1.17
テクネスがルナたち三人を連れて立ち去り、ケヴィンはひとりでグレースのもとへ向かった。
扉を軽く二度ノックすると、向こうから「どうぞ」と穏やかな声が響く。
ケヴィンが扉を開けて入ると、風塵をまとった彼を見て、グレースは驚きと安堵が混じった笑顔を浮かべた。
「ケヴィン、おかえりなさい」
「はい、司祭さま。ただいま戻りました」
ケヴィンは深く礼をしながら答える。「正門前でテクネスに会いまして、彼がルナたちを先に休ませに連れて行きました」
「ふむ、道中は順調だったの?」
グレースは落ち着いた声で尋ねる。
ケヴィンは肩をすくめ、苦笑した。
「順調といえばそうですが……村に戻し、安全に連れ帰りました。ただ、過程は一筋縄ではいきませんでした。ともあれ、あの怪物に関する重要な情報を持ち帰りました。できればすぐにご報告を」
グレースは静かにうなずき、隣にあった葡萄酒の壺を手にとり、ケヴィンに酒杯を差し出した。
「どうぞ、座ってお話しください。道中で遭遇したこと、村でのこと……順を追って聞かせて」
ケヴィンは席に着き、ワインを受け取ったが、言葉を探すように顔を上げる
グレースはそれを見て、やさしく促した。
「率直に構わないわ。道中であの怪物と遭った? 村では生存者はいなかった?」
ケヴィンは首を振って答えた。
「怪物との遭遇はありませんでした。生存者も発見できていません」
続いて、今回の旅程や発見を大まかに、だが重要部分は詳細に語った。
とくに、ルナが魔法使いであると明かしたとき、グレースの目が一瞬驚きで揺れた。
「そうだったのね……彼女は施法者だと?」
「あの時気づかなかったのですか? 教会には魔法使いを識別する方法はないのでしょうか?」
ケヴィンの問いに、グレースは首を横に振る。
「確かに手段はありますが、それには準備が必要でした。あの場面では必要と判断しなかったのです」
しばらく黙って考え込んでから、グレースは続けた。
「ただ、今振り返ると、ルナのあのぼんやりした様子は、施法後に見られる典型的な状態でしたが……当時は思い至りませんでした」
ケヴィンは初対面時のルナの姿を思い返し、あの時はただ怯えて疲れているのだと思っていたと納得する。
「ちなみに、初級魔術師を識別するのは、非常に難しいのですよ」
グレースは補足説明を始める。
ケヴィンは興味深げに頷きながら聞いた。
「多くの識別技術は、主に【精神力】――集中力や意志、想像力などに基づいて判断されています。中級以上の魔術師なら差が明白ですが、初級魔術師の場合は神職者や戦士と比べても差がほとんど感じられないことが多いのです」
ケヴィンは率直に尋ねた。
「なぜ神職者や傭兵と比べても差がつかないんですか?」
グレースはにっこり微笑み、穏やかに語り始めた。
「精神力とは、集中力・注意力だけではなく、意志力や想像力も含む総合的な能力です。
この世界では、人間や生命は【肉体】【霊魂】【精神】から成っているとされます。
【肉体】がなければ、霊魂はすぐに疲弊して消えてしまう。
【霊魂】が損なわれれば、【精神】は枯れてしまう――花が枯れるようにね。
そして、施法に必要なのは【精神の力】です。
だから施法者は精神力を鍛える訓練をするのですが、修行を積んだ戦士や神職者も、祈りや戦いによって精神力を高める者は少なくありません。
ただし、施法とは超越の道を目指すものであり、その基盤が精神力である以上、一般的に法術の道を極める者に追いつくのは容易ではないというわけです」
ケヴィンは真剣な表情で頷いた。それは書物以上に、説得力のある説明だった。
「司祭さまは法術に詳しいんですね?」と聞くと、グレースは微笑を崩さず答えた。
「智識教会や月狩教会は、元来法術師たちと関係を持ち続けており、協力することもあります。私が司祭となったのも、そうした連携関係の中で得た知識に基づいています」
ケヴィンは驚いて尋ねた。
「協力ですか?」
グレースは指で空をスォっと描くように言った。
「ええ。知識教会では、年老いた法術師が伝承を預けることがよくあります。私たちはその後継者を見つける責任を担っています。
また、積極的な法師は物々交換で自身の知識や情報を私たちと交換することもあります。
そして一部の魔術師団体は、神職者の超越者としての在り方を研究し、神の力の秘密を解き明かそうとしています」
ケヴィンは少し眉を上げた。
「神の力を探求する?それってタブーでは……?」
グレースはその問いに穏やかに答えた。
「どうしてそう思う?智識の主神は、凡人の好奇心こそ最大の美徳だと仰っています。
知識に探求心を持つことは禁忌ではなく、むしろ奨励されているのです。
ただし、それはしばしば危険を伴うもの。ですから、智識教会の役割のひとつは、そうした研究を管理・監視することにあります」
ケヴィンは驚きと感嘆を込めつつ、深く息をついた。
彼が知っている【教会】とは似て非なる、実に開かれた存在だったのだ。