小さな世界
24年前の冬に、僕は母の胎から出た。
もちろん村人なので、出してくれた人の顔は知らない。
赤ん坊だった僕は、そのまま保育所に収容された。
空狐という妖狐の因果の発現は希少なため、ここで特別扱いを受けて育った(と言っても特別扱いは9歳までで、その後は地獄だった)。
幼少の記憶はほとんど無い。
物心がつくのが遅かったというのもある。
何より大きいのは、施設ではこの妖狐と会話らしい会話をしてくれる人がいなかった事だ。
僕は保育所施設の内部深くに入った部屋で、齢が9つになるまで養育されていた。
天井の高いその部屋の壁の上部は、完全なほど白く、反対側の壁からせり出したプロジェクターから映像が映し出されていた。NHKの着ぐるみたちや、お兄さんお姉さんたちが子供達に囲まれていた。そして彼らは高らかに歌っていた。それは四六時中、花が咲き乱れるみたいに。
僕は壁の投影の中で歌い踊る彼らから、言語を学んだ。
部屋の床にはゾウやライオン、虎に猿、林檎や蜜柑などの絵が大きく描かれた本が沢山転がっていた。その数量はとても多い。日本の家屋、あの瓦屋根を思い浮かべて頂くと分かりやすいかもしれない。あの瓦全部を開きっぱなしで地面に置いた絵本にすれば、僕がいた部屋になる。
そこに足の踏み場は無く、その下の床はクレヨンによって極彩色だった。
もとはクリーム色だったのだが、僕が描き散らしたのだ。
それは推敲無しに文章を書き続ける小説家もどきみたいに。
その頃は、枠の中に絵を納めるという発想がなかった。
はみ出すことに注意をする人もいなかった。
保育士たちと僕をつなぐものは、食事を運び入れるポストだけだったからだ。
これを非人間的と思う人もいるかもしれない。
でもそれは違う。
何故ならそれは、妖狐を死に至らしめないための、必要な措置だったからだ。
僕の因果は他者への物理的な強い接触で発動する。
鉈で肩を砕かれても、傘で腹を刺しぬかれても、拳で腎臓を潰されても、因果で自動回復するけれど、禁忌の因果は急速に僕を蝕む。
つまり、幼児が保育士に走り寄って抱き着いた時点で、因果は僕が禁忌を犯したと見なし、体力の無い子供を死に至らしめるのだ。
しかし、誰かに抱きつきたい、というのは子供の本能的欲求である。
このジレンマの解決策として、僕は9歳まで隔離されて育った。それは精神科病棟と同じくらいの隔離加減だった。
いや、どうだろう?
そもそも保育所自体が巨大な隔離病棟ではないのだろうか?
ここでは、子供たち同士で殺し合いながら育つ。
それはとても隔絶された環境と言える。
しかも子供たち一人一人が、自らの猟奇性を持て余しているのだ。
冒頭で話した通り、僕は9歳になると彼らの群れに放りこまれた。
そこで鉈で肩を砕かれたり、傘で腹を刺しぬかれたり、拳で腎臓を潰されたりした。
けれど僕は回復する。それは自動的かつ速やかに。
子供というものは本来とても残酷なものだ。
壊しても回復する僕を使って、ガキ大将たちは遊んだ。
杉田玄白の解体新書的なお医者さんごっこと言えば伝わりやすいだろうか。
手足を大きな板に釘で打ちつけて、腹をアーミーナイフで割き開くのである。もちろん麻酔は無い。
想像するとグロテスクかもしれないが、これが村である。仕方がない。
彼らはこの遊びを繰り返すうちに、1つの発見をした。
それは僕のもう1つの因果だ。
裸眼時に視線が合う相手を無条件で回復させる。
それは奇跡と言ってもいいレベルだが、気功に過ぎないので、死人や、あるいは肉片から人を再生するとかは、さすがに無理だ。僕は神様ではない。
けれど、とても便利な因果ではある。
つまり、使用者が便利なのではなく、妖狐を所有する強者にとって、確実な後方支援なのだ。しかも反逆の心配がない。いくら痛めつけても無抵抗な僕は、理想的な奴隷だった。
ちなみに、この妖狐が初めてこの治癒の因果を使った相手は、志骸先輩だ。
僕が治すまで、彼女は保育所の閉鎖病棟で昏睡していた。
須崩というひだる神の因果を受けた結果である。
これは今回の案件にも関わりのある話なので、少し詳しく話そうと思う。




