13. ご本人様登場
時が止まったように、誰もが息をするのを忘れていた。
静寂。
「──やめなさいっ!!」
ノエリアの絶叫が、聖堂内を切り裂いた。
彼女は前へ一歩踏み出し、泡へ向かって手を伸ばす。次の瞬間、蒼い泡が衝撃波のように弾け、鋭い閃光を放ちながら霧散した。
砕けた泡のかけらが、音もなく床に散り、すぐに消えていく。
ノエリアの顔は、怒りと羞恥とで真っ赤だった。
「……い、今のって……」
フィズが口元を手で押さえ、声を漏らす。
「やめろっ……何も言うな……」
ノエリアは唇を噛み、肩を震わせる。全身を怒らせ、剣でも抜きかねない気配。
「あ、あの……ノエリアさん……」
僕は恐る恐る声を掛けた。
他のメンバーは皆、言葉を失い固まっている。沈黙が重く、フィズの咳払いすらやけに大きく響いた。
俯くノエリアに一歩近づいた、その時。
どん、と肩に衝撃が走り、気がつくと僕は尻もちをついていた。
涙目のノエリアが、こちらを見据える。
「……最低……!」
誰に向けた言葉かもわからない。
けれど次の瞬間、彼女はくるりと踵を返し、入口の方へと駆け出した。
外套が翻り、聖堂の扉が勢いよく開け放たれる。
「ノエリア……!」
──バタン。
乾いた音を残して、扉が閉まる。
残された僕たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
ほどなくして、一般の参拝客たちがざわめき始める。
「……まさか、あの子の記憶だったのか?」
「あの突き飛ばされた男……相手じゃないのか?」
「なんにせよ、生々しかったなぁ……」
視線が痛い。興味本位と好奇心と、いくらかの同情、そしてほんの少しの悪意。
「あいつら好き勝手……!」
「……フィズ」
拳を握りしめるフィズの肩に、グレーズがそっと手を置いてなだめる。
オリバーは、まだぼんやりと口を開けたまま、何かを思い出すように虚空を見つめていた。
「……少し、外の空気を吸ってくる」
気づけば、僕はそう口にしていた。
誰も返事はしなかったが、グレーズだけが「アレン……」と小さく呟く。
そんな三人を背に、僕は聖堂を後にした。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
扉を抜けると、外は既に夕暮れだった。
夕焼けに染まった街路には人影もまばらで、来た時よりも落ち着いた様相を見せている。
僕は正面の道を、そのまま駆け出した。
衝動的に追いかけてみたものの、正直、ノエリアに掛ける言葉は思いつかないというのが現状だ。
あの泡に映っていたのは、紛れもなく彼女の記憶だろう。幼いノエリアと、金髪の青年。僕たちが知らないということは、恐らく今はもう──
「……あ」
息を切らしながら曲がり角を抜けると、視界の先にその姿を捉えた。
少し外れた路地に、ノエリアは背を向けて立っていた。肩で息をし、拳を強く握りしめている。
彼女とて、行く当てもないだろう。そう遠くへは行かないだろうと思っていた。
「ノエリア」
名前を呼ぶと、びくりと肩が揺れた。
けれど振り返らない。むしろ、握った拳にさらに力がこもる。
「……なんで、来たのよ……」
「心配だからに決まってる」
「……アレンが、私のことを?」
「この中じゃ、一番長い付き合いだろ」
その言葉に、ようやくノエリアが振り向く。
頬はまだ赤く、目には涙が滲んでいた。数年一緒にいても、こんなノエリアはそうそう見られない。
「……それで?慰めにでも来たの?」
「まあ……話くらいは聞こうかと」
「別にないわよ……。見たまんま、あそこに映っていたのは私だし、あの人は……」
ノエリアが言葉を詰まらせる。
「あの人は……元恋人よ」
「へえ、そうか」
「な……!」
バチンッという音と共に、僕は再び尻もちをついていた。
「なによ、『へえ』って!もうちょっと何か言うことあるでしょ?!」
「いや、あまりそういう話は深掘りしたくないというか、首を突っ込みたくないというか……経験上」
僕は尻をさすりながら立ち上がる。
「ていうかノエリア、さっきから僕に向かって無闇に魔法を撃つのはやめてくれないか──」
「……リオルメアには来たことがあるって言ったわよね。正確には、少しの間だけここで暮らしてたの」
深掘りしたくないという僕の言葉は、彼女には届かなかったらしい。
「ボルメリアに来る前の、ほんの短い間だけど。……彼とは、その時にお付き合いしてたの」
「なるほど……」
見たことのない顔だったのも納得だ。
帝国学園に入る前なら、僕たちが知らないのも当然か。
「彼は王国の騎士団に所属しててね。あれから大分経ったけれど、今はどうしてるのかな」
ノエリアが、懐かしそうに空を仰ぐ。
「すごく優秀な人だったから、今はもう出世しているかもしれないわね」
「……なんで別れたんだ?」
そう尋ねると、彼女はふと視線を落とした。
「それは──」
「いやぁ、さっきの暴走はなんだったんだろうな」
不意に聞こえた声に、ノエリアがびくりと反応する。
僕たちの横を、数人の男が歩いていく。おそらく聖堂内にいた参拝客だろう。
「ボコボコ泡が出てきて、なんか不気味だったな……」
「ああ。でもまあ、あの"キスのお嬢さん"のおかげでそれも収まったがな!」
ノエリアの顔が、かっと赤くなる。
「いや、あれは完全に初恋だな。見てるこっちが恥ずかしいのなんの」
「そんであんな暴走を止めちゃうなんてな。とんでもない魔力量だよ、ありゃ」
男たちは僕たちに気づくこともなく、談笑しながら歩き去っていった。
「キ……キスのお嬢さん……」
「おい、ノエリア──」
「ああああ……恥ずかしすぎて死にたい……!」
顔を覆い、その場に崩れ落ちるノエリア。落ち着きかけていた羞恥が、再び彼女を襲っていた。
「ああもう……!どうしてあんなものが急に流れたのよ……!」
「さっきの人も言ってただろ、暴走だって」
「私だけ内容がおかしかったじゃない……!」
いつも冷静なノエリアが、今は見る影もなくジタバタしている。
「みんな、すぐに忘れてくれるさ」
そう言うと、彼女がパッと顔を上げた。
「……通りすがりの人に見られたのならそうでしょうけど。私は……あなた達に見られたことが、耐えられないのよ……」
肩を落とし、不安げに言葉をこぼす彼女を見て、僕は思わず笑ってしまう。
不謹慎だが──こんな風に弱い部分を見せるノエリアは初めてで、なんだか僕はそれが嬉しくもあった。普段なにを考えているのかわからない彼女の、生の感情に触れたみたいだ。
「あいつらも驚いたとは思うけど、そんなことでノエリアを見る目が変わったりはしないよ」
僕は彼女に手を差し出す。
「帰ろう、みんな心配してる」
「……ええ」
ノエリアが僕の手を取った、その時。
「ノエリー……?」
通りの向こうから、やわらかな声がした。
振り返ると、そこには一人の青年が立っている。綺麗な金髪に、涼しげな瞳。洗練された物腰の、どこか高貴な雰囲気を持つ男。
「リオン……」
2人は視線を交わらせると、数秒間見つめ合う。
そして、僕は静かに思った。
これまた面倒な展開になるやつ……。




