ガブリエルさん救出作戦3
カラカスの闇をいくつもの弾丸のように切り裂いて、わたしたちはダビデの塔の頂上部に至った。
弾丸という表現は大げさではない。
なんせ滑空中の最高時速は280kmを超える。
ウィングスーツの事故は多い。が、フトルッチオ君部隊はやり遂げてくれた。
さすがである。
わたしが彼らのような『普通のヒト』で、いきなり夜空を10km、弾丸みたいに飛んでくれと言われたら、はい、と答えることができるだろうか。自信がない。
つまり彼らの勇気は大したものだ。いや、勇気だけで出来ることではない。
ガブリエルさんを救いたいという想いが、この子たちの冒険を可能にしているだろう。
「まあ、ここからなんだけど、ね」
ため息交じりに鉄骨から下を見やる。
ジェンガのように四角く重ねられた鉄骨たちの奥底には深い井戸のような暗黒がある。
45階のうち、著上付近の5階分は鉄骨だけが組まれた状態だ。
風も強く、視線を落とすわたしの視界に横髪がかぶさってくる。
いつもなら手で髪を押さえるところだけど、この時のわたしはそんな気も起きなかった。
奥底の闇。さらにその7階下にガブリエルさんがいる。
敵も。そしてこの敵は『羽根のヒト』につながっているのだろうか。
直接ではないにしても、情報的な意味で。
「ここ、ホテルになる予定だったそうだぜ」
フトルッチオ君の声で我に帰る。
彼もわたしの横で下を覗き込んでいる。
フトルッチオ君部隊は彼の後ろに集合していた。
ウィングスーツはすっかり脱いで、軽装ながらもちゃんとした戦闘服に身を包んでいる。
「まあ、眺めはホテル並みね」
視線を外に向けた。
カラカスの夜が広がっている。ビルの陰影たちに灯る、美しい光の広がり。
資本主義国より慎ましいが、だからだろうか蛍の群れを彷彿とする。
直近のビル、33階部分に目を細める。
ソルバッキオ君部隊の7人は到着できるだろうか。
彼らはフリオ君部隊の援護をしながら33階を目指しているはずだ。
地上部から制圧をしていくフリオ君部隊の8人は無事だろうか。
初戦はあの子たちが圧倒するだろう。これはだまし討ちに近い。
が、上層に行くに従って、制圧は困難になっていくはずだ。
敵も態勢を整える。戦闘は激しさを増す。地の利は北にある。
だから北が反撃に出る前に、わたし達は33階を襲わないといけない。
……10階部分に光が1つ煌めいた。
それを皮切りにいくつも、次々と光が生まれる。
銃撃戦が始まっている。
「行こう、か」
フトルッチオ君を振り返ってそう言うと、彼は強い目力で頷いた。
無線を切り替え、口を開く。
「こちらフトルッチオ。俺たちは『作りかけの屋根』についた。これから下降を開始する」
『こちらフリオ。10階まで来た。銃撃戦は始まっている』
『こちらソルバッキオ。フリオの援護中だ。フトルッチオは痩せときゃ良かったな。太すぎて鉄骨折れるだろ』
「俺は骨太なだけだよ。ソバカスのやせっかすが」
フトルッチオ君はちょっと憮然として無線を切り、わたしに向き直った。
「あいつらはあんな感じだ。俺たちも行こうぜ」
「うん」
わたしもフトルッチオ君もちょっとほっとした顔をしていた。
まだ誰も負傷していない。
作戦はうまく行っている。
が、ここからなのだ。本番は-。
※※※
雨風に錆びてざらついた鉄骨を、皆で下っていく。
鉄骨は長方体に組まれていて、視界はあまり遮られない。
わたし1人なら跳ねるように下にいけるのだけれど、フトルッチオ君たちはそうもいかない。
パラシュートのロープを切ってビルの骨組みに縛り付け、下に垂らす。
これにしがみついて1人ずつ下りる。
わたしはロープのそばに最後まで残って、彼らを見守る。
フトルッチオ君が下りるたびにドキドキするのは、彼が太っちょすぎてロープが切れないかと心配になるからだろう。
が、自身の体型を骨太なだけだと主張する彼だけあって、機敏かつ果敢に降下していく。
まあ、先ほどの宙吊りは中々恥ずかしかったに違いない。
部隊の皆にいい所を見せたいのは、痛いほど伝わる。
で、皆が下りきってから、わたしがロープを解き、彼らに投げる。
それから、とん、と跳躍。
すたっと彼らの前に着地。
再びロープを鉄骨に縛りつける。
……これの繰り返しだ。
45階から42階まではこれでうまく行ったが、さらに1階分下る時のことだ。
皆にロープを投げてから、跳んだわたしは下の鉄骨に着地ができなかった。
靴底は骨組みをスルーして、さらに階下に真っさかさま。
反射的に『工』の鋼の右上部分をつかむ。
片手で宙吊り状態のわたしに、上からフトルッチオ君が手を差し出してくれた。
その手をつかむと、両手で引き上げられる。
「ありがとう」
「気にすんな。てか、多濡奇姉ちゃん」
「ん?」
「意外と物凄く重いんだな」
「女性を重いとか言ったら駄目。頬っぺたつねっちゃうぞ。思いっきり」
「いや、悪かった」
肩をすくめるフトルッチオ君の姿に、ガブリエルさんが重なる。
多分あれだ。ここら辺のデリカシーの無さはガブリエルさん譲りなのだろう。
テホン・エキポの教育項目に、女性の正しい接し方も付け加えないといけない。
と、思う前に、まずわたしが痩せないといけないのだ。
いや、それより着地に失敗したわたしが悪い。
失敗したのは上の空が原因である。
ずっと考えていたのだ。
いつ、どのタイミングで超音波を歌うか。
前回は2回歌い、気を喪うはめになった。
今回は1度で済ませたい。
何よりこれだけ大きく入り組んだビルだ。内部構造の把握は脳にかなりの負担がくるに違いない。
- でも、必要なことだから。-
天井や床がちゃんとある、旧オフィス予定フロアについたら、すぐに歌おう、と思った。
そして40階の天井に到着。
ハッチを探して真っ先に入り、廊下に降りる。
皆が下りてくる間に、瞳を閉じて聴覚に集中する。
深く息を吸い込んでから大きく口を開いた。
喉が痛むほどのヴィヴラートを、全力で歌う。
超音波の歌声は、その旋律はダビデの塔にあまねく届き、わたしの鼓膜に反響。
黒地に白の線が走る形で、脳内に立体構造が再生された。
廊下、天井、配管、通信用モジュール、床、ハッチ、薄い板張りのトラップ、貼りかけの壁紙、フローリング、建材、吹きさらしの壁、35階、目張り巡らされた罠、脱出用シューター、通信用ケーブル、机、椅子、書類棚、PC、PCに見入るすらりと高い背の男性、男性のドレッドヘア、配線、便器、廊下、33階、応接室、椅子、縛られる男性、床に転がる死体、死体の横でたたずむ髭もじゃの男性、廊下、脱出用シューター、いくつのも罠、階段、12階、銃を構える人々、物陰に隠れて弾薬を装填する少年たち、7階、部屋の隅でわが子を抱きしめてうずくまる母親たち、逃げ出す老人、水道、3階、ジムの機械たち、2階、床屋台、洗面台、エントランス……。
- 見つけた、けど。-
ガブリエルさんは33階の応接室にいる。
椅子に縛られている。
床に転がる死体は誰のものだろう?
同じ部屋にいるのは石髭さんで間違いはない。
- いや、それよりも。でも、そんな事があるのだろうか。-
わたしは動揺をした。
35階でPCに見入る男性、そのシルエットに見覚えがあった。
が、覚えがあるだけだ。
他人の空似かもしれない。
それに、動揺をしている暇はないのだ。
12階でフリオ君たちが戦っている。
彼らが劣勢になる前に、この状況にけりをつけなければならない。
そう、まずは指揮官を押さえること。
この指揮官は35階にいる人物で間違いは無いだろう。
わたしは廊下の先を見据えたまま、隣のフトルッチオ君に言った。
「ここの造りは分かったの。罠から何から、全部」
「どんな手品かわかんねえけどよお、すげえな。多濡奇姉ちゃん」
「褒めてくれてありがとう。罠のポイントを全部言うから記憶できる?」
「無理だ。俺は多濡奇姉ちゃんじゃねえ」
「そうか、忘れてた。ここ真っ直ぐ行った先に配管とモジュールがあるの。そこに館内図がある。先に行って、罠の場所を書いておくね」
言い終えてから、わたしは廊下を駆け出した。
突き当たりに到着。すすけた黒鉛のような建材、そのかけらを拾って、館内図に手早く×の点を入れる。
点は40階に1つ、39階に3つ、と下に行くたびにどんどん増えていく。
33階の応接室に、『Gabriel』と大きく記して、わたしはまた駆け出した。
向かう先は35階。
指揮官の部屋だ。
板張りの罠を飛び石を渡るように避けて、天井を伝う監視カメラのコードも切る。
わたしの存在は、指揮官の彼には見えないはずだけれど、カメラには映ってしまう。
前回これで痛い目を見た。
準備は万全。
指揮官の部屋はフロアの南奥にあった。
人の背丈の2倍ほどもあるドアには重厚な装飾が施され、平たく言うと成金趣味で、ダビデの塔という廃墟にはそぐわない。
が、これがこの扉の向こうにいる彼の趣味なのだろうと思う。
わたしはこの扉をノックする前に、無線のスイッチを入れた。
小声で話す。
「フリオ君、聴こえる? 今大丈夫?」
『はい。でも結構やばいっす。ソルバッキオ連れてくりゃ良かった』
「うん。泣き言はガブリエルさんを救ってから、ね。今から敵さんのポイント言うから、回りこんで。君たちなら接近戦に持ち込めるはず」
敵さんの位置を伝えきってから、
「じゃあ、頑張ってね」
と言って無線を切り、わたしは一度ガスマスクの奥で息を吸う。
扉の奥の彼を殺すつもりは無い。
だから1人できたのだ。
- でも『彼』なら複雑だ、なあ。-
気を取り直して、ドアをノックした。
「なんだ」
扉の向こうの声に応える代わりに、わたしはドアノブを握り、ロックごとねじり切った。
中に押し入る。
デスクの向こうの男性と目が合った。
ドレッドヘアの長身。黒色の肌。
丸く大きな鼻。
休日のジャイカビルで一度お会いした事がある、警備員さん。
クレトさんが、ガスマスクのわたしを凝視していた。




