1.小学生の頃の自分に誇れる自分になると決めたけど。
初投稿作品です!
この作品に出会ってくださりありがとうございます!!
「思えば、言い訳ばかりの人生だったなー」
自分が働いている会社から一人暮らしのアパートに帰る道中、ビール片手に星も見えない夜空を見上げふとこぼした言葉がそれだった。
私こと高瀬真が大学4年生で就職活動をしていた当時、全世界的に経済が低迷していた。大企業は大規模なリストラを敢行し、中小企業も生き残ろうと必死の中、巷では職を求める人があふれていた。ただ不景気ではそうそう希望通りの就職先が見つけることは困難であり、それは新卒のプレミアが付いた大学生でも同じこと。。。
大企業などの人気企業に内定をもらうなんて夢のまた夢。だからといって中小企業の内定が取れるかと言えばそんなこともなく。何十社応募するも、不採用通知が届く届く。自分は価値のない人間なんだ。と落ち込む。自己肯定感などゼロだった。
そして、やっとの思いで勝ち取った就職先では新人社会人の洗礼を受けることになる。
まあ、30代も残り僅かな年齢になった今だから思うと当時の新入社員の教育担当の先輩社員も大変だったと思う。なーんにも仕事の出来ない人間に一から仕事を教えないといけないのだ。もちろん自分の通常業務もしながら。ストレス半端ない、中々の激務だたと思う。。。でも、まずここでつまずいた。
別に罵倒されたとか暴力を振るわれたわけじゃない。ただただ、怖かったのだ。その先輩たちが。能面のような感情が読めない表情で淡々と指導されることが。じっと監視される視線にさらされ、一つ一つの所作に緊張が走る。失敗しないように精神を集中させる。それでも失敗すればする。そんな時はすかさず「なぜこのようば失敗をしたのか分かる?」と反省点を上げ改善点を発表する。業務以外にも新人の役目として、朝の掃除やお昼の準備、来客対応のお茶出し。言われたことをできるようになることに必死で必死で。
あれ?今思い返すとそんなに酷いことされてない?今の私なら思えるけど、当時は戦々恐々の日々で心がすり減る毎日だった。まあ、陰で私を含め新入社員の悪口を言われていることが一番つらかったんだけど。
何とか針の筵の研修期間が終わり、正式に配属先が決まった。ここで2つめのつまずきだった。というか絶望だった。
人生において絶対に受け入れられない生理的に無理という人間。入社してそんな人物に初めて出会いました。最悪だった。そんなことを思う自分に自己嫌悪もした。でも、同じ会社にいるだけだったらまだ我慢できた。まだ。しかし、なんの因果かその人物が直属の上司になるという不運。正直配属先を聞いた時目の前が真っ暗になりました。思えばあの時辞めてたらまだ傷も浅かったかな。でも、就職活動というトラウマがあり(こんな私を採用してくれた会社を辞めたら私どこにも行くとこないじゃん)と思い込み何とか踏みとどまった。そして、何とかその直属の上司と向き合った。性格悪いとか厭味ったらしいとかよくいるじゃん。。。でも無理だった。笑顔がひきつる。鳥肌が立つ。顔が見れない。声が震えるお腹が痛くなる。頭が痛い。吐きそう。そんな態度がその上司にも伝わっていたんだろう。2人での対話も沢山したけどそんなの何の解決にもならなかった。反対にどんどん関係は悪化していった。会社にどんどん行きたくなくなった。
結論、私は苦労して入社した会社を3年で辞めた。たった3年というかよく3年ももったなと思う。最後のほうは日曜日の夕方になる手が震えて、腹痛や頭痛に侵されていた。行きたくない行きたくないと涙も出た。どうしてこんなに弱いのかと自己嫌悪に陥りさらに落ち込んで。。。診断は受けていないが恐らく鬱病の症状だったんだろう。ちなみに私が辞めるときは10人いた同期がみんな辞めていたっけ。
そのあとは、観光地で外国人のお客様を相手に接客のお仕事をしたり、古着販売をしてみたり、今は生保レディーとして営業で外回りをしている。正直、今までの仕事の中で一番気にいっている職場だ。人も優しい方々ばかりだし、ある程度の時間の融通が利くし、出会いが多く、色んな地域に行けるからちょっとした旅行気分も味わえる。ただ問題は給与面だ。正社員とは名ばかりの給料のほとんどが出来高制で、収入が安定しない。営業成績がいいときはボーナスもあるけど、成績が振るわないとボーナスはなし。一番堪えるのはなんとかかんとか苦労してご契約を頂いたのに、すぐに解約したいと言われてること。いやね。いつでも解約できるよ。でもね。じゃあ、どうして加入したと言いたい。言わんけどね。いろーんな事情があるんでしょう。わかります。わかりますとも。でもね。加入後すぐの解約は私のお給料が減っちゃうの。そこが一番きつい。そこは如何にかならんかなー。マジで。それが何件も何件も続くとさ。自分にはどうにもならないとはわかっていても繊細な私の心が傷つくんです。はい。
まあ色々あったけれども、独身おひとり様の自分を食わすだけの収入は確保できているし、人間関係も良好で、それなりにやりがいと使命感を持って社会人をやっている自分はそれなりに幸せなんだと思う。思うんだけとね。
でも、それは本当に私が一番なりたかった自分なのかな。
仕事終わりの帰り道、ひとり夜道を歩いていても感じる違和感。抑えつけられた自分の想い。世間に合わせて諦めた夢の数々。かつて子供の頃、なんにでもなれると希望に満ちていた。今この瞬間、過去に思い描いたかっこいい素敵な大人になれたと、小学生の自分に堂々と言える?――――
「言えないよ•••ダサいよね。私•••」
結局、言い訳ばかりだ。なりたい夢に挑戦して失敗したらどうしよう。自分のやりたいことを仕事にして、かつそれでご飯を食べれるなんてひと握り。そもそもなれる保証なんてどこにもない。そして、諦める。自分にはできっこない。それなら、普通に働いて、結婚して、子供産んで、育てて、おばあちゃんになって穏やかな老後を過ごせたらそれはそれで幸せよね。堅実に生きていこう•••なにそれ。違うでしょ。その幸せは本当に私の求めた幸せじゃない。
「往生際が悪いよね。私も」
わかってる。わかってる。そんなの百も承知なんだ。だからまだふらふら独身でいるだ。
何とも情けないけれど、私はまだどこかでまだどうにかできるのではないか。変われるのではないか。という幻想に囚われている。笑っちゃうね。今の会社員という安定したポジションを捨てられず(営業だからそれは違うと思うこともないけど最低限のお給料はもらえるし)、仕事でつかれたからって言い訳して休みは家に引きこもる。でも過ぎる時間には焦って、焦るだけで何をどう努力すればいのか分からない。情けないことは自覚してるから、恋愛にも臆病になった。こんな自分を好きになってくれる人なんていない。ふらふらしている自分が恥ずかしい。おひとり様なら誰にも迷惑かけないよね。なんて自己完結して、これも全部言い訳なんだよな。
奇しくも今日は私の38歳の誕生日。
感傷的になってしまったな。
でもまあ、いい加減うだうだするのも飽き飽きしてきたし、ここらで自分やりたいことをやるのもいいかもしれない。今更だけど、それこそ誰に言い訳してんだって話で。(後から思えばこの時はお酒の力で気が大きくなっていたね)
うーん。そうだな。手始めに、まずは猫を飼おうとか。いきなりなんだと思うかも知れない。実は昔から大の猫好きだったんだ。しかし、家族にアレルギー持ちだったため泣く泣く諦めた。いざ、一人暮らしを始める時にペット可のアパートが私の中で必須条件だった。ただ、日々の忙しさにかまけてお迎えができずで今にいたる。猫とか犬とかを飼うと婚期逃すというけど•••いや今更だわ。よし。確かに友人の友人が保護猫活動をしてたはず。そこにまずあたってみよう。
ふふふ。どんな猫ちゃんをお迎えしようかな。三毛猫、茶トラ、サビ猫、白猫、黒猫、白黒、灰色、サバトラとか色々あるよね。迷うけど結局猫はみんな尊い。うん。間違いない。うん。楽しくなってきた。明日は休みだし、久しぶりに友人に連絡して保護猫ちゃんについて相談してみよう。待っててね。まだ見ぬ私の愛猫ちゃん。
そうして、ビールでほろ酔い38歳おひとり様独身女性はこれからの人生に明るい希望を再度抱いて家に帰るのであった。
朝起きて、玄関の扉を開ければ異世界だったなんてその時の私は知る由もなかった。いやまじで。
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