ペンネームはオズワルド安在
「呆れましたよ。本当に見るに堪えませんでした」
九虚君は、スプーンの上でフォークをくるくると回しながら言った。
案件は終わりましたから、という言葉を静かに残して、闇に去ろうとする九虚君に無理を引きとめたのはわたしだった。
24時間ファミレスであるヨナサンに半ば無理やり引っ張ってきたのも。
けれど感じの悪い黒サングラスで、ぐうの音も出ない事を延々と言われ続けると、流石に視線の角度は下がる。
肩身も狭すぎて、しゅん、となってしまう。
そんなわたしに、九虚君はとても分かりやすいため息をついた末に、ぽつりとこう言ってくれた。
「でも、ここのパスタは美味いですね。感謝してます」
その言葉にわたしの顔が、ぱっ、と上がる。
嬉しい。
「でしょ。美味しいでしょ。ヨナサンのペペロンチーノは気に入っているの」
口元がにひゃにひゃした。
それから再び皿の花柄に視線を落とした。
「……名残り惜しいものの1つだわ」
こう漏らしたわたしに、九虚君は首をかしげる。
「まるで、死にに行くみたいな口ぶりですね」
「村の案件ってそういうものでしょう? いつ死体になってもおかしくはないし。ただでさえ、わたしはとろいから」
「まあ、確かに多濡奇さんとは案件で組みたくはありませんね」
ぐさりときた。
でも否定はできない。
だからこそとても悲しくなり、自然と拳に力が入る。
― こう思うのは、多分九虚君だけではない。だから、嫌だ……けれど。 ―
「他の人に迷惑でも、わたしは案件を受けたの。その代わりに奈亜ちゃんを治してもらったの。だから……」
「違いますよ」
「え?」
きょとんとするわたしをはた目に、九虚君は口元を紙ナプキンで拭く。
店内に備え付けの、ペラペラすかすかの紙である。
でもこの子が使うと何故か絹のナプキンに見えてくるから、不思議だ。
「多濡奇さんの因果、怖すぎますから。専門は無制限同時殺戮でしょう。やり方も酷く惨い」
「そう? わたしはただの歌使いだけど」
「俺からしたら歌なんかで命を摘めるとか、恐怖以外のなにものでもありません。つまりですね。そんな恐ろしい多濡奇さんが駆りだされる案件ってのも、恐ろしくきつい、ってことです」
「それを言ったら……」
言いかけて口を閉じた。
九虚君の異質さは圧倒的だ。
話に聴いていた彼の因果は、民話の空狐に由来する。
妖力が最上クラスで、一説には伝説の九尾の狐と張り合うとか張り合わないとか。
人に悪さはせず、ひたすら癒す。
その血統を身に宿した彼の因果は、どんな傷も病も治せてしまう気功である。
彼の祝福は、あまねく癒しと自己回復。
大脳を銃弾が貫通しても、瞬時に回復したとか、そんな逸話すら耳に入る。呪いは……。
「ええ、俺も嫌がられますよ。役立たずが必要なほど、きつい案件か、てね」
自を意地悪く嘲るように、九虚君は言う。
それも無理はない。彼にかかった呪いは、人に危害を加えることができないこと。
これは基本的に修羅を生業とする村人としては最悪だ。
口が悪くなるのも仕方がないのかもしれない。
「そういう哀れみの目は、一番嫌いです」
「あ、ごめん」
低いトーンの声に、我に返って謝るわたし。
九虚君は黒サングラスな顔を、ぷいっ、とそらす。
「安全な立場はキープして、全然戦わない屑って今思ったんでしょう。そんな屑は哀れだって」
「違う。無条件治癒が必要とされる案件って、とんでもなくきついって思ったの。安全とかだって思わない。九虚君にだって痛覚はあるでしょ?」
「痛覚もあるし、場合によっては死にますよ。溶鉱炉に叩き落されたり、液体窒素で固められれば、さすがに無理です」
「そんなことがあったの?」
「……されかけたことはあります」
「そう。」
沈黙が空間を支配した。
店内には、南イタリアの音楽が流れていた。マンダリンという管弦楽器のかなでる旋律。
わたしたち以外に客はいない。
通路を2つ隔てた大型の窓ガラスの向こうの路地は、都会にもかかわらず人通りは見当たらない。
車もトラックがたまに通る程度だ。
全然青空でも太陽でも地中海でもないので、マンダリンに合わせた男性歌手の陽気な歌声がそらぞらしい。
天井の照明がクラゲみたいだと思った。
見えない膜がクラゲから広がりドームを作る錯覚。
ドームにじわじわ圧迫されるような気まずさ。そして沈黙。
―夜の沈黙は気分が重くなる、なあ。―
そういえば案件以外で、誰かと夜を過ごした経験はなかったとも思う。
入り口のドアが音をたてて開いた。
客が入ってきたのだ。
カジュアルなトレーナーに、ダメージジーンズの若者だ。
この機会に背を押される。
立ち上がり、九虚君を向いた。
「飲み物取ってくるね。九虚君は何がいい?」
「アールグレイティー」
うつむいたまま言われた。
「うん、わかった」
と返し、そのままドリンクバーに身を翻す。
すると、すいません、と背中に声がかかった。
振り返って、首を横に振る。
ちょっと困ったような微笑みが、その時のわたしの口元には、浮かんでいたと思う。
因果とは、困ってしまうような祝福であり、呪いなのだ。
それは誰のせいでもない。
※※※
ビールケースを小型化したような碁盤の目状のケースから、小ぶりの白のカップを2つ取り出す。
茶色のトレーに並べた。
陳列棚からピーチティーを選んだ。
九虚君用のアールグレイティーも取り出す。
パックにとめられている糸と紙を外す時に、桃の甘い香りを鼻腔に感じた。
少しほっとする。
まず九虚君のアールグレイから湯を注いだ。
暗い夕焼けのような色が、カップの中で湯気をたてる液体と共に広がる。
やがて完全な円になり、わたしは夕陽でも見ている気分になった。
ピーチティーにも取り掛かる。
立ちのぼる桃の香りに、癒されるなあ、と思った。
給湯作業を終えたわたしは、2つの小さなカップにお内裏様とお雛様を、思い出してしまい、
― 村人らしくないって、また九虚君に怒られてしまうなあ。 ―
とちょっと苦笑をした。
それから、ふと、村人らしい村人って誰だろうかと思う。
突然、全く思い出したくない男、奈崩の凶悪な引きつり笑いが浮かんだので、眉をひそめた。
けた外れの不快を感じたからだ。
軽く首を振り、来た通路を引き返す。
と、先ほど入ってきた若者とすれ違いさまに目が合う。
彼の虹彩には、わたしの姿が映っていた。
潤いの欠けたセミロングの髪がくたびれたスーツにかかっている。
小さな顔にくりっとした瞳は昔から変わらないけれど、髪が致命的にぼさぼさである。
ため息がでそうになった。
……奈崩のせいで淫崩を喪ってから、随分と時間が経った。
彼女の時は14歳で止まったまま。
わたしだけ、キューティクルとか肌のはりとか、生存にはおよそ関係がないけれど、完全に無くすには惜しいさまざまな何かが、物凄い速さで喪われていく。
ひどく暗い気持ちになっていることに気づき、ぶんぶんと首を横に振った。
と、2つのカップにそれぞれ浮かぶ橙色と桃色に、さざ波がたってこぼれかけ、少し慌てた。
席にもどりトレーを置く。
茶色のハーフジャケットの青年とテーブルをはさんだ向かい側のソファの奥で足をそろえ、腰をずらすようにして着席した時だ。
一瞬テーブルの向こうの彼が誰か分からなかった。
人違いの席に座ってしまったのかと勘違いし、尻を浮かしかける。
そんなわたしに彼は口を開いた。
「ありがとうございます」
淡々とした声は九虚君のものだ。
人違いではなかった。
けど、それでも別人を疑うほど、彼の血色は良かった。
こけて浮き出ていた頬骨は跡形もなく、代わりにうりざねに近い自然な丸顔が回復している。
肌も血色が良い。
そこにはわたしがとうに喪ったはりと潤いがあった。
もちろん彼の黒のサングラスは相変わらず感じが悪い。
けれど、くっきりとした鼻や整った口元、あごのラインが明らかに堂々としている。
精悍という感じはしない。
色白だからだ。印象としては、都会ではあまり見ない感じの、健康的な若者。
びっくりである。
思わず口が半開きになってしまう。
九虚君はそんなわたしに首を傾げた。
キューティクルとかつやつや感がきらきらしている前髪が揺れる。
彼がなにか、と訊くのをさえぎるように、わたしは尋ねていた。
「変身できるの?」
「ああ。6時間以上ですね。休暇の仕事してないと、体がリセットされてしまうんです」
九虚君の自己回復の因果は、自動的に肉体を最善の状態に保つ。
が、仕事を24時間以上すると、さすがに血色は悪くなってやつれるそうだ。
仕事による消耗は頑張っている証。
なので、彼は出来るだけノンストップで仕事をする。
仕事は漫画家。ペンネームはオズワルド安在。月刊誌で連載を持っている。
こんな事を、彼は、理路整然と説明してくれたのだが、深夜のヨナサンにそぐわない、滲むというより溢れるきらきらオーラに圧倒され過ぎて、何となく顔を見る事ができなかった。
仕方なしに、相槌を打ちながら目をそらしたり、眉間に視線を固定しようと頑張ってみたりする。
つまり、我ながらよくわからない照れ方をしていたのだと思う。
「見ますか? 昨日編集部に送ったんで、載るのは再来月ですけどね」
優雅な手つきで、懐から携帯電話を取り出す長い指。
そこからたこが消えていることに気が付く。
― ペンだこ、だったのか。……今時の携帯は、写真も保存できるんだもんなあ。―
黒電話とか赤電話の時代を生きてきて、持ってもピッチだったわたしには、本当に隔世である。
漫画は、熱血バトルものだった。
モノクロ写真を背景にピカソ的なキャラクター達が右往左往。
ひたすら叫ばれる必殺技。吹き飛ぶキャラクターたち。
……写真を加工してるの? と訊くと、全部手書きです、と返ってきた。
ピカソのゲルニカ的な物体に、指をさして、これ何? と訊くと、主人公の熱血男子です、と言われた。
何故か平行世界にいるような違和感を覚える。
けれどそれが彼の作品の味わいなのだろう。
「訊いていい? 質問ばかりだけど」
「はい」
「何で、必殺技の掛け声が『ごんざれす』なの?」
「それはですね」
黒サングラスで、にやりと笑った。
熱く長く語りだした彼の説明には、納得するような、全くわからないような感じを受けた。
が、わたしは、しきりに頷く。
いたく感心していたからだ。
それに『ごんざれす』はとても綿密で複雑な理論に裏打ちされた、ごんざれすだった。
色白な頬を、かすかに上気させて、色々説明してくれる九虚君は、とても楽しそう。
― 二十四歳だなあ。 ―
と素直に思う。
病院での彼とは大違いである。
感じのよろしくない黒サングラスすらも、芸術家的な愛嬌を帯びてくるように見える。
ひとしきり語り終えると、九虚君は、はっとして、すいません勝手に話過ぎました、と早口で謝った。
頭を下げたので、つむじが可愛いと思う。
まあ村人らしくはないよね、と意地悪がこみ上げたりしたけれど、そこは三十二歳の余裕で、ううんわたしも聴いてて楽しかったし、と返した。
それからカップの取っ手の半円に人差し指を通して、唇まで持ち上げた。
ピーチティーはとてもぬるくなっていた。
パックなのに粉っぽい苦さで、口元をしかめたくなったが我慢をした。
つまらない顔をしたくなかったからだ。
九虚君も、アールグレイを口に含んで、とても優雅に一息ついたので、
― そろそろ行きますか、とか言うのかな。 ―
と何故か胸の奥に、名残惜しさがもたげる。
「告白しますと」
と言われたので、告白という言葉に、びくっとなりかけた。
が、そこはやはり大人の余裕で、ポーカーフェイスを決め込む。
とりあえずゆっくりと首を傾げた。
「ん?」
「僕も案件控えてるんです」
「奈亜ちゃんじゃなくて? 」
「はい。あの子とは別に、かなりきつい海外案件らしくて。それで連載も中止にしてもらって。休載扱いにしてもらうには人気が無さ過ぎて。でもずっと読んでくれてた読者さんたちには悪いことした気がします。それ以上に感謝の気持ちが尋常じゃないですけどね」
「そう」
「フラグたてるみたいで、多濡奇さんに言うの、はばかられたんですけどね」
フラグという言葉が分からないので訊いてみる。
不思議な顔をされたので、恥ずかしくなり、自然と顔が赤くなった。
けれど九虚君は丁寧に説明をしてくれた。
要約すると、起きてほしくないことが、起きてほしくなくなるようなことを言うと、起きてしまうという、あまのじゃく的な言霊なのだそうな。
「僕も来週から海外案件ですが、多濡奇さんとは組みたくありません。……て言ったら、組むことになりそうで」
意図は分かっているけれど、堂々と言われると、ぐさぐさとくる。
けど口角をあげる。
「わたしは嬉しいかな? あなたがほとんど不死身ってことは、少なくとも全滅の可能性は低いし」
少し声がかすれるけれど、続ける。
「誰かが生き延びてくれるのは、とても救いになるから」
本音だ。
九虚君の心音がわずかに揺れた。
彼は眉をひそめる。
「自らの生を手放す者は、死体と変わりません」
「そうね、その意味ではわたしは死体と変わらない」
言葉を返し、一呼吸置いて、
「変わりようがないの」
と付け加える。
九虚君は、わたしの顔を黒サングラスの奥から、じっと見つめた。
「……みみいちゃん、て何ですか?」
「え」
「あの子が言ってた。病院で」
「ああ。わたしが職場でかぶってたキャラクターなの」
病院では素顔だったけれど、あの子は気づいて笑ってくれた。
「中身、多濡奇さんだって気づかれましたね」
「うん」
「嬉しいですか? 悲しい、ですか?」
「複雑かな? かぶり物係は中身に気づかれては駄目だけど、あの子はわたしの動きで気づいてくれて」
そこで言葉をきって、目を伏せた。
脳裏に幼い顔が甦る。
「あの子ね、わたしが遊園地に勤め始めた4年前は5歳だったの。5歳から4年間ずっと見てくれてたから、気づいてくれたんだと思う」
「そうですか」
「うん。……やっぱり嬉しい。だって、本当に嬉しいから」
その後、自分でも恥ずかしくなるくらい、かぶり物係のやりがいについて熱く語った。
九虚君は、相槌をうちながら聴いてくれた。
ひとしきり話した後で、
― あ、話過ぎたかな。また村人らしくないと怒られる。―
と肩に身構えを感じる。
けれど、九虚君は口角を上げて、
「仕事が好きな人は尊敬できます」
と、穏やかな声で言ってくれた。
黒サングラスを外して言ってくれたら、素敵を感じるのに、と何となく惜しく感じる。
「ありがとう」
「いいえ。案件ちゃんと生きて帰ってきてくださいね。……また、顔を見たい人もいるでしょう?」
その問いに、わたしは彼の事を思い出した。
週に一度路上に立つ、大学生の弾き語り君。
わたしは、彼の常連だった。
よく彼の前でしゃがんで頬杖をつき、彼の歌う姿を眺めていたものだ。
そうしながら、その心音に耳を傾けていた。
セイレーンの末裔であるわたしの血統は音楽に感情を抱くことを放棄している。
けれど、弾き語り君が歌う時の心音には、独特のものを感じた。
その独特さに心を動かされていた時間は、ヨナサンのパスタと同じか、それ以上に、名残惜しさを感じるものだった。
その時間に身構えなしに想いをはせてしまい、名残り惜しさが痛みとなって押し寄せてくる。
それは熱に変わり、涙腺をこみ上げて、頬を伝った。
九虚君はハーフジャケットの胸元から、白の網目の綺麗なハンカチを取り出す。
顔を、ぷいっと背けながら
「どうぞ」
と差し出してくれた。
「ありがとう。……鼻、かんでいいかな?」
「差し上げますから、ご自由に」
―何を言っているのだろう、わたしは。―
と思いながら受け取る。
そのレースがあしらわれた白い布の手触りは、滑らかで、端にバルバリのロゴがあしらわれていた。
高級品である。
普段こういった物に縁遠いわたしはまじまじと眺めてしまった。
「……音、恥ずかしいから、耳ふさいでて」
言いながら鼻に押し当てる。
絹加減が優しい。
― 誰かに恥ずかしいと思ったことって、無かったなあ。 ―
と思いつつ、力いっぱいかんだ。
ちらりと上目づかいで、九虚君の様子を確認。
ちゃんと耳をふさいで下を向いてくれていた。
いい子だ、と思う。そのたたずまいにも、謎の品がある。
やはり、ご先祖様が高名な狐さんだけあって、尋常ではない王子様っぷりだなあ、と、いたく感心した。
ちなみに、遊園地で働くことになった経緯については、話す気になれなかった。20代の半ばで、今は亡き、嘘月という村人の男と、ウニヴァーサル・スタディオを訪れて、感動したからなのだけど。今は亡き、という言葉に抵抗を感じたのだろうか?
※※※
わたしたちは、陽が上る頃に解散した。
それから3日後、引き受けた案件の説明を境間さんから受けるために、わたしは横浜に向かった。




