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第4話 探していたものと引き金を引いて

岬 一燐 & 湖凪 クレハ

挿絵(By みてみん)

 電車はセントラルブロックに到着すると、ドアを機械的に開いて人々を吐き出してしまう。ホームに溢れ出した人々はゲートへとなだれ込むと、束ねられ整えられて街へと滲み出して行く。


 他人に無関心であれば何事もない一日を送れたものを、無寛容だったあまりに怪我をする。『強い武器を平気で使う奴には気をつけろ』というサルにでも分かる教訓になった事だろう。


 階段を登った先にあるトイレで 岬 一燐 は手を洗っていた。石鹸で血を洗い落として手が綺麗になるのは気持ちよかった。それは未だ普通の感性でいると思いたい。


「クレハ、そこから上がろう」

「こっちはゲートがバラけているんだな」

「昔はそれが普通だと思ってた」

「まぁここに住んでる分には、そうなんだろうね」


 出口を上がると邪馬台区の上層だ。ロータリーでバスに乗れば 湖凪 クレハ の目的地。サジキというのは東端にある地平線から日の出を望める区画にある。


 そこには植物園に展望台と公園、霊園がある。


「サジキの何処に向かうの?」

「霊園なんだけどね」


 邪馬台区に住まう一部の超富裕層だけが墓地を所有している。この 湖凪 クレハ は外国籍の著名人の親縁なのだろうか? 岬 一燐 はマジマジと見た。


「どうしたの? 一燐」

「い、いや。霊園に用だなんて珍しいな……、って」

「うんまぁ、私も初めて行くんだけどね」


 植物園経由のバスが来た。このバスに乗れば30分程度で着くだろう。二人で一番後ろの席に座ると 岬 一燐 は高校に通学していた時の事を思い出していた。


 通っていたのは男子校だ。それに同じマンションの幼馴染の女の子と途中まで一緒に通学していた訳でもない。()()から追い出されて以来、初めて戻って来た邪馬台区に過去の生活を感じたからに過ぎない。


 頭を空にした省電力モードの日々から、過去の日常生活に復帰したみたいな気分だ。それもこんな形であの日常の続きが始まるとは、想像もしていなかった。


「どの辺りに住んでたの?」

「下層だよ、三級市民だったんだ」

「でもここに住んでたんなら、いい生活だよ」

「追い出されてそうだと分かったよ」


「お父さん唸ってたね、お母さんは大変そう?」

「今はオヤジしか居ない」

「そうか、お父さんだけでも居ればいいじゃない」

「ああ、狂ってなきゃな…… 」

「ん? 上手くいってないとか?」

「そうじゃない。向精神薬無しでは社会生活ができない」

「そうか、大変だったんだね」


 湖凪 クレハ は窓の外に広がるセントラルブロックから伸びた道路の先を眺めている。


 岬 一燐 は目を閉じた。


 ゴタンッ


 タイヤが道路の繋ぎ目を超える度にガタつき、音を立てる。


 ゴタンッ


 周囲の話し声が静かに聴こえてくる。


 ゴタンッ


 隣の住人は何も音を立てない。


 もし今、ナイフで刺されても自業自得だ。なら、目を開けて 湖凪 クレハ を見張るべきだろうか? それじゃもう、怯えているかの様な振る舞いでしかない。


 ゴタンッ


 道路の継ぎ目の揺れが強かったのか、湖凪 クレハ が身を当ててきた。


 刺された ────



「!? はッ! 」岬 一燐 は見開いた目は傾いた車内を映す。


 眠っていたのか、よろけて 湖凪 クレハ に寄り掛かっていた。


「疲れてるのかな、一燐くんは」

「あ!? わるぃッ」そう言って慌てて身を戻す。


 考え過ぎて目を閉じると、記憶まで閉じてしまっている。もう目を閉じている場合じゃない。


 数分もすれば植物園前だ。


「次で降りればいいのか、ん?」湖凪 クレハ は気に留めるでもない様子。

「その次の公園前で降りよう」

「わかった」


『北第9ブロック、サジキ公園前。御降りの方は足元に …… 』


 二人はバスを降りると道なり歩いた。巨大ダム構造の縁にあるこの場所の直ぐ下は千葉県だ。邪馬台区を囲う様に海水の堀がある。そこを海抜0mとするならば、今、二人がいる場所は40mほどの高さにある。


 歩く二人の目の前には、愛宕山(あたごやま)が広がっている。近くに迫る自然の景観と最新の人工都市が違和感なく存在しているのは、この外壁が相容れないものを区別しているからかもしれない。


 

「大きいー、向こうの果てまで公園だね」

「子供の頃は端から端まで走って回って、はしゃいで…… 」

「思い出しちゃったの? そこで走ってきなよ」

「いや、今じゃ殆ど何処に行かなくても平気だから」


 後400mも歩けば霊園の出入り口の一つに近づく。通常の市民であれば中央手前の合祀墓に入るのが一般的だ。外壁に沿った陽の光が一番はじめに当たる場所は超富裕層や著名人の墓地になっている。


「誰の墓?」

村石(むらいし) 道子みちこ

「誰それ? 有名人とかなの」

「さぁ。それより探すの手伝ってよ」

「じゃぁ、オレはこっちから見てくよ」

「よろしくね」


 邪馬台区にはこの一箇所にしか墓地は無い。高価とはいえそれなりの墓石が既に存在している。霊園自体も国立競技場並みの面積はあり、相当な時間がかかると覚悟していた。だが意外にも直ぐに()()は見つかった。


「40分くらい探したかな?」

「お手柄だよ、一燐」


 既に太陽は西側の邪馬台区の外壁で遮られて見えない。壁の縁の赤らみが本当に沈む時を伝えている。


 湖凪 クレハ は周囲を見渡している。遠くの方に人影はあるが近くには誰もいない。拝石(はいせき)を除けて骨壷らしき物を取り出そうと這いつくばる。


「おい、クレハ」

「人でも来たの? 後少しだから適当に追い払ってて」


 岬 一燐 はその行為に対して『おい』と声を掛けたのだったが、自身も初めて見る墓の中がどうなっているのかに興味津々だった。


 取り出した骨壷は想像していたよりも大きい。高さは20㌢を超えていそうだ。湖凪 クレハ は、屈んだ状態でこちらには見向きもせず、取り出した骨壷の蓋を開けた。


 中から紙包みを取り出すと蓋を閉めて拝石を戻した。


「それ何だよ? 骨か?」

「まさかそんな趣味はないよ」

「じゃ何?」

「遺品だよ、祖父の」


 この女は取るもんを取ったらさっさと移動を始める。まったく話しが繋がらない。この女の苗字は『村石』なのか? 足早に移動している事だけは確かだ。


 霊園の隅っこにある人が来なさそうベンチに腰掛けると中身を取り出した。


 銃、革の平べったいケース、9MM50の文字が読める箱。


 弾薬の箱を開けると何発か使用しているのが分かる。湖凪 クレハ は銃を手に取ると、当たり前の様にサムピースを押し下げてシリンダーを開いた。


「おま、、、クレハ、それ銃だよな」

「よく分かったね、銃だよ」

「そうじゃない。何で銃があるんだよッ」

「祖父の遺品だって」


 何度聞くんだよという表情なのか、など聞いても同じ返事だよという表情なのか分からない。開いたシリンダーには5発弾が入るらしい。弾薬を込め終わると上着のポケットに無造作に仕舞う。


 革の平べったいケースは弾薬5発分を並べて収まる大きさだ。クリップ型のベルトループが付いている。湖凪 クレハ はパンツのウェビングベルトにケースを通すと、隙間から見えるリングの様な部分に指を引っ掛けて抜き出した。


 抜き出された物はチェーンの様な構造をしていてクルっと丸く円を作った。


「何それ?」

「ラピッドローダーと言って、弾を早く込めるもんだよ」

「そうなんだ、よく知ってるな」

「私のは無かったんだけどね」


 前も所持していたという回答でしかない。


 ステンレス素材をしたラピッド式のスピードローダーに弾を嵌め込み終えると、伸ばしてケースに押し込んだ。銃撃戦でリボルバー式のリロードをアシストするための補助アイテムだ。


 通常、威嚇や脅すために銃口を向ける。撃っても2発までだろう。



 湖凪 クレハ が箱の中の弾を数えている、28発だ。箱を上着に仕舞って 岬 一燐 に声を掛けた。


「何か食べる?」

「ああ、そう言えば腹減ってたな」

「奢るよ」

「何か協力しなきゃいけないの?」

「遺品探しのお礼だよ」


 今この瞬間でさえ銃を所持しているとは思えない。


 本人も恐らく知らないであろう他人の墓、それも遺品の銃が出てくるだなんて出来過ぎだ。聞きたい事が山ほどある。知れば知るほど『お前、何なんだよ』って言いたくなる。


 だが反対に 湖凪 クレハ の方は 岬 一燐 に対して、言いたくなる事も、聞きたくなる事も殆ど無いのだろう。興味を引く様な部分が少ないのは、幼少期からの倫理観に大きな格差があるからかもしれない。


 経済格差だけではなく、民族性や宗教観や既得権益の不一致は露骨になり、各々が暮らす生活圏の倫理観は埋められないほどに狂ってしまっている。



    ◇



 二人は展望台にあるフードコートへと向かうため、元きた道を戻って公園を歩いていた。夜のとばりが下りはじめると、四方から街灯に照らされ続けるせいか二人の陰は曖昧に混ざり合う。



 〝展望台で飯食うのなんて何年振りだろ?

  オヤジの夕飯、買って帰らなきゃなんねぇ

  少しばかり家に現金は置いてある〟


 〝腹が減ったら流石に自分で買いに行くだろ?

  どうなんだよ …… 〟



「折角だから展望台に登ってみたいんだけど、お腹減って死にそう?」

「大丈夫、構わないよ」

「ちょっとだけ見たら、ご飯にするからさ」

「いいって大丈夫だって」


 ここの景色は日の出だけじゃない。都内の夜景が絶景の人気スポットとしても有名で、観光客、カップル、家族連れで年中賑わっている。


 建物のにして2階ほどの階段を上がって行けば、屋上階が展望ステージとして広がっている。



「見えてきた見えてきた。 っわぁ〜〜」


 湖凪 クレハ は深く息を吸い込ませて感嘆の声を響かせる。


 そこから見えるのは『都内の琥珀色の光』と『邪馬台区の青白い光』。二つの異なる光は銀河系から飛び出した恒星を思わせる。その輝きは断続的に果てしなく繰り返し、互いがリアルに存在している事を体感させ圧倒する。


「凄いね。同じ世界にあるんだね」

「こんなに近いのに……、遠いな」


「ご飯食べたら近くなるって」軽やかな口調で感傷を一蹴させてしまう。


 下のフードコートは徐々に賑わいをみせ、後1時間もすればピークの時間帯を迎える。好きな物をご馳走すると言う 湖凪 クレハ に、申し訳ない思いが湧き立ちはじめていた。


 岬 一燐 からすれば2つ歳上とはいえ、金額的に高い事は分かっていた。それにズボンに現金も入っているから尚更だ。


「それにしなよ」


 色々見た中でステーキ丼のパネルの前で足を止めたからだろう。子供の頃は何とも思わず注文して貰っていたが、4200円もするとは思いもしなかった。


 金に糸目を付けずに欲しい物を素直に言える子供は、無駄な小骨がない証拠。


「いや、ちょっと高くて」

「構わないよ、大盛りにすれば身長も伸びるんじゃないの」

「ああチビで悪かったな! じゃぁ大盛り食って試させて貰うよ」


 湖凪 クレハ は笑ってあしらう。それが自然体なのか、世渡りの違いからなのか、上手く丸め込まれてしまっている気がする。


 悪い気なんてしない。後ろめたい思いもない。不思議だ。


 呼出しベルが音を立てて振動している。二人揃ってステーキ丼を受け取る姿は、傍目には姉弟の様にでも映っていたことだろう。


 無我夢中で食べる 岬 一燐 に「ゆっくり食べなよ」と声を掛けるのも姉の役割なのだろうと思う。食べ終えた二人はこの後の事について話しをした。


 湖凪 クレハ はここで人と会う約束があるらしく、北第6ブロックの駅で解散すると告げられる。「そのICタグはあげるよ」と言われ、預けていたICタグも返された。


「駅で欲しいものでも買ったらICタグを捨てればいい」と言われたが、自分のIC タグに紐づく残高はゼロだ。ズボンのポケットに手を当てて、減るのは仕方ないと諦めた。



 それで互いの協力は果たされる事になる。



 岬 一燐 からすると真っ当と呼べるものでは無い一日を過ごした。そうだったとしても、(さく)をすり抜けた先にある世界も案外近いところにある事を知った。


 湖凪 クレハ のその後のことなんて知る事はないだろう。


 知りたいとも思わなかったが『何事もなければ良いな』と、意味のない願望を揺ら揺らと動く髪に抱いていた。



 返却口にトレイを並べると、そこからは帰る場所へ向けての旅路。


 建物の出入り口で中年の男と若い女のカップルにすれ違った。店を出て数歩先まで進んで行くと突然、建物の柱の陰に押し込めれた。岬 一燐 は『何だ』とばかりに 湖凪 クレハ の顔を見返す。


「予定が変わった。一燐、ここでお別れだ」

「何だ? どうしたんだよ」

「ゲートを潜る前に、ICタグ捨てるの忘れないようにね」

「いやそうじゃなくて、どうした?」


 その顔つきは電車内で女を刺した時よりも、冷たく冷静で澄んでいた。恐らく原因は出入り口ですれ違った中年の男か若い女のどちらかに違いない。


 まさか父親が若い女と浮気している場面に出会したとかではあるまい。


「もう行った方がいい」

「駅で解散しないのか?」

「私は大事なことから先にヤる事にする」

「……。さっきの二人か?」

「帰った方がいい、お父さんが待ってるよ」


 駅で別れることには何とも思わなかった筈なのに、ここで別れるのは何かが失敗する様な気がしてならない。それに帰ったところで、いつもの日常から更に一段下がった無職という生活の続きが、明日またロードされるだけだ。


 それに歳の違わない女に、金だけ貰って自分は帰るというのは抵抗感がある。


「なぁオレも混ぜてくれ、一つ協力するからさ」

「……、はぁー、仕方ないなー」


 表情が食事していた時の様に戻っていた。岬 一燐 はどっちがどうという気はない。ただ、マシな方に『ちょっとは確率が上がったんだろう』くらいには思っていた。



「さっきすれ違ったおっさんは、入管の奴なんだ」

「そうか、クレハのオヤジさんじゃなくて良かったよ」

「ホント違って良かったよ。ずっと探してた奴なんだ」

「何で?」


「捕まった不法滞在者は、移民裁判所で発送先を言い渡される」

「うん?ああ、強制送還のことだな」

「そう、だから捕まると何でも言う事を聞くんだ。分かるだろ?」

「……、クレハが滅茶苦茶してるのは、」

「捕まったのは、私のいとこ姉妹だよ」


 3週間ほど前に捕まり連行されたそうだ。その際、警察官二人がさっきの奴を呼んで何かをチェックし終えたら、パトカーで姉妹を連行していったという。


 パトカーを見失っため、移民裁判所を見張っていたそうだ。だが一向に現れなかったため、マフィアか何処かの買主へ引き渡されたのだという。


「幾つだよ。いとこの姉妹」

「14と12だ」

「ぁぁ、なんてことだ …… 」


 同じコミュニティの女の子も同じ目に遭っていて、不法滞在者の間ではよく知られた事なのだとか。親が強制送還され、残された姉妹を同じ境遇の 湖凪 クレハ が面倒を見ていたそうだ。


 さっきの若い女もそうなのかどうかは傍目からは分からない。湖凪 クレハ の見立てでは、どこかの接客担当じゃないかというのだが……、本人に直接聞かなければ分りはしない。



「協力をして。もしあの二人が別行動したら女を追って欲しい」

「ああ、もしそうなったら、その後はどうやって連絡取ればいいんだよ」

「今日会った地下街のAEDの辺りで2日後までに落ち合う」

「2日ってなげェーな」

「ずっと待ってる必要なんてないよ、何度か顔出せば会えるから」

「それで会えなければ?」

「私が捕まったと思えばいい」


「オレのICタグを預かっといてくれ」

「わかった、いいよ。好き勝手使うから紛失届けは忘れないでね」



 岬 一燐 は女が別行動をした場合、何処に住んでいるのかさえ突き止めれば良いと理解していた。だが、その後どうなるのかまで考えは及んでいない。けれども何故か自分の正しさが(みな)っていた。



 建物に戻ってフードコートを見渡したが、そこには居ない。奥のレストランへ入ったのだろう、ここからでは姿を確認することは出来ない。取り敢えず建物の出入り口に近い席に座って、二人が出てくるのを待つ事にした。


「時間かかるだろうから、ポテトでも食べよっかぁ」

「いいな、ポテト」


「あの女には顔を覚えられない様に気をつけてね」

「ああ、気をつけるよ」



 少しだけ明日が遠くなりそうな気配がする。



    ◇


 ポテトとコーラで時間を潰すことになる。何となく今日は帰れない様な気がしている。それでも、いつもの明日じゃなさそうなのは何よりも救いだ。



 〝レストラン、ステーキ丼の大盛り、ポテトにコーラ……

  こいつ等は、こんな事してて、無茶苦茶に金持ってて

  なんでだ?〟



 岬 一燐 の考える『こいつ等』は、湖凪 クレハ と 入管のおっさん の事だ。明らかにカタギではない奴等の方がいい暮らしをしていると。切り取った側面に恨めさを抱くのはよくある間違いの一つ。


 何故? と疑問に感じてはいても、自身も違法行為をしているからこそ、フードコートで好きな物を飲み食いをしている。その事実は薄められて未だその事に気づけていない。


 1時間を過ぎた頃、フードコートはごった返しきている。そろそろ食事を終える頃合いだろう。レストランのドアが開いて出てきた二人は、屋外へ繋がる通路へ姿を現した。


「一燐、出てきた」

「やっとかよ」

「食事はしっかり噛むもんだよ」

「小学生かよ」


 

 建物を出るとすぐ、近くの公園に隣接する大型駐車スペースに向かう感じだ。外部から接続された高速道路は、邪馬台区の外周をループする様に整備されている。自家用車はそこでしか乗ることが許されない。


 各所に設けられたサービスエリアを兼ねた大型駐車スペースは、個人の駐車場としても機能している。邪馬台区で個人が車を所有するのは生活としての車ではなく趣味のためのものだ。


 邪馬台区内ではタクシーを含む公共交通機関の乗り物を利用する事になる。


 黒塗りのバンが駐車場を歩く二人を迎えに来たかの様に停車した。ドアがスライドして開くと女は乗り込んだ。すると交代する様に車から降りてきた男二人が、入管のおっさんと談笑しているのが窺える。


 おっさんに手提げ袋を渡すと、二人の男も車に乗り込み船橋方面に去って行った。


「車じゃ、女は追えない」

「大丈夫。降りてきた男は見た事がある和海軍(ハンハイジュン) の奴だ」

「ハンハイジュン?」

「台湾系中国移民のギャングだよ、自分たちの事を日本海軍って名乗ってる」

「さぞいい内装してんだろうな、あの戦艦」


「あっちは後にしておっさんの方をつけるよ」

「反社じゃねーかよ、あの役人」


 反社のおっさんはサジキ公園前の停留所まで戻ってきてバスを待っている。タクシーを呼ばずにバスを待つ姿は、サリーマンらしさが板についている。そんな筈なのに 岬 一燐 は、あの役人が受け取った袋には謝礼金が入っていると想像していた。



「あの一団もバスに乗る様だし、後ろについて並ぼう」

「皆んな、中層住みなのか …… 」バス停の表示を見て思わず呟いてしまう。


 乗り込んだバスは上層の外壁沿って南へと走行すると、内側へ車線を変え中層へと進んで行く。反社のおっさんと数人がバスを降りた場所は、近未来感の強い住宅区画だ。各々が住まうマンションへと吸い込まれ通りの影を消す。


 周りに人がいなくなった ────



「一燐、ここで待つんだ。絶対に名前を呼ぶなよ」


 そう静かに言うと小走りで前へと走って行った。


 問答無用で反社のおっさんの右腕、ほぼ肩の下あたりにナイフを突き刺した。男は何が起こったのか分かっていない。腕に激痛が走ったのだろう「痛っでえぇッ!」と声をあげて左手で押さえた。


 押さえた左手の甲の上から銃の引き金を引いた。


 ダンッ


 岬 一燐 は『クレハ』と呼び止めるも何も、呆気に取られて声が出ない。


「ねえ、おじさん、聞きたい事があるんだ」


 慌てふためき走って逃げようとするその右腰辺りに引き金を引いた。


 ダンッ


「質問に答えなきゃ、喉を撃つ」

「うわああー、やめてくれ!」


「3週間ほど前、不法滞在者を売っただろ?」

「やめてくれ、撃たないでくれ!」


「何処の誰に引き渡した」

「助けてくれ、金ならやる!」


 喉の下辺りを撃った。


 ダンッ


 ポケット探り、携帯と手帳を抜くと反社のおっさんの指で携帯のロックを解除を試し、開くと手早く操作している。


 岬 一燐 も詰め寄ってきた。


「ホントに撃ちやがった!」

「気にするな、ヤったのは私だ」


「そいつの持ってた袋! 中身は金か!?」

「触るな! 私とは違うんだから」


 湖凪 クレハ が先に袋を鷲掴みにした。


「中身はICタグだ、ホラ。 恐らく空か偽造用だ」

「何だって!」


「行くよ!」湖凪 クレハ は全速力で走って行く。慌ててその後を追いかけるしかない、上層に向う気だ。


「下だ、下に降りろ!」岬 一燐 が指示すると、二人は連なって下層への階段を駆け降りた。


「このまま一旦センターブロックまで行こう」

「やるじゃん、一燐」

「なに笑ってんだよ!」


「碌なことになんなくってゴメンね」

「おま、、、絶対思ってもねーだろッ」


 車が途切れる合間を縫って車道を横断し、中央分離帯の上を二人は走って行く。


「一燐! あそこのバス停でバスに乗ろう」

「利用者から足がつくんじゃ、」

「大丈夫だよ」

「ナニの何処が大丈夫なんだよッ!」



 ちょうど後方からバスが走ってきている。湖凪 クレハ がポーチからICタグを取り出すと、それと交換させられた。何事もなく乗り込んだバスの車内でようやく一呼吸つけた。


 センターブロック手前の停留所で下車する事にした。直ぐにICタグを捨てるのだという。


「そこの溝に捨てよう」

「ああ」


「はい、コレさっきのね」そう言ってはじめに渡されたICタグが返ってきた。最早これこそが自分のなんじゃないかと思えるくらい『アハマド、アル・ハシャーニ』のIC タグに愛着が湧いていた。


「クレハ。それまさか、オレのICタグじゃないよな?」

「あれ? 信用してないんだ」

「信用はしてるよ。実はオレのICタグ、空なんだ」

「えっ、マズイじゃん」そう言ってポーチを取り出す素振りを見せる。

「お、おま、クレハ! マジか、っははは、やべーだろ」


「んー」首を傾げて『グエン・ティ・ユエン』と読めるICタグを見せられた。


「? っはははー 誰だよッそれ!」

「あっははははははーー」



 幸い人通りは少ない。ガードレールにもたれ掛かって携帯の履歴を確認しはじめた。いとこ姉妹が捕まった日の着信履歴を確認している。当然相手は警察官ということになる。奪った手帳に『(ちょう) 公士(まさひと)』と書き、電話番号を控える。


 今日の履歴、それもレストランで食事中に掛けたとみられる電話を見つめている。手帳に挟んでいる数枚の名刺と照らし合わせると同じ名と電話番号のものがあった。『藤堂塗装工商店』、住所は世田谷区になっている。


 携帯の自局番号から恐らく本人と思われる名前、『() 誠実(チェンシー)』という名前と電話番号、住所を控えた。


 手帳を一通り捲り、白紙数枚と控えたメモを破り取ると手帳を捨てた。


「こんな奴にすら、名前も住所も職業もあって登録もされている」

「まぁ……、オレも深く考えたことは無かったけど …… 」


 湖凪 クレハ は何者かですらない。



 岬 一燐 は痕跡を残せば、何れ割り出されてしまう、探し出されてしまう、父親の岳生 の元へ警察官が訪れるだろう。『触るな! 私とは違うんだから』と言った意味も分かる気がする。


 この少女の様に存在していない者達は、この世界にはいる。


「私なんてどこ探しても見つからないよ」


 怒りでもなく、嘆きでもなく、淡々とそう声にしている。


「AEDの前なら2日も待ってりゃ見つかるんじゃなかったのか?」

「そう、多分そう。もし見つけられたんなら、私だよ」


 エレベーターで上層へ向かう。上層までは長いため幾度か乗り継ぐ必要がある。中層を超えてから人が増え出したのは、ここが邪馬台区の夜だから。



    ◆



第5話へつづく


 いつもの明日なんかより、今だけが確実に存在させてくれる。



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