第3話 生い立ち
「まず、エッセイを書くにしてもそれなりに仮説はたてとかなきゃな。」
ジョンは目を上げて考えている振りをした。
「おい、おい、俺たちは何も陰謀説の1つに参加する気は更々ないぜ。
ちょっとそれなりの説を使って、政治的にわれわれは希望の光を失ったとか、何とかでオチつけておけばそれでいいだろ?」ステファンは慌てて言った。
「ちぇっ、つまんねーの。ちょっくら頭のいいところもドーソンの奴にみせてやらねぇと、
ちっともギャフンと言わせてやれねーじゃねーか。」
「余計なことするからこの前、まんまとばれたんじゃないか。今度は失敗できないんだ。
とりあえず、それなりのメジャーなサイトをぐるっと見て、適当に真面目なネタを取っとかないと。」
そう言うと、ステファンはまず、“JFK”ともう一度検索エンジンに入力した。
サイト登録は239万件、その中の一番は映画“JFK”だ。
これは後で見りゃいい。
ジョン・F・ケネディ空港サイト、ジョン・F・ケネディライブラリーとミュージアム・・・。
「えっと、まずはバイオグラフィーってところかな。」
これがいいだろう。
ステファンは適当なサイトのページに入ることにした。
ジョンは再び椅子の背にあごを乗せて、回転椅子をキコキコと左右に動かして遊んでいた。
「まずジョン・F・ケネディがどんな奴なのか一応、調べとかないとね。」
ステファンはジョンに説明するように言った。
「それでお前と俺と内容が一緒だったらまずいから、適当に変えないとな。」
「なぁ、ステファン。お前が適当に二つ、三つ陰謀説の記事から抜き出して結論をこさえりゃ面白いだろ?な?」
「ジョン、まだあきらめないのか、お前。CIAがやったとか、宇宙人がやったとか、
そんな話をドーソンが真面目に読むか?
少なくとも、それなりに書いとかないと今度は点くれるどころか卒業もさせてもらえなくなるぞ。」
「でもJFKとなりゃ、陰謀説だろ?面白くなるじゃないか。」
「並みの陰謀説じゃ、またドーソンから“君達のミジンコ並みの脳みそらしい発想だな”で終わってしまう。どっちにしろ、何か探さないとな。えっと何、何?」
― ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ、1917年5月29日生まれ。
第35代合衆国大統領、最も若くして大統領として選ばれ、最も惜しまれた20世紀の政治家である。
ジョセフ・ケネディとローズ・フィッツジェラルドの息子としてマサチューセッツ州、ブルックリンにて生まれた。
寄宿学校生活を経て、1935年、プリンストン大学入学。その後黄疸にかかり、中退。
翌年、ハーバード大学に入学。
1937年、再びステロイドと診断され、以後ケネディの健康状態を悩ませる原因となる。
1940年、同大学を卒業。卒業論文「なぜイギリスは眠ったのか?」はそのまま出版され、ベストセラーとなった。
だが、彼自身、大学時代はさほど優等生でもなく、Aを取ることはなかった。
1941年米軍に志願し健康状態から拒否されたが、その後海軍に入隊を許される。
「へぇ、ケネディもあんまり賢くなさそうじゃん。」ジョンはちょっと嬉しそうに言った。
「Dも取ってるぜ。俺たちと変わんねぇよな。」
「おい、おい。向こうはハーバードだぜ、ハーバード。
高校でDを取ってるとは書いてないだろ。」ステファンはぞんざいに言い返すと再び画面に見入った。