幽霊のいる家
郊外に建つ四階建てのビル。一階には喫茶店、三階には古書店、四階にはバーが入っている。二階はというと、“天合探偵事務所”という怪しげな会社が表札を掲げている。いや、流石に雇用主を悪く言うのはよろしくないか。
天合探偵事務所は、所長であり探偵の狐谷天合による探偵事務所である。探偵といってもフィクションに出てくるような推理で事件を解決するようなものではなく、身辺調査や失せ物探しから庭の手入れや水道管の修理まで、万屋の立ち位置にある。依頼内容によっては専門知識が必要になる場合があるため資格の取得は捗るし、大小問わず手広く依頼を受けているおかげか小さな探偵事務所にしては給料がいい。フィクションの探偵に憧れなければ大変満足のいく職場だ。
俺は出勤すべく階段を上がる。事務所の扉は金属製で上半分に型板ガラスが嵌め込まれている。そこから伺うに中は暗く狐谷さんは来ていないようだ。まあ、事務所とはいえ物置のようなもので、依頼を受けるときは下の喫茶店か依頼人の元へ出向くことが多く、ここで狐谷さんと会うことは少ない。
鍵を開け、入る。入ってすぐにダイニングテーブルと椅子。これは応接用。工具や清掃用具などが載ったスチールラックの横を通れば、窓際にソファとローテーブル。これは休憩用。空のマグカップとそれを取り囲むように書類が散らばっている。
「ちゃんと片付けてくれよ」
窓を開けてマグカップをシンクで洗い、書類の整理を始める。書類はまず地域新聞のコピー、地域の隠れた名所について。何かしらの歴史があるというよりもこじつけのような噂を理由としたものだった。地域新聞とはいえもう少し信憑性のあるものを掲載するべきだろう。そしてブログ記事、筆者は学生らしく読み慣れない単語をふんだんに使い校内の流行りや噂に対して自身の推測を書き連ねている。暇つぶしにもならない内容だ。保管する必要はなさそうなのでまとめて端に寄せておく。
「さてと、どうするかな」
ソファに深く腰掛け思案する。今日は特に予定がないので掃除や資料の整理でもしようか。狐谷さんからは早朝から猫探しに行く旨の連絡を受けているから一日中探し続けているだろうし。
「のんびりするかぁ」
メジャーリーグでも見ながら。今日は日本人ピッチャーの登板日だ。
リモコンに手を伸ばし電源を入れようとしたところに、ノック音が響いた。二度、扉のガラス面を叩く音。その音の小ささや不安定さから訪問者の緊張が感じ取れる。突発の依頼は芝刈りやパッキンの交換ではなさそうだ。
外開きの扉を慎重に開け、依頼人の顔を拝見する。立っていたのはスーツをキッチリと着た女性だった。
◯
「……幽霊」
依頼内容を一通り聞いた俺が絞り出したのはたった一単語だった。何も気圧されただとか、重要事項だからだとか思い当たる節がある訳でもない。ただ、呆れていたのだ。幽霊とは、また荒唐無稽な。まあ、子どもの頃にテレビで盛んに心霊特番が流れていた世代だから大人になっても興味を持ち続けているなんてままある話。依頼をするほどまでとっぷり浸かっていると可哀そうに見えてくる。この類のはフィクションの中に留め置いて、娯楽程度に楽しむのがいいだろうに。
「そうです。祖母の家に出るんです」
生真面目に力説する女性が滑稽に見えてくる。
イケナイ、イケナイ。依頼人に対して真摯に接しなくては。悪い評判が出回っては小さな我が事務所は存続できなくなってしまう。傷はないに越したことはない。口角の位置を意識して話を進める。
「それで、その幽霊が何者なのか調べてほしいと」
「はい。お願いできませんでしょうか」
前のめりになる女性は名前を柵川美馬子と言う。三十七歳。メンテナンス関係の会社に勤めている。幽霊の詳細についてだが……。断ってしまうのだからまとめる必要もないな。幽霊なんて大抵、見間違いや思い込み。ただの偶然だ。忙しない日々を過ごしていれば解消されるだろう。
「興味深い話題だね」
唐突に。頭上、やや後方から嬉々とした声が降ってきた。声の主は気配を消し事務所に侵入、俺の後方に立ったらしいことがわかる。依頼人は俺同様に気配に気づいていなかったようで、前傾していた姿勢が世間的に理想とされる位置に戻った。いつの間に入ってきたのか。出入り口は視界に入れていたはずなのだが。
「いつ帰ってきたんですか。声ぐらいかけてほしいのですが」
「いやぁ、驚かそうと思って窓から入ってみたんだけど、まさかお客さんが来ているとはね」
猿かよ。下の喫茶店に迷惑をかけていないことを祈る。
それはそうと人物が増えたからには依頼人に紹介しておかなければ。
「柵川さん。こちら当事務所の所長で探偵の狐谷天合です。狐谷さん、こちらは柵川美馬子さんです」
互いに会釈をし、狐谷さんは名刺を差し出す。
狐谷天合。くすんだ緑色の髪は少々傷んで、内に外に気ままに跳ねている。シルバーのアンダーリム眼鏡を人差し指の第二関節で上げる仕草は、彼女が曲者であるように見せる。黒と青色のマウンテンパーカーの下にオーバーサイズのシャツを着ているがインナーが見えかけてしまっている。そういうものなのだろうけれど、周囲の視線を気にしてほしいとも思う。
狐谷さんは流れるように俺を押し除けながら隣に座る。
「それで、幽霊でお困りなんですか?」
探偵の誘導に乗り依頼人は再び前に傾く。
「はい!あの幽霊が何者なのか調べて欲しいんです」
「もちろん!お受けいたします!」
俺は後悔した。なぜ今日に限って迅速な行動を取らなかったのか。
狐谷さんが口元で指を一本立てる。
「ただし、我々は解決まではできません。あくまで調査のみです」
依頼人の顔が曇る。そんなところで区切らず一息に言って仕舞えばいいものを。
「ですが結果によっては然るべき相談先をご紹介します。ですから安心してお任せください」
失念するはずがない。ただ避けようとしただけだ。依頼人である女性を憐んでいた自分はすでに荒唐無稽な領域に足どころか肩まで入ってしまっている。学生時代に冷ややかに見ていたオカルトに仕事として相対している。まったく、なんて事務所に入ってしまったのか。
我らが探偵事務所に於いて身辺調査や捜索など日々の依頼は雑事にすぎない。天合探偵事務所。所員は探偵と助手、二名。専門は怪異。
◯
無白市K山の麓、田畑に囲まれるようにして建つ日本家屋の一つが依頼人の言う幽霊が出る家である。敷地はそれほど広くはないが二階建ての家に蔵、古井戸、よく手入れのされた庭に生垣。依頼人の祖母はこの生垣を手入れ中に倒れ、そのまま亡くなった。死因は脳梗塞。第一発見者は夕刊を届けに来た配達員だったらしい。
主人のいなくなった家の鍵を開ける。
調査ができるのは二日間。今週末には家財の整理があり、来週には取り壊しが始まる。
玄関を上がった狐谷さんが大きく息を吸った。
「いい家だね」
狐谷さんの呟きに同意する。雨戸はきっちりと閉められているが……。何と言うのだろう。雰囲気がある。建材の木の香りか、未だ人の営みが感じられるからだろうか。以前に遺品整理の依頼で向かった家はもっと静かで冷たい印象だった。
廊下の最奥、その右手の襖を開く。ちゃぶ台、座布団、座椅子、鏡台にテレビ。ここが生活の中心、祖母の部屋だ。広間を襖で仕切り二部屋としたもので、依頼人からこの部屋で寝るよう言われている。仕切られたもう一方の部屋は客間として使われているようで、祖母の部屋よりかは家具が少ない。
祖母の部屋に荷物を置き、雨戸を開けることにする。ガタつき、大きな音を立てて雨戸がスライドする。日差しはスッと差し込み、部屋の中ほどまで届いた。
「さて、早速調査を始めようか。私は一階を調べるから、鈴嶌くんは二階ね。終わったら晩御飯だ!」
「二階ですね。別れている間にサボらないでくださいよ」
「さーぼらないさー」
サボるだろうな。それでも何かしら見つけてきそうではある。これまでも重要な事柄をさらっと見つけてきた。俺が二日かけても見つけられなかったものを、狐谷さんは一時間で見つける。そういう人なのだ、狐谷さんは。
さて、調査の前に装備を確認しておこう。まずスマホ。連絡はもちろん、カメラ機能で証拠を容易に記録してしまえると言うのはこの職について改めて便利に感じたものだ。何より、小型になったとはいえ、デジカメを持っていくのは荷物が増えてしまう。身軽な方がこの仕事は得な気がする。そして手袋。怪我を防ぐためでもあるし、証拠を丁重に扱うためでもある。念の為使い捨ても数組持ち歩いている。一番大事と言ってもいいのは懐中電灯だ。扱っている分野が分野なので、夜の調査や暗い場所に入り込むことが多い。ちゃんとつくことを確認してポケットにしまう。あとはビニール袋やら目薬やら細々したものをウエストポーチにしまっておく。
「よし、問題ないな。始めるか」
キッチンを捜索している狐谷さんを横目に階段を上がる。
二階は二部屋。依頼人の母親が使っていた部屋と、物置として使われている部屋だ。物が少ないであろう母親の部屋から見ることにした。襖を開けるがここも雨戸が閉められて暗い。懐中電灯で照らしながら窓へ向かい開ける。
室内はよく片付いていた。ちゃぶ台に使い古された座椅子、カラーボックスは二つ、座布団が隅に積み重ねられている。襖を開けてみれば上段に布団、下段には段ボールが複数。それに敷かれた新聞紙の上に本が並べられている。
「変わったところはないな。よくある部屋だ」
段ボールの中身も学生時代のものが詰め込まれている程度で幽霊に結びつくものはないように見える。
襖を閉め部屋を離れようとした時、階下で足音がした。トトトッ、と言った軽快な足音だ。階段のすぐ上へ移動し見下ろすが、途中で九十度に曲がっているため階下の様子は伺えない。
「狐谷さんか」
幽霊が出ると聞いていたので気になったが、足音が二人分聞こえたわけでもないのだから気にする必要もないだろう。
向きを変え物置となっている部屋へ向かう。
室内は箪笥が複数あるのみで押し入れもなく、床に置かれているものもないすっきりとした部屋だった。庭や一階を見てすでに感じていたことだが、どうやら家主は几帳面で手入れを怠らない人のようだ。
木製の和箪笥と洋箪笥が二つずつ置かれている。洋箪笥から調べてみるが中は服にアクセサリー、服の雰囲気から祖母が着ていたもののようだ。落ち着いた色合いの衣服たちから使用者の性格が推し量れそうでもある。箪笥自体の作りもなかなか重厚で、洗練された装飾は少しばかり威圧感があるものの、中身を守ってくれそうな安心感もある。
振り返り、和箪笥の調査を始める。こちらは木製の引き出し特有の引っかかり具合で中を見るのに苦労する。中身は想像通り和服や小物がほとんどだ。一つ目を調べ終え最後の箪笥と向かい合う。おそらくここも和服が入っているのだろう。
引き出しの取手に手をかけた時、スッスッ、と襖の開く音がした。隣の部屋からだ。狐谷さんが上がってきたのだろうか。階段の軋んだ音は聞こえなかったが、音を立てずに歩くのは狐谷さんの特技だ。その技術に何度驚かされてきたことか。
「狐谷さん?」
返事はない。一度確認しておこう。物置部屋を後にし、廊下へ。隣の、母親の部屋の襖が半分ほど開いている。出た時に閉めたはずだが。襖を開け切り、中を覗く。
「狐谷さん?」
西に傾き始めていた日差しが室内を未だに照らしている。しかし、狐谷さんはいない。窓には鍵がかかっているし、押し入れを確認してみるが姿はない。
「聞き間違いか?襖、閉じなかったっけ」
狐谷さんがいないことは事実だ。とりあえず調査を再開する。物置に戻り箪笥の引き出しを開けていく。
中身は想像していたものとは異なっていた。入っていたのは、黄ばみところどころ虫に喰われた紙束だった。だいぶ古いもののようで、字が達筆なこともあり内容を読み取れそうにない。そして箪笥の中段あたりの引き出しに違和感のあるものが入っていた。
「刀か」
漆塗りの鞘に収まった刀。大きさから、おそらく脇差だろう。装飾はなく、抜いてみたが刀身に彫り物もない。刀剣類の知識は浅いので鑑定はできないが、部屋と同じくよく手入れされているようだ。
スマホを取り出し脇差の写真を撮る。次に箪笥を引きで一枚。教育委員会か警察に届出が必要になるので、依頼人への報告書に添付しておこう。
最下段まで見終わり、部屋を後にする。隣の部屋の襖が閉まっていることを確認して階段を降りた。
一階を調査していたはずの狐谷さんは、持ってきた荷物の横で座布団を枕に寝ていた。 事務所から持ってきた薄桃色のタオルケットをかぶって寝息を立てている。
調査をする気が削がれたので、夕食を準備することにした。
◯
眼鏡と共に置いていた腕時計を見る。午前二時四十九分三十二秒。眼鏡をかけて体を起こす。
部屋は暗く静かだ。狐谷さんの寝息が規則正しく繰り返されている。
ウエストポーチから懐中電灯を抜き取り広間を出る。雨戸を閉めているので廊下も暗い。懐中電灯のスイッチを入れる。暗くなっても建物の雰囲気は変わっていない。
が。気配がある。狐谷さんとは別に人の気配がある。
こう言った気配を今まで出会った自称霊感持ちたちは、幽霊だとか残留思念だとか言っていたが眉唾物だ。大抵、緊張状態の誤認だろう。ちなみに狐谷さんは「忍者がいるんじゃない」などとつまらない冗談を返してくる。
さて、緊張を解すべく手洗いに行き外の空気を吸うとしよう。
夜空は晴れていて、月がいつもより強く光を発している。緊張が解けてきたようで人の気配はしない。
庭に大きめの岩があったので腰掛ける。
自然と家を見上げる。
立派な日本家屋だ。特別大きいわけではないが、二階建てで一家族が住むのに十分な広さがある。しかし、各所に傷みが見られた。今後住む人間がいても補修にかなりの額がかかりそうだ。
「水回りは必ず変えたいな」
特に風呂場は年季が入っていて少し抵抗感があった。
祖母の部屋に応接間とキッチン、廊下の突き当たりに階段。階段は途中で九十度曲がり二階へ。二階には依頼人の母親が使っていた部屋と物置。母親が使っていた部屋をそのままにしているのは珍しいな。大抵片付けてしまって趣味の部屋や書斎にしてしまうだろうに。
「あ、そういえば」
どさりと音がする。
「やけに音がする家だな」
音は蔵の方から。面倒ごとはごめんだが、依頼人の家だ。荒らされては困る。
懐中電灯を逆手に、頭から少し高めに持つ。蔵は未調査のため内部を把握していない。慎重に行こう。
蔵は二階がありそうな高さで、壁はひび割れている。扉は外開きで丸い取手がついている。
蔵の扉に手をかける。手に伝わる感覚に一瞬思考が止まる。
鍵がかかっている。
錠前ではない埋め込まれた鍵であったから気づかなかったが、しっかりと施錠されている。窓はあるが高い位置にあり、人が通れるほどの幅もない。となると、中に人がいる可能性は低いのではないか。
「小動物あたりが有力だな」
幸い蔵の鍵も借りている。鍵の管理をしているのはもちろん俺だ。
一つ息を入れ、鍵を開ける。
疑いがあるなら面倒だが解消しなければ。
扉は重い。腰を入れてやっと開いた。中は母屋と同じく整頓されている。しかし、床に数冊手帳のようなものが落ちていた。掃除が行き届いてはいるが物が多いため死角は多く、容易に隠れられるだろう。時間をかけて見て周り、入り口に戻ってくる。潜んでいる人物はいなかった。荒らされた形跡もなく、最初に見つけた手帳が気になるくらいだ。改めて手帳に懐中電灯を向ける。黒く皺がいくつも入った表紙。それほど厚みはない。パラパラとめくってみれば、日付と文章が並んでいる。日記であるらしい。
「九月七日、掃除洗濯、庭の手入れ。埃が集められていた。昨日置いた箒を使ってくれたよう。お礼に大福を出しておいた」
その日の用事と数行、短文が書き込まれている。他の日記も見てみるに、これは祖母のもので学生の頃から書き始めたようだ。書かれていることを脳内で整理していく。その中で引っかかったのは、度々触れられる存在についてだ。依頼人から知らされていた家族構成よりも一人多く、祖母自身も会って会話をしたことがないように読みとれる。さらに読み進め目当ての記述を見つける。それまでの記述と異なり、見開きを丸々使っている日である。
「母さんがやっと教えてくれた。高祖母には七人兄弟姉妹がおり、その末の妹が部屋にいる人らしい。名前はたまお。高祖母が婿をもらった頃、ひでりによる飢饉で、村も家族も飢えに苦しんでいた。村長の婆様の勧めで雨乞いの儀式をすることにした。たまおは雨乞いのための巫になったのだと。巫のおかげで飢饉を乗り越え、それ以降も一族に大きな不幸はなく平穏に暮らしている。巫を無碍に扱ってはいけない。巫はその身で一族を害から守ったのだから」
抜粋するとこのようなことが書かれている。曖昧な部分も多いが、推測するに。
「たまおは荒ぶる神への供物。人身御供。生贄か」
「ざんねーん」
いつの間にか狐谷さんが蔵の扉にもたれかかっていた。
「大当たりを引いたけど、推理はハズレだね。まだまだ探偵にはなれそうにないな、鈴嶌くん。ああ、でも。助手としては満点なのかな」
相変わらず、人の神経を逆撫でするような話し方だ。この狐谷さんの言い回しはよく依頼人を苛立たせる。依頼人が激昂し帰ってしまうことも少なくない。そのため、依頼人とのやり取りは大抵俺の役割になる。
「柵川さんが見た幽霊はたまおではないということですか」
「いいや。柵川さんが見たのはたまおさんだよ」
「たまおさんが生贄になった蟠りから幽霊になった。と、考えたのですが」
狐谷さんは首を振る。
「たまおさんは蟠りなんて抱えていないよ。まあ、根本から間違っているわけなんだけど」
「根本から」
「そう。まず、たまおさんは幽霊ではないんだ」
なるほど。根本は依頼の内容の方か。
「確かにたまおさんは巫、災害を退けるべくその身をもって神様に祈った。これは鈴嶌くんが考えたように生贄とした捧げられたんだと思っていいね。一族、主に跡取りのための食料確保としての口減しの側面もあっただろうね。では、巫になったたまおさんはどんな扱いを受けたか」
生贄にされた少女の扱い。そもそも生贄という言葉に良いイメージがないのだから、扱いなんて決まっているだろう。しかし、口にするのは憚られた。
「人としては扱われなかったでしょうね」
「うん。たまおさんは座敷牢に入れられ、食べ物を貰うこともできなかった。衰弱していき、亡くなってしまう」
痛ましい話だ。しかし、様々な地域で起きていたであろうことだ。そんな酷い経験をして尚、たまおさんは蟠りを抱えなかったのか?
「ここで、幸運だったのはたまおさんがその死の間際でも家族を思う心を忘れなかったことだ。その意思がたまおさんという存在を変えた。幽霊ではなく、神様に。一族を守る、守り神に」
「そんなことが…」
「あり得るよ。珍しいけどね」
信じられないが、そうあってほしいと思う。幽霊であるよりはポジティブだ。しかし。
「たまおさんが守り神であるとして、柵川さんに影響は?既にこの家を出ていて、たまおさんについても知らない彼女のことも、たまおさんは守るんですか?」
「さあね。彼女次第じゃない?」
狐谷さんは淡白に答える。けれどはっきりと続ける。
「だからこそ、ここからが私たちの仕事でしょ」
そう、そうだ。依頼は調査だが、我々天合探偵事務所の特異な部分はこの後。
対話だ。
助手になって一年。最初こそ受け入れられなかったが、今はそういうものだと割り切っている。まあ、仕事だし。
狐谷天合は本人曰く、人ならざるものを見ることができる。幽霊だとか、怪異だとかそういった類のものだ。そしてそれらのモノたちと話し、深層を知ろうとする。そこから得られるのは依頼の真相だ。けれどそのまま依頼人に報告しても、大抵受け入れられない。当然だ。そんな荒唐無稽な話を誰が信じるものか。ここからは俺の仕事だ。狐谷さんが見聞きしたものと物証から推測し依頼人と対話する。要は依頼人が納得しやすいように組み立て直すのだ。
「じゃあ、作戦会議をしようか」
俺は日記を手に立ち上がる。
「たまおさんには既に会いましたか」
「鈴嶌くんが二階を見てる時に会ったよ。和服の小柄な子。悪意はないね。守り神だし。とりあえず、彼女がどうしたいか聞いてみるかな」
「こちらはこの日記を軸に、害が出ていないことを理由にして依頼人に説明ができそうです。もう少し物証が欲しいところですけど」
「問題はこの家が取り壊されるってことだね」
「家がなくなると悪いことが?」
狐谷さんは頷き、説明してくれる。
「たまおさんは一族の守り神だ。けれどその対象は、この家に住む一族。厳密に言うとこの土地に根付いた一族だね。わかりやすく言えばこの家に取り憑いてるってこと」
「つまり、対象がなくなる」
「そうだね。ここに住んでいた祖母は血のつながりがまだ濃かったから問題なかったけど。その孫はたまおさんとの繋がりは薄い」
「その場合たまおさんはどうなるんですか?」
「目的が失われるわけだから、良くて成仏、悪ければ悪霊になるかな」
「解決できますか」
「新しい憑依先があればできるよ。家以外に何か依代にできれば。大切にされてきたものがいいかな」
大切にされてきたもの。候補は多い。この家にあるものはそのほとんどが、祖母の性格からか大切にされていたことが伺えた。その中で何を依代にするべきか。
「刀……。脇差が物置にありました。最近までしっかりと手入れされていたようだったので使えませんか」
狐谷さんが眼鏡をクイと持ち上げる。
「それだ!刀はしばしば神聖なものとして扱われる。守り神にもちょうどいいじゃないか。かっこいいし」
最後の一言は聞かなかったことにする。
決まりだと狐谷さんは言い、蔵を後にする。俺も母屋に戻るとしよう。狐谷さんが話し終わるまでに日記を読み込んでおかなければ。
それと、もう一つ気になることがある。
母屋に戻り、祖母の部屋に足を運ぶ。布団は敷かれたまま、荷物はそれほど持ってきていないのでまとまっている。明かりはついていた。狐谷さんが起きた時につけたのだろう。
俺が気になったのは間取りだ。まず、玄関に入るとまっすぐ廊下が通っている。廊下の右手は襖で仕切られた広間、左手は庭だ。広間は玄関側から、応接間、祖母の部屋となっている。キッチンとダイニングは突き当たりを左。特段問題はなさそうだが、気になるのはここからだ。二階はおそらく増築されたものだ。一階とは材質が異なっていることからそう推測した。そして階段。廊下の突き当たり。つまり玄関からまっすぐ歩き向きを変えることなく登ることができる。階段は途中で右に折れ、登り切ったところで右に曲がると二階の廊下を進める。
外で風に当たった時、家を眺めていて気がついた。
階段の下、更には祖母の部屋の奥に空間がある。六畳はありそうな空間だ。
目当ての壁は押入れになっている。
「定番の隠し場所だな」
押入れの中身は祖父母の衣類や冬用の布団。それらを掻き分けると木の板が見える。木の板は押すとたわみ、隙間もできる。少し左右にずらしてみればあっさりと外れた。
中は。何もなかった。驚くほど何もなかった。床は一段高くなっており、畳が敷かれているものの調度品や生活雑貨もない。そして、塵の一つも。
この部屋は家のどこよりも手入れが行き届いている。病的なまでの綺麗さと言ってもいい。祖母の性格ゆえか、もしかしたら先祖代々継がれてきたのかもしれない。
もし、もしこれがたまおさんを思っての行為であったなら。
「たまおさんが幽霊にならなかったのは一族の思いもあったからなのか」
◯
翌日の昼前には仕事が終わった。
狐谷さんは日が登る前に話を終わらせ、俺も依頼人に連絡をとり調査結果を報告することができた。俺の報告に納得した柵川さんに守り神を依代に移す必要があることを説明して相談先を紹介した。今回紹介したのは狐谷さんの妹である。なんでも霊能者らしく、ただ見えるだけの狐谷さんとは異なり実際に干渉できるらしい。詳しく聞いてもなんのことかさっぱりだったので、俺は理解することを諦めている。依頼人に紹介したことは幾度もあり、どれも良好に解決しているようで信頼はできそうだ。
後日柵川さんから連絡があり、調査への感謝と脇差を大切にしている旨を伝えられた。そのまま狐谷さんにも伝えると「それはよかったね」とあっさりしていたが、表情は上機嫌そうだった。たまおさんも新天地に慣れただろうか。
以上が我々天合探偵事務所の主な仕事の流れだ。日々さまざまな仕事を受け、怪異が関係しているとなれば嬉々として(主に狐谷さんが)現地に赴く。調査し、対話する。稀に対話できない相手もいるが、その時はその時だ。狐谷さんも「なんとかなるでしょ」なんて、言っているし。
なんにせよ、仕事は仕事。きっちりやるさ。
改めて。
これは俺、鈴嶌青葉と狐谷天合の天合探偵事務所が行き合った奇怪な依頼の数々を記録したものである。




