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短編

ランプの魔人(短編6)

作者: keikato

 会社からの帰り。

 家の近くの道端で古ぼけたランプを拾った。ちょっと汚れてはいるが、アンティークぽいので部屋に飾ることにした。


 ランプをアパートに持ち帰ると、オレはさっそく洗面所で洗い、タオルでもってゴシゴシとこすった。

「うわっ!」

 その場で腰を抜かしてしまった。

 ランプから、とつぜん魔人が現れたのだ。絵本の魔法のランプに出てくる魔人そのものである。

「オ、オマエ、魔人なのか?」

「ピンポーン」

 魔人の返事はなんとも軽くノリがいい。

「なんで魔人が?」

「あなた様に呼び出されたっす」

 それそれと言って、魔人がきれいになったランプとタオルを指さす。

――そうか……。

 魔法のランプの物語を思い出した。

 たしかあの話は、ランプをこすると主人に忠実な魔人が現れるはずだ。ならばこの魔人、オレに危害を加えることもなかろう。

 ひとまず安心した。

――待てよ。

 オレは魔人の主人で、魔人はオレの奴隷。つまりオレの方がえらいのだ。

 オレは起き上がると言ってやった。

「びっくりするじゃないか。現れる前に煙ぐらい出すのがマナーだろう」

「時代によって登場方法も変りますんで。次はコスチュームも変えてみようかと……。お望みであればセーラー服にいたしましょうか?」

 魔人はへへへといやらしく笑った。

 その大きなヒゲヅラ顔で、いくらなんでも女子高校生はないだろう。

「いや、それでいい」

「で、ご用件は?」

 魔人があらたまった顔で問うてくる。

――用件?

 そう、そうであった。

 ランプから魔人が現れ出たのは主人の願いを叶えるためなのだ。コイツを利用すればオレの未来はバラ色である。

「そうだな。とりあえず部屋をきれいにしてくれ」

 えらい現実的な願望だな……と、我ながら少々あきれてしまった。

――まあいいか。

 未来は逃げるもんじゃない。あわてずのんびり切り拓いていけばいいのだ。

「メンドーなんだよな、掃除は」

 魔人が肩をすくめてみせる。

「オマエなあ、主人の願いを叶えるために出てきたんだろう。なら、文句を言うな」

「ですがワタシ、掃除というものが子供のころからどうも苦手でして。なんかこう……ほら、ちっともおもしろくないじゃないですか。しかも非建設的で……」

 魔人にも子供の時期が?

 知らなかった。いや、そんなことはこの際どうでもいい。

「つべこべ言うな。オレはさっき、オマエの住まいをきれいにしてやったんだぞ」

 オレは魔人の尻をパシッとたたいてやった。

「へい、へい、そうでやしたね。とにかくやりゃあいいんでしょ」

 魔人がしぶしぶ掃除にとりかかる。

 こんなにちらかして……とか、掃除くらい自分でやりゃあいいのに……とか、あらん限りの文句をたれながら、えっちらおっちらとやる。

――コイツ、ホントに魔人かよ?

 バラ色になるであろう未来が、にわかにくすんでいくように思われた。

 小一時間かけ、魔人はやっと掃除を終わらせた。

 なにはともあれ、ずっとほったらかしだった部屋がきれいになった。なんとも楽なものだ。

 オレは次の命令を魔人に下した。

「晩メシを作ってくれ」

「では、さっそく」

 文句のひとつでも返ってくると思いきや、魔人はうれしそうにキッチンに立った。

「冷蔵庫にあるものでテキトーに作ればいいからな」

「まかせてくださいよ」

 はつらつとした返事が返ってくる。

――魔人にも得手不得手があったとはな。

 オレは少しばかり反省し、魔人のうしろ姿に向かって声をかけた。

「さっきは言い過ぎた、悪かったな」

「気にすることないっすよ。だけどキンキンに冷えたのって、やっぱりうまいっすね」

 振り向いた魔人の手に缶ビールがある。

「オマエなあ……」

 不覚にもひとときであれ、オレは魔人に同情したことを大いに後悔した。

「ご心配なく、すぐにこしらえますんで」

 魔人が缶ビールで乾杯のマネをしてみせる。さらに左手でピースサインまで作った。

「とっとと始めろ!」

「へい」

 魔人は小さくベロを出してから、さっそく夕食作りにとりかかった。

――心配なんかするもんか。死ぬまでこき使ってやるからな。

 魔人を見ているとイライラしてくる。夕食ができあがるまでテレビを観ることにした。

 キッチンから魔人の鼻歌が聞こえる。最近はやっている「世界にたったひとつの花」だ。

 それでもとにかく……。

 魔人は料理を続けているようだった。


「食べられますよー」

 キッチンからカレーのニオイとともに、魔人の呼ぶ声がした。

――カレーか、うまけりゃいいが。

 オレはまったく期待せずキッチンに行った。

「サラダも作りましたんで」

 皿いっぱいに盛られた野菜を前に、魔人が自慢げな顔をする。

「たいしたもんだな。でも冷蔵庫に、こんなに野菜があったか?」

 野菜を買いおいていた覚えがない。それにありえないものが混じっている。

――なんで?

 オレはピーマンが大きらいだ。だから買うことはない。

 それがなぜか皿にあるのだ。

「こいつは?」

「それは新聞紙から」

「新聞で?」

「ええ。ピーマンは体にいいっすからね」

 魔人は裏の手、いや魔人の能力を発揮したというわけだ。

「食べられるのか?」

「イヤなら食べなくてもいいっす。ワタシが食べますんで」

「なんだ、オマエも食うのか?」

「もちろんっす。一人で食べるより、食事は二人でする方がうまいっすよ」

「たしかにな」

 へんに納得した気分になる。

「で、カレーはオマエの好物ってわけだ」

「そう、大好きなんっすよ」

 自分の食べたいものを作ったのだ。チョーシのいいヤツである。

「乾杯しましょうよ」

 缶ビールを一本、魔人がオレによこす。

「ふむ」

 乾杯をして、それから二人で食事をした。

 カレーは意外にも、どこの店のカレーにもひけをとらない美味であった。


 食後。

 オレは思いついた願望を語った。

「実は、ひとつ頼みがある。叶えてくれるか?」

「いいっすよ」

 魔人の返事はあくまで軽い。

「なんでもいいのか?」

「へえ。でも、お金はよくないっす。あれは身をもちくずしますんでね」

 魔人が顔の前でヒラヒラと手を振ってみせる。

「金じゃない」

「では女? いや、あれこそいけません。ワタシの力で女をものにしようなんて。女心はそんなに甘くないっすから」

「女ともちがう」

「たいていの男は、まず金と女をほしがるもんなんですがねえ……。金でも女でもなきゃあ、力ってことですか?」

「そうだ、万能になりたいんだ。そうすりゃ、金も女も自分の力で手に入れることができるだろ」

「だったら、魔人になるんが早いっすよ」

 魔人が理にかなったことを言う。

 魔人になれば、たしかになんでもできる。新聞紙をピーマンに変えるくらいだ。一万円札にすることもたやすいはずである。

「なるほどな」

「ただ、それにはひとつ問題がありまして」

「なんだ、言ってみろ」

「魔法のランプがいるんです。まあ、魔人の住居というべきものですか、そのランプがなくては」

「ただのランプじゃダメなんだな」

「もちろんっす。魔法のランプでなきゃあ」

「ということはだな、魔法のランプに入れば、だれでも魔人になれるってことか?」

「そういうことでして。なにをいうこのワタシも、魔法のランプに入る前はフツーの学生でしたから」

 オレは納得した。

 コイツは魔人になって間もないのだ。学生っぽいしゃべり方にしても、それを物語っている。

「オマエ、いつ魔人になったんだ?」

「一年ぐらい前っす。あなた様と同様、ランプを拾ってからでして」

「で、洗って、こすって……」

「そのとおりっす。でもね、なんやかんやと大変なんです。魔人やるのって」

「それでも、なんでもできるんだろう。けっこうなことじゃないか」

「とんでもないっす。魔人といっても、ランプから呼び出されてなんぼですからね」

「たしかにな」

 そのとおりであろう。

 呼び出されない限りランプの中である。やりたいことがあってもなにひとつできないのだ。

「それにですね。ご主人様になる人はランプを拾ってくれた方で、こちらでは選べないんです。ですからご主人様しだいってことに」

「で、オレに拾われたってことか?」

「まあ、今回はそうなんですが。いえ、これまでにも何人かのご主人様に拾われたっす。でも、そのたびに逃げ出して」

「どうして?」

「こき使われてばっかしで、自由な時間なんてこれっぽっちもないんすよ。それでですね、もっといいご主人様にめぐり会えないものか、そう思っていつもあちこちを転々と……」

 ウンザリという顔をして、魔人がため息をつく。

「悪かったな、さっきは」

 このときこそ本当にすまないと思った。

 オレが魔人にしたことは、それまでの主人とまるで同じ。こき使うことしか考えなかったのだ。

「いいっすよ、あやまらなくても。みんな、やることは同じっす」

「いや、それでもな」

「ワタシ、なぜか運が悪くて、それだけっす。それで拾われるたびに逃げ出してたんです」

「じゃあ、オレからも逃げ出すのか?」

「わからないっす。まだ出会ったばっかしなんで。それにですね、次のご主人様にめぐり会うのもけっこう大変でして」

――次の主人か……。

 そうなのだ。

 魔人は主人に出会わない限りランプの中である。ずっと、ひとりぼっちなのだ。

――そうだ!

 オレは名案を思いついた。

 オレがランプに入って魔人となり、この魔人がランプを出て魔人をやめるのだ。そうすりゃ、魔法のランプは今あるひとつですむ。

 とはいえ魔人が承諾してのことだ。

 それとなく聞いてみた。

「奴隷のような魔人、やめたいと思わんか?」

「思うっすよ、つくづく……」

 魔人が力なく首を振って続ける。

「実はワタシも、前の魔人と入れかわってもらったんです。魔人がすごくいいものに思えちゃって。でもやっぱ、主人の方がよかったな。魔人になって、いいことひとつもなかったから」

「今も魔人のままってことは、かわってくれる主人がいなかったんだな?」

「いないっすよ。だって使われるより、好きなように使う方が楽でしょ。それに魔人になるってことは、元の自分が消えてしまうんで」

「覚悟がいるってことか」

「まあ、そうっすね。二度と元にもどれない、そういうことだって考えられますので」

「オマエ、もとにもどりたいんだろう」

「もちろんっす」

「じゃあ、オレと入れかわるってのはどうだ?」

「えっ、いいんですか?」

「ああ、オレがランプに入る」

「それでは、あなた様は奴隷に……」

「心配するな、なりたいからなるんだからな」

 奴隷になろうと思ったのは、小森恵子の存在があったからだ。主人には彼女になってもらう。

 恵子は会社で三年後輩。

 職場ではてきぱきと仕事をこなし、ほかの女子社員がイヤがるお茶くみや掃除なども率先してやる。そのうえ気だてがよく美人ときている。

 彼女はまさに理想の女性であった。

 その夜。

 魔人はオレを魔人に変え、自分は以前の学生にもどった。

 魔人の入れかわりである。

「これ、まちがいなく、その人の部屋の前に置いときますので」

 学生はオレの入ったランプをかかえ、小森恵子の住むマンションに向かった。

 こうして……。

 学生とは彼女の部屋の前で別れた。


 翌日の夕方。

 オレは下駄箱の上で、会社から帰る恵子を待っていた。もちろんランプの中である。

 今朝のことだが……。

 会社へと玄関を出た恵子は、ドアの前でランプを拾った。少しばかり首をかしげたが、時間がないと思ったのか、とりあえずランプを下駄箱の上に置いてマンションを出た。

 ここまでは計画どおり、あとは彼女がランプをこするのを待つだけである。

 ランプは少しだけ汚してあった。

 あら、汚れてるわ……なんて言いながら彼女がランプをふけば、オレ様の登場となる手はずである。

 バラ色の未来を想像しながらも、胸の内は不安ではち切れんばかりだった。拾ったランプをこするも捨てるも、すべて彼女しだいなのだ。

――神様、お願いします。

 魔人が神頼み……かなり奇妙だとは思うが、とにかくこの際しょうがない。

 ドアの開く音がした。

 恵子が会社から帰ってきたようだ。

 彼女はすぐに、オレの入ったランプを持って洗面所に入った。それからオレと同じように水で洗い、タオルを手にした。

――もうじきだ。

 オレは飛び出すタイミングを見はからいながら、そのときを今かと今かと待っていると、横腹あたりにくすぐられる感覚が走った。彼女がタオルでランプをふいたのだろう。

 それは一瞬だった。

 気がついたら、オレは魔人に姿を変えて彼女の前にいた。

 登場の予告音にと、ジャジャ、ジャーンを用意していたのだが、あまりに一瞬のことで残念なことに間に合わなかった。

「きゃあー」

 恵子がしりもちをつく。

――こんな出方なのか。

 オレの方もかなりとまどった。

 魔人としての登場にしくじり、彼女をおどろかせてしまったが、とりあえず願望は叶ったわけだ。

「あ、あなた、もしかして魔人?」

 恵子がおずおずと問うてくる。

「正解!」

「でも、なんで魔人が?」

「あなた様に呼び出されたのですよ」

 前任者同様に、それそれと、オレはきれいになったランプとタオルを指さしてみせた。

「……」

 恵子が考えるしぐさをする。

 もし魔法のランプの物語を思い出しているのであれば、オレが奴隷であることに気がつくはずだ。

「びっくりするじゃない。現れる前に煙ぐらい出したらどうなの?」

 恵子が立ち上がり、オレのときと同じようなセリフを口にした。

「すみません。時代によって登場方法が変るものですから、現在は煙なしってことで」

 前任者の言葉をそのまま借りて答える。

「あら、そうだったの」

「で、ご用件は?」

 オレは下心が顔に出ないよう、あらたまった声でたずねた。

「用件って……。あっ、そっか! ランプから魔人が現れるのって、たしか主人の願いを叶えるためよね」

「はい、そのとおり。なんなりと命令を」

「じゃあ、すぐに部屋の掃除をしてくれない? 最近メンドーで、ずっとやってなかったの」

 恵子はさっそく命令してきた。

――掃除だって?

 会社の恵子はすすんで掃除をしていた。まさか家ではやってないなんて、まったくもって意外である。

 とまどっているオレを見て、

「あなた、なにクズクズしてんのよ。早いとこ始めなさいよ」

 恵子が口をとがらせて言う。

 ちがう、これは会社の恵子ではない。

 オレは返事に窮し、前任者のセリフをそっくり盗んで使った。

「ですがワタシ、掃除というものが子供のころからどうも苦手でして。なんかこう……ほら、ちっともおもしろくないじゃないですか。しかも非建設的で……」

「なにつべこべ言ってんの。アタシはさっき、アナタの家を洗ってあげたのよ」

 恵子から尻をピシャッとたたかれた。

「はい、そうでしたね。やります、やります」

 肩をもめ……とか、腰をさすれ……とか、もっと色っぽいことを期待してたのにと、あらん限りのグチをたれながら、えっちらおっちらと掃除をする。

――この女、ホントに恵子かよ?

 バラ色の未来が、にわかにくすんでいくように思われた。

 小一時間かかり、やっと部屋の掃除が終わった。


 ねぎらいの、やさしい言葉のひとつも返ってくると思いきや、さっそく恵子から次の命令をちょうだいした。

「おなか、ペコペコなの。早いとこ、晩ごはんを作ってちょうだいね」

「はい、さっそく」

 オレは素直に従いキッチンに行った。彼女といっしょに晩飯が食べられるのだ。

 さっそく料理にとりかかる。

「アタシ、ダイエットしてるの。ちゃんとカロリー考えて作ってね」

 背後から、つっけんどんな声が飛んできた。

――あの恵子が、まさかこんな女だったとは。女はこわいな。

 女を見る目がなかった。

 不覚にも恵子にホレたことを、オレは大いに悔やんだ。

 こうなりゃ、ヤケ酒だ。

 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、グーと一気に飲みほした。

「ねえ、アナタ。いつ飲んでいいって言った?」

 背後から、ふたたび恵子の声がする。

 どうも盗み飲みを見られていたようだ。

 ここはヘラヘラと笑ってごまかす。

「キンキンに冷えたビールって、やっぱりうまいですよね」

「ねえ、あたしにもビールちょうだい」

「はい、ただいま」

 冷えた缶ビールを一本、恵子に渡した。

 後悔の気持ちとはウラハラに、なぜかオレの言動は彼女にこびていた。おそらく魔人としての宿命なのだろう。

「晩ごはん、できてるの?」

「おまかせください」

 あいそ笑いを浮かべ、ピースサインを作ってみせた。

「とっとと始めなさいよ!」

 恵子からどなられた。

「はい」

 オレは小さくベロを出してから、すぐさま料理にとりかかった。

 恵子は缶ビールを片手に、テレビを観ながら笑っている。気楽なもんだ。

――やってられんな。

 ため息まじりに鼻歌を歌った。かなり古い曲で「津軽海峡冬景色」である。

 それでもとにかく……。

 オレは恵子と食べるのを楽しみに料理を続けた。


「食べられますよー」

 声をかけると、恵子がキッチンにやってきた。

「カレーなのね、おいしいのかしら?」

「サラダも作りましたので」

 皿いっぱいに盛った野菜を前にして、オレは自慢げな顔をしてみせた。

「たいしたもんだわね。でも冷蔵庫に、こんなのあったかしら?」

 冷蔵庫にない食材、恵子にとってはありえない野菜が皿に盛られているらしい。

 恵子がセロリを指さした。

「これは?」

「それは新聞紙から」

「新聞で?」

「はい。セロリは体にいいですからね」

 オレは魔人の能力を発揮したというわけだ。

「食べられるの?」

「イヤなら、食べなくてもいいですよ。ワタシが食べますので」

「なんですって! あなたも食べるの?」

「もちろんです。一人で食べるより、食事は二人でする方がうまいんですよ」

「イヤよ。あなたの顔を見てると、ごはんがまずくなるわ」

 恵子がとんでもないという顔をする。

――展開がちがうじゃないか。二人して、同じ時間を過ごせると思っていたのに……。

 オレは大いにショックだった。

 あきらめきれず、めめしくくいさがってみる。

「ねえ、いっしょに食べましょうよ」

「アナタ、主人の命令に従えないっていうの? すぐにランプに入ってちょうだい」

 恵子がそう言ったとたん、

――えっ?

 オレはランプの中にいることを知った。

――ほんとに奴隷だな。

 わかっていたことだが実際に身をもって魔人を体験してみると、それはこのうえなく悲しく、このうえなくわびしいものだった。


 食後。

 ふたたび恵子に呼び出された。

「いくつか頼みがあるの。ねえ、叶えてくれる?」

「もちろんですよ」

 オレはとっさに答えていた。

 魔人はあくまで奴隷の身。主人の命令にはどこまでも忠実であるらしい。

「なんでもいいの?」

「はい。でも、お金はよくないですよ。あれは身をもちくずしますのでね」

 顔の前でヒラヒラと手を振ってみせた。

 これも前任者の受け売りだ。

「お金じゃないの」

「では男? いや、あれこそいけません。ワタシの力に頼ろうなんて。それにあなた様なら、いくらでも男は言い寄ってくるでしょうに」

「そんな男なんてサイアク。とくに会社の先輩たちったら、スケベエ丸出しでね。ホント、イヤになっちゃうの。もうサイテイだわ」

 恵子がウンザリという顔をする。

――スケベエ丸出し、サイテイ……。

 その先輩の中の一人が、まさにオレということなのだろう。

 オレは気を取り直して言った。

「たいていの女は、まず金と男をほしがるもんなんですがねえ。金でも男でもなきゃあ、力ってことでしょうか?」

 ワンパターンのセリフがポンポンと勝手に口から飛び出す。魔人のセリフには一定の規則性があり、どうもアドリブがきかないようだ。

「そんなたいそうなものじゃなくてね、もっとシンプルなことよ」

「具体的にはどのような?」

「毎日ね、料理、掃除、洗濯、それにお風呂とトイレをきれいにして。あとはお昼のお弁当作りと週に二回のゴミ出し。たったそれだけなのよ」

 それだけズケズケ並べおいて……たったそれだけとはないだろう。

「会社勤め、ずいぶん疲れるでしょう。肩もみ、腰もみなんてのもできますが?」

 せいいっぱいのアドリブのつもりが、ついスケベエ心が出てしまった。ここらへんはまだ、以前のオレの本性が残っているのだろう。

「ううん、いいわ。あたし、ぜんぜん肩がこらないたちなの」

 残念なことに軽くいなされてしまった。

「ねえ、やってくれる?」

 恵子が猫なで声を出す。

 魔人の奴隷としての宿命ゆえか、恵子のお色気のせいなのか……。

「もちろんです」

 オレは素直に返事をしていた。

 その晩。

 ランプの中で涙にくれた。

 あこがれの小森恵子と、同じ屋根の下で暮らせることになったというのに……。


 ひと月後。

 オレは恵子の目を盗み、ランプをかかえてマンションを飛び出した。

 毎日が奴隷の日々。

 そのうえ仕事の合間はランプの中。

 つくづく魔人の生活がイヤになっていたのだ。

 オレは夜の町をさまよった。

 新たな主人を探し、もとのオレにもどりたいと願いながら……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 長めの作品でしたが、面白かったです! 特に、やりとりが繰り返されるところが秀逸。 魔神の嘆きが落ちの伏線になっていたところもよかったです。 文章が変わらず滑らかで、安心して読み進めることが…
2018/02/15 05:35 退会済み
管理
[一言] 読了したっすよ!←ちゃらい 普通に面白かったっす。ただオチですね。こうすると面白くなるのでは? オレは恵子を持ち上げた。「ひいいいい怖いいいい」床に叩きつけた。「痛いいいい骨がああああ」 …
2016/09/27 08:42 退会済み
管理
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