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第7話 危険は左右じゃなく正面に



 二人はトレイを返却口へ戻すと、店を出て女たちを追った。


 今から通りに立つ女性たちと、先頭を歩く女との立場の違いは、パンツスーツの丈の長さや、プリーツのない白のカッターを着ているからではない。スラっと伸びた手や背筋、ストレートで真っ黒のロングヘアを結わずにいるからだ。



 岬 一燐 は先導する()()()さえ押さえれば、手早く終わると思っている。


 だがしかし、それは早計というものである。


「一燐、あの三人だったらどの子がいい? お金渡すから、」

「はぁ? どういう意味だよ」

「そういう意味だよ。どの子がタイプ? ん?」

「いや、結構年上そうだし、どの子もタイプじゃ、」

「それでも男か!? 情報買うためだと思ってイってきなよ」

「……、へぇっ。 そんなため?」


「するしないは一燐次第だけど、まぁ折角だからさ、」

「な、なに言ってんだよ!」


 頭がおかしいのは分かっている。勿論、イカれてるのもだ。だが改めて狂っているという事も分かった。しかし、あの女の名前と後見人のギャングの事を、低リスクで知るのなら 湖凪 クレハ の言うのも一理ある。



 それは分かってる、、、

 何が『まぁ折角だからさ』だよ

 服脱いだ時にヤバいギャングの二人が押し入ってくるんじゃないのか?

 オレごと後ろから撃つ気はないよな?



「イケる、イケない、どっちなの?」

「…… っえ、分かってるよ!」

「妬いたりしないから、頑張ってきなよ」

「ふざけやがって!」


「ただ気をつけて欲しいんだけどさ、」



 何故かこうなるのを知っててやっている様に思えてくる。


 深呼吸をして気分を少し落ち着かせ、迂回する様にシューターレーンを抜けだすと、打ち付けたピンの様に突っ立つ女の子たちに弾かれて落下し、そしてアウトホールへと吸い込まれる。


 湖凪 クレハ の予定調和に陥ちた瞬間だ。



 さっきの女の子たちを見つけた。三人は並んで立っている。しかし、あの女もギャングの男達も近くに姿はない。女の子の一人が片言で「近くの店に一緒に行かないか?」という様な事を聞いてきた。


 岬 一燐 は念入りに選ぶという様な事もなく、声を掛けてきた女の子にする。


「いいよ」と返事をすると料金表を提示された。一番安いのを選んだが、コースによって済ませる場所が違うという事なのだろう。ギギラミーの向かいにある店のトイレに誘導される。


 先客で()()が発生している。



「ちょ、ちょっと待って!」


 さっさと聞き出さないと

 すぐにはじめれてしまう



「あのさ、ここに女の子4人で来てなかった? 皆んな友達?」

「いえ、今日初めて会いました」

「お店ってここじゃないよね?」

「お店あります。 困ってることがあって。今日の夜は何処にいますか?」



 湖凪 クレハ が言うには『助けてやろうだなんて思うな』だそうだ。もしも助けたけりゃ毎日買ってやればいいのだとか。相手は生きるために僅かな隙間にさえ入り込もと必死でいる。


 だから、嘘じゃなく偽るのだそうだ。


 知りたい事は大体は聞けた。急に体調が悪くなった事を告げ、明日買う約束は出来ないまでも、また来る約束だけして別れた。



 待ち合わせ場所に戻ると 湖凪 クレハ がこちらに視線を向けていた。


「割と早かったんだね」


「これ残り」

「ん? 随分格安の手抜きサービスを選んだんだ。ふーん」

「何にもしてねぇよ、無駄に金使わずに聞き出したし、いいだろ!」


「そんなとこでコスパ重視とか、もっと楽しんだ方がいいよ」

「楽しめるワケねぇーだろ」

「はーーぁ、頭固いままだなー、もう」


 あの子も今頃、何処かの汚ねぇおっさんが買っているというのが事実。今に限って言えばあの子も、岬 一燐 の方が死ぬほどマシだったと思っているだろう。


 でも今日が終われば、明日も明後日も面倒を見てくれる、首輪の紐を握るギャングにすがる。言われた通りに頑張れば、丁寧に扱って貰えるのだからから当然だろう。


 金を払っシテてくる男と、金をハネて丁寧に扱う男、どちらが長く居られるかなんて考えなくても分かること。


 誰だって、明日は今夜の続きがロードされるというのは同じなのだから。



 一緒いたギャングは、山狼連(さんろうれん) というらしい。女の名は、町山(マチヤマ) キミコ と呼ばれているそうだ。恐らく偽名だと思われる。

 


「山狼連には、そう名乗ってるってことね」

「和海軍に山狼連、何なんだろうな。ギャングの方から探るのか?」

「今はギャングはほっといて、キミコを調べよう」

「あぁ、わかったよ」


「先に言っとくけどね、一燐」



 あの女は平穏な生活をしている様な人間じゃない

 一度でも手を出せば、脅して黙らせる事なんてできない

 もしそうなって逃しでもしたら報復を受けることになる


 だからね、そうなる前に ────



「まず私が引き金を引く、喋っても喋らなくても」


「そ、そうなるよな。……、アイツが何者かによるんだろ?」

「まぁね、だから調べるんだよ」


 対峙すれば、そうする事は分かりきっている。敵対する者に容赦がないのは相手も同じだろう。それでも 岬 一燐 は、町山 キミコ とトラブルなく姉妹を取り返せないのかと思ってしまっている。



「一燐がいい思いしようと歩いてった後ろをね、男の一人がつけてたよ」

「……、まぁ何にもしてねぇし、それに()()()と思ってたよ」

「もし二人目が買われたら、もう一人の男がケツ持ちについてく」

「三人目は、キミコ がケツ持ちってことか…… 」


「それっ、引っかかるんだよねー、ギャングじゃないだろうし」

「じゃ三人目を買うやつが来るまで張ってりゃいい」


「三人目は 一燐 が買うんだよ」

「えっまた!? どんだけサルなんだよ、って思われるよ」


「一燐と私でキミコを挟み込むんだ。共闘プレイ、いいでしょ」

「関係ない女の子を巻き込むのは駄目だ」

「心配しなくたって、直ぐに怖いお兄さんの所に走ってくよ」



 結局、三人目を 岬 一燐 が買うのは既に決定事項になっている。


 湖凪 クレハ が嬉々としているので間違いなく碌な事にはならない。しかも一番高いコースを選んでホテルへ引っ張り出すことをご所望だ。


 そして引き金を引く、そこまでは予想がつく。買った女の子を逃して、山狼連に連絡される。これで 町山 キミコ の組織と、ギャングに追われる。


 どんどん敵が増えてゆく。どんどん悪者からも嫌われてゆく。その危険な道に足を突っ込んでいる事をひしひしと感じていた。


 気を許せば殺される。手加減すれば殺される。先手を取られたら殺される。



「緊張してるのかな?」

「多少。クレハほど鈍感じゃないだけだ」

「ふーぅぅ。傷つくこと言ってくれるじゃん」

「悪かった。緊張してるよ、殺すかもしれないんだろう?」

「誰だって『殺される』を選択しない、殺すか、何もしないかさ」



 何もしなければ殺される。だから先に殺す……、そんなのは詭弁だ。だけど 町山 キミコ を暴行して吐かせたとしても、その後どうする? 結局、最も安全なのは口を封じる事。女の子の方も逃す前にヤってしまった方が証拠は残らない。



 完璧な悪者じゃないか

 そんなんじゃない筈だ

 何かもっと別の方で……



 無情にも考える時間を与えられずに、二人目が買われた。


 最後の一人を 岬 一燐 が予定通りに買う。相手は二十代半ばの明らかに日本人。幸いさっきの女の子じゃなかったのが救いだ。ギギラミー前のスペースは時間と共に人ゴミが増える一方。


 女の子にコースを伝えるとUFOキャッチャーで捕まえられたヌイグルミの様に、岬 一燐 は人のゴミ山から引っ張りだされる。


 派手過ぎるその女の子は、ギギラミーで売っているキャラクターグッズや、好みの唐揚げ君の味について 岬 一燐 話して聞かせる。


 人通りも多く飲食店が立ち並ぶ街路を話しをしながら歩いていると、女の子が誰かにブツかられて転んでしまった。


「きゃっ! …… 」


 ブツかってきた男は振り返りもせずに走り去ってしまう。


「何なんだアレ! 大丈夫か? ん!?」


 女は押さえた腹部から大量の血を流して痙攣している。


「なんだって!? おいッ、大丈夫かッ!」



    ◇



 大惨事だ。 周囲がザワつき悲鳴があがる。



 どうする?

 医者だ! 救急車を呼ばないと



「誰かーっ! 女の子がおっさんに刺されたーッ!」



 クレハの声だ

 すぐ後ろ?



「キミコを追うよ!」

「女の子が刺されたッ」

「知ってるよ、ほっとけって、死ぬかどうかは()()()次第だッ」


 大騒ぎになる前に 湖凪 クレハ について走った。町山 キミコ は少し走った先でペースを落すと、人ゴミにその身を溶かしはじめている。前方にブツかってきた男らしき姿も確認できる。



「キミコはケツ持ちじゃない、あの女を刺すヤツを張ってたんだよ」

「クレハ、どうすんだ?」

「バラけよう。どっちを追う?」

「オレはおっさんの方が手加減しなくていいから、」

「じゃ私はキミコね、ピーセレで落ち合おう」


 まさかの展開だった。横を歩いていた女の子が刺された。旧知の仲でもないし、何があってそうなったかなんて知る由もない。



 このままバラけて本当に大丈夫なのか?

 あのキミコって奴も絶対、殺すヤツだ、それは分かる!

 クレハとヤリ合う、ヤバい奴だ



「クレハ、やっぱり交代だ。オレはキミコにする!」

「ありがと、でもおっさんを任せるよ。 後でね」



 途中で通り魔のおっさは、ショッピングモールに入っていった。あまり近づき過ぎると 町山 キミコ にバレてしまう。そのため、少し距離をとって見ていた。


 男は、パーカーのフードを被っていて顔もよく見えない。おっさんかどうかも本当のところは分からない。


 男がトイレに入るのを離れた所からでも視認できた。近くのメガネ量販店で 町山 キミコ が試着するフリをしながら男を見張っている。 湖凪 クレハ の姿はまったく見えない。


 各々が違う立場で追っている。全てはあの男の直線上で。



 一人の男がトイレから出てきた。服装が違っても明らかに同じ背格好。スラブ系の美少年とでもいうべき青年が出てきた。恐らくスーチ・ルーチの手の者か。


 長い金髪を後ろに括り、そんなに大きくはない背丈。首を刺青が覆い、細マッチョよりも少しゴツく感じる。人を刺した後でも平然とした顔つきが、不意打ちでもなければ絶対に敵わない事を分からせてくれる。


 何でもなかった様に用を足し、その青年は歩いている。


 メガネ店を見ると 町山 キミコ の姿がない。当然、湖凪 クレハ はそっちを追っているだろう。


 完全に別行動だ ────



 アイツは駅へと向かって歩いている

 キミコはヤった奴の顔を確認したから居なくなったのか?

 それとも何処かで見張ってんのか?

 それならクレハも近くにいる筈



 岬 一燐 は緊縛されて選択肢はない。せめて 町山 キミコ さえ視認できれば 湖凪 クレハ も近くにいることが保証される。


 今、目の前の男のことより、湖凪 クレハ が()()()()()()()、そればかりが気になって、今までにないくらい中身が無くなりつつあった。



 何事も起こらずに駅に着いた。男の向かう先は世田谷区。



 距離をとって男をつけて行くと廃れたアパートの2Fへと上がっていった。部屋の電気がついた事を確認すると今、そこに男が一人なのを理解する。


 近くのコンビニに、ペンとメモ帳、それとコーラを買って来ると、アパート名、部屋番号、表記されている住所を書き取る。



 引き返そう

 クレハと合流して決めよう

 一対一とはいえ銃が無きゃ無理だ



 街灯がまばらで薄暗い路地を歩いていると、同い年くらいに見えるチンピラの二人が 岬 一燐 にいちゃもんをつけてきた。


「オマエ今、喧嘩売ってきたろ?」

「急いでんだ。 じゃぁな」

「オイ、待てよ」


 チンピラの一人がナイフを出した。子供が子供にナイフを突きつける。


「オイ、刺してもいいんだ、俺は」


 岬 一燐 は、刺すヤツと刺さないヤツが分かった気がした。背中からバールを抜くとそのままナイフを持つ手に目一杯振り下ろし、狼狽えるもう一方の男の顔面にも振り抜いた。


「死ねよ、ゴミッ」それはただの掛け声でしかない。


 折れて方向が狂ってしまった手首を押さえるチンピラの手にバールを振り下ろす。



 簡単だった。



 こんなゴミ、どっちだって構わない

 今、ヤってもヤらなくても、どっちだって

 でもヤっといた方がゴミに集られる人は居なくなる



 クレハがやる様にICタグをまさぐった。それ以外は僅かな現金意外に目ぼしいものがない。こいつ等は、岬 一燐 がいた同じ肥溜めのクソと大して違わない。


 蹲る二人を尻目に、何も言うことも、振り返って吐き捨てる言葉もなく立ち去った。


 その二人が誰かなんて知らない。


 何も知らないから苛立った感情はすぐに静まり返って鏡の様に今を映す。



 バールをいつもの様に仕舞うと、非常食に持っていたスニッカーズを上着のポケットから抜き出した。


 暫く眺めてみても、()()()には付いていない。


 右手の握った拳の上に銃身に見立てたスニッカーズを左手で押さえつけると、トリガーを引く真似をした。



 本当だな、引き金は軽い

 もう台無しになるものは無いってことなのかな ……



 袋を破って口に入れると「こんな味濃かったっけ」と思わず声が漏れてしまう。岬 一燐 は急いで Jピールセレクト へと向かった。



 着いた頃には日付けは変わって、行き交う顔ぶれも変わってしまっている。



「よぅ、一燐? だったよな」

「マキロ! クレハを見かけなかった?」

「へぇー、この子がクレハが囲ってる男の子」

「えーっと、リリさん、ですか?」

「そうよ、はじめまして」


「実はクレハと逸れちゃって、」



 湖凪 クレハ を見かけたら、岬 一燐 が()()に帰ってきている事を伝えてくれると言う。仲間内で広めてくれれば何れ帰ってきた時に伝わるだろう。



 Jピールセレクト の前、店内、付近をうろついて丸1日が経過した。



 クレハに何かあったのか?

 やっぱりオレがキミコを追った方が良かった!

 このまま戻って来なかったらどうする?



 待つだけというのは果てしなく長い。もう一度の世田谷区へ行ってあの男を見張っていれば、町山 キミコ と接触できるかもしれない。きっとその方が 湖凪 クレハ と合流できると頭の中に詰め込まれてゆく。



 そうなってしまえば行動に移すしか楽になれない。


「マキロ、探したよ」

「どうした? クレハとは会えたのか?」


 首を振るとメモを紙幣に挟んで伝言をお願いした。マキロは快く引き受けてくた。岬 一燐 は、よろしくとばかりに手を挙げてJピールセレクト前を後にする。



 世田谷区の駅を降りてチンピラに絡まれた場所を歩く。


 相変わらず街灯が光が届けないせいで、血が染みて黒くなっているのか、踏まれたガムが黒ずんだのか区別させない。目撃情報を求める看板はなく、平穏な夜道で言う事なしなのは上出来だ。



 あの男が住むアパートの裏手から部屋の様子を確認すると、蛍光灯がカーテンを照らして影絵を見せてくれる。中は一人なのだろうか? 確信が持てない。コンビニで買い漁った食料を食べながら行動するのを持っていた。



 数時間も経った頃。黒塗りのバンが、アパートの横に停まった。いかにもな車に、お仲間の迎えだと思考を直結させる。岬 一燐 は物陰に体を潜めて、その者たちの姿を確認しようと凝視する。



 スライドドアが開くと中から二人が降りてきて、タバコを吸いはじめる。


 こういうヤツ等がいつも同じ行動パターンなのは、様式美に従う従順さが組織で長生きするためのコツなのだと肌身で知ったからだろう。


 二人とも東洋系で人相は良くない、あの男とも雰囲気が違う。元はヤクザだろう。



 予定されてたかの様に、あの男が階段を降りてきた。髪を下ろしてスーツを着ている。何処かに出かけるのだろう。車に乗り込むと夜の闇へと溶け込んで消えてしまった。



 アパートの裏手に回って部屋を確認すると、窓のカーテンは暗幕を引いた様に暗い。もう室内の上映は終わってしまい、もう今は観客が居ない。


 侵入するなら今だ。



 塀を登れば縦樋(たてどい)をつたい、ベランダへとアクセス出来そうだ。手袋をはめて周囲に人が居ない事を確認すると塀をよじ登った。



「そこの君、手を挙げなさい」


 水を指すかの様に呼び止められてしまう。



    ◇



 不意に声を掛けられてバランスを崩して、塀の上でしゃがみ込んでしまう。振り向くとそこに居るのは 湖凪 クレハ だった。


「クレハ! マキロから伝言受け取ったんだな」

「うん、まぁね。ちょっとドキってしちゃったよ」

「何でだよ、そんな事より話しは後だ」



 湖凪 クレハ の手を取り、塀の上に引き上げるとた二人は顔を見合わせた。



「オレが先にベランダに移って、あの角から手を伸ばす」


 右手の手袋を外して 湖凪 クレハ に手渡した。


「一燐、ちょっとたくましくなったね」

「大して変わんないだろ」



 岬 一燐 は、縦樋(たてどい)に手を掛けてよじ登り、ベランダの外側から柵の隙間に足を入れて乗り移った。ベランダの外側にしがみ付いて左手を伸ばしても、あと少し足りない。


 バールを使えば届きそうだ。湖凪 クレハ にバールを掴ませると壁伝いに引き上げた。


 二人はベランダを乗り越えると、音が響かない様に窓ガラスの鍵の辺りを中心にマスキングテープを貼る。サッシをこじ開ける様にしてバールを差し込み、ガラスに押し当て、静かに割って鍵を開けると室内に侵入した。


「オレ、玄関にキーチェーン掛けてくるよ」

「私はクローゼットを見てくるね」


 湖凪 クレハ は、右手に持つフォールディングナイフの刃を開いている。


 キーチェーンを下ろし、キッチンテーブルの無い台所へと戻った。


 カップ麺だらけで、ゴミ箱を開けて覗くと食べ物の包装だけに見える。まるでホテルで出る様なゴミばかり、生活をしている感じはない。


「飯食ってんだよな」そう呟いて寝室の様子を見に向かう。



「服も荷物も大してない。ここに住んでる訳じゃなさそうだね」

「クレハ、あの男の顔見た?」

「ロシア系だったし、多分、スーチ・ルーチの構成員じゃないかな」

「だと思った」


 寝室やクローゼットには手掛かりになるものは何も無い。中身が空のトランクがあるだけだ。恐らく帰ってくるとは思われるので選択肢は二つだ。


 待ち伏せて吐かせるか、こいつは無視して立ち去るか。



「直ぐに帰ってくるとは思わないけど、どうする?」

「そうだねぇ、うーん。こいつに用がある訳じゃないんだよね。それに、」



 ただ、あの女の子を刺すためだけの構成員に過ぎないと思う

 私達が何の出来事があって、あの子が刺さたのかを知らない様に

 あの男も刺す意味なんて知らせれていないと思う



「きっと組織の上からは、結果だけ訊かれる存在だよ」



「キミコ ってどうなったの?」

「途中で夕日給食の白いバンが迎えに来て追えなくなった」


 湖凪 クレハ の話しでは、町山 キミコ 以外にも二名乗り込んだそうだ。町山 キミコ をバックアップするサポートメンバーが監視していたという事になる。


「大手の給食会社の配膳用のバンだから、どう考えたって偽装車だよ」

「オレらの顔も見られたかな?」

「さぁ、見られてても、どこの誰かなんて分からないんじゃない」



 湖凪 クレハ は、ギャング同士の抗争なのだと思っていたらしく、和海軍(ハンハイジュン)の事務所前や、シマにしている所を張り込んでいたのだそうだ。


 しかし、町山 キミコ は現れなかったため、Jピールセレクトへ戻ったのだという。岬 一燐 とは入れ違いになっている。



 分かっている事だけでは辻褄合わせが出来ない。() 誠実(チェンシー)が死亡した事による、偽造ICタグを巡る問題が明るみになった事はキッカケでしかない可能性もある。


 ただ()()を知っている者や、司法取引に応じそうな者は、岸田(きしだ) 嘉一(かい)の関係者に消されてもおかしくはない。



「そもそも人身売買の斡旋を放置してるからこんな事になるんだよ」

「そこは司法取引の条件次第だし、皆んな強制送還なんてまっぴらなんだ」


「あの刺された女の子って何だったんだう…… 」

「考えるだけ無駄だよ。そこに至るまでに色々あるだろうしさ」



 事情が分からない以上、岬 一燐 は同情が真っ先に浮かんでしまう。


 はじめに買ったあの女の子も大丈夫だろうか? 岬 一燐 に喋った内容が基になって『酷い目に遭ってなければいいな』と、無責任な希望を押し付けてることしか今は出来ない。



 暫くすれば、岸田 嘉一、(ちょう) 公士(まさひと)をはじめ、マフィアやギャングが芋づる式に摘発される可能性はある。その過程で姉妹を含めた多数の女性が保護されるだろう。


 湖凪 クレハ の話しでは姉妹は、移民一世だというから強制送還は濃厚だろう。


 摘発が早ければ早いほど、姉妹にとっての()()()()()()()だけは回避する事に繋がる。でもそれで 湖凪 クレハ は納得するのだろうか?


 どれくらいの、どんな仲であったか分からない以上、安易なことは口に出来ない。もっと聞き出す様に話しを振った方が良いのかさえも分からない。


 湖凪 クレハ の性格だと、そんな気遣いをしなくても必要があれば話してくれるだろう。その時、どう聞き返せば良いかを知るはず。



「クレハ、取り敢えずここを出よう」

「藤堂塗装工商店へ行ってみようか。ここから近いハズだしね」


 二人は、あのスラブ系の男を無視してここを立ち去る事に決める。



 ふと、湖凪 クレハ が一人暮らし用の小さな冷蔵庫の前で佇んでいる。


 意味あり気に考え込んでいる様にも見える。まさかという思いはあるが、あの男がその手の輩なら有り得ても不思議ではない。


 湖凪 クレハ の、その細い指は冷凍庫の扉を引っ掛けた。中は霜が張りすぎて小さくなった空の冷凍庫だ。


 次に冷蔵庫のドアに小さな手を掛ける。一瞬、何かを考えた様に止まったが、軽い力で開くと、屈み込んだ。



「中は酒とサラミと紙袋だ」湖凪 クレハ は見た通りを声にした。

「……、ああ。 ふぅっ、良かった」岬 一燐 は水面に顔出す様に吐き出した。



 袋の中は、シンガポールのドル紙幣とパスポート。


「このままにしておこう。割れた窓ガラスを片付けようか」

「そうだな、窓なんて開けた事も無さそうだし、気づかないかもな」


 二人は部屋に落ちたガラスの始末を粗方つけると、湖凪 クレハ を玄関から出した。岬 一燐 は、鍵を掛けてベランダに出ると鍵を戻してマスキングテープで外側から塞ぐ。


 初めから割れていて、塞いであったと思ってくれれば()()()ものだ。さっさとシンガポールにでも行ってくれた方が、お互い良い関係を築けるだろう。



 ベランダを乗り越えて下へと降りてゆく。



 塀を乗り越えて振り向くと、

「一燐!」湖凪 クレハ が飛びついてきた。


「ぅッ、なんだよ!」


 岬 一燐 の頭を思い切り胸に押さえつける様に、確かな両腕が締め付ける。



 何年も抱きしめられた事のなかった体は、腕や手の行き場を失わせ、ただ地面に引き寄せられるだけだった。だからって、リンゴと同じ原理に従っている訳じゃない。


 拳をそっと握って少しだけ抵抗できている。



「クレハッ、クレハッ!」

「えっ? 聞こえないよ! はははッ なんて? あはははー」

「おいっ」



 こんなシチュエーション、母親なら絶対に抱き締めてくれないだろう。もっと酷い結果に潰された時か、ずっとマシな結果で浮かび上がりそうな時に抱擁して存在を留まらせる。


 こんな碌でもない時に抱擁するのは、ゴミ溜めに沈んでいる時にクラゲに捕食された時だけだろう。もう痺れてしまって底まで辿り着けてしまいそうだ。



 湖凪 クレハ が 李 誠実 の手帳から抜き取っていた名刺に住所がある。


 そこに向かって街灯の下を歩き、照らされたアスファルトを踏む。


 二人だけになってしまいそうな街路を確かに真っ直ぐ進んで行く。



    ◆



第8話へつづく


 その先も、ずっとまだ先だって何も無くたって構わない。





イラストが間に合っていません。

今回はクレハちゃんが、一燐に飛びついたところをイメージしてね。


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