14. 僕の前から消えた君
金髪の男は、やや驚いたように目を見開いたまま、ノエリアの名を呼んだ。
「ノエリー……だよね?」
その声に、ノエリアの肩がびくりと震える。
視線を交わしたまま、短い沈黙。
「リオン……どうして……」
ノエリアの口から、絞り出すような声が漏れた。
少し遅れて、僕の方にも金髪の男の視線が向けられる。
年齢は僕たちより少し上だろうか。軍服の上に簡素な外套を羽織り、革の手袋を片方だけ外している。所作の一つ一つがどこか洗練されていて、いかにも "育ちの良い貴族出身の騎士" といった雰囲気だ。
「こんな場所で君に会えるなんて、本当に驚いたよ、ノエリー」
リオンは目を細めて、微笑を浮かべる。
その柔らかな口調とは裏腹に、彼の目はノエリアを細かく観察していた──表情、仕草、立ち位置、そして、僕との距離までも。
「そちらの彼は?」
あくまで丁寧に、けれど確実に探りを入れるような声音で、リオンは僕を見た。
「アレンだ。ノエリアと一緒に旅をしてる」
「そう……旅の仲間ってわけか。ああでも、もしかして──」
彼の視線が、僕とノエリアの繋いだままの手に向けられる。
「君が今の恋人?……そっか、なるほど。ノエリアの好みって、昔からあまり変わらないんだな」
わざとらしく頷いてみせながら、にっこりと笑うリオン。
ノエリアがびくっと反応し、慌てて僕の手を離した。
「ち、違うわよ。アレンはただの仲間で……」
「はいはい、そういうことにしておくよ」
肯定も否定も聞く気がない様子で、リオンは肩をすくめた。
「ノエリアはどうしてリオルメアに?」
「旅の途中で、たまたま通りがかっただけよ。……あなたこそ、どうしてここに?」
ノエリアが問うと、リオンは芝居がかった仕草で微笑んだ。
「僕はこの国の騎士団だよ?この辺りにはよく来るさ。それよりも──」
「ちょっ……」
リオンがぐっと距離を詰め、ノエリアに顔を近づけた。
さっき見たあの記憶が、僕の脳裏をちらつく。
「あの頃とは違って、今はもう騎士団の中でも中央所属になったんだよ。君も応援してくれていただろう?ノエリー」
「そうなのね。……おめでとう」
「ありがとう。それより、このあと食事でもどうかな? 久しぶりにゆっくり話したい」
ノエリアは目を伏せる。
「……今日は忙しいの。だから申し訳ないけど──」
「そうか。……じゃあ、今日はこれで引くよ」
リオンは少し寂しげに笑いながらも、きっぱりと姿勢を正した。
「でも、こうして偶然会えて嬉しかった。……君が僕の前から消えた日から、ずっと心残りだったから」
「消えた……?」
「この街にはまだいるんだろう?きっとまた会える」
リオンは背筋を伸ばし、騎士らしい敬礼のような所作で帽子のつばを押さえた。
「またね、ノエリー。……と、アレン君。お邪魔したね」
「ちょっと、リオン……!」
そう言い残すと、リオンは夕暮れの街角へと背を向けて歩き去っていった。
その姿勢のいい背中を、僕たちは黙って見送る。
ノエリアは困惑の表情を浮かべて、深く息を吐いた。
「……ごめん、アレン。驚かせちゃったわよね」
「まあな。……あいつが、さっき言ってた“元恋人”ってやつか?」
ノエリアは黙って頷く。
「聞きそびれてたけど、一体どんな別れ方したんだ?あいつ、未練があるようにしか見えなかったけど……」
「違うのよ……!」
彼女はそう言うと、立ち塞がるように僕の正面に立つ。訴えるような目。
「彼の言っていたこと、私の記憶とは違うの」
その目に嘘はないように見えた。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
「──そんなことがあったのか」
フィズが頬杖をつき、椅子をゆらゆらと揺らす。
あれから僕たちは聖堂から出てきた三人と合流し、軽く夕食を済ませ宿を取った。
宿の一階、奥まったところにある小さな共有スペースには、人の気配がほとんどなかった。夕食の時間をとうに過ぎ、他の客はすでに部屋に引き上げたのだろう。
部屋の中心に据えられた丸テーブルの上には、細い蝋燭が三本、不安定な火を灯している。
炎がゆらゆらと揺れ、木壁の節や床板の継ぎ目をまるでさざ波のように照らしていた。
「で、ノエリアの記憶と違うっていうのはどういうことだ?」
僕が尋ねると、ノエリアは一呼吸置いてゆっくりと話し始める。
「さっきリオンは、『君が僕の前から消えた日から、ずっと心残りだった』。そう言ったでしょ?」
「ああ、言ってたな」
「それがおかしいのよ、だって──」
どこかの隙間から吹き込んだ夜風が、蝋燭の火を一瞬だけ揺らす。
「振られたのは、私の方なんだもの」
ノエリアの言葉に、一瞬皆黙り込んだ。
蝋の滴る音と、椅子のきしむ音だけが響く。
「どういうことだ?振られたのがノエリアの方って……」
「でもあいつ、まるでノエリアが突然自分の前からいなくなったかのような口ぶりだったな」
ノエリアの言う事が本当なら、リオンのあの言い方は確かに引っかかる。
「だ、だけどよぉ」
レリクスでの一件以来、口数の少なかったオリバーが身を乗り出した。
「話を聞く限りその男、ノエリアに未練タラタラって感じじゃねえか。自分の都合のいいように話を捻じ曲げてる可能性もあるんじゃないか?」
お前が出てくると話が拗れる、と言いたいところだが、今回ばかりは一理ある。
実際にリオンと対峙した僕の目から見ても、その可能性は否めない。
「確かに。ノエリアとの別れを、少し詩的に表現しているようにも聞こえる」
フィズもそう続けるが、ノエリアは納得いかないといった表情だ。
「リオンのことをよく知ってる私から見ると、あれは……」
そこで言葉を止めたノエリアが顔を上げると、他のメンバーがなぜか妙な空気に包まれていた。
「……何よ、その顔」
「いや、レリクスで見た記憶を思い出してな……あれはもう、“ただならぬ関係”だったのだなと」
「やめてよフィズ!蒸し返さないで」
「ゔ……」
オリバーが、声にならない声をあげる。
「せっかくちょっと忘れかけてたのに……」
「傷口に塩を塗るようで悪いんだが、レリクスにはもう一度行かないといけないからな」
僕がそう言うと、ノエリアは顔を青くした。
「またあそこに……」
「アレンとグレーズの件だろ?早い方がいい、明日またみんなで行こう」
「すまないな」
「気にするな。二人のせいじゃないしな」
フィズはそう言って、大きく伸びをした。
オイルの香りと、ほんのりとした木の匂いが混ざり合って、夜の空気をやわらかく包んでいる。
話し合いも一区切りつき、一人、また一人と部屋へ戻っていった。気がつけば、残ったのは僕とグレーズの二人だけ。
蝋燭はいつの間にか一本だけになり、その小さな炎がふたりの間で揺れている。
「ねえ、アレン」
掠れたような声が、そっと落ちる。
「……アレンは、不安じゃない?」
グレーズはコップの縁を指先でなぞりながら、目線を落とす。顔には、わずかに不安の色が浮かんでいた。
「記憶水晶のことか?」
「うん……」
「不安な気持ちもあるよ。だけど、好奇心の方が僕は強いかもしれない」
グレーズの瞳が揺れる。
「……グレーズは、怖いのか?」
穏やかに返すと、彼女は小さくうなずいた。指先は、ずっとコップの縁を動いている。
「みんなと違うことが怖いの。私だけ、世界から弾かれるのが怖い……」
僕は、蝋燭の炎越しに彼女を見つめた。
「……そうか。でも、それなら心配いらないな」
「え……」
「弾かれるなら、僕も一緒だ」
その言葉は炎の揺れと共に、静かに空気に溶けていった。
グレーズは目を伏せ、唇の端をわずかに上げる。
「……ありがと」
そして、そう小さく呟くと立ち上がった。
「私も戻るの」
「ああ、おやすみ」
小走りで階段まで行ったところで、グレーズはくるりとこちらを振り返る。
「私ね、あの時、怖かったけど……アレンと同じだと思ったら、ちょっとだけ嬉しかったの」
グレーズは目を細めて笑った。
そして、今度は振り返ることなく階段へと消えていった。
僕はその背中を見送り、静かに息をつく。
蝋燭の炎が最後に一度だけ大きく揺れ、そして音もなく消えた。




