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【完結】妖の國を幼馴染と暮らす人の子の騒乱話~陰謀渦巻く大芦原編~  作者: 猫石
5章 思い出 面影 おぶる罪

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ごのさん おぶる罪

 目の前でおこったことを、一体、どうやって表現したらいいのだろう。


 それは瞬きの、一瞬の出来事だったような、それでいて長い長い悪夢だったような。


「零!」


 目の前の結界が消えたのを確認して、春霞は体を起こすと珠月見と、それを抱く女御大に近づいた。


「零!太夫!」


 びしゃり。


 水たまりを踏んだ時のような、しかしどろりぬるりとしたまとわりつく何かの足の裏の感じに立ち止まって下を見る。


「…血…っ」


 その血の量に、息を飲んで顔を上げる。


 崩れた白粉の下から覗く血の気のなくなった肌の色、着物も真っ赤に染まり、ただただその両手の中にべたべたと指の形の血跡のついた白い珠。


 駆けつけたい。


 なのにその血に、体が、足が動いてくれなくなった。


「春霞」


 空から降った優しい声に、狂い叩かれていた心臓が、調子を取り戻したきがして、ゆっくり見上げる。


「親父殿…」


 ととん、と、降り立った雛色の女の姿に、涙があふれるそうになるほどにほっとして、駆け寄る。


「零と珠月見太夫が」


「わかってるょ」


 ぽんと、肩に手を置かれる。


「おまぃに頼みがある」


 ふっと、翡翠色の瞳を柔く細めると、手に持っていた、赤い病人木札を手渡した。


「許しはとってあるから、月狗舞を連れて小鉱石川の宗龍先生にいくんだょ。私も後から二人ほどつれて行くから用意をしてほしいと伝えて、それでおまぃは店に戻っていなさい。会所の面通しにはこれを見せて総取りにも許可はあると伝えるんだ。話は通っているから安心しなさい。ここの後は、私と六花四郎兵衛がかたすからおまぃはちっとも心配しなくていいんだょ」


「でも!」


 ちらり、あちらを見る


「…でも、零が」


「春霞」


 にこり、笑んで名を呼ぶ細石屋主人はぽんぽんと、やさしく肩を叩いた。


「あの守り狐を連れていくんだょ。大門を出たらあの子にかけてある目くらましと風の符が動くから、誰にも気づかれず、すぐにも治療院につくだろう。いいね」


「…」


 ぴしり、言いつけられ、これはこれ以上は口を出しては問うたりしてはいけないということなのだと喉に突っかかった言葉を苦く飲み込んだ。


「はい…」


 がらり、踵を返すと倒れ込んだままの月狗舞を瓦礫の中から起こして背中におぶる。


 それを一通り見ていた守り狐が、ととん、と瓦礫を蹴って春霞の肩に乗り、くるり首から肩に身を預ける。


「親父殿、零を…」


「わかっているょ。あの子もおまぃも、大切なうちの子だからね」


 にこり、眉を下げて笑うと手を振って春霞に行くように促す。


「いい子だね、気をつけておゆき、春霞」


 引かれる後ろ髪を払ってやるように声をかけると、いまにも泣きそうな顔でひとっつ うなづき、少し見えている下へ行く階段へと向かって行った。


 とんとんと、瓦礫を避けながら、月狗舞をおぶって下へ降りて行ったのを最後まで確認すると、くるり踵を返して用向きのあるそちらとへ向かった。


 ふぅっと、息をひとっつ。


「そこのおまぃ…」


 喉をついて出てきたのは、先程までの慈愛に満ちた柔和な彼女からはまったく想像もできないほどの、心の奥底から凍らせるような、冷たい冷たい常闇の声。


「おまぃ、伏見の狐だな」


「…」


 そんな言葉にも、姉の体を抱きしめたままぴくりとも動かない女御大の顎に、火の入っていない煙管の雁首を引っ掛け顔を上げさせる。


「これだけのことしでかしてダンマリたぁ馬鹿にするんもほどがある。 ちったぁ返事をしたらどうだぃな」


「下賤なものと話す言葉など持ってはおらぬ」


 ちろりともみずにぼそり、漏れた言葉。


 ほぅ?と、にやり、口元が歪んだ。


「おまぃ、どの口でそんな言葉がはけるんだぃ」


 雁首を避けるように首を振り切るように、千切れるような声を出した女御大の横っ面を、そのまま煙管で張り飛ばす。


「おまぃは、己がしでかしたことをまったくもってわかっちゃいないようだぃな」


 頬を貫くような激痛に、それでも姉を離さぬように、地につけぬようにとしっかと抱きしめてたまま体勢を崩した女御大の傍に細石屋主人はしゃがみこむ。


「おまぃの癇癪のせいで、どんだけの命をすり潰すんだぇ…」


 無であった金色の瞳を、翡翠の瞳で貫くように見た。


「なんならここで、おまぃのやったことに等しい、淵の中に落としてやろうか?」


「漣那美」


 ぐにゃり翡翠の中が揺れ足元が大きく鳴動をひとつ、あげたとき、まぁまちなさい、と、瓦礫の上に降り立つ姿がひとつ。


「その御仁の…此度の葦原での騒動。罪科咎めるんはわっしの仕事だ。商人のお前じゃないよ」


 肩越しにも見ずに感じるのは、骨身も凍らせるような冷気を纏う純白の髪を茄子紺の長羽織に流し下ろした姿。


「お前は珠月見と零を頼むよ」


 深い深いため息ひとつ。


「急ぐのだろう? お前でないと二人は助けられない。こっちはわっしが片付けるから、お前は行っておくれ。戸板をもったうちの男衆はすぐに上がってくるよ」


 その言葉通り、すぐに戸板を担いだ同じく茄子紺の半纏を着た男衆四人がやってくる。


「総取、珠月見太夫はどちらへお運びすればいいんで?」


「そこの細石屋の主人と赤札もって大門を出て小鉱石川の宗龍先生のとこにいっとくれ。緊急時だ。珠月見もこんな深手では足抜けなんぞ出来ないだろう。はやっとしておくれ」


「へぇいっ!」


 男衆たちが戸板を置き、女御大が抱える珠月見に手を伸ばす。


「触るな!」


 ばちり! 大きな音と小さな雷。


「妾の姉様に触るな!」


「そいではお前の姉さんは死んでしまうよ」


 目を釣り上げて雷を散らして叫ぶ女御大の前に冷ややかな声で諭す。


「このモノならば、お前の姉さんを助けてくれる。里に連れ帰ることはできずとも、きちんと話をすることはできる」


 それともなにかい?と、白銀の瞳をすっと向けた。


「越後の雪狐と伏見の狐は戦を申し込もうってのかい? 四国の狗神も巻き込んで、お前の主は、この騒動、知っているんか?」


 ひゅっと、御大の喉の奥で、小さく息がつまる音がした。


「さ、お前たち、運んどくれ」


 へい、と、伸ばす男衆たちの手は、今度は雷に弾かれはしなかった。




「あぁ、やっぱりねぇ」


 猫又治療院の奥座敷に入った細石屋主人は、いつもの柔らかな顔で、困ったように笑った。


「おまぃは…言いつけを破って…悪りぃ子だねぇ」


「わしが許したんだよ、思いつめたようにそんなに青い顔させて…うちの星駒が出たもんだから、小憎の顔を見るや悲鳴を上げて尻尾をおっきく腫らして大泣きしておったぞ。お前も悪い親だのぉ」


 さて、としゃんと部屋の真ん中に座った宗龍が笑いもせずに細石屋主人を見る。


「表は星駒に閉じさせた、隣にも用意はできているよ。」


「あぁ、すまないねぇ」


 皆が足を踏み込んだ奥座敷は、布団が二つ、きちんと並べられていて、一つには眠ったままの月狗舞。そうしてもう一つには戸板から降ろされた珠月見が静かに静かに横にされた。


 そうそうに、1人黙々と珠月見の治療を始めた宗龍に目をやり、男衆にありがとう、と、金子を握らせる。


「おまぃたちはもう帰っていいよ」


 へぇ! 頭を下げ出て行く妖の男衆四人、出て行ったのを確認すると襖を閉めた。


「春霞や…。さっきの子狐はいるかい?」


 そっと、春霞の頭を撫でると、しゅるり、彼の髪を暖簾のように分けて出てきた小狐にあぁ、いたね、と目を細める。


「これはね、おまぃがこちらに落ちてきたとき、普通なら死んでしまうのが常の道のりを生きて落としてくれた見護りの管狐だ。 たぶんに、おまぃのあちらの血筋は狐付きで、これを使っていろんな仕事をしていたんだろぅ…こちらではきっちり水を変えてやるまでは外に出してやれなくてね…加州様のお知り合いの富士のお山の清水の浄化師に綺麗にしてもらってたんだよ…おまぃの守り神だ、名でもつけて大事にしておやり」


 そいから、と、今はなにも問わせないように矢継ぎ早に言う。


「今から零を起こすんだがな…あの子は自分の正体をほんの半分しか知らない。その半分以上のもんをおまぃは見てしまったんだ。これ以上はあまり見せたくはなぃんだが、それでもおまぃは全部受け入れて、そばにいるかい?」


 こくん、うなづいた春霞の頭を撫でて、ため息を一つ。


「おまぃは変なところで頑固だからねぇ…じゃぁ、ここにいる代わりに、宗龍の手伝いをしてやっておくれ。他のものを呼ぶわけにもいかんし、一人で珠月見と月狗舞の手当ては大変だからねぇ」


 それじゃまぁ、頼むよ、と、腕組み宗龍を見やった。


 そうすると、自分でそれくらい開けてくれるかねぇ…まぁ、私しか開けられないのだが、と、宗龍は一旦手桶で手を洗い、入ってきたのとは別の奥の襖をすらりと開けた。


 その先には座敷牢。


 牢は扉が今は空いた状態であり、天井柱床壁ありとあらゆる全ての場所に血糊で書かれた護符が隙間なく貼りこめられていた。 そしてその中は一人、白装束に真白の面をはめた衣から出ている部分は黒い鱗で覆われた男が座っている。


「…久しいな、無月」


「お久しぶりでございますな」


 指を突き、頭を下げた白装束の男は顔を上げた。


「魔人の封が解けたために、再度封じの墨をと書院番頭様よりお話伺っております」


「あぁ」


 珠月見の手の中から、まぁるい白玉を取るとそっと、彼にわたした。


「すんでのところで母親が血で封じた」


「左様でございますか」


 受け取った白玉を、座敷牢の中の布団に置く。


「それでは、門を閉めてくださいませ。封じの墨が入れ終わりましたら、お声をかけさせていただきます」


「わかった」


 格子の扉を閉め、南京錠をかけた上でその上から呪符を巻く。


「これでいぃかぇ?」


「結構でございます」


 それでは、と、布団の上に置いた珠に呪符を巻いた小刀を深く深く突き立てると、白玉は解けるように割れ、真白な大きな狐、それから氷が解けるように形を変え、獣人型、やがていつも見ている人型へと戻る。


「零」


 腰を浮かした


「髪の毛が」


 雪のように白い髪。こうしてみると…そうか、と、思う。性差あれど、珠月見に似ていると、今思う。


「魔人はなぁ、人と妖の間に生まれた子供のことを言ぅんだょ」


 始めさせていただきます、と頭を下げた常月に小さく頷くと、ごろり、零の体がうつ伏せにされた。


「魔人は男親が人間で母親が妖。この逆はない。母が人の場合は腹の子を宿した瞬間にその妖力で狂い死ぬんだょ。かといって、妖の母が腹に宿せることと、生み落せるかどうかは別物だ。妖の母親の腹で育つ子はその身に毒のように魔を宿す。母親の魔力を吸い尽くし、父親の欲望に底のない人の悪意を一身に身に抱いて毒を孕んだ魔として育つ。母親は魔を産むときにその激痛と毒で死ぬ。そうして死んだ母親の血と、肉を食い破って、さらなる力と魔を吸い上げて魔人は外に生まれ出、成長しては破壊を好み、妖や人を喰らう。…そんな性質たちだから、魔人は生まれた途端に殺される」


「でも」


 そんな主人の言葉に疑問を問いかける


「零は…?」


「あれは母親の…珠月見と、月狗舞の母親の二人の女の血が混ざった墨だ」


 皿に注ぎ入れられた闇色の墨のついた針が、何度もなんども、零の背に絵を描くように進む。


「魔人の魔を、親の命で封じる術がある。零が生まれ落ちた時に、すぐにその術で魔人を封じた。この座敷牢に貼ってある数多の呪符の墨も同じもので、いざという時のためにあの術師が保管をしているのだ…」


 まさか本当に、こんなことになるなんて思ってもいなかったがな。


「親の血」


 首をひとつ、春霞は傾げた。


「なんで、舞の…」


 ふと、自嘲めいたように、あの日を思い出した。






「わっちに、お子を移してくださいませ、太夫」


 彼女は太夫の秘密を知った時、そう言って頭を下げた。


 戸惑う太夫の腹には、熱の塊として赤子が宿って早数百年。抑え込むにもそろそろ限界かという思いがあった時であった。


「肺の病を得た体、この冬を越せはしないと医者に言われました…それならば」


 顔を上げ、強い眼差しで太夫に願う。


「それならば、太夫から受けましたこのご恩、我が身で返させておくんなまし」


「お前、わかっているのかい?」


 困った顔でふと笑う。


「わっしの腹の子は魔人、産めば腹は死ぬ鬼の子な…」


「魔人だからこそ!」


 ぐっと、太夫に駆け寄りその手を握る。


「魔人だからこそ、わっちの腹にそのお子を!」


「おたえ?」


 その場の闇に身を潜めていた雛色は、この女は一体何を言っているのだと眉をひそめた…が。


 かすかな漣。


 静かで、小さく、強い風で消えてしまいそうな…あぁ、ここにも、かぁいそうな子が一人。


「わっちは、太夫もご存知の通り肺の病にかかりました。わっちの間夫も同じ病で先日亡くなったと文が…」


 そっと、己の腹を抱える。


「そんな身で、私の間夫は忘れ肩形見を残して言ってくれたんです…」


「おまぃ…」


 はっとした顔をする。


「おまぃも、ややこが」


 こくんと、ひとつうなづいた彼女は腹を抱き笑む。


「わっちは、肺の病でせっかく残されたこの子を抱きしめてやることはもちろん、産んでやることもできんせん。しかし、しかし魔人のお子は腹を割って生まれてくると聞きんした。それならば」


 あぁ、それならば、それならば


 「わっちがもし死んだとて、腹を割って、出て来てくれるんでしょう? 生まれて来てくれるんでしょう? 太夫に恩返しもでき、わっちの子も生まれてくることができる」


 ぼろり、ひとつ涙が落ちた。


「恩返しと言いながら、身勝手なわっちのわがままを、どうぞ聞いておくんなまし」


 聞いた。


 静かに雛の声が響いた。




 二人の母が、腹を撫でて歌う。


 どうぞどうぞ、かわいい子たち。


 同じ腹で仲良く育った兄妹として、仲良く手を繋いで出て来ておくれ


 私たちのかわいい子供


 どうかどうか、いつの日か


 魔人の赤子は、小さな赤子の腕を握って、育ての母の腹を割いて生まれた。


 二人の親の願いを聞いて、しっかと、産声をあげたのだ。

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