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【完結】妖の國を幼馴染と暮らす人の子の騒乱話~陰謀渦巻く大芦原編~  作者: 猫石
3章 挨拶 愛想 合言葉

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さんのに あいそう

「本当に、本当に、どうしていいやら……」


「ははぁ、そいつはまぁ、困りましたねぁ」


 引手茶屋・繊月楼であり四郎兵衛会所総取である六花四郎兵衛が眉を下げて笑いながら、ゆるり、煙を吐いたのをみて、慌てているのは美兎螺屋の主人である。


「四郎兵衛様! なぜそんな落ち着いておられるのですか、この葦原始まって以来の一大事ですぞ!」


「いやいや、商売繁盛な事で、大変に良いことではありませんか」


 こぎみよく、煙管から火が捨てられた。


「と、まぁ、言いたいところですが……まぁ、そうもいきませんねぇ」


 差し出された高坏を引き寄せ、茶碗を取るとすすった。


「加州様にはご連絡申し上げたのですか?」


「いえ……いえ! まだお話ししておりません。こんなお話し、あったものではないのですから!ですからなんとかしていただきたく、葦原会所頭取であり、加州様とも長いおつきあいのある四郎兵衛様に最初にご相談申し上げておるのです」


 目の前の紋付を身につけた大兎は、みるみるうちに青くなり、がたがたと震え出す。


「こんな、こんな事、私は一人で怖くてお話しできませぬ! ご機嫌を損ねたりしたら二度とうちに花を降らせてくださらないかも……いや、いやそれよりも……」


 しまいには突っ伏して泣き出した。


「お怒りになり、お店が潰されてしまうかもしれませぬー!」


「いやいや、そもそもあのお方はそのようなことでお怒りになるお方ではないでしょう」


 茶碗を置き、羽織を緩ませて腕を組む。


「そもそも、あのお方はこの葦原には遊女目当てにきていらっしゃるわけでもなし、きちんと段取りを立ててご説明申し上げれば、お怒りになる事はないと思いますがねぇ」


「だからこそ! だからこそでございますよ!」


 涙だらけの顔をあげる。


「あのお方はこの葦原で遊女を床に連れ込まれたことは一度もありません。ここへは、堅苦しいことを抜きに、ゆるゆると、人目も気にせずおやすみになられたいときにしかおいでになられません。うちの珠月見を呼ぶのは表向き形式的なものと、珠月見の生来の頭の良さやそういったことをよく汲んで旦那様のお相手するものだからでございます。しかし!」


 ばぁん!と、畳を叩いた。


「しかし、此度のことは違います!うちの新造の、月狗舞の突き出し道中と水揚げがかかっておるのですぞ!」


「うむ。 太夫より、新造の水揚げを頼まれた加州様がお金をお出しになる、そうして、加州様の腹心のお方が加州様に変わって水揚げされる、そういう算段でしたな」


 遊女の水揚げには、それなりのかなりの金が動く。


 それは、それまでは男に買われたことのない新造と呼ばれるものたちが、生まれて初めて贖われ遊女として生きるための晴れ舞台であり、覚悟の門出なのだ。


 そもそも新造には3種類ある。


 客を取らない、すでに年季が開けたものの、葦原で長らく外界との接触を避けて生きてきた女たちのなかでも、親兄弟や旦那となるものもおらず、変える当ても行く当てもない者がなる、遊女の夜の身の回りの世話役である番頭新造、そしてこれから客をとる身となる留袖新造と振袖新造である。


 振袖新造と留袖新造では扱いに天と地ほどの差がある。


 客を取ったことのない新造の殆どが留袖新造と呼ばれるものになる。


 遊女見習いの娘たちは自分たちが売られた借金の上にさらに借金を背負って突き出しの衣装や寝具を揃え、籬と呼ばれる真紅の格子の中で、一定の期間、この遊女は新人ですと、初物ですよと目立つように置かれ、目を止めた男たちへと買われて行く。その際に留袖を身につけていることから留袖新造と呼ばれるようになったと言われ、葦原三千人の遊女の中、まさに己の力量、手練手管で成り上がっていかねばならない。


 対して振袖新造とは、お武家や大きな商家の娘であったことが多く、芸事教養などをわきまえた器量好しであり、いずれは上位の遊女となるのが決まっているものたちである。問題になっている月狗舞はその中でも秘蔵っ子であり、いずれ太夫と呼ばれるに値するとされる「引込新造」である。


 引込新造とは、早くから楼主がこれぞ将来の金の木よ、と金をつぎ込み太夫の側につき従わせながら、教養芸事所作作法すべてを細心の注意を払って育て上げられる。そうして突き出しが近くなると、姉女郎が自身の旦那衆の中でもこれは、というお大尽へお願いし、着物、寝具、家具調度品を揃えていただき、鳴り物として7日間葦原道中で盛大にお披露目、宴を開いた上で、お大尽へ水揚げされるのだ。


 そのお大尽はといえば、それだけ大切に育てられた新造の最初の旦那にと多くの旦那衆の中から選ばれ、声をかけられるのである。妓楼、強いては葦原との信頼関係が十分にできているということであり、大枚をばら撒くことができるほどの内福を示すことになり大変名誉、と言われている。


 しかも今回は葦原一の妓楼『美兎羅屋』で、葦原一と名高い珠月見太夫の一等可愛がっている名の知れた月狗舞の突き出しなのである。 すでにやれ旦那は誰なのだ、やはり加州様やそれに値するお大尽ではないか、それだけ豪華になるのかと噂が噂を呼び、界隈はこの噂話で持ちきりなのである。


「本当に、本当に困っておるのでございますよ、どうぞ、どうぞお助けくださいませ」


 美兎螺屋の主人は玉のように吹き出す汗を手ぬぐいで拭っては、すがるような目で六花四郎兵衛を見る。


「しかしねぇ」


 泣かれ疲れた四郎兵衛はため息ひとつ。


「まずは月狗舞の方を説得してはどうだい?」


「致しました、致しました。しかしどうしても、と、泣くばかり。水揚げ前では仕置も折檻もできませぬ上に、珠月見の説得も聞かず、食事もとらず、聞く耳も持たず、もう、何かに憑かれたのかと疑うばかり。お相手も返事を頂きたいと急いてきますし……しきたり知らずと足蹴にするには行かず、それはもう困っておるのです」


「四面楚歌、というやつですねぇ……あぁ、しかし折檻はいけませんよ」


 はぁと、もうひとつため息をつく。


「では、ではどうすれば!」


 大きな兎の長い耳は力なく垂れ下がっていくばかり。


「ではまぁ、加州様へ文をやり、珠月見と共にお話しをさせていただくしかありませんなぁ」


「や、やはり…」

 へのへのと、再び力なく美兎螺屋主人は畳に体を擦らせるようにつっぷして、おいおいと泣きだした。


 「どうしましょう、どうしましょう!わたしは、わたくしは斬り伏せられてしまうかもしれませぬ!」


「……まぁ、命は取られないにしろ、腕一本、耳片方くらいは覚悟したほうが良いのかもしれませんねぇ」


「そ……」


 がばっと状態を起こした美兎羅屋の主人は、己の腕と耳をなぜながら悲鳴をあげて三度、畳につっぷした。


「そんなぁぁぁ!」


 大の男、しかも忘八と後ろ指さされ笑われる妓楼の主人が畳に突っ伏して泣いているのを見ながら、六花四郎兵衛は深く深くため息をつき、深く深く肺の奥底の心気持ちの悪いところまで燃えかすになったような煙草の煙を吸い込んだ。






「ん~」


 ぷかり、紫煙が口の中からまん丸くなって飛び出した。


「とりあえず頭、上げてみる?」


 引手茶屋・繊月楼の最上階の、いつもの座敷のその先の、隠れ座敷の座の奥で、脇息に左肘を当て、煙管をふかしながら鮮やかな紅蓮の着物、肩からさらりと藍の羽織をかけたままの加州は、目の前でひらにひらにと頭を下げる美兎螺屋主人と珠月見太夫、振袖新造・月狗舞は、頭も上げずただひたすらに、畳に額を擦り付けている。


「加州様、このた…」


「四郎兵衛には聞いていないよ」


 のんびりした口調で、しかし六花四郎兵衛の口を閉じさせた。そうしてもうひとつ、煙を吐く。


「で?」


 はぁ、と、ため息をもうひとつ、煙と一緒に吐き出してにこりと笑った。


「そう、皆でならって頭下げてばかりではなく、もっとちゃんと説明してくれる?」


 それともその雁首、揃って落として欲しいの?


「とんでもございません!」


 大声をあげながら顔をあげ、辺りを見回しはっとした顔をして再び頭を下げると、美兎螺屋主人は震えながらも心持ち大きめに声を絞り出す。


「たいへんもうしわけございません! 加州様に、この月狗舞の水揚げ、是非にとお願い申し上げておきながらこの所業、私は止めたのでございます、止めたのでございますがどうしてもとお相手にたのまれておりまして、また、この月狗舞も食事も喉に通らないくらいにございます! この度の不手際、この場で!この場で斬り伏せられても仕方のないことではあります!しかし!しかしぃ…」


「私よりご説明いたしんす」


 震えるながら求められた本題ではなく、必死の保身と弁解だけを並べる主人を止めるように、涼やかな声が割って入った。


 すっと、頭をあげた珠月見太夫がしっかと、金の瞳で加州を見つめた。


「わちきがぬしさんにお願い致しんしたこの子の水揚げ、どうしてもさせて欲しい、と、先日より申し出るモノがありんす。先だってお願いした方がありんすと幾度なくお話ししんしたが、お相手は一歩も引かず、ずっと我が妓楼の前で座り込みを。会所にもお願い何度もお引き取りをお願いしておりましたが一向に引き気配がありんせん。そこでよくよく訳を聞いてみれば月狗舞の母親の一族の遣いで、遠い江戸の地で伏した母と、この苦界に生きることになったその子のためにどうしてもこのまま国元へ帰れば首が落ちるとの話。 この話をこの子にしんしたところ、顔も知らぬ母に思うところがあったのでしょう、この子もそれを大変強く望んで、食事も喉を通りんせん。 一度お願いしたにもかかわらず、ぬしさんのお顔を潰すような真似をとは思いこの子にもとくと話はしんしたが、日に日に痩せていくこの子が哀れと思い、この子が望むのであれば、わっちとしてはそれを許してやりたいと、ぬしさんにこうしてお願いをしておりんす」


「そう」


 ぽかり、けむをもうひとつ。


「じゃあ、相手は狗神か?」


「話を聞きんしたが、なんでも土佐の狗神さんの一族のもので、この子の母御はその分家の娘だったようでありんす」


 ちらり、横目で頭を下げる月狗舞を見、加州を見る。


「ちゃんと身元を調べたのかい?」


「それはもう!」


 慌てて美兎螺屋主人がかおをあげる。


「しかと!しかと確認しました!月狗舞の母親の年季証文を持っておりまして、私の花押もこれしっかと!」


 美兎螺屋主人が手間取る手でなんとか袂から出した古びた証文をとりだすと、側に座していた六花四郎兵衛に渡す。


「六花」


「間違いなく」


 腰を低く落とした格好で加州に近づくと、そっと証文を差し出す。


「私の印も押してありますな」


「そうだね」


 ふっと、煙混じりの息を吐く。


「月狗舞、お前はそれでいいのだね?」


「そうさせていただきたいと思うておりんす」


 顔を上げてそう言いきった月狗舞の、橘色の瞳をしっかと見据えた加州はにこり、笑った。


「じゃぁ、いいんじゃない」


 そのかわり、と、ぴしり、加州は言い切った。


「この貸しは、大きいと思っておいてくれるといいな。ねぇ、珠月見」


 音無く、引きつった顔で息を飲んだ美兎螺屋主人の横、珠月見はうっすら微笑んで頭を下げた。


「今回のこと、全てわちきがおひきうけしんす。それから、ぬしさんがご用意していただくはずだった金子の倍を妓楼におはらいになると相手さんもいうておられます故、そちらからの上前も、主さんと、四郎兵衛様にはご用意させていただきんす。どうぞ、お父さんとこの子には、なんの貸しもなしとしておくんなまし」


「やれ、お侠なことだね、太夫。そこまで言われて引かないと、引き際も知らぬ無粋なモノよ、と、私のお株が下がってしまう」


 煙管を一度、強く叩いた。


「よし、では今回はそういうことにしようか。」


「まことに!!」


 ごりごりと、美兎螺屋主人が畳に頭をなすりつける。


「誠にありがとうございます!!」


「ありがとうござんす」


「じゃあまずは、うんとうまい酒が飲みたいなぁ」


「心得ておりんす」


 そっと、六花四郎兵衛へ目配せすると、ぽんぽんと、六花四郎兵衛は高く手を打ち、そうすると台の物と酒がそろぞろと運ばれてくる。


 清水のようにさらりさらりと衣摺れを立てさせ加州の横に座った珠月見が盃を差し出すと、加州が受け取ったのを確認してから、そっと酒を注ぐ。


「それから」


 ぐいっと飲み干しその口の端だけにこりと曲がった。


「道中の初日は、細石も呼ぼうかな」

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