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いちのさん 雨宿り

 暖簾を潜り外に出ると、肩に止まっていた見護り鳥がとんと飛び立った。


 視線だけで追うと、少し飛んで空でくるくる円をかく。


「お待たせ、だいぶん待った?」


 ぽつぽつと、落ちてくる雨を頬に感じながら、空で円をかく鳥の元へ向かうと、店前の石垣川のたもと、ゆらり揺れる柳の下にいる毎日見ている顔の男にを見つける。


「零」


「おぅさ」


 春霞より頭一つ背の高い、長くうねる桜の髪を少し尖った耳の上から半分、簪で高く止めあげた長身痩躯の男。


「好ぃた女を心待ちにするくらいにはちぃとばかし待ったぜ、春霞」


 にやり、口の橋を上げて笑った、そのなんの企みもない些細な仕草に、頬を赤らめて見とれて歩く周りの女達。あー、相も変わらずだなあ、と、乾いた笑いが漏れてしまう。


「ほら…女の子たちみんな見惚れてる…女の子を連れた男からの嫉妬の雨嵐だね、零」


「はん、そんなもん、俺の知ったこっちゃない」


 ふん、と、鼻を鳴らす。


「この顔に生まれついたのは俺が選んだわけじゃぁねぇ。まぁ、着てるもんは派手かもしれないがな」


 ぞろり着流した女物の反物で作った着物は、いつもきている宵闇一色を思っていたけれど、よくみれば、今日は一段とあでやかな同色透かし織りの濡れ羽色で、大きな黒い番傘も肩に引っ掛けている。


 あぁ仕事の前だったのかと、頭を軽く下げた。


「道中前なのにごめん。もし時間がないんなら、見護り鳥もいるし、俺、1人で帰れるけど」


「ばっか言えゃ」


 美しい姿に不釣り合いな、粗野な所作でぼりぼりと、頭をかいてため息ひとつ。


「親父殿に聞いただろう? この辺りは最近剣呑でな。巾着切り(スリ)に辻斬り、脅し言葉(かつあげ)が黄昏時に多いって話だ。 それを心配して俺に文遣り鳥を飛ばしてるってのにおまぃ、仕事で忙しいからたった一人で帰したなんて知れたら……親父殿がにっこり笑わって仁王立ち……」


 二人、頭に浮かべるのは、店の暖簾をぐぐり入ってすぐに目に入る仁王立ちの天女のごとく美しい細石屋主人の細面。上がり框にすっくと立っては両の腕をしっかと組んで、にっこり笑う天女の尊顔……はみためばかり。その奥の、全く笑ってない翡翠色の鬼神のまなこ。


「親父殿だけは絶対に怒らせちゃなんねえ……」


「そ、そうだね……」


 あぁ、おそろしい、と、零は大げさに身震いしてみせ、春霞は困ったように眉を下げた。


「さって、帰るか」


 そんな雑談を打ち切らせるように、雨が音を立て始める。


 二人、仲良く空を見上げりゃ、落とす涙が大きな雨粒に変わり始めた鉛色の空。


「うん」


「雨が強くなり始めやがったぃな」


 ふっと笑い、肩に引っ掛けていた、道中用の大傘を開く


「こっち来な、春霞」


 呼ばれたままに傘に入ると、腰に手をやり抱き寄せる。


「女の子なら惚れちゃうところだね」


「はっ、それが仕事さ、あたりめぇだ」


 にやり、口の端で笑うと口の中で何かをつぶやいた。


 ふわり、足の下が少しだけ風を巻き浮き上がる。


「さって、しっかり捕まっときやがれよ」


 傘を大きく一度、振り回すと、ぱさり、木の葉に紛れた身護り鳥が、雨に溶けるように消え落ちて、あとは小さなつむじ風が吹き抜けた。





「そいじゃぁ、親父殿によろしくな」


「うん、ありがとう、零」


 会話は風の中に散ってゆく。


 つむじ風はたったの一瞬で、浅草寺仲町の団子屋から小鉱石川にある店の前に春霞を送り届けると、返し風で零を連れて元来た空を去って行ってった。


 ぱらぱら粒を大きくしていた雨は、店の軒下に入った途端に強く叩きつけ、舞っていた土埃を沈めたかと思うと泥水を跳ね上げる。


 昼下がり、春霞の足でちょうど一刻、あくせく歩いた道のりも、力があるモノだとまばたきのほど、たった一瞬なのだなぁと雨粒を落とす鉛色の空をみて春霞はため息をついた。


 自分には力がない。


 ただの人の身なのだから仕方がない。


 ここは妖力神通力、力の強弱その属性と、力の種類は色々あれど、妖モノが生きる世界で、物心ついた時には自分が人間というなんの力もないモノだということは、葦原の中にある養児院で育っている間に、そこの大人たちからしっかと聞かされてきた。


 同じく親がおらず共に暮らす妖の子達からは散々馬鹿にされ、大人の目がない日陰では人の世からの堕とし子、忌み子と酷くいじめられていたからしっかり理解っていたし、それでも妖モノになれないか、せめて欠片ほどでも力が欲しいと、この店に引き取られて来てからも、いろんな客たちにそれとなく聞いたり、お百度詣で心願成就を願ったこともあった。


 が、結局のところは何一つ変わることなく、自分はただの人間で、周りは妖だらけ。ここで大事にされ生きていられるだけでもすごいことだと諦めはついていたはずだった。


「なんだけどなぁ…」


 なのに、こんな風に守られていると、甘やかされていると、詮無いこととは知りつつも、ちりり焼くように痛む胸の奥。自分以外はみんな持っていると思うと憧れてしまうのはしょうがないことで。


 手のひらを見る。


 雨粒が一つ落ちる。


 吸い込まれることも、色が変わることも、氷になることもなくただひとつ、小さな水溜まりができる。


 細石屋の主人である自分の養親(やしないおや)とも、共に暮らす零とも、番頭を務める少女とも何一つ変わらない5本指の付いている、ごく普通の、手。


 どうして自分は人間で、人間が誰一人いない妖の世で生きているのかなぁ、なんて。


 ふぅ、一つだけ溜め息をつくと気を取り直して暖簾に手を伸ばした。





「ただいまかえりました……」


「おかぃり、春霞」


 細石屋の暖簾を潜ると、帳場に座る細石屋主人が顔を上げてにこり、笑った。


「親父殿!」


 吃驚して声を上げる。


「店先にあれからずっと?」


「あぁ」


 走らせていた細筆を置き、帳簿を自分の横に座る振袖番頭に手渡す。


「そんなに驚くことかぃ?」


「だって」


 下駄を脱いで帳場に座る細石屋主人に近づく。


「僕がきて以来初めてです」


「おや、よくおぼえているね。しかし私はそんなに店先に出てぃなかったかな?」


 腕を組んではて?という顔をする主人に、振袖番頭は袖の端で口元を隠しながら笑う。


 そんな腕を組むだけの仕草すら、美しいと思うのは、贔屓目ではないことを春霞は知っている。


 そうして、ただ美しいだけのモノではないことも、知っている。


 自分の養い親は、特別ななにかなのだろう、多分。


 それが限りなく正解に近いだろうと確信を持つに至る出来事は色々あるのだが、その最たるものはこの世界には一人しかいない(らしい)人間を引き取って育てているということである。それ自体が罪科と咎められてもおかしくないであろうに(と、わざわざ教えてくれたモノがいたのだが)それを許されている事である。


 それまでは葦原の療児院で、人間なんてと笑われ虐めや誹りを受けることが多かった。だがここの主人の養い子として引き取られると知れた瞬間、そんなものは一切なくなり、それまでにないくらい丁寧に大切に扱われた。


 そればかりか、わずかにでも他のものたちとは違う特別な縁が欲しいのだろう、細石屋の養子というだけのただの人間に、我が娘と祝言と願い、大店の主人やお武家に頼まれて、高額の礼金欲しさにいそいそと何度も足を運ぶ仲人たちがいるもの、なんなら今日は何度断られても諦めきれなかった親が直接乗り込んできていたことも実は知っている。


 そんな誰もが縁を結びたがるような()()()が、この店には、親父殿と呼ぶこのモノにはあるのだ。


 そもそも、細石屋の主人は、小僧たちが『親父殿』主人を知るものが『主人殿』『細石殿』と呼ぶことやあらゆる噂や憶測から、大柄の鬼神か神竜、神獣の何かだと名しか知らぬものたちは思っている節がある。


 だが実際は、美しい雛色の髪に、翡翠の瞳の、儚げで艶やかな(実際の年齢はわからないが)若い女性であるので、初めての客はみな、まず、目をひん剥いて相手を見るし、本人に向かい誠の主人を出せと詰め寄るものも多い。が、威勢良く偉そうな相手であればあるほど、直ぐに相手は黙りこみ大汗をかきながら縮こまり、けんもほろろに店を放り出されるか、ただただ淡々と商いが進んでいくのを何十遍も見ている。


 この店には大江戸のみならず、日ノ本の方々から、果ては異国や異世界からも客が来ては主人や番頭と何か話して、何かを買っては帰っていく。不思議なお客に不思議な品物、不思議な何か。そして自分を引き取ってくれたこの人が、ふらり、突然どこかに行っては帰って来ていることもある。


 皆が欲しがる、羨ましがる何かがある。


 八つの時に引き取られた時から七年でそれがかなりわかったはずだった。


 のだが…その七年間の間一度も帳場に居座ることがなかった主人が、にこにこと微笑みながら、自分を出迎えた。


 もしかして、なにかあったのではないか、自分が何かしでかしてしまったのではないかと。


「春霞や、そんな怖ぃ顔をしなくてもいぃんだよ」


 顔を上げると、細石屋の主人はにこり、笑った。


「おまぃはいろいろと感がするどいねぇ。只の人であるおまぃがこの世で暮らすには、自分の身を守るためになにより大切な力だ。が、今日は何にも怖ぃことはないんだょ」


 強いていえばそうだねぇ、懐かしい顔なら見られるとは思うが。


 すっと、主人は立ち上がった。


 店の暖簾をくぐって、小さな金魚が宙を泳ぐように舞い込んで来た。


 すぃと差し出した細石屋主人の手の上で止まると、今日、春霞の側にいた見護り鳥のように溶けて消える。


「ほら、誘ぃがきたよ」


 もう一つ、笑う。


「女の私と子供のおまぃ、二人で行くには野暮天と言われてしまう場所ではあるが……」


 ふむ、と、あごをしゃくるがすぐに振り返る。


「おまぃの部屋の乱れ箱にな、新しぃ着物が仕立ってるからそれにお着替ぃ。足袋と新しい外履きもあるからそれをつけて……あぁ、新しい巾着と紙入れも置いてあるからちゃぁんと持つんだよ。 日ぃが暮れたら雨も上がるから、ちぃと私と夕餉でも出かけようじゃないか」


 ――暮れ五つつには出かけるから、用意しておいで。


 この土砂降りが本当に止むんだろうか? いや、親父殿がそういうなら止むんだろうなと、頷いて部屋へと階段を上る。


 春霞の部屋の入って直ぐのところに置かれた乱れ箱の中には、光の加減で光を散らす金糸の織り込まれた瑠璃色の着物と、向こうが透けて見える淡い桜色の、織りで細石屋紋の入れられた柔らかな羽衣のような羽織。


 肌のさわりの良い美しい着物を汚さないように、皺にしないように身につけ、恐る恐る言われた時刻に店先に降りた春霞の前には、珍しく、銀の細い鎖で雛色の髪を高く結い上げ七宝を散らし、同じく宵闇深い着物と春霞のとおんなじ羽織を肩にかけ、長煙管をふかす主人。


「あぁ、よぅ似合っている」


 真新しい下駄を履き、横に立つ主人よりもすこしだけ背の高い春霞の頭を撫でてた。


「さて、行こうかね、春霞や」

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