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じょのさん・お日様の代わりの

「……やれこれは、またどうしたことでありんしょう……」


 ここは妖の國、東の青龍将軍が治める江戸の、質素倹約、清貧に輝く町並みから少し川を下った葦の原を切り開いて作られた、欲望と金、情念が乱舞する『花葦原(はなあしはら)


 豪華絢爛を思い浮かべる葦原遊女には不釣り合いな、清楚で美しい、藤色の着物の女は前結びの帯に触れながらそっと息を漏らした。


 お天道様は空の天辺。


 始まったばかりの昼見世で賑わう表と違い、ひっそり静まっているのは葦原でも大籬と言われる大きな妓楼が並ぶ、比較的治安の良い方の裏通りのその奥。夜見世の、しかもお大尽相手への道中にしか、表へは滅多に姿を表さない葦原随一の太夫と名高い彼女が、1日もかかさず繰り返す昼見世時のの白天宮参拝へむかう魔除け柊の植え込みの影。


 通りかかってすぐにわかった。


 どろりとした血の匂い。


「葦原のこの裏路地で血の匂いとはまぁ奇妙……このままにしておくわけにはいきんせん……」


 鼻の奥に、千枚通しを突き指すような鉄の臭いに眉一つ動かさず、衣擦れ音をさせながら陽を避けていた傘を閉じ、着物の裾をすこ押し上げると優雅に膝を曲げ、柊の上の混みの下に凝ったそれに、そっと手を伸ばそうとした。


「おや」


 伸ばしかけた手を止める。


珠月見(たつみ)太夫じゃぁ ありませんか。こんなところでお珍しぃ。例の品物を手にいれましてな、店に伺うところだったんですよ」


 不意にかけられた声に、顔を上げた。


「あぁ、これは細石屋(さざれや)の」


 立つのは桜色の長羽織姿、手には藍の風呂敷包みを抱えた、雛色の髪をあげもせずにさらり背に流した美しい女人。


 その目をよく引く姿形の、よく見知った顔を見つけた珠月見太夫はゆらり立ち上がり、ひとつ、彼女に頭を下げた。


「ちょうどよぅござんした。細石屋の主様なら、これをどうすればよいかしりなんしょ? このままでは澱みがたまりんす。澱みは闇を孕むもの、葦原はそれでなくても澱みが溜まりやすい場所でありんす……どうにかしておくんなんし」


 うん?と、片方の眉だけをぐいっと上げた細石屋の主様と言われた人影は、珠月見太夫の後ろに見えたモノをみてため息をついた。


「あぁ…これはまた、奇妙なものを見ぃつけられましたなぁ。あぁなんて生臭ぃ。そうか、わずかに表まで匂っていた鉄の匂いはこれが原因か」


 どれどれ、と、太夫を脇にそらしながらそれに近づいた細石屋の主は、ぽんと裾を払いゆくりしゃがみこんだ。


 両のまなこで見据えてやれば、凝った闇の奥に、ぐるぐると赤黒い染みにまみれた布切れを巻いた何かと、それに体を寄り添わせた、赤黒い血で毛が乱れかたまった白く長細い獣。


 一体これはなんなのか、目を皿のように見張っても、かすかにもその二つは動く気配がない。


 すでに死んでいるのか、しかし生気のかすかな気配はちゃんと2つある。


 確かめるように、人差し指の裏で、そおっと布切れを剥がそうと伸ばした。


「……つぅっ」


 指先に、鋭い痛みとともに、伸ばした指先から手の甲にかけ、大きく傷が走った。


「主様っ!」


「いや、手負いのモノに声もかけず手を出した私が悪ぃんだ、静かに静かに」


 噛み付かれ引き裂かれた指先から、ぱたぱたと埃立つ土道に血が流れ落ちる。


 先ほどまではかすかな生気しか感じられなかった毛玉の方が、大きな朱金の瞳でこちらを睨み付け、傷だらけながらも、布にくるまれ闇を纏ったモノを守ろうと、血で固まった全身の毛を逆立て、2本の尾のうちの一本をぴんと立て、牙を向いている。


「あぁ、この子は尾裂狐(おさき)か、やれ、珍しや。おまぃは何を守っているのだね?」


 血の流れる指を差し出したまま、細石屋の主が視線をそらさぬまま首をかしげる。


 澱んだ気を払うように、奥にある白天宮から流れた風が吹き終わるほんの瞬き…尾裂狐はゆるりと尾を下げ、牙を剥いた口元を緩めると、くるり体の向きを変え、その口で赤黒い布切れをそれから引き抜いた。


「おや?」


 血溜まり。


 その真ん中で眠る赤子。


 惹かれるように砂利を踏みしめる音を背に聴きながら、細石屋主人は尾裂狐の目を見据えた。


「この子は、おまぃの血筋かぇ」


 ぱたぱた、と、一方の尻尾が何度か揺れた。


「どぅしてこうなったのだぃ?」


 ぱさり、と尻尾が大きく一度、揺れる。


「この地でこの子を助けてくれと、言ぃたいのか……しかしお前とこれに、その覚悟はあるのかぃ?」

大きく、ぱさりと音を立てると、尾裂狐は動かしていたしっぽではない、もう一方、丸まっていた尻尾を主に差し出した。


 その動きに合わせ手を差し出す。


「これは……」


 とろりとした何かにぬれた、短い糸の付いた奇妙な玉が4つ、転がり出した。


 それを手のひらで転がし、しっかりとその謂れと性質をしっかと確認すると尾裂狐に問うた。


「これはおまぃがやったんか? それとも赤子がやったんか?」


 ぱたぱたと、2本の尾が交互に動く。それは2人でやったという、肯定と捉える。


「そうか」


「主様、それはなんでありんすか?」


「人の目玉。それも母子のものでしょうねぇ」


 褐色の虹彩のものが1組。黒に近いものがもう1組。


「人の目だななんて随分とまた珍しいことでありんすな…茶屋の膳で時折拝見しんすが、狗や鬼の好む珍味とか」


 まだ紅のさされていない口元を隠し笑う太夫に、主も微笑む。


「あぁ、そういえば私も拝見したことはありますが、鬼や狗はまた、変わったものを好みますなぁ。 まぁしかし、これは人の罪穢れにまみれたものゆえに、けして美味ではないでしょうねぇ」


胸元から出した油紙にそれを包み、袖袂に丁寧にそれを入れると布切れの中のものに手を伸ばした。


ずしりと重い、瀕死の赤子


「でもまぁ尾裂狐や、おまぃ達の覚悟、しかとこの細石屋が受け取ったよ」


 そっと抱いた赤子はかすかな温もりを探すのも難しいほど、見るも無残な姿であった。


 だがしかし元の世界では到底助からぬ赤子も、助かる見込みはまだ、ここではあるのだ。


「おまぃと(わらし)の命その先は、この細石屋の主が預かった。なぁに私も外道の身、おまぃたちを抱え込んだくらいでは、何の罪科もうけまいよ」


「しかし主人様」


 ふふっと笑うった細石屋の背後で、太夫がひとつ案を出す。


「ひどい匂いに手のお怪我、それで大門を出るわけにはいきんせん。騒動のタネになりましょう。ひとまずは、手当と案を講じる場所がいりなんしょ。わっちが先につなげた縁、よろしければ私のお座敷をおつかいくださいな」


「あぁ、それはありがたいな。太夫の言葉に甘えるよしよう」


 よしよしと、尾裂狐の首元を撫ででやりながら、裏通りをただ静かに、大きな妓楼へと歩き出した。





 あぁ、また赤子が泣いている、泣いている


 愛されたかった、愛したかった


 どうして僕は生まれてきたんだろう


 どうして僕は幸せにして上げられなかったのだろう


 お母さんを…




 抱く子から聞こえる声なき声に、そっと目を伏せ語りかける。


 あぁ、可愛い子、可哀想な子


 決して、おまぃが悪いわけではあるまいに


 赤子は母を求め、母を赦して泣いている


 私はおまぃが不便でならなぃ


 おまぃもまた、幸せになる権利があるといぅのに





 大通りから、竜の風が吹いた。


 薄紅の風花が舞う。


 ここは妖ノ國・東方守護・青龍将軍に護られた大江戸である。

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