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淫崩(みだれ)と妹分

 淫崩(みだれ)須崩(すだれ)は、2人ともひだる神の末裔だった。

 

 ひだる神は疫病神である。

 もっと詳しく言うと、三重や須磨の、飢餓と悪寒と死をもたらす神様である。


 彼らは体内に取り込んだ病原菌を駆使して戦う。


 戦いの手順は明解だった。


 襲撃者が来ると、まずわたしが心音で察知し、彼女たちに伝える。

 それから襲撃者たちは、血と吐しゃ物と排泄物にまみれてうずくまる。

 これだけである。


 どんな強力な因果を抱えていても、細菌兵器に人は勝てない。

 淫崩(みだれ)須崩(すだれ)が戦闘態勢に入る前に不意打ちをすれば、まだ勝ち目はあるかもしれない。

 けれど不意打ちを許すほど、わたしの聴覚は鈍くない。


 わたしの血統は音楽を楽しむことを棄てたかわりに、広範囲の索敵を可能にしていた。

 それでも防護服に身をすっぽり覆いながら、攻撃をしてくる者もいる。

 そういう勇者は淫崩(みだれ)が潰した。


 彼女はドラム缶みたいな体型をした女の子だったけれど、体術の達人でもあった。

 そしてもし彼女たち、淫崩(みだれ)須崩(すだれ)を潰しても、わたしが歌えば全てが終わる。


 つまりわたしたちに挑むことには絶望しかないので、専守防衛にもかかわらずこのグループは保育所の階層でも最強の位置にいた。


 でも淫崩(みだれ)に慢心という言葉は無縁だった。

 彼女はいつも、わたしたちが全員生き残れる方法を探していた。


 その探求の一環なのだろう。

 彼女は誰よりも真摯(しんし)にその武を磨いた。

 その甲斐あって幼くして極みの位置に到達していた詠春拳(えいしゅんけん)を、わたしや須崩に教えてくれたりしていた。


「打つ手がないってよりマシな位だけどね」

 と彼女は謙遜していたけれど、その指導はとても親切丁寧、かつ適度に鬼だった。


 わたしはあの子の絶対者であることにあぐらをかかないひたむきさを、とても尊敬している。

 それは、彼女が逝ってから恐ろしい時間がたった今でも。


 ……以下はわたしたちが10歳の頃、淫崩式詠春拳教室第一回での会話である。


「こう、動くの」

 彼女は10歳にしては太めな足とずんぐりした胴体に比べて細い腕を、前後にクロスさせながら言った。


「こう…かな?うわっ!」

 とわたしは、彼女の真似をして歩いていた真円の上をよろける。

 その円はグラウンドの土に白いチョークで描かれていた。


「まあ、習いたては、上体に安定を期待しちゃダメだけどね。集中力の訓練にもなるし、いいよ」

「才能かなあ?」

 わたしは淫崩の妹分に視線を飛ばす。

 真円の上をすらすらと歩いている。

 淫崩は丸顔に複雑を浮かべた。


「筋はいいんだけどね。ひだるの因果の方を、もうちょっと頑張ってもらわないと……。きつくなる、かな。ほら、他の子たち、どんどん強くなってきてるでしょ?因果の使い方に慣れてきてる、ていうのかな」

「ごめん」

 わたしはとても悲しくなって言った。


「あんたの因果は完成してるじゃない」

 淫崩はおかっぱ頭を小さく横に振って、髪も揺れた。


「……多濡奇が歌ったら終わるって、みんな知ってるから、よほどじゃないと手を出してこないし」

 その『よほど』が増えてきていた。


 わたしは真円の上を再びクロスしながら、なにも答えない。


 当時はわたしも淫崩も須崩も3人そろっておかっぱ頭で、そろって丸顔だったため、ダンゴ3姉妹とか言われていた。

 けれど実際の戦闘に携わるのは、淫崩(みだれ)須崩(すだれ)だったので、わたしは言葉にしにくい疎外感を感じていた。

 

 例えるならトイレも連れ立って行きたい女の子同士の逆バージョンとでも言うのだろうか?

 そこに申し訳なさも相まって、暗い気持ちになったりする。

 それだけではなくたまに彼らの戦闘のあおりを受けて吐血したり、ひどい嘔吐に悩まされたりする、この足手まとい加減も、わたしの自責に根拠を与えていた。


 彼女たちは吐血のたびに謝ってくれたけれど、謝りたいのはこちらの方で、どうしても、心を暗くしてしまう。


― そもそも菌を使うことができるとか、人の意志に沿って細菌が暴れたり収まったりするって謎すぎるなあ。まあ、それを言ったらわたしの歌も、謎なのだけど。―


 ……真円の上で揺れる視界をこらえつつ足をクロスさせながら、わたしはそう思った。

 国民的アニメのアンパン男のダークヒーローである、ばいきん男の黒いマスク的な丸顔が脳裏に浮かぶ。それがわたしの中の、淫崩(みだれ)須崩(すだれ)と共に戦う細菌のイメージだった。



 14歳になっても、淫崩は相変わらず大柄で、頬のぽっちゃりした女の子だった。

 彼女の体のラインも、早めに発達した胸囲とお腹周りが同じという、見事なドラム缶体型だった。


 けれど、その動きに鈍重さはかけらもなく、小さいけれど澄んだ瞳に似つかわしく、テキパキとしていた。さすがは、体術の達人である。


 彼女はマスコットのデザインが好きで、たまにノートを見せてくれたりした。

 愛情をしたためるように描かれた萌え萌えで眉目秀麗な男の子たちの姿に、わたしは閲覧のたびに、ため息が出る。

 何故かはわからない。


 萌え萌え君たちの一人に指をさして、誰? と訊くと、耳にしたことのない細菌の名前を教えてくれた。

 いわゆる擬人化である。

 その筆致に迷いはなく、筆で描かれた彼らの黒髪の光沢が、きらきらして素敵だった。

 けれど、どのページにも必ず小さな赤い飛沫が点々としていた。


「まだ言う事を聞いてくれないの。ボツリヌス君」

 ノートの上のボツリヌスさんを指さしながら、苦笑まじりに彼女は続ける。

「体に取り込んでね、免疫で服従させたら大人しくなってくれるんだけど、疲れてると暴れたくなるみたい」

「そう」

「ま、今は大丈夫よ。完全に飼いならすためには、何度でも叩き潰さないと。上下関係がわかってくれたら、すごく頼もしい味方になってくれるし」

「須崩のも?」

 わたしは妹分に視線を投げた。


 彼女は真円の上をすらすら歩いている。

 淫崩くらいとは言えないけれど、12歳にしては、結構な強さとなっていた。

 わたしたちの前で楽し気に、そしていささか得意気に円をゆく彼女の姿を見ていると、力が抜ける。

 そのままわたしは地面に腰をおろした。

 砂や小石に、尻がちくちくとした痛みを感じる。

 淫崩はわたしを見下ろして、困ったように笑った。


「あの子はまだ病原性大腸菌(おーいちごーなな)。小間使いみたいなものだよ」

 静かなトーンで、彼女は続ける。


「身体はできてるんだけどね、まだ強いのを取り込むのは怖いみたい」

 わたしは、膝小僧の上に開かれたノートを、再び覗き込んだ。

 確かにボツリヌスさんは強そうに見える。

 和服にストレートな長髪。何かのアニメキャラみたいだ。


「……大腸菌(いちごーなな)の絵はある?」

 淫崩は、ちょっと笑って、昔の絵だから恥ずかしいんだけどね、と言って、わたしの横に座り、ノートをぱらぱらとめくった。

 それから、初めの方を開いて、見せてくれた。

 小柄なセーラー服の男の子だ。


「ウィーン少年合唱団にね、憧れてたんだ。今もだけど。あの子たち、いい、よね?」

 同意を求められる。


「……しょた?」

「違うちがうちがうちがうちがう!あんまり人聞き悪い事いうと、食中毒にするよ? てのは冗談だけど、本当に純粋にいいと思うの。綺麗だしきらきらしているし。よく言われている、声変わり前の、刹那的な良さとかじゃなくて、変わった後の人生の覚悟っていうのが、(にじ)んでて、あたしも励まされるの。こんな、潰し合いの日々の中でも」

「そう」

 わたしはセーラー服の横の消しゴムの跡をみていた。


 灰色にかすれて、水に濡れたみたいにそこだけ柔らかい。

 何度も書き直したのだろう。


「ここを出ても、案件とかで相変わらずの修羅でしょう。でも頑張ったら、休暇(おふ)ももらえるし、好きな仕事にもつけるじゃない? そしたら、音響関係での仕事して、ウィーンの子たちの公演のお手伝いとかしたいの。知ってる? けっこう日本に来てるのよ、あの子たち」

「純粋な下心ね」

 とわたしは笑った。

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