保育所
わたしが奈崩に屈服したのは、14歳のときだった。
そのころのわたしは、村の保育所というところで生活をしていた。
保育所といっても、世間一般の普通の人たちが意味する保育所とは、ちょっと違っている。
この施設に合う言葉を探すのなら、寄宿舎とか、そういう全寮制の学び舎が、当てはまるのかもしれない。
ここでは0歳から18歳までの子供たちが生活をする。
彼らは、村人たちが、村の外で産んだり産ませたりした子供たちだ。
村人は、全国各地の民話や神話の末裔たちである。
子供たちは自身の親の顔を知らない。
そもそも村には、世帯や家族という概念はないので、そこまで不思議な話ではないと思う。
保育所の運営母体の村は、多種多様な因果の血統をつむぎ、凝縮する集団である。
けれど、断じて慈善団体などではなく、むしろ、超絶的な悪の組織であると言っていい。
まあ、村というのは、とても特殊な共同体だと考えてくれればいい。
なので、ここでは、善悪という価値尺度は意味をなさない。
代わりに、「強者こそ至尊」という力の論理が、全てを支配している。
もちろん昔からの掟もあるけれど、従うかどうかは、強者次第という、ある意味ゆるい組織だ。
この力の論理は、もちろん保育所でもまかり通る。
だから、強肉強食のスローガンのもと、子供たちは彼らの因果を頼みにして、ひたすら潰し合いの日々を送る。
保育所にいる世話係、保育士たちは、栄養指導のほか、武術、学問、武器の取り扱いから世界の神話まで、あらゆることを教えてくれるが、道徳は教えてくれない。
ただ2つのことは叩き込む。
1つは、死にたくなければ強くなること。
もう1つは、返り討ちに遭っても文句は言わないこと。
……一種のスパルタ式教育という事もできそうな、この保育所の教育システムは非常識なようで、中々合理的であると言っていい。
というのも、ここを生きて卒業できた者は、もれなく優秀な戦士となるからだ。
逆を言うと、優秀な戦士しか出ることができない。
運よく出れても、すぐ死んでしまう。
わたしたちが挑む任務は、村では案件というが、ちょっと気を抜くとすぐ死んでしまうものが多いから。
ちなみに、わたしは自分が優秀な戦士かと自問すると、首を傾げてしまう。
それでも、駆他の因果と、様々な幸運のおかげで、少なくとも14歳になるまでは、蹂躙と言えるような蹂躙を経験することなく、生を編むことができた。
駆他というのは、わたしが内に抱える因果である。
古来西洋の伝説の人魚、セイレーンのモチーフとなった人物がご先祖様なこともあって、わたしの鼓膜の内側では、常に旋律が渦を巻いている。
この旋律を聴いた者は、死や昏睡、醒める事のない狂乱に誘われる。
だから駆他の意味は、生や常世の他に駆る者、となる。
こう書くと恐ろしい因果であるけれど、わたしには自然だった。
乳歯も生えないころから、わたしは隔離されて歌い続けた。
赤子の口元に哺乳瓶の先をあてる保育士たちは、耳栓を常に装着していた。
たまの拍子に詮が外れると、その不運な保育士は、泡を吹いて倒れる。
その傍らで、わたしは、はいはいをしながら、歌い続けたりした。
物心ついて、他者の生を望むのなら歌ってはいけない、という事を教わるまで、何人もの保育士たちが、わたしの歌で死んでいた。
なので自然と駆他の因果の凶悪さは、他の子たちにも広く知られることになり、結果としてわたしに挑んでくる子はそうそういなかった。
それに何よりもわたしが無事でいられたのは、共生関係にある仲間、お互いを守り合う友がいたからだ。
その子は淫崩といった。
いつも2歳年下の妹分の、須崩を連れて歩いていた。