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貧乏異能使いのアルバイト

作者: ミキ

魔法使いというものはフィクションである。


フィクションとはいうが、どういうことかというと、それは魔法使いという職業が存在しないからである。


魔法使いではなく、正確には異能使いと呼ぶ。


ちなみに僕はそんな異能使いの1人である。


異能使いの一族の末裔……、といえば聞こえはいいが、分家の貧乏異能使い家の長男というだけである。


魔法は本当のフィクション的存在である。


何でも術式によって思い通りの結果を導き出せるなんて馬鹿げた夢物語である。


僕たち異能使いは遺伝的改良を受け続けた一族であり、その血統は平安時代ごろまで遡ることができる……らしい。


安倍晴明と何らかの関わりがあるらしいが、それを覚えている、もしくは記録している者はいない。


異能使いが秘匿される存在だったこともあり、その記録や歴史は存在しないことになっている。今もいないもの扱いなので、税金の申告は自営業扱いだ。


しかし、僕たちはたしかに存在する。


ここに存在するのである。





クラスの中にはいろんな人がいる。


部活とかして、学業にも精を出していて、それでいて人当たりのよくて、容姿の優れた完璧超人なんかもいたりもする。


茶道部に所属していて、定期テストでは毎回5位以内で、学級代表やってて、街を歩いててファッション雑誌のカメラマンにストリートスナップ頼まれたりするくらいに服のセンスが良くて、色白黒髪の深窓の令嬢の美人で、ついでに金持ち。


それが佐々山高校2年1組、桂山美月だ。


「あなた、放課後暇?」


そんな完璧超人様が放課後、1人の男子生徒にこう聞く。


その男子生徒が僕だ。


茶道部のない日のいつものこと。


つまり日常の光景の1つだとしても、周りの生徒たちはその声をかけられた男子生徒をすげえ目で睨みつけるわけだ。


何クソくたばれリア充!ってなくらいに。


その声をかけられた男子生徒の容姿も問題なのだと思う。


僕の顔は良くない。


いや、それなりに手入れをして整えて一ヶ月前からの入念な準備とかして、100万円くらいかけて整形手術をしたら間違いなくイケメンになれると思う。


1000万円くらいかければ、福山雅治みたいなイケメンになれるんじゃないかな。いや、言いすぎかな。3000万円は必要かな。


……あとは身長があれば。


そりゃ僕だって自分のことはイケメンだと思っていたいし、リア充に憧れる気持ちもある。桂山さんみたいな女性と付き合いたいとも思う。


だが、この針のむしろの状況は勘弁願いたい。やれやれ、とか思ったりもしない。


仕方ないのだ。


彼女のような主人公のように生きることを運命の神様が決めた人間からすれば、僕の存在なんていうものは路傍の石だ。いや、石でもあればいいが。アリの糞くらいがいいところかもしれない。


とにかく、そんな石ころの僕は、桂山さんとは校内ではなるべく会話しないことにしている。


僕がどんな言葉を放とうとも、彼女の信奉者は激昂し、僕に恨みを向けてくる。


それは仕方ないことだ。


もし僕にとても好きな人がいたとする。その好きな人が、いつも放課後に自分より劣っている人を誘うのだ。


「一緒に帰りましょう?」とか「寄りたいところがあるのだけれど」とか「ちょっと付き合って」とか。


そりゃもうぶっ殺したくなると思う。


本当のことをいうならわからないのだけれど、みんなそういう反応をするので、たぶん僕に好きな人ができたらそういう感情を抱くのだろう。


ただでさえイラつくその劣った人間が、どんな言葉を返したとしても腹が立つのは必然とも言える。


「わかった」?「かしこまりました」?「了解」?


どの返事をしても、僕が恨まれるだけだ。


だから、こういうときは返事をしないのが一番だ。


会話しているという栄光に浸ることのできる人間ではないのだ。そもそも人間ではないのかもしれないが。


とにかく、桂山さんに「放課後暇?」と聞かれたら僕は黙って頷いて、さっと立ち上がって彼女の後をついていくのだ。


それはいつもの光景で、その背中に刺さるような悪意の目線を感じるのもいつものことだった。





「駅前に待たせてあるから」


桂山さんは僕の方を向いて、目をしっかりと見据えて言った。彼女の眼力は非常に強い。異能の副産物という可能性は否定できないが、それを引いても彼女の美貌という点は輝かしく残るだろう。


学校を出た僕と桂山さんは商店街を抜けて、駅前まで行く。


商店街のアーケードを進んでいると、通行人たちが妬ましそうな目線を向けてくるのをひしひしと感じる。うう、早くも帰りたい気持ちになってきた……。


僕はなるべく桂山さんと並ばないように、彼女の後ろをちょこちょことついていく。


しかしそこは完璧超人で校内一の美人の桂山さんだ。僕への気遣いもお手の物で、歩く速度を緩めて隣に下がってくる。


そうなると今度は僕が足を早めて、桂山さんの前に出る。


そして桂山さんが並ぼうとして、今度は僕が下がる。その繰り返し。アーケードを抜けるまでのループである。


彼女と並びたくないのはいくつか理由がある。


まず、周囲に敵を作りたくないから。


こんな美少女と仲良く並んで商店街を歩くなんて、いつすれ違いざまにナイフで刺殺されてもおかしくない。


次に、単純に僕の劣等感から。


こんな美少女が横にいると、僕が非常に惨めな気持ちになるのだ。 


彼女が彼女であるために努力を積み重ねていることは、想像に難くない。


でも、「努力ができる才能」ってあると思うんだ。根気強い性格と言い換えてもいいかもしれない。


桂山さんはそうかもしれないが、僕はそうではない。しんどいのは嫌だし、勉強は嫌いだし、面倒なのは大嫌いだ。


苦労は買ってでもしろとはいうけれど、そもそも僕は彼女みたいに買うお金がないのだ。そこそこ貧乏な家で、両親は共働きだ。さすがにテレビでよく見るような、水だけで生活するほどではないけれど。


桂山さんとの奇妙なカーチェイスならぬ、ウォーキングチェイスを争い、アーケードを抜けると、片側二車線の大きな道路に出た。


そこには桂山さんの家の高級外車が止まっていて、専門の運転手さんとともに待っていた。いや、外車かどうかもわからない。興味がないし、こんな高そうな黒塗りの車とは、こんなことでもない限り関わることもない。


運転手さんは桂山さんのためにドアを開け、桂山さんが我が物で乗って、僕が運転手さんにペコペコとお辞儀をして乗る。


我が物顔といったが、よく考えなくてもこの車は桂山さんの物なので、我が物顔は正しいわけだけど。


そうして車は走り出す。


車の後ろの席は向かい合わせになっている。さすが高級車。よくわからないけど、高級車っぽい雰囲気だ。金曜ロードショーでしか見たことない。


桂山さんが前を向いて、僕が後ろを向いて座る。


ちなみに、桂山さんが僕を直接誘うなんてことは週に一度くらいだ。


いつもならメールで僕を呼び出して、学校から離れたところで合流して、それから仕事に向かう。


僕らは2人でコンビを組んで仕事をしている。


いわゆる妖怪退治という仕事だ。


しかしどういうわけか、桂山さんはときどき直接僕に声をかける。


そんなとき、彼女は大抵不機嫌で、僕に対して愚痴を言うのである。


備え付けの冷蔵庫の扉を乱暴に開けて、霊山から汲んだ水の入ったペットボトルを2本取り出して、1本を僕に投げる。仕事前のお浄めである。


「サッカー部の四辻って人が、私のことをしつこく誘ってくるのよ。一々ベタベタと触ってくるし、鬱陶しいったらないわ」


「それは大変だね……」


こんなとき、僕は彼女の機嫌が良くなるように願いながら、愚痴の相手をする。


無視できたらいいのだけれど、彼女の機嫌を損ねて僕への仕事がなくなれば、路頭に迷うのは僕と家族だ。


なので僕は引きつった笑顔を浮かべながら、彼女の話を聞く。


「でも四辻くんといえば、容姿もいいし、成績も悪くないし、サッカー部で2年生なのにレギュラーだって聞くよ……?」


「……だから何?」


しまった。


地雷を踏んでしまった。


彼女は眉を吊り上げて、僕を睨み付ける。車内の温度が5度くらい一気に下がる。全身の毛穴が閉じて、鳥肌が立つ。


それで……、彼女の異能が発動する。


僕の全身の筋肉が強張って、指すらも動かせなくなる。


僕が動かせるのは首から上だけだ。


「ぃ、いや……、その……、悪くないんじゃ……ないかな……って」


何とか声を絞り出す。肺も腹筋も凍り付いているようにほとんど動かないので、言葉を発するのも息をするのも一苦労だ。


僕も異能使いなのである程度は抵抗できているけれど、本当の一般人なら呼吸すらできてないんじゃないだろうか。


その言葉を聞いて、さらに彼女はその綺麗な顔を歪めた。


ぱっちりした大きな目が怒りに歪む。整えられた眉が寄って、シミひとつ無い肌にシワを刻む。


呼吸ができない苦しみで、酸欠みたいに僕は金魚みたいに口をパクパクするしかできない。


視界が端の方から闇に包まれていく。光の中心にあるのは、怪しく光る桂山さんの2つの目だ。


「あ……、ご、めん……、なさい……」


僕がそう謝ると、桂山さんはある程度納得したのか、大きく息を吐いた。あるいは呆れたのかもしれない。


彼女が目を閉じるのと同時に、ふっと僕の身体を支配していた硬直が解ける。それで、僕は彼女の異能から解放された。


睨んだ相手の動きを止める異能。


それが彼女の異能だった。


蛇の血を引くとか、邪眼の使い手だとか、同業者からなら一目置かれているのが、彼女の一族である桂山一族であり、異能だ。


「わかればいいの」


ふは、と息ができる幸せを肺一杯に送り込んで、僕は胸に手を当てて長く息を吐いた。深呼吸によって、脳に血液が回る。


桂山さんは目を揉んでいる。


「というか、元々この人いいなと思っているのなら、こんな愚痴をわざわざあなたに言うわけないでしょう」


「そ、そうだね……。ごめん……」


僕が謝ると、彼女はふん、と鼻を鳴らして走る車から外を見た。


僕もつられて外を見る。


普通の、よくある幹線道路沿いの街並みが、後ろに流れていく。眼鏡屋、ファミレス、服屋、ラーメン屋、ガソリンスタンド……。様々な店が流れていく。


「あなた、仕事が終わったらいつものファミレスでいいかしら?どこか行きたいところは?」


外を見たまま、彼女が僕に聞く。僕の家がお金に困っていることを、彼女は知っている。


なので、仕事終わりには報酬とは別に晩ご飯をご馳走になるのだ。


「ううん、無いよ。今日は妹がご飯当番だし、父さんはまだ九州だし、買い物もない」


「そう」


そうして、僕らを乗せて車は走る。





仕事の現場に着いた。


今日の現場は、いつものように古い日本家屋だ。


こういう、何とも言えない定番って感じがあるのは、どうも妖怪たちがそういう性質だかららしい。


元々こういう日本家屋に適応した進化をしてきたから、ここの方が住み心地がいいのだろう。現代人の建築や文化の進化スピードについていけなかったのかもしれない。


それに、こういった廃墟のほうが僕らみたいなやつらに見つからず、人を襲うことができる。遊び半分で入ってくる馬鹿な奴らとか。


他にも暗いからとか、そういういろんな理由で、妖怪たちは廃墟に住んでいるらしい。僕は退治の仕事をするだけで、妖怪の専門家ではないのでよくわからないけど。


そしてどちらかというと日本家屋のほうが廃墟率は高い。古いしね。


だから朽ちた日本家屋に、よく妖怪はいる。


「いい庭ね」


「そうなの?」


見れば、草がぼうぼうに茂っていて、小さな池は緑の藻か何かで覆われている。


お世辞にも綺麗という庭ではない。


「僕には汚い庭にしか見えないけど……」


「こういう諸行無常を表現するような風景。侘び寂びを感じないかしら?」


「なるほど……」


そういう見方もあるわけか。


「そう言われれば趣があるように見えてくるものだね」


「ええ。……さあ、入りましょう」


雑談はここまで。そういうわけで、僕が先行して入る。それから桂山さんが続く。


ぎいぎいと軋む床板が気味の悪さを掻き立てる。


仕事には慣れているけれど、どうもこういう雰囲気は慣れることがない。


僕は仕事柄よく妖怪には接するけれど、ホラー映画なんかは見れない。


というか、どういう原理かわからない、不明のものに対しての恐怖心は、人間誰しもが持つものだと思う。


人を殺せるほどの、実体を持たない、幽霊。


簡単にいえば、大人だろうが子供だろうが、百戦錬磨の屈強な兵士だろうが、背の小さな未就学児だろうが、東京タワーから落ちたら命は助からない。


妖怪も姿形が独特で生態系に不明な点が多く、僕たち生物とはかけ離れた生き物だというだけで、鉄アレイで殴り続ければ大抵の妖怪は死ぬ。


たまに鉄の表皮を持ったり、異様な防御力を持つ妖怪がいたりするが、ロードローラーを叩き付ければ死ぬ。


物理的な手段が通用しない不定形の水みたいな妖怪もいるが、それもコンセントに繋いだドライヤーあたりを突っ込んでやれば死ぬ。


妖怪は幽霊よりわかりやすくていい。


桂山さんがホラー映画を見ようと言い出して、僕に無理矢理見せてきたときは、情けない話だがずっと彼女にしがみつくようにして震えていた。初めて見るDVDだったのに。


桂山さんはにやにやして僕のことをからかってきたが、人間苦手なことの1つや2つ、普通は持ち合わせているものだ。


誰もが桂山さんみたいに完璧超人なんかではないのだ。


とにかく、仕事だ。


僕は霊木の枝で作られた、装飾の多いペーパーナイフを取り出す。これが僕の武器だ。


僕の一族は先祖代々の霊場に生えた、霊木の枝から作られたこの木刀で戦う。


僕の家が貧乏なのは、先祖代々受け継いでいるその土地に関する費用のせいだ。


いくら異能使いとはいえ、法律には勝てない。相続税、固定資産税、その他諸々。


異能使いは稼げない職だ。僕の一族みたいな純粋な戦闘用異能使いは、食い扶持にあぶれてその異能を受け継ぐ修行もできずに消滅していくパターンが多い。


僕の一族が生き残ってこれたのは、ネズミみたいな繁殖力ただその1点だけだ。従兄弟だけで何人いるのか数えたくはない。


本家は華やかなもので、豪華な暮らしをしているらしいが、分家の僕には詳しく知る由もない。知りたくもない。


分家といえども、異能の血は本物で、下手に一般社会に出れば問題を起こす。だから、僕らの血は厳重に管理されている。破れば、一族全員から袋叩きだ。


そんなわけで、僕は異能使いとして生きるしかない。たとえ、それが40、50になれば体が追い付かなくなって、引退して食い扶持を失うとしても……だ。


僕は背後に桂山さんの気配を感じながら、暗がりに目を凝らす。


もぞりと動く気配。そこに、霊木剣を向ける。剣というかナイフだけど、分家だから仕方がない。本家は本当に木刀みたいな長さだったり、丸ごと霊木の槍とか弓矢とかを持ってるらしいけど、僕には台風で折れたときの枝から削り出したこれっきりだ。


ぎん、と桂山さんの目が光る。気のせいだろうけど、光るように見えた。


それで、暗がりの妖怪は身動きが取れなくなる。


そこに僕がぎいぎいと床を軋ませながら近づく。


暗がりいたのは、膝くらいまでの背丈で、手足がひょろりと細く、腹だけが丸く飛び出たような姿。頭は落ち武者のようにハゲ散らかして、一本の小さな角が伸びている。


餓鬼だ。


「子供」の下品な言い方ではなく、飢えた鬼という意味の餓鬼だ。


小さいおっさんみたいな餓鬼は、怯えたように目だけでこっちを見る。その動きは緩慢で、目だけを動かすのも必死のようだ。


そんな目で見ないでほしい。僕の中の罪悪感が膨れ上がる。


桂山さんは攻撃手段を持たない。だから、僕みたいな前衛が必要なのだ。


そしてお嬢様が手を汚す必要はない。そんな仕事は、僕みたいな下男がすればいいのだ。


び、と僕の霊木剣が首を裂く。


妖怪に対して強力無比な一閃は、一太刀で首を切り落とす。太刀じゃなくてナイフだけど。


少しでも苦しまないようにという配慮の一閃だ。


ごろん、と餓鬼の首が転がり、黒い霧になって消滅する。


そこに残ったのは、黒く鈍く光る角ばった石だ。餓鬼が異界からその姿を維持するための核らしい。よくわからないが、人間で言う心臓か脳みたいなもんだろう。


それを拾ってポケットに入れる。


僕が振り返ると、桂山さんが親指と人差し指で摘むようにして目を揉んでいるのが見えた。


その頭上。天井にへばりつくようにして無防備な彼女を狙う餓鬼も、見えた。


「美月、危ないッ!」


餓鬼が躍り出て、その細枝のような腕を振り上げ、手から伸びる鋭い爪で桂山さんを襲う。


僕が跳ぶ。僕の異能、身体能力強化が唸りを上げる。血液、骨、筋肉、ありとあらゆる僕の構成要素が餓鬼を殺すために躍る。


朽ちた床が砕ける。足を取られる。


それでも、僕を止められない。


霊木剣が風を切り、僕は身体を桂山さんと餓鬼の間に割り入れる。


異能によって引き伸ばされた時間感覚で、僕はまるで空中に静止したような錯覚を感じる。


餓鬼と目が合う。胡乱で、邪悪で、何かを恨まなくては気が済まないような、そんな目だ。


そんな目をする餓鬼に、僕は霊木剣を振るう。一閃、一閃、また一閃。


まず、いつもの癖のように首を断つ。だが、それでも身体の動きは止まらない。爪は、腕は、桂山さんを狙ったままだ。


次に腕を切断する。細い腕は、ペーパーナイフみたいな僕の霊木剣でも簡単に断ち切ることができた。


最後に手首。桂山さんに向けられた爪を、掬い上げるように擦り上げて、そのまま手首に向けて滑らせる。


爪の終わり、手加減した僕の霊木剣ですら耐えられない手首の弱い部分が、僕の意図しないように断ち切られる。


それにより、思わぬ力が加わってしまった。爪は縦方向に回転を始め、丸鋸のような動きをした。


餓鬼の怨念の賜物か。回転した爪は、物理法則によって勢い余り、僕の肩に刺さる。


鋭利でない刃物が、その切り口を無駄に傷付けるように、僕の肩を裂くように斬りつけた。


赤い血が、飛ぶ。


桂山さんと餓鬼との間に飛び込んだ慣性のままに、僕はボロボロになって紙が一区画も残ってない障子を突き破る。


たぶん、桂山さんから見れば、あっという間の出来事で、訳がわからないだろう。


僕が突然飛び込んできて、そのままの勢いで障子に飛び込んだようにしか見えないと思う。


派手な音を立てて、僕はささくれだった畳の上を転がる。加減もせずに、着地も考えずに跳んだ対価として、僕は全身を満遍なく強打する。


障子の骨組みが砕け散って、僕の脇腹に刺さる。内臓を貫いて、深々と死の杭が僕の身に立つ。


「っ……ああ!」


声を上げて、僕は痛みを無視して、刺さった障子の骨組みを抜いた。


びゅっ、と血が吹き出るのを、全力で手のひらを当てて押さえ込む。歯を食いしばり、痛みに耐え、背中を丸めて僕は止血をする。


必死で痛みと、それに伴う吐き気に耐えていると、ぎいぎいと床が軋んで、桂山さんが近付いてきたのがわかった。


「……大丈夫なの?」


ローファー、紺のソックス、白い膝、紺のスカート、白いセーラー服、赤いタイ、細い首、細い顎、青褪めてもなお綺麗な顔。


目線を上げていけば、そういうものが見えた。


桂山さんは顔から血の気が引いていた。たぶん、僕の脇腹から流れ出る血を見たのだろう。もしかしたら、肩からの血かもしれない。


どちらにせよ、彼女は血を見るのがあまり好きではない。いや、血を見るのが好きな人ってどうなのよというツッコミは置いておいて、だ。


「だい、じょうぶ。すぐ、止まる、から」


息も絶え絶えに、僕は桂山さんに返事をする。


吐き気が止まらない。たぶん、杭が内臓まで届いたのだろう。


他にも、瘴気を纏った爪を受けたからかもしれない。


それでも、じっと動かないでいると、じんわりと痛みが引いていく。


魂のコップから命が漏れていくような感覚も薄れていく。脇腹の傷は、もう大丈夫だろう。内臓は、時間がかかるだろうけど。肩の傷も、そろそろ治る頃だ。


そう思って、僕は立ち上がる。


「っ、と」


足場が不安定で少しよろめいたが、持ち直す。


僕の異能は万能型だ。


僕の一族の身体能力強化を満遍なく受け継ぎ、僕は一族の誰かにできるほとんどの異能について、半分くらいの異能を出せる。


要するに器用貧乏なのだけど。


しかも一度に強化できるのはどれか1つだけ。


再生力を強化しているときは、他の全ては一般人と何も変わらない。動体視力を強化しているときは、他の全ては一般人と何も変わらない。


そんな使い勝手の悪い器用貧乏異能だ。


まだ内臓の傷は癒え切っていない。痛みも吐き気も止まらない。でも、吐いては駄目だ。


この完璧超人お嬢様に路傍の石が心配をかけるなど、してはいけないことだ。


桂山さんは心優しい人だ。なにせ僕なんかに声をかけてくれるぐらいの人だからだ。


仕事で僕が傷付けば、なにかと心配してくれる。わりとすぐに異能が治療してくれるし、前衛は後衛を守るのが務めなのだから、給料分くらいは仕事をして当然であると思うのだけれど。


それと、美人の前でこれ以上の無様を晒したくないという、僕のちっぽけなプライドだ。たぶん、こっちが本音。


「ごめん。もっと格好良く助けられたらよかったんだけど……」


「……いいえ。あなたは格好良かったわよ」


「また制服をダメにしちゃった。ごめん」


「車に換えがあるから、それを使って」


「ありがとう。……いつも迷惑かけてごめん」


「……別に。こちらこそ、守ってくれてありがとう」


「……仕事だから」


さすがに、学校一の美人にありがとうなんて言われると照れる。口をついて出てきたのは、「仕事」ということだった。


もっと気の利いた言葉が言えたらかっこいいのだろうけど。


……まあ、それもイケメンがいうのがかっこいいのであって、貧乏異能使いのチビが言っても何の格好良さもないのはちゃんとわかってるけどさ。


そう。仕事だ。僕と桂山さんに接点があるのは、偏に仕事だからだ。


桂山さんが睨み、僕が殺す。


止めることしかできない彼女と、何か1つのことしかできない僕が、コンビを組んで仕事をするようになって2年になる。


元々、僕は高校に進学するつもりはなかった。僕の一族は、本家を除き、そのほとんどが中卒だ。


だって学費が払えないんだもん。


でも、中学三年生の春。僕は本家からの命令で桂山一族の護衛を命じられた。他の分家の従兄弟やハトコたちも一緒で、ぞろぞろと霊木から削り出した武器を手に手に、彼女の一族の儀式を護衛した。


そこで、酷い事故が起きて、大勢の異能使いが死んだ。といっても、死んだのは僕の一族がほとんどで、桂山一族で死んだのは2人だけだった。


それが桂山美月さんのお父さんとお爺さん。桂山一族の長と、その座を引き継ぐはずだった者だ。


僕はそれが起きた時、近くにいた桂山一族の人を守るので精一杯だった。無我夢中だったのと、僕もそれなりに酷い怪我を負っていて、アドレナリンで頭がどうかしてて鮮明には覚えてないのだけど。


とにかく、そのとき大きな土蜘蛛がわらわらと湧いてきて、大変なことになった。


這う這うの体で僕は3匹倒したけれど、多くはあちこちに逃げ出してしまった。……僕の従兄弟たちを弁当代わりに食い殺していきながら。


それから、いろんな異能使いの一族が相談しあったらしく……、いろんなことが決められた。この辺は末端の分家の僕の家には届いていないのだけど……。


いろんなことが決まってから、僕は高校に行くように言われた。学費はなんと本家が出してくれるというのだから驚きだ。分家から支払っているみかじめ料の方が多いのだから、結局損をしているのだけれど。


そんなわけで、僕は高校に通って、縁あって桂山さんと仕事をしている。このコンビを組んで仕事ってのも、偉いさんが相談しあった結果らしい。


桂山さんならいろいろ知ってるんだろうけど、それを聞くのはルール違反だ。分家には知る必要がないから知らされていないのだろうし、知って余計な厄介事に巻き込まれるのはごめんだ。


「……これで全部だったようね」


これ、と桂山さんが黒光りする石を見せる。僕のポケットにあるのと合わせて2つ。2匹の餓鬼。


桂山さんの言うとおり、邪気は消えている。綺麗さっぱり。


邪気が消えてみると、日本家屋の廃墟は趣ある風景に変わったように思う。たしかに、侘び寂びがある。


「お疲れ様でした」


僕が言う。


「お疲れ様でした」


桂山さんが言う。


ちゃんと挨拶をして、区切りをつける。じゃないと、日常と区別がつかなくなって、心が磨り減っていくらしい。


桂山さんが言い出したことで、なんか心理学の本に書いてたらしい。彼女は頭がいいので、戦うことしかできない僕なんかでは思い付くことのできないことを次々に提案する。


僕の異能も、彼女のアドバイスのおかげで大分使いやすくなった。


これからファミレスに言って、ご飯兼反省会だ。


責任感の強い桂山さんは、たぶん自分を責めるようなことを言い出すだろうから、それをどうフォローしようかと考えながら、僕は車に乗り込んだ。


乗り込むころには、僕の頭は何を食べようかということを考え始めていて、我ながら頭の弱さに辟易した。


唯一できない身体能力強化、思考能力強化を、僕は心底欲しいのである。


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