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虐げられ家族にも婚約者にも利用されてきた悪役令嬢はすべてを失い追放される――けれど落ちぶれたのは彼らの方で、拾われた私は隣国のイケメン王太子に溺愛される。

作者: 結城斎太郎


 侯爵家の次女として生まれた私は、ただの飾りに過ぎなかった。

 名前はセレナ。けれどその名で優しく呼ばれたことは、一度もない。


 母は私を見れば舌打ちをし、父は無関心。姉は完璧な美貌と才能で社交界を掌握し、私はその引き立て役として常に蔑まれてきた。

「セレナ、あなたは笑っていればいいのよ。姉の邪魔はしないで」

 母はそう言い、私を着古したドレスに押し込む。袖のほつれを隠すための手袋も、色褪せていた。

 誰も気づかないように針で繕ったのは、私自身だった。


 唯一の救いは、子どもの頃に許嫁となった王太子エドワード殿下の存在だった。

 ……そう思っていたのは、過去の話。

 成長するにつれ、彼の視線は姉に向けられるようになり、私には冷たい言葉しか与えられなくなった。


「セレナ、またそのようなみすぼらしい姿をして……婚約者として恥ずかしいとは思わないのか?」

「申し訳ございません、殿下」

 私がいくら謝っても、彼は不快そうに顔を歪める。

 私の衣装を整える資金は、家族が一切与えてくれないからだとは、言い訳すら許されなかった。


 それでも私は、耐えた。

 耐えることしか、知らなかったのだ。

 姉の舞台を支え、家族の顔を立てるために、心を押し殺して笑い続けた。


 だが――限界は、唐突に訪れる。



 ある夜会でのこと。

 煌びやかな会場で、エドワード殿下は堂々と告げた。


「セレナ・ローゼン侯爵令嬢との婚約を、ここに破棄する! 私は彼女の姉、クラリッサこそが真に相応しいと思う!」


 一瞬、会場の時が止まった。

 視線が一斉に私へ注がれ、次にざわめきが押し寄せる。

 私は足元が崩れる感覚に襲われながらも、必死に声を絞り出した。


「……殿下、それは……」


「お前は何もできない、無能な女だ。クラリッサの輝きを隠すための道化に過ぎなかった。そんな存在と婚約など、国の恥だ!」


 嘲るような視線。

 父も母も、姉すらも、殿下の言葉を否定することはなかった。

 それどころか、母はほっとしたようにため息をつき、父は冷酷に告げる。


「セレナ、お前はもう必要ない。荷物をまとめ、すぐに屋敷から出ていけ」


「……え?」


 その瞬間、私の居場所は完全に消え去った。



 行き場もなく、私はただ夜の街を彷徨った。

 冷たい石畳に足を取られ、ついに倒れ込む。

 人々は見て見ぬふりをし、誰も手を差し伸べてはくれない。


 ――やっぱり私は、不要な存在なのだ。


 心が音を立てて崩れていく。

 その時だった。


「……大丈夫か?」


 低く穏やかな声が、暗闇に差し込んだ。

 顔を上げると、銀の髪を月光に煌めかせた青年が私を覗き込んでいた。

 その瞳は深い蒼――まるで宝石のように澄み切っている。


「ひ、ひと……?」


「ただの通りすがりではない。私は隣国リュシアン王国の王太子、アレクシスだ」


 信じられなかった。

 まさか隣国の王太子が、このような場末の街角に現れるなんて。


 アレクシス殿下はためらいもなく私を抱き上げ、力強く言った。


「安心しろ。もう誰にも、お前を虐げさせはしない」


 その腕は温かく、私は抗うこともできずに涙を零した。



 リュシアン王国の王城で、私は手厚く看護された。

 湯浴みをさせられ、柔らかな寝台に寝かされる。

 誰も私を罵らず、軽蔑の視線を向けない。

 それだけで胸が詰まり、声にならない嗚咽がこぼれた。


 そんな私に、アレクシス殿下は穏やかに微笑む。


「セレナ、お前はよく耐えてきたな。もう無理に笑う必要はない」


「……私なんて、殿下の隣に立つ資格など……」


「資格? そんなものは関係ない。俺が、お前を選ぶのだ」


 その言葉に、胸が熱くなる。

 私はずっと「不要」と言われてきた。

 だが今、初めて「選ばれる」喜びを知ったのだ。



 時は流れ――私は次第に元気を取り戻していった。

 けれど一方で、祖国ローゼン侯爵家の凋落の噂が耳に入る。


 王太子の婚約者候補から排除された私の姉クラリッサは、野心のためにエドワード殿下と結ばれたものの、次第にその本性を露わにしたという。

 浪費と高慢で国庫を乱し、社交界からも白い目で見られ始めていた。


 父も母も同じだ。

 私を切り捨て、権力を得たはずが、気づけば支持を失い、領地経営も傾いているらしい。


 落ちぶれていく家族。

 それを知っても、胸の奥には不思議なほどの痛みはなかった。

 ただ、静かに思う――

 ああ、やっと私は、自由になれたのだ、と。


 けれどそれはまだ、物語の序章に過ぎなかった。

 この後、私は本当の意味で「シンデレラ」になる。

 アレクシス殿下の溺愛とともに。




ーーーー





 季節は移り変わり、私はリュシアン王国で新しい日々を送っていた。

 朝には庭園を散歩し、昼には王妃教育と称して礼儀作法や歴史を学ぶ。けれどそれは決して苦痛ではなく、アレクシス殿下自らが隣で付き添い、穏やかに導いてくれる時間だった。


「セレナ、もう少し背筋を伸ばして。そうだ、そのまま……美しい」


「……っ、殿下……またからかっていらっしゃいますね?」


「本心だ」


 彼は平然とした顔でそう言う。

 そのたびに頬が熱くなり、言葉を失う自分がもどかしい。


 私はかつて「不要」と切り捨てられた令嬢。

 それなのに今は、隣国の王太子に「美しい」と言われ、惜しみない愛情を注がれている。

 まるで夢の中にいるようだった。



 だがその裏で、祖国からの報せはますます混乱を告げていた。


 婚約者だったエドワード殿下は、クラリッサと結婚したものの、わずか数か月で国中に不和を広めていた。

 クラリッサの浪費癖と高慢な態度は宮廷内外で問題視され、さらにエドワード殿下自身も政務を放り出し、彼女に溺れきっているという。


 加えて侯爵家の財政は破綻寸前。

 領民からは不満が噴出し、かつての威光は見る影もなく失われていた。


「……セレナ嬢」

 王城の執務室で報告を受けた私は、ただ静かに目を伏せた。

 かつて私を虐げた家族や婚約者が落ちぶれていく――それを聞いても、胸に去来するのは哀れみでも憤りでもなく、ただ淡い虚しさだけだった。


「因果応報、というやつだな」

 アレクシス殿下はそう言い、私の手を包み込む。

「彼らの行いが招いた結果だ。お前が背負う必要はない」


 その言葉に救われる。

 私はもう、誰のために犠牲になる必要もないのだ。



 やがて転機が訪れる。

 リュシアン王国と私の祖国が合同で舞踏会を開くこととなった。

 そこには当然、エドワード殿下とクラリッサも招かれる。


「殿下……私も、出席しなければならないのですか?」

「もちろんだ。お前は俺の婚約者として、堂々と隣に立てばいい」


 婚約者――その言葉に胸が熱くなる。

 私はまだ信じられないでいた。

 本当に私が、彼の隣に並んでいいのだろうか、と。



 舞踏会の夜。

 煌びやかな大広間に入場した瞬間、無数の視線が私に注がれた。

 だが今回は嘲笑でも軽蔑でもない。

 人々は驚きと羨望を込めて、私を見つめていた。


 豪奢なドレスに身を包み、アレクシス殿下の腕を取る私――かつての「影の令嬢」は、もうどこにもいなかった。


 そこへ、顔色の悪いエドワード殿下とクラリッサが現れる。

 彼の目が私を認めた瞬間、驚愕に染まった。


「セレナ……? なぜお前が……」


「まさか、リュシアン王国の……」

 クラリッサの顔も青ざめる。


 アレクシス殿下はゆっくりと彼らに歩み寄り、冷たい視線を向けた。

「彼女は俺の婚約者だ。虐げ、捨てたお前たちの手の届かぬ場所にいる」


 その言葉に、会場がざわめく。

 エドワード殿下は狼狽し、必死に言い募る。


「ち、違う! 俺はただ、クラリッサを……!」

「言い訳は聞かない」

 アレクシス殿下の声音は鋭く、容赦がなかった。

「己の欲に溺れ、国を乱した罪は明白だ。ローゼン侯爵家も同じだ。いずれその責を問われることになる」


 その場で制裁が下ることはなかったが、彼らの顔から血の気が引いていくのが分かった。

 私はただ静かに見つめていた。

 かつての私なら怯え、縋りついていたかもしれない。

 だが今は違う。――私はもう、自由なのだから。



 舞踏会が終わり、星空の下で二人きりになる。

 夜風が頬を撫で、私のドレスの裾を揺らした。


「セレナ」

 アレクシス殿下が私の両手を取り、真剣な眼差しを向ける。

「俺はお前を手放さない。どれほど時間がかかろうと、必ず幸せにすると誓おう」


「……私なんて……」

 その言葉は、かつての口癖だった。

 だが殿下は首を振る。


「お前だからいいのだ。誰でもなく、セレナだから。俺の隣に立つ資格がある」


 涙が溢れた。

 虐げられ、不要とされ続けた私が、今ここで選ばれている。

 夢だと思っていた幸せが、確かに目の前にある。


「……はい。殿下のお傍にいさせてください」


 答えた瞬間、アレクシス殿下は私を抱き寄せ、額に口づけを落とした。

「愛している、セレナ」


 星空の下、私は初めて心の底から微笑んだ。



 その後、祖国ではエドワード殿下とクラリッサが失脚し、侯爵家も没落したと聞く。

 けれど私は振り返らない。

 彼らが落ちぶれることは、もう私の人生には関係がないのだから。


 私は新しい未来を選んだ。

 王太子アレクシスと共に歩む道を。


 ――かつて「ドアマット」と呼ばれた悪役令嬢は、ようやくシンデレラとして幸せを掴んだのだった。



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