1.16
朝の空は淡いバラ色に染まり、薄絹をひいたような優しい色彩を帯びていた。地平線から零れ出す一筋の金色の光は、その絹に豪華な装いを添えている。
この淡い朝日の時刻こそが、司祭グレースの一日の始まりだった。
彼女の習慣として、朝一番に行うのは欠かさぬ掃除だ。
限られた時間で一人でできる範囲は限られているが、彼女は毎朝、礼拝堂の神像を丁寧に拭き清めることから始めていた。
この日も変わらず、清らかな所作で神像を磨き上げ、敬虔な表情を崩さない。
掃除を終えると、グレースは神像の前に立ち、指先で軽く眉間に触れ、静かに祈りを捧げた。
祈りの内容は、この新しい一日への感謝、穏やかな天気への賛美、町の人々の健康や旅人の安全など、多岐にわたる。
厳密には、多くは【智識の神】が司る領域を超えているが、この世界では信仰においてそこまで細かく区別しない。
【十二主神教会】の教えにあるように、神々は互いにつながっており、一柱への祈りは他の神へも届くとされているからだ。
祈りを終えたグレースは側扉から中庭へと足を運ぶ。
中庭には小さな鐘楼が佇んでおり、灰白色の石造りで、二階建てほどの高さを持つ。軒下には青銅製の鐘が吊るされていた。
彼女は鐘楼に近づき、二階から垂れ下がる太い麻布の綱を引いた。
綱はほどなく張り、重いため息のような音を響かせる。
続いて、二階からは古びた水車が回るような鈍重な音がし、次いで歯車や鎖、レバーが動く乾いた響きが続いた。
そして鐘楼の鐘が鳴り響き、新しい一日の始まりを知らせる鐘声が教会中に轟いた。
その鐘の音は教会の敷地を越え、町全体に流れ、町外れを歩く旅人にもかすかに届いていた。
ケヴィンはその馴染み深い鐘の音を聞きながら、渇いた唇をきゅっと引き締め、自然と口元に笑みを浮かべた。
振り返ると、彼も旅路で疲れ果てた三人の仲間が微笑んでいる。
彼らの顔には疲労の色があっても、どこか安堵の表情も混じっていた。
ケヴィンは彼らを連れて【智識教会】へと向かった。
鐘の音で町は目を覚まし始めたものの、まだ通りには人通りが少なく、路地の家々の煙突からは朝の煙がたゆたっているだけだった。
教会の正門前に着くと、内側から一人の壮年の男性が扉を開けた。
彼の瞳には落ち着きがあり、眉間を包む威厳が漂っていた。肩幅広く、すっきりとした体形。
その身にまとった長袍には智識教会の象徴であるオリーブの枝とフクロウの刺繍があり、袖口には幾何学模様が施されていた。
「テクネスか、朝の門開け、偶然だな」
ケヴィンは笑顔で名前を呼びかけた。
テクネスは教会の執事であり、司祭グレースの右腕ともいえる存在だった。
そして、何よりも強い。ケヴィンはこの町で一番怪物と渡り合えるのはこいつではないかと、ふと思ったほどだ。
「ケヴィンか、戻って来たな。どうだった?順調に事が運んだようだな」
テクネスはケヴィンの後ろに続く三人をちらりと見て、安堵の笑みを浮かべた。
「おいおい、俺より心配しないのか?」
ケヴィンは冗談めかして言う。
「お前は俺と話し込んで強くなったんだ、能力くらい俺だって知ってるさ」
テクネスは相好を崩し、ケヴィンの肩を軽くたたいた。
「で?どうだったんだ、道中は?伝説の怪物には会わなかったのか?」
ケヴィンは首を振って答えた。
「一応有事はなかったけど、体力的にはきつかったな」
そして声を落としてささやいた。
「報告すべき重要な情報も掴んできたんですよ。あの怪物たちについてです。司祭さまは今、大丈夫でしょうか?」
テクネスも声を潜めて言った。
「グレース司祭はたぶん今、デスクワークを始めた頃だろう。すぐ会えるはずだ」
続けて、彼は後ろのルナや農夫たち三人を振り返って招き寄せると、
「みんな、遠路お疲れさま。まずは水でも浴びてさっぱりしてからにしてくれ」と、屋内へ案内していった。