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【完結】妖の國を幼馴染と暮らす人の子の騒乱話~陰謀渦巻く大芦原編~  作者: 猫石
3章 挨拶 愛想 合言葉

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さんのよん 悪意

 葦原の、仲ノ町から一本入った揚屋通りを通るのは、子供の時分以来である。


 物心着く前から育った町とはいえ、あれから7年、しっかとは道は覚えていなかったことと、先日も迷子になった、ならないと喧嘩になってしまったこともあり、今回もちゃんと、美兎螺屋の傘持ちである零に連れてきてもらったのだが、やはり揚屋に入るのは躊躇すると足を止めた。


 昔はよく知らなかったために何も思わなかった色鮮やかなこの街も、女が身を売り、偽りとはいえ恋を売る店、虚飾の世界の入り口と、わかってしまったせいか、止まった足はなかなか足を進めることができない。


 仕事に貴賤下賤があるとは思わない。が、それで泣くもの、苦しむものがいるとわかったことと…腕の中にある、先だって頼まれたあの品を幼馴染だった少女へ届ける、それを意味することに対して、気が重いせいなのかもしれない。


 はぁ、ひとつ、ため息をつく。


「おい、春霞」


 先に店に入っっていた零が、ひらり暖簾を上げて手招きする。

「早く入れや」


「うん……」


 足はどうしても動かない。


「おい、春霞」


「うん……」


「早く入れっての」


「……うん……」


 ちっとも動いてくれない足先を見つめる。


「っち」


 眉間にしわを刻んで大きく舌打ちひとつ。


「はやくしろぃ!」


 零は春霞の手首を掴むと力づくで引っ張っり込んだ。


「こっちは夜見世の用意が始まるってんでみんな忙しいんだ! さっさと入れ、うじうじぐじぐじとしちめんどくせぇ野郎だな。いい加減けりつけろぃ!」


「っわ!」


 力尽くで引かれるその速度に合わせて、こけないように慌てて足を動かす。


「ちょっとまって、草履」


「脱ぎすてろ」


 言いすてる。


珠柳(たまやなぎ)、わりぃな、草履をちょいとたのまぁ」


「あい」

 ぺぺい、放り出されたふたっつの草履を、そばにいた坊主禿が丁寧に重ね揃えたのを確認すると、懐から菓子のおひねりをぽいっと投げ与える。そしてそのままどんどんと、朱色の格子座敷がある上がり框から帳場を抜け、急な階段を上がって二階、そのまま奥座敷へと進んでいく。


 途中、半裸の遊女や遣り手、小僧や下女下男などがあれよあれよと声をかけてくるが、零は構わず春霞の腕を引いてどんどん奥に進んでいく。


 そうして


「月狗舞、いるかぃ?」


「へぇ」


 立ち止まったのは美しい白犬と牡丹が描かれた描かれた襖の向こう。


 静かな声で返事が返ってくる。


「入ってもいいかい?」


「どうぞ」


「すまねえな」


 とんっ!


 きれのいい音を立てて襖を開けた零は、背中を押して部屋の中に春霞をいれた。


「届けもんだとよ、道中に間に合ってよかったな」


 零はそう言い捨てて、たんっ! 高い音を立てて襖を閉めた。


 部屋の中には押し込まれたとき足がもつれて膝をついてしまった春霞と部屋着のまま文を書いていたらしい月狗舞。


「大丈夫でありんすか?」


 筆を置き、立ち上がった月狗舞はそっと零に近づき手を差し出した。


「ぬしさん」


「大丈夫、です」


 腕の中には風呂敷包みは手放さずにいられたようで、ほっと安堵のため息を漏らしながら手を借りずにそのままきちり、膝を揃えて座る。


「ありがとうございます」


「いえ」


 差し出した手を胸元に、そっと月狗舞もその正面にしゃなり、腰をしならせて座る。


「お怪我なくようござんした。零さんは、乱暴でありんすなぁ。力づくでぬしさんを放り投げるような真似をして」


「あ、いや」


 ははっと、乾いた笑いがもれる。


「僕ちょっとがぐずったからなんだ、大丈夫」


 ひとつ、心を落ち着かせるように息を吐いた春霞は、持ってきた風呂敷包みを目の前に置きするり解くと、出てきた白木の箱を取り上げ、くるり、正面を向かせて差し出した。


「ご依頼のお品、お届けに参りました」


「ありがとうござんす」


 そっと受け取り、手に持つと箱の蓋を静かに静かに開ける。


「まぁ」


 ゆるり、頬が緩んだ。


「なんて美しい」


 白木の箱の中には、一輪の真白な牡丹の花が咲いていた。


 まんまるの球だったものを、時間をかけ削りあげ、寝食惜しんで作り上げた。


 細い細い(たがね)と鯨の髭を使い、神経を集中させ丁寧に繊細に削りあげ、羅紗鮫(らしゃさめ)の削り皮を使って滑らかになめしあげた後、丁寧に狗を彫った簪の台に通し止め、翡翠で作った薄い葉を重ねたあと、その下に、小さな小さな真珠の球を、銀で作ったびらびらの繋ぎめにはめ込んで……丁寧に丁寧に作り上げた。


「雪降る夜の、白い牡丹のようでありんすな」


「そう……ですね」


「懐かしゅうござんす」


 簪を取り上げ、目の前まですっと持ち上げて日に透かす。


 うちからも、外からもほんのり光を放つ牡丹に、びらびらが反射する小さな光の粒が写り込んで輝く。


そう、それはまるで……


「あの日の、雪の日の牡丹のよう」


 覚えていてくれたのだなと、嬉しくて、ほっとして、ひとつ息を吐いた。


 二人、思い出すのは養児院の見事な庭、初雪の日の美しい白牡丹。


 いつものように、妖の子達に囲まれて大喧嘩をしていた春霞を助けるために殴って入った舞。その大げんかが院の主人である狸和尚にしれ、みんな並んでこってり絞られた後の事。


 お説教は先に終えたものの、それでも手を出すことはよくない、少し頭を冷やしなさいと、春霞と舞は二人、寒い廊下に線香を持って正座させられた。


 細く煙をゆらす線香が燃え尽きるまでずっと座っていた。


 燃えおちても、冷たい床の上、痺れて冷たくなった足は感覚を取り戻すのに時間がかかり、しばらく動けなかった。


 その時、二人で見ていた、大輪の花。


 凍える板廊下、そっと暖を求めるように手を握っていた。


 あの日の、儚い幸せ。


 そうして、お互いの、これから先のありもしない幸せを願って。


 二度と、客と遊女という間柄にならぬ限り、もう二度と触れ合うことのない掌、指先。


 静かに静かに、二人、座っていた。


 次に口から出す言葉を、考えて。


 視線が、ゆるりと重なり合った。


 少しの間、そうしていた。


 やがて、ぱたぱたと廊下や階段を行き交う音がひどく聞こえてくる刻限となっていた。


 静かに、息を吸い込んだ。


 どうか、幸せに……あぁ、君が幸せになりますように、と願うように言葉にしようとした。


 ――けり、つけろや


 脳裏に、静かに思い出された声に、その思いは飲み込んだ。 そうして


「お気に召していただけましたでしょうか?」


「えぇ…えぇ」


 膝下まで下ろした手の上の石の白牡丹に、ぼろり、涙がひとつ溶けて落ちた雪のように落ちて流れた。


「とても、気に入りんした。ぬしさんにお願いして、ほんにようござんした」


「こちらこそ」


 そっと手をつき、一つ、ふかく頭を下げた。


「私のような若輩者に、このような仕事を預けてくださりましてありがとうございました。お納めが刻限間際になってしまったことをお詫び申し上げます」


 ゆっくり、頭をあげる。


「明晩の突き出し道中、心より、お祝い申し上げます」


 紅を刺さない唇がすっと弧を描いた。


「ありがとうござんす」


片手をつき、ゆるり、首を下げる。


「道中、よろしければ見にきておくんなまし」


「はい」


 細く開いた隙間から、桜色がひとつ、しっかと頷いたのが見えた。










 ゆらりゆらりと、赤い壁に映る花の影が揺れる。


 几帳に落ちる影。


 漂うは、甘い甘い、麝香の煙。


 揺れる灯台の火は、室内の影を波のように満ちたり引かせたりしていて、あぁ、室内にある美しい顔を煽情的に刺激する。


 新たな香炉が運ばれてくる。


 いくつか並ぶ影。


 床に広げられた葦原の地図には、なにやら黒々とした呪符が数枚と、綺麗な玉石が並べられている。


「もうすこぅし狭めまひょか」


 とん、と、笏の先が地図に乗せられると、白く塗られた細い手先がにゅうっと伸びて、新たに呪符と石を置く。


「こちらももうひとぉつ」


 とんとん、と、笏で地図の一角叩くと、手の中にすっぽり収まるくらいの小さな香炉が置かれる。


「そちらはえろぅ固く閉じ貼りましたな」


「白天宮の本宮さんと繋がってしまってはこまります、しっかと抑えとかんといきませんぇ」


 地図上の、白天宮のうえに黒い香炉を一つ。


 真ん中に座るものが何やら呪禁を唱え始めると、ゆらり、その上に小さな陽炎が立つ。


 薄氷が割れた音がした。


「出来上がりましたな」


 張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。


 ゆるり、赤く染まった白い狩衣の袖は揺れ、笏が彼の口元を隠す。


「ほんに安堵しましたわ。先日、何処ぞのうつけが結界を破ったときにはまぁ慌てはしましたが、なに、ただの小虫が通過しただけ。なんの傷にもならんと、うまく事が運んでおじゃりますなぁ」


「ほんに、あの時は肝が冷えましたが、こないうまくいって、安心しましたぇ」


 檜扇がぱらり、口元を隠すように開く。


「東のお方はまぁ、えろぅ鈍くてらっしゃりますからなぁ。わたしらは動きやすくてえぇですけどなぁ。でもま、こないに簡単でしたら、ここまでしっかと幾重にも手ぇ回さんでも、うまいこといったんとちゃいますか?」


 ほほほほほほ、と、高い笑い声が上がる。


「事をせいてはというではおじゃりませぬか」


 御簾の向こうの影が嬉しそうに、楽しそうに口を開く。


「此度のことは、失敗することは許されませんよって、ここにお集まりいただきました術師の皆様には、最後の最後まで、気ぃをぬかんとよろしゅうにお願い申し上げますぇ」


 その声に、先ほどまで笑っていたものたちは笏や扇をおく。


「御大、かしこまりましてございます」


 しっかと、深く皆が頭を下げた。


「あぁ」


 ぱちん、と、檜扇を閉じる音が室内に鳴り響いた。


「ようやく、ようやく……」


朱を落とした唇がにやり、笑った。

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