捩れ夢小瓶
グロテスクで、かつ性描写に近いシーンを含みます。
苦手な方は回避されることをお奨めします。
す、と遠くまで澄み切った秋晴れの空。冬を感じさせる冷え冷えとした朝の空気。
行き交う人も車も少なく、どこか寝ぼけたような雰囲気。休日の朝特有の気配。
そこに、突如としてぽん、ぽんと小気味良く鳴る昼用花火の音。騒がしい活気を持つ、小さなイベントに期待するざわめき。
いつもの休日と違う些細な違い。だけど、慣れ倦んだ中では、興味や好奇心をかき立てるのに十分だ。
今日は、町の公園で、フリマが開かれているのだ。
その会場の片隅。出自も定かでないアジア系の民芸品の数々を売っている綺麗な銀髪の女性。
の、隣で出店しているお爺さん。並べてあるのはお皿やナイフ、フォークなどの食器や、ティーセット、それに細々したガラス細工。どれもこれも海外からの輸入物だ。
その前で一心不乱に品物を選ぶ少年。
やがて、その少年が目立たぬ小瓶を手に取る。
大きさは少年の手には少し大きいくらい。だが、これを売る老人の手であれば隠れてしまうだろう、そんな程度に小さい。
蓋は鉄製でがっちりと締まり、密閉生の高そうな少し古めかしさ漂う作りだ。
少年はくるくるとためつすがめつ。
老人は笑みを浮かべたまま疎ましげ。買うならサッサとして欲しいし、買わないならあんまりべたべた触らないで欲しい。だからといって、それを言っては他の客も逃げたりしそうだし。ただでさえ場所が良くないのに。
老人が悩ましげにしている間にも客は来る。場所こそ悪いが、老人の出品物は良い品だ。なので分かる人は足を止めて、買い求めていく。
そこそこの繁盛。老人が気に懸かるのは小瓶を持ったまま動かない少年くらい。
「その小瓶が、気に入ったのかね?」
人が切れたところで、老人が少年に訊ねる。うんざりした空気はおくびにも出さない。これも年の功だろう。
「んー。気に入ったのとはちょっと違う」
「おや、じゃ、何か気になるとこでもあるのかな」
「そー言うのともちょっと違う感じがするんだよ」
小瓶をあれこれいじくり回しながら少年は考え込み、瓶の蓋を開けて中をのぞき込みました。
「あ、そうだ。気に懸かるだ。気に懸かる。気に懸かってしょうがない」
そのところでようやっと思い当たったように言いました。
「何がそんなに気に懸かるんだ?」
「分かんない。仕方ないから買ってくよ」
「なら、三百円にまけとこうか。本当は五百円なんだがね」
「いいのかい」
「気に懸かるんだろ」
少年は素直に肯き、代金を支払ってその小瓶を買いました。
隣の銀髪のお姉さんが、その後ろ姿をなんだか気むずかしげに見送っていました。
フリーマーケットの会場を一通り巡り、めぼしい物をあらかた物色し終えた少年は、会場から少し外れたベンチで、例の瓶をじっくりと眺めていた。
何度見てもただの瓶だ。それなのにどうしてあんなに気に懸かったのだろう。
しばらくそうやって小瓶を玩び、ま、いいかとしまう。
それにしてもよくまあ、こんなに集まるもんだ。
昼時に一度人が減ったものの、それでも結構な人数が会場を歩き回っている。
皆楽しげに冷やかして回ったりしている。
おばさんが多いかと思ったが、そんなことはなく、意外にも若い人もそれなりにいる。
少なからずいる小さな子供なんかは退屈そうだったり、楽しげだったり、走り回っていたり。
女の子とか、おばさんとか、お姉さんとかは、服なんかに群がっていたりする。
が、そろそろ品物もはけてくる頃なのか、広場には幾つか空席もあったりするも、瓶を買った老人の店はまだそれなりに残っていて、売り切れなさそうだった。
ただ、あの品揃えでは仕方ないだろう。少年は思った。
立ち上がり、荷物を持って公園の出口へ、少年は向かう。
ずっとここにいる理由もない。めぼしい物はだいたい買った。
向こうの古本屋にでも寄って帰ろう。
そう決めると、少年はさっさと立ち去った。
家に帰り、自分の部屋にはいると、少年は小瓶を取り出した。
これをどう使おう?
しばらく考え、小物入れに使うことにした。目についたBB弾や、なんだかよく解らない細々した物を何も考えず放り込んでいく。
その日の夜。
少年は夢を見た。
何かに押し潰されそうになる夢だ。上から、何か大きな物がたくさん降り注いでくるのだ。降ってくる物は多彩な種類があり、細長かったり、四角い物、変な形をした物、プラスチックや鉄、それによく解らない材質の物と一定しない。
少年はその間をすり抜けるように必死に逃げ回る。押し潰されたら死んでしまう。
しかし、白い硬質の球が彼の上に降ってきたとき、彼はもうダメだと思った。逃げ場がない。あることにはあるが、自分では間に合わない。
それでも彼は死にものぐるいで走る。
辺りが影で染まり、積んだ、そう少年が思ったとき。
ぐい、と突然誰かに下から手を引かれ、彼はどこかに落ちた。
不思議に思う間もあらばこそ。どしんと言う音がして。
完全に真っ暗になる。
……助かった? 知らぬ間に縮こまっていた身を、少年は恐る恐る伸ばしていく。
「きゃ。やだ。急に動かないで」
「え?」
そうすると、柔らかく温かな何かに包まれているのに気づき。
同時に上がった可愛らしい声。
「いつっ」
手に走る痛み。
視界が赤く暗くまぶしい色に染まる。
「……朝?」
目が覚めた。
おー、とうめきながら少年は手を顔に。
つ、と鋭い痛みが指先に走る。
痛みの走った指先を見る。いつの間に傷つけたのか、小さな傷が出来ていた。まだ新しいその傷口からは、血が出ている。
「え?」
少年の指先に付いた傷。それはとても小さな傷だ。こうしている間にも、もうかさぶたが出来ている。
じゃあ、いつ出来たんだ、この傷。まるで今さっき出来たばかりみたいだ。
布団の中に何かあるのかと思い、少年はめくってみるが、当然何もない。
血の痕すらないのだ。傷つけるような何かがあるのなら、少なくともそこには血の痕くらい残ってもいいはず。なのにそれすらない。
少年はそのことを不思議に思ったが、すぐに、そんなこともあるだろうと忘れてしまった。
いつも通りに朝を過ごし、普段と同じ時間に少年は登校する。
冷え込んできた晩秋の空気が、まだ眠気のとれない頭を刺激し、目を覚まさせる。
少し靄のかかった路地。
出勤するには遅く、登校には早い中途半端な時間だからだろうか。
少年以外の人影は少ない。
少年と同じ高校の女の子が、待ち合わせをしているのだろう、少し先の角にいるのが見えるくらいだ。
少し冷たい秋の風がふく。
少しイヤな気がした。
気のせい、と信じたい。
だけどそれよりもずっと、それが現実と言われた方が信じられる。
小さく少年が微笑む。
それは恐怖を楽しみにすり替えた笑みだった。
彼の通う高校は特にこれと言った特色のない普通の公立高校だ。
運動部が強い、とか、文化系に凄いのがいる、とかそんなことはないし、進学校、というわけでもない。そんなありふれた学校だ。
少年は下駄箱で上履きに履き替え、教室に向かう。彼の教室は3階だ。だからことある事に階段を毎日上り下りするのだが、少年には面倒で仕方ない。
教室に入る。
だいたい登校してきているが、彼の友人達は誰もいない。これはいつものことだ。むしろいたらいたで何かあったのではないかと思ってしまう。
「おはよー」
「おはよ」
隣の席の女の子に挨拶を返し席に着く。
「なんかだるそーじゃん。どうしたん」
「夢見が悪かったの」
「うっわ。どんなの見たん?」
「死にかける夢。誰かに助けられたけど」
「マジで?」
「マジ」
「へー」
そこでまた一人登校してくる。彼女の友達だ。それを見るや、彼女はすぐにそっちに行ってしまう。
少年はまた一人に戻る。
「あの、いいかな?」
「ん、あれ、なんか用?」
机に突っ伏した少年に声をかけたのは、クラスでも目立たない少女だった。そこそこ可愛い子ではあるものの、一人でいることが多く、誰かと話しているところやなんかはあまり見ない。
そんな彼女が自分に何のようなのだろう? 少年が疑問に思った。何か、彼女にしたかな?
おどおどと、彼女は恥ずかしそうになんとか話を切り出そうとする。
「あのね……」
「うん、だから何?」
「えと、そのね」
やがて、意を決したように息を吸い込み。
「ほ、放課後。時間があったら、校舎裏に来て欲しいの……」
消え入りそうな声で。
「え」
「……恥ずかしいから、何度も言わせないで」
彼女はうつむいて小走りに離れていった。
放課後。
少女の誘われた通り、校舎裏に期待に胸弾ませて、少年は訪れた。
そこではすでに少女が待っていた。
「えと、ごめん待った?」
「ううん、そんなでも、ないよ」
か細い、繊細な声。可愛らしく、少女の儚い雰囲気によく合っていた。
それとは、別に。少年はその声が気に懸かった。何故だかどこかで聞いたことがある気がしたのだ。
だが、少年はすぐ気のせいと打ち消した。
「それで、用件って、何かな?」
「えと、こんな事言うのは少し恥ずかしいんですけど……」
少女は恥ずかしげにうつむき、上目遣いに少年を見上げながら。
「その、私に、……ください」
そこでどさっ、という音。校舎の方からだ。
二人が音のした方を見ると、校舎の影から、クラスメイトが束になって倒れていた。
「これ、なんてお約束?」
「いやあ、ははははは」
「お邪魔でしたかなぁー?」
「き、気にせずどうぞー」
彼らは大慌てで立ち上がり、取り繕うように言い訳してまた校舎の影に。
「ああ、そ、それじゃ。って、出来るかぁ!」
思わずノリツッコミしてしまう少年。クラスメイト達はその声に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「たく」
少年はとくに追うこともせず、憮然として彼らを見送った。
告白を邪魔された少女はとても恥ずかしそうに縮こまっている。
追い払って一息つき。
「えーと、何の話、だっけ?」
「……は、はい」
もう一度少女は深呼吸。
そして意を決して顔を上げたところで。
「お前ら。こんな所で何してる?」
今度は見回りの教師が邪魔をした。
「もう遅いんだから、帰れ帰れ」
面倒臭そうにしっし、と手を振って追い払おうとしている。
これでは告白などという雰囲気ではない。
少女は慌てて御辞儀し、逃げるように帰ってしまった。
告白を邪魔され、教師に追い払われたその帰り道。
少年の胸はちょっとだけ弾んでいた。
女の子にあまりもてた経験のない彼にとって、今日は滅多にない良い日になったからだ。
が、少し不安でもある。
たかが夢だが、気になるのだ。
たすかりはしたが、自分が死にかける夢。
ずっと、あの少女のことなどがあったせいで忘れていたが。
無視できなくなってしまった気が少年はしてならなかった。
あれはツキが回ってきた代償を示しているのでは、と寝言のような戯言を。
その日もいやな夢を見た。
高い建造物から落ちる夢だ。
間一髪のところで縁に手をかける。
しかし這い上がれない。腕が疲れ、落ちそうになる。もう駄目だ。そこに少女が現れ、その手をさしのべ。
「手を取って」
迷わずに少年がその手を取ると、彼女は引っ張り上げてくれた。
助けられお礼を言う暇もなく。
少年は目が覚める。
瓶の中。
少年は気付かない。
暗い陰が眠ること。
少女の陰が踊ること。
夢見がいくら悪かろうと日常は変わることなく、その移り変わりにひっそり歪みを隠す。
少年の日常も当然例外はなく。
女子を初めとするクラスメイト達の追求をかわすため、人気のない所に来ていた。
はて、どうして恋愛話が好きなのかねぇ、などと彼は嬉しさを隠して空を見上げていた。
優しく見守るかのように空は綺麗で、少年はなんだかおかしくなった。
しかし、幸福とはそう長く続かないものだ。
くしくも、すぐに彼は思い知る。
とん
と、誰かに押され、彼の体は窓の外へ。
背中かろうじて窓の縁をつかむものの、片手だけ。
中に誰か居れば、と思ったが、ここは人の通りも少ない。
押してダメなら引いてみろ、と思い、下を見てみるが、見えるのは遠いコンクリートだけ。
すっと、少しだけ、少年の手が滑る。
「っひ」
汗のためだろうか、それとも力が尽きてきたのか? 支える手が、少しずつずり落ちていく。どうにか体を引っ張り上げようとするが、何かとっかかりがあるわけではない。
そもそも、片手では力が入れづらい。
もうダメだ。少年が諦めかけたその時。
「だ、大丈夫!?」
ぐい、と手を掴まれた。見上げると、告白してくれた少女が彼の手を掴んでくれていた。それに見た目より力があるらしく、ぐ、と建物の中まで引っ張り上げてくれた。
(あれ……。これ?)
デジャヴだろうか。少年には、どこか覚えがあるシチュエーションだった。
(いいや、ともかくお礼を……)
そう思って助けてくれた少女に礼を言おうとして。
「助けてく……れ……」
ばたりと、彼は倒れてしまった。
少年は夢を見る。
また、死にかける夢だった。
場所は同じ。そこに細かい塵が嵐のように降る。
砂嵐のようだ。だが、砂嵐と違い、砂粒の叩きつけるちまちました痛みはない。
だから少年は気を抜いた。この程度のこと、よくあること。汚れるだけだ、心配ない。
そう思って、ぶらぶらと歩き回る。塵に阻まれて見づらいが、周囲は透明なガラスらしき物で覆われているらしい。空は、なにかで覆われている。あれは、鉄だろうか?
きらり、と何かが輝き。
それは少年の腕をかすめ。
ざっくりと、その腕を切り裂いていた。
「え?」
遅れてくる痛み。彼は思わず傷口を抑える。その下から、血が後から後から流れ出る。
降り注ぐ塵。その中に少し大きめのガラス片が混じっている。
少年は慌ててガラス片をやり過ごせる場所を探した。これは鎗が降り注いでいるのとおなじようなものだ。さっきは偶然助かったが、次も助かるとは限らないのだ。
夢であることにも気づかず、少年はその狭い中をはいずり回る。
その間もガラス片は降り注ぎ続ける。
腕から伝わる痛みもだんだんと大きくなる。流れ出た血が彼の気力、体力を奪っていく。
しかし、安全そうな場所は見つからない。
疲れ果てた彼は、ばたりと倒れる。
倒れ込んだ少年目がけ、ガラス片が降ってくる。
ああ、もうダメだ。そう彼が思ったとき。下から引きずられた。
その一瞬後、それまで彼が倒れていた所に墓標のようにガラス片が突き立った。
誰かが下の空間に引っ張ってくれたおかげで、間一髪の所でガラス片をかわす事ができた。
お礼を言おうと顔を上げる。
そこにいたのは少女だった。少年には見覚えがあった。前も助けてくれた少女だ。
冷めた、どこか妖艶な雰囲気。
「あ、ありがとう。前も助けてくれたよね」
ああ、言えた。少年は少し安堵した。前の時は言う暇もなかった。
「どういたしまして」
少女は笑う。花がほころぶようなその笑顔に、少年はある少女を思い出す。告白してくれたあの少女。
あれ、と彼は気づく。どうして、分からなかったのだろう。この娘は、あの娘とそっくりじゃないか。表情のせいで分かりづらかったけど、笑った顔を見たら気がついた。
そこで、少年は目が覚めた。
腕に痛みが走る。
ぱっくりと。鋭利な刃物で切り裂いたかのような傷が出来ていた。
いつの間に出来ていたのか。いやそれよりも。
(なんで夢と同じ所に傷が出来てるんだよ!?)
無かったはずだ。この傷は。
少年は恐る恐る傷口に触れた。
「〜〜っ」
声にならない悲鳴。先ほどからの鈍い痛みより、はるかに強い痛みが走る。本物の傷だ。
なら自分はいったい、いつ怪我をしたのだろう。
窓から転落したあの時か。それとも、引っ張り上げられたときか。
どちらもあり得そうな気がした。
から、と引かれていたカーテンが開き、助けてくれた少女が顔を出す。
告白してくれたあの娘だった。少年の顔を見ると、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
「だ、大丈夫?」
「は、はい。無事な姿を見たら、ちょっと気がぬけて……」
彼女は照れ隠しのように笑う。花がほころぶようで、可愛らしい笑顔に、少年は見とれ、違和感を覚える。
何故だろう。自分はこの笑顔をどこかで見たことがある。
少し考えてから、気がついた。
ああ、そうだ。夢のあの少女とうり二つなんだ。
「でも、よかった。怪我とかも無くて」
「――え?」
少年は耳を疑った。怪我が、無かった?
「ちょ、ちょっと待って。怪我がない?」
「はい。今いませんけど、ここに来たとき先生がいてみてもらったんです」
「じゃ、じゃあ、この傷はなんなんだよ!」
少年は怪我した腕を少女に示して見せた。
「ど、どうしたんですかそれ!?」
「引っ張り上げたときとかに付いた傷じゃないのか?」
少年の苛立った声に、少女は怯えるように身をすくめた。慌てたのは少年だ。
「大きな声出してごめん。痛くてちょっと気が立ってた」
少女は気にしてないという代わりに首を振る。
「じゃあ、すぐ治療しますね」
少女はパタパタと消毒液を始めとした道具一式を取ってきて、それをベッドの側にある棚の上に置く。
「きっとしみると思いますけど、怒らないでくださいね?」
少年は苦笑いしながら、怪我した腕を差し出し、歯を食いしばった。
少女はその腕を取り、傷口を見つめると、ぺろりと舐め上げた。
「ふわ!」
いきなりのことに変な声を上げてしまった少年に、少女は笑った。
「洗浄ですよ?」
そう言い、傷口全体をねっとりと彼女の舌の感触に、少年の背筋にむずがゆい感覚が走る。
「ちょ、ちょっと?」
傷全体を舐め上げた少女は、途惑う少年に構わず、消毒液に脱脂綿を浸し、ピンセットで傷口に塗りたくる。
「くぅ」
「我慢ですよ」
悪戯っぽく言う間にも、傷口の消毒を終えた彼女は、包帯を手際よく巻いていく。
手際だけでなく、その仕上がりも見事だ。厚すぎない、薄すぎない。
「はい、これで終わりです」
そう言うと、彼女は少年の腕を叩いた。それも包帯を巻いた傷口の上から。
「いっ」
叫びそうになるのを、少年は涙目になりながら飲み込んだ。
その日。少女と一緒に帰った。保健室で話したら、お互いの家が近いことが分かったのだ。
「あの、話したいことがあるんです」
ああ告白のことだな、と少年は思った。
「ああ、うん。どうかした?」
「えと、瓶を持ってませんか? これくらいの古い瓶なんですけど……」
そう言って示した大きさは少年の手より少し大きいくらいだった。
「探してるのかどうかは分からないけど、持ってるよ」
少しがっかりしながらも、少年は真面目に答えた。
「ほんとですか?」
「ああ、うん」
目を輝かせて喜ぶ少女に少年は途惑った。あの小瓶に何があるんだと言うんだ?
「あの、見せてもらっていいですか、それ。探している瓶かもしれないんです」
「え、別に良いけど」
少年がそう言うと、少女はほっとしたように笑った。
少年はすこし緊張していた。自分の部屋に女の子を招くなんていつ以来だろう?
こんな事ならもう少し片付けておくんだった、と慌てて片付けた部屋を見渡して彼は後悔した。
ちらり、と少女の様子を見る。
この部屋に入るなりすぐに瓶に目をつけ、迷うことなくそれを手に取った彼女。とても真剣な顔でなめ回すように眺め、時折、確認するように何事かをつぶやいている。
「どう?」
訊ねる少年に、少女は残念そうに首を振り、肩を落として見せた。
「違うようです……」
そう言うと少女は小瓶を机の上に戻した。
「探してる小瓶て、いったい何なの?」
「……えっと、なんて言ったらいいのか」
それだけ言うと少女は黙りこんでしまった。もしかして、話しづらいことなんだろうか? 少年はそう思うと、話題を変えることにした。
「あ、お茶冷めちゃったかな?」
「え、いいですよ。これで」
猫舌なんです、そう少女は照れたように笑った。
「そうなんだ。じゃあ、ジュースとかにしとけば良かったね」
「それじゃ、身体が冷えちゃいますよ」
「あ、そうか」
少年は恥ずかしいのを隠すように頭をかいた。
「それに、なんかもうすっかり暗くなっちゃいましたね」
「あ、本当だ……」
「やっぱりこの時期は早いですね。まだ6時くらいなのに」
少女が少し失望したみたいな顔をした。
「遅くなると迷惑でしょうし、もう帰りますね」
「迷惑だなんて。気にしないのに」
「ですけど、やっぱり、ね」
「そっか……。それじゃ、家まで送ってくよ」
「え、そんな。悪いです」
「気にすんなって。男の義務だ。こーいうのは」
少女はしばらく迷った様子を見せ、よろしく、と頭を下げた。
少女が送った後、少年は小瓶を眺めていた。
これを買った次の日からなんだかツキが回ってきている。
偶然なんだろうが、それでもこの小瓶に感謝したい気分に少年はなっていた。
これで夢見さえ良ければ、とも思ったが、些細なことだろう。
少し小瓶を掲げてみた。底の方に何かがたまっていた。
それは白い粉のようなものだった。なんだろう、ほこりだろうか。
そう思い、瓶の蓋を開けると、ふちのあたりが欠けていた。
よく見れば少し大きめのガラス片が小物の中に引っかかっている。
どうやら底にたまっているのはガラスのカケラが砕けた物らしい。
片付けておくか。
少年は慎重に中の物を取り出し、ガラス片を片付ける。
と、大きめの破片の一つ。それに赤黒い物が付着しているのに彼は気づいた。
(なんだ? なんか塗料みたいだけど……)
よく見ようと、顔に寄せると、鉄錆のような血特有の匂いがつんと鼻を突く。
(……ガラスのカケラ?)
頭によぎる夢。
思わず瓶に目をやる。
(まさか。)
何処の妄想だ。すぐに振り払う。
だが、一度でも湧き上がった疑念はそう簡単に消えはしない。
(一度、手放そう)
少年はすぐに残った中身を取り出すと、小瓶を近くのゴミ捨て場に捨てた。
その日、少年は夢を見なかった。
次の日、あの少女、少年に告白した少女は学校に出てこなかった。
それだけでなく、彼女が居たはずの席すらない。
いぶかしんだ少年がクラスメイト達に少女のことを訊ねてみると。
「誰だ? そいつ」
「やだ、変なこと言わないでよ。ずっといなかったわよ?」
「あまりにもてないからって、ついに脳内彼女か……。おーい、誰か付き合ってやってくれねー?」
「……俺に女装しろと?」
寝ぼけたことを言った友人はとりあえず無言で殴り倒しておいた。
どうして、誰も彼もが声をそろえていなかったというのだろう。
(そうだ。あの娘の家に行ってみよう)
少女の家は前に一度行っている。
少女の家は少年の家から歩いて数分の所にあるコンビニの近くにあった。
暗かったが、そのおかげでずいぶんと印象に残っている。周囲に家も少なく、おそらく迷うこともない。
そう楽観視していた。
だが。
(なんで、見つからないんだ?)
すぐに見つかると思っていた少女の家はなかなか見つからなかった。
いや、場所はすぐに分かった。しかし、そこはボロボロの廃屋があるだけで、とても誰かが住んでいるようには見えなかったのだ。
一時間。
二時間。
三時間……。
必死に彼は探すが、けして見つからない。
棒のようになった足で、彼は結局また廃屋に戻っていた。
「はは……。どうなってんだよ」
そこでへたり込み、少年は嘆きくようにつぶやいた。
「おかしいだろ! なんでないんだよ!」
コンクリートの道路を思いっきり殴りつける。手の皮が破けたことなど気にしなかった。
「実在を疑ってみたらどうだ少年」
「……!?」
驚いて振り返ると、鈍い銀髪の美女が廃屋の入り口にもたれかかって笑っていた。
「いや一般論ダガナー」
投げやりな彼女の右手のパイプから紫煙が上る。バカにされた気がした少年は憮然として、無視した。
「おい、少年」
少年は気づかないふりして立ち上がった。もう一度回ってみよう。それで今日は終わりにして、明日また探そう。
そう決め、歩き出そうとする。
「……オレの話を聞かねぇと後悔するぞ」
「しません」
やれやれ、と彼女が肩をすくめる気配。少年は気にせず歩く。
「小瓶だ。お前がフリマで気にしてたあの小瓶」
思わず振り向いた。
「なんで……」
「あの時隣にいたろ」
「そうじゃない。なんであんたまで小瓶を気にかけるんだ?」
にっ、と唇をつり上げるように彼女は笑った。
「お前の尋ね人も瓶を探してたんだろう?」
少年に警戒心が働く。この人は一体何処まで知っているのか。そしてなにより信用して良いのだろうか?
「瓶を探してオレんとこまで持ってきな。会わせてやるから」
彼女はぷかりとパイプを一吹かし。
「待ち合わせはこの廃屋。見つけ次第持ってきな。絶対に次の日とか横着すんなよ」
「どうして」
「理由は聞くな」
そう言うと、左手を懐に入れ、何か瓶を落とし、割った。もうもうと色とりどりの煙が湧き上がる。
その煙が晴れたとき、彼女はもう居なかった。
その後、少年は瓶も一緒に探しはじめた。
家はともかく、瓶の方はすぐに見つかる。そう思っていたが、なかなか見つからない。
持って行かれてしまったのか?
だが、回収日はまだ先のはずだし、誰かが持って行くにしても取るに足らないただの小瓶。
わざわざゴミにしかならないようなものを持って行くとは考えにくい。
だが、あり得ないと切り捨てるわけにはいかない。
少年はそう考えなおす。
そうとすれば、こんな時間に訊ね歩くのは非常識という物だ。
今日はここまでにして、明日は朝から探そう。そう決め、家に帰った。
自分の部屋に入り、鞄を適当に放り出す。そして、制服を着替えようとしたとき。
そこで、信じられない物を彼は見た。
乱雑に散らかった机の上。
あってはならない物がちょうど真ん中に置かれていたのだ。
「……なんで、ここに」
着替える手も止まって、呆然と彼はつぶやいた。
そこにあった物。
それは捨てたはずの小瓶だった。
朝には無かったはずなのに、どうして。
少年は怯えつつ、瓶に近寄った。
よく見てみれば、空っぽにしたはずの瓶の中に何かが入っている。
何だろう?
薄く曇ったガラスごしではよく解らない。
よく見ようと少年は小瓶を開けた。
すると、その何かは煙のように消えてしまった。
「な、何だったんだよ」
「夢よ……」
「えっ?」
少年は振り向こうとした。
しかし、激しい睡魔に襲われ、その場に倒れ深い眠りに陥った。
四度目の夢。
それとも、これが本当の現実なのだろうか?
少年が目を開けると、彼はガラスに囲まれた狭い部屋でベッドに寝かせられ、両手と両足をベルトでベッドの足に繋がれていた。
「何だよこれ!」
少年は暴れる。しかし、がっちりと拘束されているのか、思うように身動きできなかった。
「あ、起きたんだ」
首だけを起こし、声のした方に目を向けた。そこに少女がいた。好きだと言ってくれた少女。
「……どうして」
問いかける少年に彼女は答えず、彼の腹の下辺りに馬乗りになると、その手を少年に伸ばす。
高鳴る胸。凍り付く心臓。期待と不安がごちゃ混ぜになり、少年の頭を麻痺させていく。
彼女の左の手が顔が近づき。迷うことなくそれは少年の左の眼球にのびていく。
「欲しい物が、あったから」
お互いの唇が触れそうになるほど顔を近づけて、そう言うと、つぷ、と指が眼堝に沈ませていく。そして入れ替えるように眼球をえぐり出していく。
「こっちは、塞いでね?」
甘えたように言うと、少女は右の目を、優しく人差し指で塞いだ。
それから完全に外へ出された眼球をねっとりと舐めあげ、口を開くと、一息に口に含んだ。
少年の目には、彼女の咥内が焼きつけられ、痛みとともに視界が閉じた。彼女が口を閉じ、眼球と体とのつながりを断ったのだ。
痛みに目を見開いて、少年はもがく。気にせず少女は眼球を味わう。口からアーモンドくらいの大きさのものが吐き出された。水晶体だ。
少女は穴のあいた眼堝に再び口を近づけると、その中を愛撫するように舐めだした。
「ねぇ、気持ち、良い……?」
陶酔したようにつぶやく。また舐める。
少女の手が彼の胸を優しく撫で。ひんやりとした感触。いつの間にかその手に握られた脱し綿。
消毒だ、と気付く。
つ、と何かが肉に埋まり押し広げていく。
十分に広がると、ぞぶ、と胎に少女の腕が挿入され、暖かさを確かめるように静かにうごめいたかと思うと、心臓に触れる。
にぃ、と彼女の顔が歪んだ。
「〜〜〜っ!」
潰れぬよう、しかし強い力で、胎に埋まった彼自身を握り、引きずり出した。
ぶちぶちと血管がちぎられ、流れ出る温かな血が彼の胸を、腹を赤く染めていく。
「きもち、よかったぁ……?」
遠のく意識の中で少年が最期に見たのは、とろとろに溶けて絶頂に達した少女の、どこか壊れた笑顔だった。
蛇足
少年の変死は少しだけ話題になった。なにせ片眼と心臓がえぐられているような状況だったのだから。
しかも、手と足に拘束の痕。
しばらくはこの話題で持ちきりだろう。
鈍い銀髪の美女はそのニュースを聞き、舌打ちして自分の迂闊さを悔やんだ。
贄のところへ自力で戻る可能性くらい思いついてしかるべきだったのに。
「バカが。すぐに持ってくりゃ助かったってのに」
少年の葬儀が行われている時、彼女は彼の家に向かっていた。
女性が訪れたとき、家には誰もいなかった。
がらんとした雰囲気。
きぃ、きぃとなる門扉。
えいや、とその女性は乗り越え、玄関にかかった鍵をたやすくこじ開けた。
留守宅を狙った空き巣のようだが、彼女は目的があって忍び込んだのだ。
「さて、ど・こ・にあるかな、と」
つぶやきながら手に巻きつけていた銀十字のペンダントを外すと、彼女は鎖の端を摘んでつり下げ、ダウジングを始めた。
「あっちか」
ダウジングの結果、十字は少年の部屋に目的の物があると示した。迷うことなく彼女は向かう。
はたして、それはあった。
少年に持ってくるように言った小瓶。その中で、赤い液体がたぷんと揺れた。
「あったあった。これだ」
それはその筋の人間から呪いの小瓶と呼ばれる物だった。手にした男はほぼ例外なく死んでいる。しかし、女性が手にしたときは不思議と犠牲はない。その為か、淫魔の小瓶とも呼ばれていた。
それに彼女が触れようとすると、背中に突然気配が生まれた。
「あなた、誰? 人の家で」
彼女は相手にせず、少年の勉強机の上に無造作に置かれていた小瓶に、複雑な文様の書かれた符を貼り付けてから上着のポケットにしまうと、彼女は皮肉に笑った。
背後の気配はそれで消えた。
そして、彼女は自分が忍び込んだ痕跡を消し、去っていった。
とあるノベルゲームをやって思いついた作品です。
ホラーにしようと思ったのに、それほど怖くないと思います。
ラスト近くのあのシーンでどちらに入れるか随分迷いました。