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【完結】妖の國を幼馴染と暮らす人の子の騒乱話~陰謀渦巻く大芦原編~  作者: 猫石
2章 日の出 昼見世 昼下がり

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にのよん 昼落ちて

 場所は戻って小鉱石川。


 周囲には武家のお屋敷も多いこの界隈で一番の大通りからは一本なかに入った木戸街の、その一角。


 細石屋もひっそりと(あくまで店主たちの気持ちはであるが)軒を連ねる表店、その木戸を超えてもうひとつ、裏道へ入ると普通であれば左右所狭しと現れる長屋はそこには姿はなく、大きな庭を持つ少し大きめの屋敷があって、門扉には大きな一枚板に墨字ででかでかと『萬病い治します 猫又治療院』と大きな看板が立っている。


 日当たりも水はけもたいそう良さそうなその場所は今日は患者もいないのか、とてもとても静かだった。


 門扉を入って広めの庭は池や灯篭などといった装飾品は全くなく、代わりに手入れされた草花が隙間なく植わっており、少しだけあるひらけた場所には物干しが置かれ、包帯やらサラシ、それから洗い立ての着物が風を受け気持ちよさそうに下がっている。


 のどかな昼下がり、といったところだと思っていたのもつかの間。


「ごめんよ!」


 門扉の外で、大きな声が聞こえる。


「先生! 宗龍先生! 葦原の吾妻屋から頼まれて来ました!店まで往診頼んまさぁ!」


 おやおやと、縁側から外へ出てみれば門扉に(むじな)の若い衆が二人、籠を置いて待っている。


「往診とは、どうしたことか」


「詳しくは知りやせんが、ちょっと大事にゃぁしたくないって感じでしたね」


 嫌な予感しかしないな、と、肩をしかめる。


「ちょっとまっておれ。駒、星駒や」


 部屋の中に入り、長衣紋に引っ掛けていた白い医師羽織を紺の絣の着物の上に引っ掛けると、奥にいる弟子に向け大きく名前を呼ぶ。


「星駒や、往診に行くぞ」


「はぁい、ですの」


 名前を呼ばれた方、昨日こちらへ方向に来たばかりの可愛らしい猫又の少女は、台所の土間から手を吹きながら框を上がると、黒繻子の襟に牡丹柄の入った籠目模様の橙の着物の裾をひらめかせ、用意してある大きな包みを肩からかけ足を早めた。


「先生、用意できましたがどちらの往診に行かれますの」


「今日は葦原の店のようだ」


 目の前に立つ、猫ではなくとらではないかと思うような大きな体躯の医師は、にこり笑って草履に足を通した星駒の頭を撫でた。


「昨日着いたばかりであちこちと気忙しくてすまんな」


「いいえ、修行奉公ですもの、苦労は惜しんではいけないと父に言われて心得ておりますのよ」


 そんな、子供にするようなことしないでくださいましと、にこり笑った猫又の少女にすまないなぁ、と彼は笑う。


「先生、籠にお乗りください、駒は歩きますから」


「あぁ、嬢ちゃん、大丈夫大丈夫」


 狢の男衆が大きく笑うと、ぴーぃぃ!と、指笛を吹く。


 そうすると、屋根伝いににょっこり、もう1組籠を担いだ狢が現れた。


「さ、先生!行きやしょう!」


「あぁ、お手柔らかに頼んだよ」


 ぐらぐら揺れる籠を担いだ狢が、江戸城下の地下に広がる狢道を走り出した。






「ありがとうございましたー!」


 黒塗りの大門の真ん前で籠は止まり、宗龍と星駒がおりると狢たちはどこかへささっと声だけ残して消えてった。


「先生!またご贔屓にぃ!」


 大事にしたくないという割りにはでかい声で叫んでいるが、果たして良いのだろうか、なんて考えながら蒼龍は彼らに手をふった。


「ありがとうさんよ。あぁ、ほら、星駒や」


 よいしょっと、肩から荷物を担ぎ治した星駒に、宗龍は指をさした。


「お前はあそこで、女人手形をもらって来なさい。そうでないとこれ以上はいくら儂のお供でも入れぬからな」


「女人手形?」


 きょとんとしながらもひとつ頷き、会所の上がり框に座る男の前に進む。


「すみません、手形をひとつ」


「あいよ。おや、お嬢さん初顔だね」


 にぃっと糸のように細い目の、先ほどの狢に似た男が笑う。


「なんだい? 身売りにでも来たのかい? お嬢さんなら高く売れるだろうよ、その前に俺と……」


「なっ!」


 手形を受け取りながら、真っ赤な顔になる。


「し、失礼な!私は…」


「儂の弟子なのだよ」


 ぽんぽんと、なだめるように星駒の頭を撫でながら宗龍は笑っている男に言う。


「昨日田舎から出て来て初心うぶなんだ、いぢめないでやっとくれ」


「お、これは宗龍先生。大変に申し訳ない」


 ややこれは心底申し訳ない、と、ぺこり、真摯に頭を下げた男はお詫びにと、星駒の手に乗る大きさの金魚の紙巾着を差し出した。


「お嬢さんに、これをさしあげましょうや。これから先も、よろしゅう頼んまさぁ」


「金魚なんて、私は子供ではありませんし、馬鹿に……っ」


「おぉ」


 それを遮るように、宗龍がうけとり、ぽん、と、星駒の手に乗せる。


「随分と早い時間からお大尽がおこしのようだね。星駒や、それはね、葦原にお大尽が来た時に配られる菓子折りだ。珍しくてうまい菓子がたんと入っているから、もらっておきなさい。今日も商売繁盛しているようだな」


「へへ、ありがとうございやす!」


「さぁ、行こうか星駒や」


 こくり、頷き歩き出した宗龍の後を追いかける。


「田舎で葦原の名くらいは聞いたことがあるだろう」


 こくり頷き周りを見る。


 昼見世どきの仲ノ町は人影もまばらで桜の大木がそよそよと風に揺れている。


 その木の影から見えるのは、茶屋の呼び込みが昼見世のお世話をと行き交う男たちに声をかけている姿だ。


「ここは葦原の一番大きな通りで仲ノ町という。周りに並ぶのは揚屋と客を結びつける茶屋。ここで女の子の好み、な年頃、己の財布の太り具合を伝えると、ちょうど良い遊女と揚屋を教えてくれるって寸法だ」


「…先生はよく、葦原に往診にこられますの?」


「そうだなぁ、多いかもしれんな」


 ふぃと、仲ノ町から道を一本中に入ると、表のただ華やかなだけの空気と匂いが変わったと、思った。


「売られてきた遊女たちは足抜け予防のためにあの大門から一歩たりとも外に出ることは叶わん。その管理は先ほどお前が受け取った女人手形で管理されおってな。医者にも来てもらわんといかんから、わしの出番もあるというわけだ。……まぁ、わしを呼ぶ店はまだ良心的、といったところかな」


「良心的?」


 理解できない、といった顔で星駒は首をかしげる。


「ただ病を医者に見てもらうことがですか?」


「あぁ」


 深く深く、宗龍はため息をつく。


「中店や小店はもちろん、大店でもそうだな。揚屋の主人は無駄金がかかることは嫌がるんだよ。遊女の具合が悪ければ行灯小屋に隔離され、治るまでろくに飯ももらえず放って置かれる。こうして、藪でも医者を呼んでくれる楼主は、大変良心的なのだよ」


「そんな……」


「ここは、そういうところなんだ、心得て置きなさい」


 囲う遊女の医者代を無駄金というその冷たさに、ぞっとしたものを感じて星駒は周囲を見渡した。


 高い二階建ての揚屋が立ち並ぶ。


 通りに面した赤い格子は、夜になれば明かりが灯され着飾り手招きする女たちを男が金を握って品定めをされる、そんな街。


 そういえば。


 幼い頃に星駒の里から少しばかり離れた鼠の村で葦原へ行った子がいたと聞いたことがある。


 その話をしていた周りの大人は、売られた女の子のことをただひたすらに親孝行な娘だと言っていた。が、その行く先がここなのだとわかった今……親孝行とはなんなのだ。


 薄ら寒い美しさに、己が身を抱きしめる。


 さてここだ、と、宗龍が立ち止まったのは中籬。


 昼見世前の時間だからだろう、赤い格子の向こうにはやはり今は女の姿は一人もなく、吾妻屋と書かれた提灯にも火は灯っていない。


「はい、ごめんよ」


 暖簾をくぐると、そこは白粉と香、それからわずかに線香の匂いが立ち込める場所。


 黒い床、白い壁に、朱塗りの調度が小綺麗に置かれていた。


「あぁ、宗龍先生こんちは」


 声した方を見ると、上がり框に座り込んで、星駒と同い年くらいの、美しく化粧をした女に枝垂れかかられている桜色の髪の男が、宗龍に手を降っていた。


「今日は随分可愛らしい子を連れておいでじゃないですか。 往診ですか? それとも…」


 すっと、離れがたしと袖を引いた女に笑って手を払いながら立ち上がり、宗龍の後ろに立つ星駒の顎に手をやった。


「お孫さんの身売りですかぃ?なら水揚げん時はこれも何かの縁ってことで、俺が引き受けましょうか? なに、こんなかぁいい子なら大枚叩いても大歓迎だ」


 というか、もっといい店に売ったほうが金になりますよ?なんて笑う。


「なっ!!」


 かぁ!っと、顔を真っ赤にし、金魚巾着を持っていたのと逆の手で零の手を力一杯振り払った。


「なんなんですの! 最低ですわ! 失礼ですわ!!」


「零や」


 もう一発!と、振り上げた星駒の手を手の甲で受け止めながら、はぁ…と、宗龍はため息をついた。


「お前は本当に、相変わらずだなぁ」


 顔を真っ赤にし、飛び出した髭と尻尾をぷるぷると怒りで震わせている星駒の頭を撫でながら反対の手で零の頭をこつく。


「星駒も怒らないでやっとくれ。こいつはな、うちの近くにある細石屋の小僧で葦原で傘持ちをしている 零という」


 はぁ…と、ため息をつきながら怒りを納めるように星駒の頭をひたすらに撫でる。


「こういう奴だがとてもいい子だから、許してやんなさい。 零、この子はうちに修行奉公に来ている星駒だ。今日挨拶に行こうと思ったんだが、こうして往診が入ってしまってね。明日、改めて挨拶に行くけれど、こうしてあったのも何かの縁だ。仲良くしてやっておくれ。ほら、星駒も」


「いいえ!いいえ!」


 いーーー!っと、牙を剥いてあっかんべぇをする。


「あなたなんかと、絶対仲良くなんかしませんわ! いくら先生に言われてもお断りですの!」


「おぉ、なんてかぁいらしい」


 言われた零の方はといえば、飄々と星駒の手を取り、一つ、口付けた。


「俺は細石屋の零で、美兎螺屋の花魁の傘持ちをやってんだ。星駒ちゃん、あんたみたいに生きのいいかぁいい子は大好きだぜ、ご近所さんになったんだし、こんなところで出会ったのもなんかの縁。仲良くしようぜ」


「ばっ!!」


 今度はしっかと爪を立て手を振り下ろす。


「馬鹿にして!!!あなたみたいな男、大嫌いですわ!」


「あはは、嫌い嫌いも好きのうちさぁ」


 ひらり、零はそれを交わすと星駒に手を振った。


「またな、星駒ちゃん」


 ひらり、暖簾をくぐって出て行く零を慌てて追いかけ、名残惜しそうに手を振り見送る年若い遊女と、歯ぎしりして怒りをあらわにする星駒の、歳近い頃合いの女の対照的な姿に、葦原に売られるとはこういうことか、とため息をつきながら、奥から出て来た一つ目の遣り手に連れられて、宗龍と星駒は二階にある行灯部屋と上がっていったのだった。

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