7. 叔父の逸品、万能
少女は悲痛な声で訴える。
「殺さないで……!」
そう言われても。
目の前のウサギは、唸り声を上げて今にも飛びかかって来そうな様子だ。殺さずに止めるとなると──
「……あ」
一つ、心当たりがあった。
背中に刺さっていた"アレ"を引っ張り出し、構える。
「……!だから、殺さないで欲しいの──」
「大丈夫だ」
僕は駆け出すと、ウサギたちの群れへ飛び込んだ。地面を蹴って飛び上がると、獣の額めがけてそれを振り下ろす。
ぽかんっと乾いた音を響かせて、額にヒットする。
その瞬間、ウサギは「キュッ!」と小さく鳴いた。周りの奴らも、戸惑っているように見える。
「……これ使えるな」
僕の叔父は、木刀職人だ。
ここまでの道中、ずっと邪魔に思っていたことを、申し訳なく思った。この井戸に入ってからというもの、こいつには助けられっぱなしだ。
ウサギたちが面食らっている隙に、僕は次々と額に木刀を叩き込んでいく。
少女は、その様子を目を丸くして見ていた。
が、すぐに我に返り、大きなマントと帽子を脱ぎ捨てながら、徐々に数に押され始めた僕の元へ駆け寄ってくる。
「待って……みんな……!」
その声に、ウサギたちの耳がぴくりと立つ。
そして彼女の顔を見るなり、僕への攻撃が止んだ。
「なんだ……?」
目の前にいるのは──耳がもふもふ、尻尾ももふもふ、全身ふわふわでつぶらな瞳のウサギ……らしき魔物。
その豹変ぶりに、僕は顔を引き攣らせる。
「こいつら、一体何なんだ?」
そう言いながら彼女の方を見て、更に驚いた。
大きくピンと立った耳に、立派な毛並みのしっぽ、ツンと上がった鼻──
"獣人"だ。
あの大きな帽子とマントは、この姿を隠すためか。
百年ほど前までは一大勢力だった獣人という種族も、近年その数を大きく減らし、今ではほとんどお目にかかれない。
……というか、僕も見るのは初めてだ。
つい、上から下まで見てしまう。
だが、獣の耳やしっぽなんかよりも、美しい銀色の髪と瞳の方が、僕の目を引いた。
「ごめんなさい。……でも、この子たちを許して欲しいの」
彼女は、足に絡みついて甘えるウサギたちの頭を撫でる。
「いつもお腹を空かせてるの。活動するための魔力が足りないから、集めているだけ」
「魔力を?」
「ラビュールは、あまり食事を取らない。魔力さえあれば足りるの。魔力の強いものから吸い取ったり、小さい魔獣を狩って魔力ごと食べたりもする」
先ほどの、凶暴だった時の姿を思い出す。
「この子たちは……人間の子供の姿になる。そして、魔力の強い人間を誘い出して、魔力を貰っていたみたい」
「ああ、そういうことか……」
ようやく、街で話を聞いた時からの違和感が繋がった。
目撃情報はたくさんあったのに、誰一人、自分の子や知っている子が攫われたとは言っていなかった。全員、他人事のようだったのは──そもそも “子供じゃなかった” からだ。
「随分と頭のキレる魔獣なんだな、ラビュールは」
「……あまり、こんなやり方をすることはないと思うの。でも、ラビュールは本来、高度な擬態ができる魔獣だから」
「でも、うまくいかなくて飢えていたんだろ?」
「私も、ここで初めてこの子たちに会ったの。ただ、放っておけないから……ご飯をあげていただけ」
そう言って彼女は持っていた袋を開け、中身を見せる。
中には、真っ赤なりんごがたくさん入っていた。
ラビュールたちがそれに反応して飛び跳ねる。
「りんご……?」
「私の魔力を込めてあるの。色々試したけど、りんごが一番魔力を溜めやすい」
幻術にかかった時の、甘い香りを思い出す。
まさか、あれもこの子の魔術か。
「ここに来るまでに、いくつも罠があったが……」
「私が作ったの」
「どこが『ご飯をあげてただけ』だよ……!」
僕が呆れても、彼女は気にした様子もなく、ラビュールたちにりんごをあげ始める。
よく注意すれば、そのりんごからはかなり濃度の高い魔力が感じられた。
こんなものを、いつも貰っているのか……?
それなのに、魔力が足りずに飢えるなんてことがあり得るか?
「あなたも食べて」
彼女が、僕にりんごを差し出してくる。
「怪我してるの。これは、怪我によく効く」
一瞬躊躇ったが、差し出されたりんごを受け取り、一口齧る。
「……!治癒魔法……か?」
ラビュールにやられた傷が、みるみるうちに癒えていく。
こんな高度な治癒魔法を……。
「……ありがとう、殺さないでいてくれて。あなた、優しいの」
そう言って、また真っ直ぐ僕を見つめてくる。
「名前は?」
「……アレンだ」
「アレン……」
二人の間に、一瞬の静寂が流れた直後。
──ズン……ッ。
地面が低くうねるような、重たい振動が奥から響いてきた。
「……何の音だ?」
振動は、徐々に近付いてくる。
「おい、ここはまずい!逃げ──」
言い終わらぬうちに、奥の闇の中から巨大な影が姿を現した。
全身を覆うような白い毛並み。
しかしその白は、ボロ布のように濁っている。
並外れて大きな耳、裂けたような瞳、そして口元から覗く、信じられないほど大きな前歯。
それはまるで、怪物のようなウサギだった。
「こいつ、母兎じゃないか……!」
ギルドのクエストでも、討伐ランクはS。
超大型のウサギ型魔獣で、周囲の生物の魔力を根こそぎ持っていくことから、危険度を鑑みてS認定を受けている。
しかしそれだけではなく、戦闘力や凶暴性も、もちろん高い。
僕は背中の剣に手をかける。
振動が近づくたびに、広間全体が揺れる。母兎の眼が、こちらを捉えた。
瞬間──地を蹴った。
風を裂く音とともに、巨大な影が一気に距離を詰めてくる。
「──っ!」
咄嗟に剣を抜き、振りかぶる。
狙いは、跳びかかってきた顎先。
「はあぁッ!!」
金属の火花が弾け、衝撃で体が吹き飛びそうになるが、踏みとどまる。
「硬ぇな……っ!」
母兎は着地と同時に、前足で床を叩き割る。破片が飛び散り、足場が崩れた。
「なに……この怪物は……」
少女はがくりとへたり込み、ラビュールたちも震えながら彼女の周りに集まっている。
「そいつら連れて、下がってろよ……!」
息を切らしながら構えを直す。
対する母兎は、明確な殺意を帯びて再び跳躍した。
僕は横に跳び退りつつ、刃をなぞるように魔力を流す。
青白い光が刀身を包んだ。
「……いよいよ"勇者"って感じだな」
恐怖心と覚悟を乗せて、僕は再び飛び込んだ。
次回は、明日の夜21時頃に更新予定です。