そのまたさきの…
「さるお武家様のお屋敷からでた品なのでございますが」
あふれでる玉のような汗を手ぬぐいで拭いながら、恐る恐るしゃべり出した古狸の献参屋は、小鉱石川は表店のひとつ、唐物萬商の細石屋に飛び込むように入ると、まくし立てるように自分の言いたいことだけを矢継ぎ早に話し、困り果てた細石屋の小僧に両の手で抱えていた大きな風呂敷包をぐいぐいと押し付けた。
「あの、今は親父殿が…」
「高い金で買ったのに、こんな奇妙奇天烈な品では店にも出せませぬ。どうか、どうかここに置いてくださいませ、うちにはおけぬ品ではありますが、いや、細石屋さんならばなんとか大丈夫でしょう? あぁ、お代は結構でございます、ひきとっていただければうちはそれで、それだけで!!では、ではではでは」
「あっ…あの、でも今は主人もいませ…」
「主様によろしくお伝えくださいまし!」
ぐい!と、存外気の弱そうなこの世界唯一の人だと有名な小僧の細い腕の中に藍色の風呂敷に包んだそれ押し付けると、足をもつれさせながら急いで出ていってしまう。
「どうしよう…」
あんまりにも強引すぎる。
古狸のあまりの強引さと一方的な行動に、銀黒の髪の小僧はため息をついた。
奇妙奇天烈だから店にはおけない、と言われたいわくつきの品を押し付けされて、さて、外に出ている主になんと言えばいいのか思案にくれる。が、まぁ、縁とは奇妙なものである。
「帰ったよ」
さらり、白い手が暖簾を揺らし、雛色の髪の美しい女性が店の中に入ってくる。
「春霞。さて、その腕の中、古狸に何を押し付けられたのかな?」
「親父様!」
帰ってきた主にほっとする。
「おかえりなさいませ、如何して何か押し付けられたと知って?」
「うん、実はね」
聞けばすぐそこで狸親父に出会い、主人が居ないのをいいことに押し付けたと暴露るのはまずいと思ったのであろう、滝のように汗を書きながらも、早口に話を聞かされたのだとか。地面の色が変わるほど汗をかき、水飲み鳥と間違えるほど頭を下げまくっては帰っていったのだと言う。
「この店にそれを持って入れたということは、うちには益のあるものなんだからいいんだけどねぇ」
まぁ面白かったからいいか、と、主人は笑うと框に座った。
「で、何を持ってきたんだい?」
「あ、これなんです」
春霞の腕の中。ずしりと重い風呂敷つつみを主人の目の前に静かに置くと、するすると風呂敷から解いた。
「おぉ」
出てきたものは縁を飾る木工細工と螺鈿細工がそれは見事なギヤマンの金魚鉢。
「これはこれは。なんと美しい金魚鉢だ。高台は黒檀であろうか、丁寧に彫り物がしてある上に、四季折々の花の螺鈿細工か…これだけ手の込んだ美しい品、さぞ高く買ったであろうに手放すとはなぁ」
ふむと、雛色の主は顎に手をやりしっかと金魚鉢を見遣ると、うん、とひとつ頷いて横に座って金魚鉢に見とれて居た春霞に言う。
「春霞や、厨から、桶に水を持ってきておくれ。金魚鉢に八分くらいになるくらいの量が欲しいねぇ。そぃから、水瓶の底に入れてある水晶の細石も一緒に持ってきておくれ」
「はい」
しばらくして、ゆっくりゆっくり、奥から水をこぼさないように大事に桶を抱えて持ってきた春霞は、主人に言われる通りに柄杓を使い、金魚鉢にゆるゆり注いだ。
「あ」
水槽に八分、水を入れ終わり、細石水晶が底に沈んで水が落ち着くと、不意にゆらり、不自然に水面が波紋を広げた。
「水が」
ゆらゆら揺れる様に、春霞は驚いた声が上げた。
「これは見事だ」
主人も珍しく声を上げる。
水の中に、一筋の紅。
それは少しずつ朱を垂らしたように、じわり、ふわりと水面を揺らして広がりはじめ、遂には美しい金の光を弾く紅鱗の人魚となり、泳ぎ出した。
「親父殿、これは?」
「この金魚鉢が愛されていた証の付喪神。このように美しい姿をみてあれほど恐れるとは、古狸は本当にあやかしかのぅ」
ふふふと笑いながら、煙管盆をたぐり寄せて煙草入れからとりだした煙管に葉を詰め火を移すと、泳ぐ金魚に目をやりながら、思案するように首傾げ、すーぅ、ゆっくり吸い上げ、ふぅー、ゆっくりと煙を吐いた。
「さて」
ぽん、と、煙草屑を捨てると、煙管をしまった。
「このように美しい姿、ここにあるのは哀れかのぉ…どちらか愛して下さる方に、お譲りせねば…」
ふぅ、と、息ひとつ。よし、と、立ち上がった。
「加州様のお屋敷にしよう。例の一件のお礼にはちょうど良い。あの方も九十九神ゆえ、大切に大切に、慈しんで愛して下さるだろう。春霞、用意をしてついてきておくれ」
「はい」
名残惜しむように小さな人魚に目を向けた春霞は、人魚が理解したかのように姿を溶かしたのを確認してからゆっくり水を抜き、細石を抜いて綺麗に吹き上げた金魚鉢を古代紫の風呂敷につつんだ。
「気に入った」
御簾の中。
小雷馬町の武家屋敷。中庭が大変美しい一室に通された細石屋主人は深く深く頭を下げて居た。
「貰い受ける、細石屋、大義である」
ぱちん!
扇を打ち人払いをすると、ゆっくり御簾から出てくる人は、美しい浅葱色の羽織をゆるり肩にかけて居た。
「零の調子はどうだい」
「全く覚えておりませんでな」
ふふっと細石屋主人は顔を上げて笑った。
「此度はありがとうございました。あぁして隠していただかなくては、あの子は…」
「いや、いい」
ふっと、笑う。
「魔人だからと殺す必要はないと、上もおっしゃっている…大手には言えないからね。だから術師を貸してくださったのだ」
「ありがとう存じ上げます」
頭を下げたまま、静かに口を開く。
「あの子も、屋敷表で待つ子も、貴方様のお力添えがなくてはこの世にいることも許されなかった命ですから」
「ねぇ細石」
羽織の裾を翻し、真紅の瞳で雛色の姿をしっかと見つめる。
「あの店はなんのために作ったんだい」
遠く、水の音が聞こえる。
鹿威しの、竹を打つ音が響いた。
「私はね、細石」
「さて」
すっと、頭を上げた細石屋主人は、にこり、可憐に微笑んだ。
「私はこれにて失礼させていただきます。加州様にはお忙しいでしょうから。末長く、あの子を愛してやってくださいませ」
「細石、答えを聞いておらぬぞ」
すっと立ち上がり、加州の横を通って中庭をのボム広い廊下に出た細石屋主人の背中に、低く、胃の腑に突き刺さるような声。
「漣那美」
ぴたり、足が止まった。
光を浴びた雛色の髪が揺れる。
翡翠の瞳が、真紅の、真実を求める視線を受けて細まる。
「さぁ?」
ふっと笑った漣那美は、ゆっくりとうでをくんだ。
「それは、私の口からはけして言えぬこと。…ですが、加州様」
ゆっくりと、ゆっくりと言葉を吐くと、ひとつ、深く頭を下げて屋敷を出た。
「親父殿」
「春霞、待たせたね」
扉の横で待っていた、自分の顔を見て笑みを浮かべた養い子に笑顔を返す
「さて、まだ日が高いね。すこし寄り道をしてから帰るとしよう? そうだね、零も呼んで、天麩羅でも食べに行こうか」
「はい!」
ひとつ、お天道様の方が青空に、真白なとりの式神を空に放ち、元来た道を蓋あり、連れ立って歩き出した。
この世には
この世には、母が恋しと泣く子がおります。
母が愛おしと、嘆く子がおります。
そんな子を、思いと裏腹、手に余す親と
身勝手な刃を向ける親がおります
泣くのをやめろと 子に石礫を投げつける大人がおります
泣く子はいないと 見て見ぬふりをする大人がおります
わたくしは
わたくしは、ただそんな子達を
優しく背負うてあやしてやれる、
冷たい石礫から守ってやれる
風雨や、寒さ、孤独や飢えから守ってやれる…
詮無く泣いても許される
そんな場所を、ただ、ただ作りたいだけでございますよ
この作品は、2018年に、古のヲタクから、物書きに復帰した第一作目となります。
(作品準には、「この作品」→実は「目の前の惨劇で」→「番認定された侯爵令嬢」になります)
独特な表現方法での読みにくい点など、多々難点が多い作品ではございますが、
誕生月という事で供養に公開させていただきました。
お読みいただき、本当にありがとうございます。




