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【完結】妖の國を幼馴染と暮らす人の子の騒乱話~陰謀渦巻く大芦原編~  作者: 猫石
4章 道中 動揺 動乱れ

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よんのさん 動乱れ

 飛び込んだ暖簾の向こう、空気は重く澱み、足元にはぬかるみのように動きにくくまとわりつく瘴気が満ちていた。


 ぬるり生ぬるい空気に顔をしかめながら、周りをしっかと見回す。


「…どこだ…?」


 ぬかるみのその先、ぽかりまぁるくほのかに明るい場所があり、その中には江戸の着物とは違う、平安の絵巻物で見たような装束の女が二人と巫女、そうしてひとり横たわる少女。


「あれ…か?」


 重い足取りを歯を食いしばりすすみ、手を伸ばせば…


「なに?」


 何かに阻まれて進めないその中に、自分にまだ気づいてはいない女達と


「舞!」


 真ん中に眠るあれは、化粧も衣装も変わっているが、舞である。


「舞!」


 脇差を持たぬ方の手で拳を作り叩きつける


「舞、舞!」


 暖簾に腕押し、糠に釘のような状態である。


 ふわふわしていて何をしようもない、向こうが透け見える蚊帳のようにやわい何かを殴っているようで…ふと、蚊帳であればむんずと掴んで破れるのではないか?


 脇差を抜き、鞘を帯にしっかと固定すると、両の手でしっかと握りしめ、大きく振りかぶって突き立て、そのまま一気に下へ下へと引き裂くと、引きずりこまれるようにその得体の知れぬ深い裂け目に体をねじり込んだ。





「御大!」


 どぉん、どぉんと大きく揺れる空気に、巫女が絹を裂くような声を上げる。


「外から何者かが危害を! このままでは結界が、結界が綻びまするっ!」


「はよぅなんとかせよ!」


 側に控えていた女が腰を抜かしたように体を剃らせ、女御大と呼ばれたモノは扇を指し示して巫女に叫ぶ。


「御意!」


「ひぃ! や、刃が!」


 その声とほぼ同時に空間の一箇所に、煌めく刃が突然現れた。


「はよぅせよ!」


 そのまま下へ、一気に切り裂くようにして動く刃に向かって、巫女の女は足元に散る慌てて呪符を取り出し呪禁を唱え始める。


 しかし、刃の進みが一寸、早かった。


「舞!」


 刃の消え、次いで飛び出してきたのは結界の切れ目から生えるように突き出した腕、そのまま這い出てくるように細こい男の身が現れ、ずるり、生まれ落ちようように転がり出た。


「舞!」


 脇差を片手に飛び出した春霞は、すぐに体制を整えるとあたりをみまわし目の前に横たわる彼女を見つけると何も持たぬ手を伸ばし、襟元をしっかと掴みこんでは一気に自分の方に引き寄せた。


「舞!」


 ぐたりとはしているが、息もしており乱暴に扱ったために眉間に少し皺も寄った。


 あぁ、大丈夫、生きている、と安堵の息を吐いたところで、ちりりとした痛みを伴って紙切れが頬を掠めた。


 飛び道具のようにはためいた呪符が結界の壁に突き立った。


 投げつけられたそちらへ、顔を向ける。


「御大!あぶのうございます、どうか、どうか御簾の外へお下がりを!」


 腰を抜かしていた女は気を取り直したのか、すがるよう御大と呼ばれる女を抑える


「皆様、皆さま狼藉者におざります!おいでくださいませ!」


「えぇい!邪魔じゃ!」


 がしり、その女を蹴り飛ばした御大はしっかと月狗舞を引きずり自分の後ろに隠した春霞を睨め付けた。


「貴様は誰じゃ!」


 飛んできた遠吠えを思わせる金切り声。


「この結界は我らの一族の秘術!わずかでも妖力があるものは入れぬはず、なのになぜ貴様はここに入れるのじゃ!」


「秘術…」


 零が自分たちが入れないが、と言っていたのは。


「こういうこと、なんだ」


「このもの、妖者あやかしものではございませぬ!」


 巫女装束の女が怒りに震えている御大の前に飛び出す。


「御大、この者は、只の人でございます! 御身が穢れてしまいます、御大、何卒御簾向こうへおさがりくださいませ」


「人…じゃと?」


 ぴくり、女御大の顔が引きつった。


「なぜここに…」


 ぎしり、奥歯が鳴った。


「なぜ人がここにおるのじゃ!」


「御大!お下がりを!」


「うるさい! 妾に口答えをするな!お主は結界を立て直すのじゃ!」


 捲き上げるような地鳴りが、瘴気が、つむじ風のように一気に巻き上がった。


 その風に着物が、皮膚がちりちりと切れて血をにじませる。


 慌てて春霞は月狗舞を腕の中にかばいながら必死に耐える。


「貴様らは、なぜ貴様ら人間は妾の邪魔ばかり!」


 ばりばりと、雷鳴に似た音が、つむじ風が、結界をきしませていく。


「なぜなのじゃ!なぜ、なぜ妾の邪魔ばかり」


 ふわり、つむじ風に絡め取られそうになる舞を守るように地面へ抑え込みながら、女御大を見る。


 小さな雷がちりちりと、彼女の周りを取り囲む。


 散っていた呪符が、香炉が、灯が、つむじ風に持っていかれる。


「なぜなのじゃ!」


 大きく、結界の中が地鳴りのように振動する。


「御大!御大お鎮まりくださいませ!」


 巫女が御簾の内側に入れぬ見守りの男達を見つけ、女御大へ叫ぶ。


「結界が持ちませぬ!力をお沈めくださいませ!」


「ひぃぃ!御大!御大おやめくださりませぇ!」


 蹴り飛ばされた女が結界の隅、がたがた震え…小さな煙にその身を巻かれた。


「御大ぃ!」


「し…」


 それを見ていた春霞は、つい、口に出した。


「白い狐…?」


「こ、の…おろかものめがぉ!」


 白い狐姿に戻った侍女を見た彼女の怒号は、繭のような高温の白い雷鳴を呼んだ。


「このような場で、己が正体を晒しおって、この恥さらしが!!!」


「御大!」


 雷に食われた白狐。


「もう良い!能無しどもめ!師団は選ばぬ、被害が出ても叶わぬ、その小僧を巻き込んで構わぬ!」


 巫女に向かい、叫んだ。


「はよぉ術を発動せよ!」


「ぎょ…御意!」


 一寸、躊躇う声も上がったものの、御簾の向こうの術師達から、目の前の巫女から、聞き慣れない言葉で作られた呪言が、それそれに落ち、燃え、ちらばっていた呪符が、ばらばらと春霞を…春霞に守られている月狗舞へめがけ宙を滑り絡みついて行く。


「なに…?」


 自分たちがいる、板の床が赤い光を吐いた。


「床が…光っ…」


 よく見ればそれは見慣れた葦原の地図と、その上に朱墨で緻密に書きこまれた見たこともない文字と線。


 遠くから、近くから、波のように迫ってくる聞き慣れない言葉の紬が長くなればなるほど、光は強くなり、呪符が絡みついてくる。


 脇差を持たぬ方の手で剥いで捨て、ちぎって捨て繰り返すが、あざ笑うかのように絡みつく速度は急速に速くなり、呪符は月狗舞を守っていた自分の片腕や体の一部を共に飲み込んで丸い繭のようになって行く。


「舞!」


「―――っ!」


 繭が、赤く色を変えた。


「これで!これで!ようやく心願成就じゃ!」


 細く細く動向を縮めた金色の瞳を大きく見開き、高らかに、笑った。


「人の子もろとも、その身の汚れを振りほどき、一族のため…妾のために生まれ変わってくりゃれ!」


 何を、言っているのか。


 この御大と呼ばれた女は、一体なんのために!?


 それよりも、繭を、繭を剥ぎ取らねばと。


「いっ」


 春霞は手を急がせるが繭は固く固く変質し、焦って力を込めた春霞の爪が負けて落ちた。


「つぅ…っ」


「足掻くのはやめよ」


 にやり、繭に片腕取り込まれながらも、それを身を呈して守ろうとしている春霞に近づき笑った。


「おぬしは…そうじゃ、お主は我が一族に加わる新たなる娘のために、その身を差し出すがいい」


「舞をどうするつもり」


「このような塵溜めより、救い出してやるのよ」


 黄泉路への土産よ、贄になる貴様には話してやろう?と、うれしそうにうれしそうに、女は小袿の端を蹴り上げてしゃがみこむと、檜扇で春香の頬を撫でつけながら笑う。


「私の姉はな、力はそれほど強くはなかったが、それは優れた才女であった。婿を取り、我が一族を継いで行く使命のあるものであった。それがな、あるとき一人の男と恋路に落ちた。 そうしておろかにも、郷を出奔し人の世に逃げてしまった…我らは、草の根を分けて探した。相手は貴様のようななんの力もない、ごみ虫のように卑しき人間。妾らのような高貴なものに、そのような蛮行が許されようか! 長き時を見つからぬ中ようやっと、ようやっと見つけたと知らせが届いた。妾は…一族は大層喜びいさんだのじゃ。しかし…」


 みしり、檜扇に鋭く亀裂が入った。


「しかしその知らせもよぅみたらどうじゃ! 貴き一族の、その中でも最も優れた我が一族の跡取り娘でありながら、葦原遊女なんぞに身を落としておったのじゃ…」


 血の気を引くほどに蒼白な顔、唇には赤く血が滲む。


「恥知らずめが…」


 袴とともに春霞の顎を蹴り上げすっくと立ち上がる。


「恥知らずめが!許さぬ!許されるものか! 誰がそのような穢れ堕ちた者を許し一族へ迎えるものか!」


 そんなときよ、と、笑う。


「姉上は、子を孕んでおったらしいという。影のものに身辺を調べさせれば、その子と噂されるもの、この葦原の中におるではないか!しかもまだその身は汚れておらぬ! あぁ、そうじゃ、姉上なぞもう要らぬ、まだ穢れを知らぬその娘を姉の代わりに連れ帰り、我が一族の、妾のために迎え入れられる」


 しかし。


「どこの誰ともわからぬ、葦原に足を運ぶような卑しい男の血などは一滴も許さぬ、そんな穢れた血はいらぬのだ。一族の郷へ向かい入れる前に、その血潮を浄化をせねばならない!だからこその、この呪禁なのよ!」


「…」


「ほぅら、よぅ見てみぃ」


 繭の赤い滲みが、じわりじわりと広がって行く。


「繭が、卑しい血を吸い上げておるのだ。半妖などという穢れを繭に写し、その繭が割れ新たに生まれ落ちた時、娘の身はこの結界に反応し、しっかと我が一族の真なる姿に戻る。お前はその時の最初の贄じゃ。贄をくらい、祀れば…そうすればその娘を郷に連れ戻ることができるのじゃ!」


 殻の、割れる音がした。


「生まれるぞ…」


「舞!」


 その隙間に、爪の禿げた指を差し込む。


 その力で繭はかんたんに裂けて消えおち、どろり、真白な髪に変貌した舞が流れ落ちて現れる。


「呪言をとなえよ!」


 軽やかに、地に書かれた呪の紋様の外に出た女御大が命じると、高らかに、何人もの声が響き渡る。


「舞!」


 肩を掴んで揺らす。


「舞!」


 けほり、ひとつ咳をして、どろりとした何かを吐き出した。あぁ、ちゃんと息はちゃんとしているが、しかし繭はピクリとも動かず、瞼は閉じたまま。


 再び繰り返される音もわからぬ呪禁は、二人を圧迫するような音の波になり、胸を、腹を圧迫し、吐き気を催し、心臓は破れ鐘を乱れ打つように騒がしくうるさい。ぐらりぐらりと揺れる世界は、眩暈なのか、本当に地が揺れているのか、もう、それすらわからない。


「…ま」


 ぱらぱらと、腕を取られていた呪符が消え落ちたために、支えをなくし体制を崩した春霞は横たわる月狗舞の上に崩れ落ちる。


「舞…」


 それでも、力を入れ、舞を守ろうと体を動かす。


「悪あがきよ」


 ふん、と、鼻で笑った御大は月狗舞の変化を待つ。


 が。


「なぜじゃ…?」


 女御大の眉間にはぐっと深くしわが寄る。


「なぜ何も起きぬ」


 呪の紋様の中はしっかと口々に唱えられる呪禁で満ちているのはわかるのに。


 女御大の顔に焦りは行動となり、一心不乱に呪禁を唱えていた巫女の肩を掴み壁へ叩きつける。


 小さな悲鳴をあげてよろめき転がった巫女の足元に、ころり、どこから出てきたのか、白牡丹の簪が落ちた。


 その上に、巫女の手から落ちた呪具が滑り落ち、牡丹は儚く砕けた。


 その微かな音が、春霞の耳には届いた。


 重い重い、力づくで塞がれているような瞼をなんとか開けると見える、白い花弁。


 脇差を持たぬ方の鉛のように重い手を、少しずつすこしずつ、それに向かって伸ばす。


 思いを込めて作ったのだ、あの子を、大切なあの子を守ってくれますように、少しでも、ただの少しでも幸せになりますようにと。


 幼い日、なんて生きにくくも冷たい修羅の世界に捨てたのだと世の全てを恨んでいた自分たちを、それでもギリギリのところで支えてくれた若い女坊主の愛した白牡丹と手の暖かさ。


 ――春霞、泣くなっ!


 遠くから、懐かしい声が聞こえた。


 ――春霞も、舞も、俺が守ってやる!ずっと、ずっとだ!だから泣くなっ!


 あぁ、あの日、本当に自分が握っていた手は舞だけだったのか。


 ――俺が、絶対に守ってやるから。


 今、あの花に伸ばしているこの左手は、あの日、冷たい空気ではなく、本当は何を握っていた?


「は…ね…」


 凍えるような寒い雪空の下、正座させられた廊下、はらり、一枚落ちた白い牡丹の花びらが一体何に見えたのか。


 ――あれ、さ、鳥の羽のようだね、綺麗な、綺麗な…


 忘れていてごめん、と、涙が一つ落ちた。


 なぜ忘れていたのか、大人たちに呪をかけられていたなんて思いも呼ばなかった彼は涙して、あやまった。


 そうして、しっかと、肺の隅々まで、腹の奥まで息を吸い込んで


 軋む体に力を込めて脇差を握ったままの腕で体をわずがに天へ反らして。


「はね…羽…僕は…僕と舞はここだから…」


 力一杯、息を全て吐き出した。




「羽っ! 零っ! 僕たちはここにいる!」





 あたりを大きな雷鳴が轟いた。


 真白な光の中で一瞬見えたものは節ばった白い足。


 真紅の瞳は見開かれ、朱金へと色を変え、その身から、燃える姿すら見せぬ白銀の雷纏う炎を吐き出した。

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