爆弾貯蔵庫に誘爆すれば、少女は吹き飛ぶ。
傷はふさがったのに、彼は彼女を救えない。
― 確かに、僕は……!!!! ―
重なるのは早羅の笑顔。病魔に蝕まれて、ひどく弱弱しかった。
志骸と早羅。笑顔と笑顔が重なった時、世界を覆っていた、何かに亀裂が入った。
そしてそれは一瞬で四散。九虚は、教化のもたらす夢から覚めた。
「そうですね。先輩。俺が救えるのは、未来の子どもたちだけです」
「馬鹿野郎。おせえよ。けど、良かった。オレは安心したぜ」
息もたえだえに、志骸は九虚に微笑みかけた。
こうして、少女は後輩を取り戻した。
ただし、体内のナノ爆弾生成量が、大幅に減少してしまった。
汗腺の9割も爆破してしまったものだから、人差し指の先以外の爆弾の放出は、不可能になった。
さらには、爆弾生成量が減少したため、代謝機能に齟齬が生じてしまった。
以前のような大食いをすると、体調を崩す。発熱もするし、ひどい頭痛に悩まされることになる。
しかも、体内装置の繊細な機序が関係する症状であるために、九虚は治癒ができない。
自然におさまるのを、待つしかない。
……九虚が胸に沈痛を覚えながら、階段を上り切った時。
彼の前方で、通路に続く扉を開こうとしていた志骸が、その背を向けたまま、
「オレは、お前の目を覚ましたことを、後悔なんかしてねえぞ」
と言った。
九虚は、言葉に静かに力を込めて、
「分かってます」
と返事をした。
「……なら、いいさ。まあ、とりあえず、あれだ。部屋では聖女ちゃんが待っている。色々傷ついているだろうからよ。優しくしてやろうぜ」
小さな肩をすくめる少女。
そんな彼女の後ろ姿に、九虚は、胸の奥でずっと眠っていた感情が、首をもたげるのを感じた。
それは戸惑いを彼に与えたが、少女が同意を求めていることが分かったので、彼は
「はい」
と短く返事をした。
※※※※※※
志骸と九虚がスィートルームに戻ってきても、マーシャは机に伏せた顔をあげなかった。
豊かな蜂蜜色の髪は、机を構成する美しい木目の上で横に広がり、縁から滝のように絨毯に流れている。額の下で曲がった腕はわずかに震えて、白さが強調される。
「まあ、分かってたけどな」
志骸は彼女の机まで歩いて、マーシャが曲げた肘の隣に置かれている、えんじ色の手帳を手に取った。
「6冊目か。聖女なんかやってたのによお。日本語なんか読めるのが仇になったな」
「……九虚さんに教えてもらいました」
「すいません。断るべきでした」
謝る九虚を睨む志骸。
『だまってろ』
『優しくしろって』
『そういう意味じゃねえんだよ。優しさってのはなあ……!!!!』
青年と少女が視線で会話をしていると、マーシャが顔を上げた。
碧眼の白目の縁は赤く、その下にはくまができている。
顔の皮膚が薄く白いために、くまの黒さは強調されて、ホラー映画の様相をていしている。
「カルロスの記録を、一晩かけて3回読み返しました。イラーコフという村も覚えていますし、ナターシャさんとお話しした経験も2回あります。一番初めの場所は、教会の秘儀を行う聖堂でした」
「あー。カルトの秘儀ってのは、大体うさんくせえよなあ」
少女が頭をかく。やり切れない、という表情。
「うさんくさい、というよりも、理解を得にくい儀式なのです。
ロシアの全国各地から選ばれた乙女たちが聖なる歌を歌います。
そしてユダ様が、契約の油でを燃やした火で清めた剣を振るい、乙女たちを1人ずつ、主なる神の御許にお送りになるのです。信仰のない者達にとっては、邪悪な行為かもしれませんが、旧約の時代からの伝統なのです。神性は犠牲を通じてでないと、満ちることはないのです」
「……聖女ちゃん。あんたの価値観をどうこう言う気はねえよ。で、ナターシャって姉ちゃんを、あんたはそのカルトで伝統的でぱっと見邪悪な儀式の場で見たんだよな?」
「はい。娘を返して、と叫んでいました。ええと、つまり、ナターシャさんの娘さんは、改宗していたのです。清冽なオーラを有する稀有な乙女だと、ユダ様もおっしゃられていました。ですから、犠牲の剣を振るう順番も最後でしたし、彼女の歌声は、一番長く聖堂に響きました」
「で、その時ナターシャの姉ちゃんが乱入してきたと」
静かに確認を取る志骸に、マーシャは肯いた。
「はい。でもすぐに信者の方々によって、取り押さえられました。娘さんはお母さんの姿を見てもなお、しっかりと歌い続けていました」
「なるほど。で、2回目は」
「改宗の間で、です」
「あー。うさんくせえ場所だったよなあ。血痕ばっかで気味が悪かった」
「大切な場所です。信仰を拒絶するけれども、救いから除外するには惜しい方々に、最後の機会を与える場所です。致死量の薬物が注入された者が、身動きのできない状態で、私を待ちます。私は問います。『主を受け入れますか』と。受け入れた方には、私が奇蹟を示します。そうして、頼もしい信者が……」
「悪い。オレは働き過ぎた。ちょっとオリーブオイル……じゃなくて、水飲んでくるわ」
志骸は、マーシャに肩をすくめて、キッチンに向かった。
「九虚様」
「はい」
「私はおかしいのでしょうか? それとも、本当は正しいけれど、話し方が未熟であるために、理解を得にくいのでしょうか? 志骸様のオーラは、終始嫌悪の色を示していました」
くまの濃い顔を不安げにくもらせるマーシャ。
涼やかな瞳で、マーシャに優しく微笑む九虚。
「大丈夫ですよ。日本人は寿司を食べますが、昔は生食の文化を敬遠されたものです。
ある文化で成長をすれば、それが普通になります。多数派と少数派の差です。
そして、僕たちの村も、世界から見れば、凶悪な少数派です。でも、そんなことを気にしても、仕方がありませんよね。マーシャさんは死に瀕した者たちを、奇蹟によって救ってきました。
その事実で十分だと、僕は思いますよ」
青年が心がけたのは、優しいオブラートに包まれた物言い。なんせ、聖女は傷心中なのだ。刺激するのは良くない。
「そうですか……」
「そうです。それで、ナターシャさんは薬剤を注入された状態だったんですね」
「はい」
「そして信仰を受け入れずに死んだ」
「はい」
「別人の可能性は」
青年の問いに、聖女は首を横に振った。
「貴方もご存知でしょう。名簿がありますし、聖堂の乙女たちも、薬剤を注入される異教徒たちも、全員の名前がそこに記録されています。主の天使は記録をします。地上では私たちが代理をします」
「管理は別の使徒がしていましたから……。それで、名簿でイラーコフ出身を確認したと」
「はい」
話の流れとしては矛盾していない、と九虚は思った。
シスターAとして世界を飛び回っていたナターシャが、故郷の村を滅ぼされ、復讐を企てる。
旧KGBのエージェントでもあった彼女は、十三聖教会の情報を入手し、教会に潜入したはいいが、逆に娘を教化されてしまう。
そして娘は儀式の場、屠殺の聖堂に連行される。彼女の命を救おうと、ナターシャは聖堂に殴り込みをかけ、取り押さえられる。が、能力を見込まれ、薬剤を注入され、改宗の機会を与えられるが、拒絶して死亡。
そして……教授はナターシャに惚れていた。もしかしたら、殺された娘の父は、彼だったかもしれない。その場合、教授は元恋人と自分の娘の両方を殺されたことになる。
潰すべきは十三聖教会。その屋台骨は、聖女信仰。これを崩してしまえば、権威は失墜し、教会は滅びる。だから教授は聖女に接近し、懐妊をさせた。しかも、処女のままで。これは診断書のおすみつきだ。聖女は拉致をされたが、乱暴はされていない。
処女懐妊の再現。十三聖教会は、聖女に救世主を受胎させることを目的に、存続してきた宗教組織だ。2000年に近い悠久を、教授は1晩でくつがえした。
それは最悪の意趣返しだ。それでも……。
― 何かが引っかかる。―
九虚は、考える時間が必要だと思った。
が、今は、目の前で傷心に沈む聖女を、なぐさめることを、第1に優先しなければならない。
問題は、どういう言葉をかければ良いのか、分からないということだ。
「聖女ちゃんよお」
九虚が、声の主である志骸に顔を向けると、少女は口をぬぐっていた。
片手にはオリーブオイルの小瓶。
目を離した隙に……!!!
と、九虚は忸怩たるものを覚えた。
「はい。志骸さん。何でしょう」
「良かったじゃねえか。教授があんたをはらませたドウキってやつが分かったんだろ?
昔の恋人と、自分の娘かもしんねえガキの復讐をしたいと、あのおっさんは考えた。
で、あんたは拉致されて、はらまされた。そこに愛情はねえよな。下卑た性欲ですらねえ。
ちゃんとした説明も抜きにそんなことをした教授も教授だが、|もっと最悪な八つ当たり《・・・・・・・・・・・》ってのは、世界にあふれている。
だから気にするなとも言えねえが、もう教授の謎は解けただろ?
これ以上奴にこだわる必要はねえよな?」
何を言っているんだ、この人は、と九虚は思った。
オリーブオイルに脳をやられているのか、とも。
つい先ほど、優しくしてやれ、と言ったばかりなのに、手のひら返しもはなはだしい。
だから青年が、言い過ぎです、と割り込もうとしたところ、マーシャは首を横に振った。
「知ることはできました。そのことは感謝をしています。でも、知っただけでは足りないのです。ちゃんと、彼に会って……」
そこで聖女は口をつぐんだ。
「会って、どうするんだ? 罵倒でもするのか? ウォッカでもぶっかけて、火でもつけてやりたいのか?」
「ちがいます。何を話したいのか、どうしたいのか、分かりません。それでも、私はカルロスにまた会いたいのです」
強く碧い眼だった。彼女の手はその腹部をさすっていた。
無意識の動作。母親としての自覚。
「なるほど。教授も罪作りだな。なら、聖女ちゃんよお。
落ち込んでいる暇はねえぞ。あんたは覚悟を決めなきゃなんねえ。
手帳を読むまでは、あんたは、単純に巻き込まれた被害者だった。
理由を知りたくて、教会をぶっ潰した東洋人どもの手まで借りて、ロシアからカラカスまで来た。
今からは、あんたはただのうっぜえ女だ。理由が分かったのに、それでも会おうとする。
占い師にでもなって、呑気に生きていくのが、オレのおすすめなんだけどな。
聖女ちゃん。あんたみたいな、無駄に行動力と情熱のある女を、なんて言うか、知っているか?」
「分かりません。何というのでしょうか」
「地雷女だ。歓迎するぜ。地雷女の聖女ちゃん。旅の安全は保障しないが、あんたの人生は応援する」
志骸はにっと笑った。
聖女は、困惑しながらも微笑んだ。
スィートルームの机に突っ伏していた時よりも、ずいぶんと意思にあふれた顔になったものだと、九虚は思った。つまり、先輩はこれがしたかったのだろう。挑発に近い、励まし。
「よろしくお願いします」
「ああ。こちらこそだ」
どちらからともなく、2人がハグをしようとした時、志骸が仰向けに倒れた。
床に頭部を打つ直前に、九虚が両手をさしのべ、小さな体を抱き上げる。
そのままベッドに運ぼうとする青年に、聖女は首を傾げた。
「どうなさったのでしょうか。志骸さんは」
「飲んじゃいけないものを飲んだからです。寝てれば回復します」
青年は感情を抑えた声で、そう説明した。




