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いちのに・雨降り

「……あついですわ……」


 ふぅ、と、空を見上げひとつ息を吐く。


「一雨欲しいところではありますけど、あぁ、でも今降られると困りますし……」


 空を見れば雲ひとつなく、それでも仄かに鼻をかすめる雨の匂いに旅路を急ぐ。


 高い高いお天道様は、日ノ本のどこから見てもそう変わらないのだなぁと、笠の端を少し持ち上げ、空を見上げた。


 あぁ暑いなぁ、と、息を吹く。


 あぁ、飛んでいけたら楽なのに、と、思うのだが、家を出るにあたり父から半分以上の妖力を封じられてしまっているからしょうがない。これも修行と、もうひとつため息。


 お江戸についたらこんな埃だらけの色気も可愛くもないお着物をなんかさっさと脱いで、里から持ってきたとっときのお着物を着て、奉公先では真面目にお仕事を務めあげ、出来ればそこで素敵なお大尽に見初められ、玉の輿を狙いたい!


 ぎゅっと、手を握りしめる。


 乙女の一大決心に、ぴぃょん、と髭が飛び出してしまっているのを、彼女は気が付かない。


 ただただ、目指すお江戸まであと少し、ぎゅっと荷物を抱え直し、歩みを少しだけ早めた。





「こんにちは」


 小鉱石川からてくてくと、小鳥の後を追うように少し早足で急いだせいか、何事もなく、一刻経たずにたどり着いたのは目的の場所、浅草寺参道。


 昼もすぎれば川上の、葦原の昼店からひとつの色恋終わらせて出てきた粋な旦那衆に、あんまり遊女に人気のない浅葱裏、顔を隠したお侍、純に浅草寺の参拝者などがひしめき合って、ごった返している。


 そんな浅草寺参道の仲町の中で、ちょうど真ん中、鰻の巣箱と呼ばれる横が狭くて奥が長い商い店の並びの一角。


 雨女が1人で営む、近頃流行りの小間物屋『あまだれ』の、縹色が鮮やかな暖簾を迷わずくぐった。


「頼まれ物を持ってきました」


「春霞ちゃん、遠路お疲れ様! まぁなんていい塩梅でついたんだい」


 春霞の声にふぅらり、黄色着物を少し緩めに着付けた人の形の美人は、店の奥からちらり顔を覗かせ、また消えた。


「人のくせに、随分と鼻が利くんだねぇ、まいどまいど感心するよ」


 笑いながらそんなことを言うこの女、いい歳をして独り身で、小間物屋を切り盛りし、それそれなりに目立つ程度には繁盛させているものだから、性悪女のいけず後家なんて近所の婆の陰口を叩かれるほどの美人である。しかしそんなやっかみも、実際に話してみればあっという間にすっ飛んでしまうような晴れやかな気風の良さと声の張り。それがまた、人をよぶのだろうと思う。


「ほら、来たばかりでなんだけど、お土産だよ」


 今度はちゃんと、店表に出てくると、暖かな風呂敷包をひとつはいよ、と渡した。


「今大根が炊き上がったんだ。お客からもらったんだけど、とんでもなくでっかい桜島大根ってやつさ。持って帰って今夜の酒の肴にしておくれ」


「零が多めの、ね」


「おや、言うようになったじゃないか」


「だって、お花乃(かの)さんの零贔屓は有名じゃないか」


「あらやだよ、そんな恥ずかしい。錦絵や道中見物に行ってるだけじゃないか」


 ふふっと、2人、顔を見合わせて、とたん吹き出す。


「零ちゃんも贔屓にはしてるけどね、ちっちゃい頃からみてるから、もう親みたいな気持ちだね。だからおんなじように春霞ちゃんもかわいいのさ。さて、お品を見せてくれるかい?」


「あぁ、忘れてた」


 ひとしきり笑っていた春霞はそうだったと思い出す。


「今日は、僕のは玉簪が三本と、びらびら簪を六本。あと、言われてた安価の牛爪の櫛の試作品を……それから、飾り紐や組紐を長屋のお鴇さんから預かってきたよ」


「助かった、ちょうど店先の飾り紐がきれそうだったんだ」


 まだ暖かい風呂敷包を横に置くと、手にちょうど収まるくらいの葛籠を重ねた入れた包を渡す。


 框の隅で包を開け、品物を丁寧に一つ一つ確認すると、うん、と、頷いた。


「あぁ、全部いいね、店に出せるよ。頼んでた櫛もいい出来だ、これなら若いお嬢さんがお小遣い叩いて欲しいと思える値段くらいで買える代物だ」


「よかった」


 ほっと息を吐く。


「お花乃さんは仕事に厳しいから、この時は本当に緊張するよ。お鴇さんも言ってた」


「当たり前さね」

 店奥の、ちょっとだけ値段の張るものを置く場所に、いま受け取った櫛と簪をならべ、店先に飾り紐を並べながら彼女はいう。


 「うちは、綺麗になりたい奴が来る店さ。だから、いいものを置いて、胸を張って、あんたが綺麗になるために生まれてきた良いもんだよって言いたいじゃないか」


 よし、と、丁寧に並び終えた彼女は、包みを綺麗にたたんで春霞に渡した。


「それにしても春霞ちゃん、あんたはあっという間に腕を上げたね」


 よしよし、と、自分の胸の高さにある、銀を弾く鋼色の髪をそっと撫でる。


 「あんたが作るもんは大層に人気があるよ、あっという間に売れちまう。今日もお前の簪はないかい?って、大店の使いが来ていたよ。あいにく売り切れてたがね。しかしここで慢心してはいけない、このまま精進するんだよ」


「はい」


 ひとしきり頭を撫でられるながら、暖簾の外の影が伸び、お天道様が、傾き始めているのに気がついた。


「大変、そろそろ失礼しなきゃ」


 大根の包みを抱えなおす。


「また、とろいって怒られる」


「おや、なんぞ約束かい?」


「零が」


 ぱさり、のれんの裾をぱっと払った。


「零が川側の草団子屋まで迎えに来てくれるんだよ。親父殿がそうしろって使いを出してくれたんだ」


「あぁそうだったのかい。 うん、まぁそうだねぇ、最近この辺りは剣呑だ、その方がいい。 あぁ、いつもの草団子屋なら新作の、冷たいやつがあるから食べてみるといい、存外うまかったからね」


 わかった、と笑う春霞に続いて暖簾を分け出た雨女は、またねと大きく手を振り遠のく彼の背が見えなくなるまで見送った。


「あの子の性質(たち)を考えれば、しょうがないことだけど、みんな過保護だねぇ」


 まぁあたしも、まったく人のことは言えないんだけどね、と、笑いを漏らして店の中に戻った。





 ぽつり、鼻先に冷たい水が落ちてきて、そのひやっとした感じに尻尾が少々逆毛を立てて立ち膨らんだ。


 雨の匂いが強くなるばかりで、ここで一気に夕立が来るのかもしれない。それならば、この先を急ぐのもありとおもった。しかしつい今しがた、こんな思案をしている先から雨振りの一雫を感じてしまった以上、疲れてもいることだし、目の前にある草団子と書いてある茶屋に足休めに入るのもいいかもしれない。


 うん、きまった、と彼女は足の向きを茶屋へ変えた。


 店の小女(こおんな)に促されるまま、雨から逃がすために軒下、少し奥まった簾の後ろに据え置かれた毛氈(もうせん)のひかれた長床几(ながしょうぎ)に腰を下ろすと、ふぅと一息、背負っていた旅包を膝に下ろした。


 氷水(こおりすい)を一つ、と、一ツ目長首、自分とおんなじ年頃の茶娘(ちゃおんな)に頼み、膝の上に置いた歩き通しで形の崩れた風呂敷包みを丁寧に結び直す。


 簾越し見る街道は、様々なモノや騎獣達が、これからくる雨への備えも相待って、生き急ぐ様に足を早め、乾いた土埃がもうもうと立っている。


 自分が住んでいたのどかな田舎とは大違いだ、と見る町並みは、それでも、大人たちから話を聞き、憧れていた世界で、そしてこれからの修業先である東の大都市大江戸のまだ袂なのである。


「はいよ、猫のお嬢さん、おまち!」


 威勢の良い声と共に、茶娘が持ってきた、盆の上の氷水を受け取る。


 ぴこぴこ、と、尻尾が揺れた。


「冷たい」


 いまは修行のために人型をしてはいるが、元来は肉球である手のひらに染みる、氷水の冷たさ。うちではお宝、と、触らせてももらえなかった()()()()()()に、透き通った甘い香りの水と、初めて見る、透き通った親指くらいの氷の塊とおんなじくらいの白玉がいくつか浮いている。


 そっと、氷に当たらないようにくるくる器を回し、そっと端っこから口をつけた。


「あぁ……美味しい!」


 乾いて埃っぽく張り付いた喉元に流れ込む冷たくて甘い水は、御伽草紙で読んだ神様の甘露水を想像させる。


 楊枝で突いた白玉は、口の中に放り込めがぷりぷりとして、しっかり奥歯で噛み込んで、ごくんと飲めばしっかり腹に溜まってこれは幸せ、優しいまろい味である。


 冷たさと、腹に溜まった感覚に、ようやく少し緊張が解けた。


 長い旅。


 目的の場所まであと少しといったところだろうか。


 小さな頃から憧れていた大江戸での辛く厳しい修行奉公に入る前の、つかの間の息向きに、遠い故郷を思った。


「ご馳走様でした」


 ぱちんと手を合わせ、頭を下げた少女の仕草の愛らしさに、店の茶女は笑みを浮かべる。


「あいよ、お代はそこに置いといておくれ」


「はぁい。えっと、お代お代…」


 懐に手を入れ、お財布を……


 あら?


 首を傾げて今度は袖の中に手を入れる。ひっくり返しても見る。


「ない…」


 空っぽ。


 帯元、袂、袖に手を突っ込み、何度も探って見るが全く財布が手に触れず、ぴよん!牡丹色のほっぺに()()()と張った伸びやかな猫の白髭が飛び出るまでに焦っているとそっと、自分の膝近くに白い手が現れた。


「え…?」


 星駒の座る横に、お代を置いた白い手の先に視線を送る。


「たぬさん、茶々さん、僕とこの子のお代、ここに置いておくね」


 その人は、春の、お月様のない星だけをたくさん散らした空のようだ、と思った。


「あら、春霞ちゃん! 困ってる女の子を助けるだなんて粋だねぇ、男前だねぇ!」


 厨奥の暖簾から、分けて出てきた一ツ目とたぬき尻尾の茶女二人は彼の背中をばぁん!と、たたいた。


「あんなに美味しく丁寧に食べてくれる子なんざ滅多に見ないから、あんまり見つからないようならお代はいいよ、って言うつもりだったけど、あんたの男気もらっとこ! お迎えはきたのかい?」


「うん、この子が教えてくれた」


 にっこり笑いながら暖簾をくぐる彼は、肩の小くて不思議な小鳥に頬ずりした。


 そんな姿がまぶしくて、目が眩む様な銀の光を弾く夜空の髪に、焦りとは別の涙がたまって目を細める。


「あの……」


 お礼を、と立ち上がった少女に、ひらり、手を振る。


「雨が降ってるからまだ出ない方がいいよ。その間に、お財布見つかるといいね。あんまり見つからなかったら、巾着切り(スリ)かもしれないから、その時は番所に行くんだよ」


 あ、零!


 と、暖簾の向こうに消えてしまったその人の、美しい青い瞳と夜空の髪。


 もう一度、この広いお江戸でお会いできるかしら、と、少女は胸の前で手を握りしめた。

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