散策
スペイン、バルセロナ。
歩く度に潮の香りがする街だと思う。
海が近いからだ。
西に港を抱くこの街には、大小のマーケットが至る所にある。
道行く人々は陽気だ。
ここに観光客も加わって、夜店通りは大賑わいだ。
花屋、雑貨屋、大道芸人までいたりする。もちろん居酒屋の他に、食料品店もある。
しかも安い。
その上に質も良い。
特に、魚介類、オリーブオイルは特に新鮮だ。
さて。
そういうわけで、僕の腕には、タラ(スペインではバッキャロという)、豚の生ハム、ベーコン、エメラルド色のオリーブオイルの大瓶、トマト、ちょっと名前の変わった茸。エトセトラエトセトラ……が山盛りで抱えられていた。
こんなに抱えていたら、視界もふさがれる。
鼻の先では焼いた小麦の匂いの強いバケットが揺れて、その合間から、先3m先を歩く志骸先輩の後姿が見えていた。
彼女は歩く時、いつも小瓶の淵を舐める。
瓶はエメラルド色に輝く。オリーブオイルが入っているからだ。
彼女の背は、平均的な日本人の12歳児とそんなに変わらない。
けれどどうしても、小人に見える。
これは道を行くカタルーニャ人、及びヨーロッパ全土から集まる観光客たち、の背があまりにも高いためだ。
この日のコーディネートは、白のオフショルダーブラウスに、黒のフリルショートパンツ。
上下共にベルシュカというご当地ブランドで、細やかな気遣いを感じる。
オフショルダーということで、華奢な肩、肩甲骨の上部が、白のブラウスの上にくっきりと露出して、歩く度に揺れていた。
黒く柔らかな布を重ねたフリルショートパンツは、水着か? と思うほど、太もも高く切られている。
かなりセクシーな部類のファッションだが、志骸先輩が着ると、とても可愛らしい。
萌え属性極まりない。
でもこういう事を言うと、胃を爆破されたりするので、気を付けなければならない。
しかしこう思うのは僕だけではないのは確かだ。
多くの西洋人が通り過ぎざまに振り返っている。
地中海に臨むバルセロナの陽を受けて輝く長く美しい髪に眼を細める。
観光客などは、名所用のカメラを向け、その度に先輩は視線を向けた。
首を傾げて天使みたいに、はにかむ。
手は日本人的なピースサイン。
……僕ら村人は、記録媒体に残る事を好まない。
だからできるだけカメラを避けようとする。けれど、先輩は拒否をしない。理由は明白だ。
カメラマンが炊いたフラッシュを無効化しているからだ。
つまり、撮影者の指が動くタイミングに合わせて、指先で小規模の閃光爆発を起こしている。
こういう芸当をさらっと笑顔で出来る位の手練の爆弾魔が、先輩である。そして彼女は、いついかなる時でも、破壊工作をできるように、汗腺にナノチューブを移植した改造人間でもある。
改造に当たって彼女の胆嚢には特殊細菌が移植されている。
これがナノミストの生成を可能にした。このミストは汗腺を伝って、外気に放出され、彼女の意志という電気信号に従って爆発する。
いささかピンとこないと思うけれど、僕も実際よく分からない。
ただ、この手術によって、彼女の近接戦闘能力は格段に上がった。かわりに寿命はかなり短くなったらしい。
寿命については、彼女は多くを語ろうとしないし、僕もしつこく訊くつもりもない。
けれど微かな悲哀と共に、やはりこの人も村人だな、と思う。
……話がそれた。
僕らはランブラス通りという観光名所から外れた旧市街のタイル張りの鮮やかな道を、志骸先輩の先導で西に歩いていた。
至る所に美術館、礼拝堂、音楽堂、公園、まあ色々と出くわすけれど、一々止まったりはしない。
この外出は土地勘を養うついでの外出だからだ。
なので、バルセロナの街に着いて既に2週間が経過しているけれど、サクラダ・ファミリアだって訪れてはいない。近くを通って、蟻塚みたいだなと思った程度だ。
まあ、当たり前だ。僕らは遊びに来たわけじゃない。
行方不明の学者、カルロス・フィッツ・サントス。
彼を探しにきた。前任者の逆忌さんは、この人探し中に殺された。僕らも襲われるかもしれない。どこでどういう戦闘があるか、全く見当がつかない。
こういう事を考えると、背には自然と力がみなぎり、震える。いわゆる武者震いという奴だ。
実際こういうきつい案件には不屈の闘志と、冷静な賢さが要求される。
どちらを欠かしても生き残ることはできない。
死はどこか、ひょっとすると、すぐそこの角を曲がった先で僕らを待ち構えているかもしれない。 道行く観光客たちとは、覚悟が違うのだ。
……それにしても、志骸先輩の凄いところは、おそらく僕と同じ圧力をこの街に感じているはずなのに、全くそんなものはどこ吹く風で、道行く西洋人たちに、天使のような愛想を振りまいていたことだ。ぱっと見、純真無垢この上無い。全く手練の爆弾魔には見えない。さすが、潜入工作の専門職。
で、問題は。うん、問題は……。
先輩が唐突に僕を振り返った。
天使な笑顔でにっこり瞼を落とす。
「お父さん、耳貸してー」
しゃがめという事だ。そして僕は彼女の父設定だ。
大人しく言われた通りにすると。
「雰囲気硬えぞてめえ……なめてっとぶっ殺すぞ?」
と、耳元で囁かれた。
「あ、すい……」
返事をするのを待たず。彼女は再び歩き始める。
陽がブラウスの幼い肩元を白く照らす。まばゆい。
問題は、僕は潜入工作といったものを、ほとんどした事がないのだ。
無条件治癒能力者の僕には、主に強敵との殺し合いや、要人の治癒にお呼びがかかることが多くて、こういう案件は、……案件は……。
……多濡奇さんにどや顔をしたんだ。
「頑張りましょう」と。
だから、弱音を吐いている場合ではない。
「お父さん、要視線下向歩行。敵確認」
先輩が暗号を言った。
唐突に、とても明るく優しい声で。
僕は落ち着いた柔らかい声で、先輩の背中に呼び掛ける。
「ああ、分かった。火蛍もね」
火蛍は先輩の偽名である。
今回から九虚君視点です。
たぬさんにどや顔してたくせに、色々あれな彼ですが、よろしくお願いいたします_(._.)_




