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【完結】妖の國を幼馴染と暮らす人の子の騒乱話~陰謀渦巻く大芦原編~  作者: 猫石
2章 日の出 昼見世 昼下がり

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にのさん 昼下がり

 ()()()()()()()()を傾けると、澄んだ酒が赤い盃に注がれる。


「手酌でいいのに」


「主さんお相手に、そんなわけにはいきんせん」


 赤い瞳を細め、困ったように薄く微笑む珠月見太夫ははっと笑いながら、ぐいっと飲み干す。


 するとまた、そろりそろりと、酒は注がれ、何度かそれが交わされているのを見ていた春霞にふと、笑った。


「おいしいかい? 春霞」


「あ、はい!」


 朱塗りの膳に並べられた料理は、鯛のお頭付きに、豆腐が菊の花の様に咲いたお吸い物、花形に切られた野菜の炊いたもの、野菜を葛で寄せたものなど滅多にお目にかかれないもので、先日の宴の時と言いちょっと贅沢しすぎだ、と汗をかく。


「私は人だった、と、さっき言ったと思うのだが…」


 ことんと、盃を置く。


「緊張していては味もよくわからないだろう? そうだな、少し話を聞かせようか。 お前も、元とはいえ自分以外に人間がいるというのは聞いてみたいだろう?」


 全てを見透かす、血赤の瞳に、春霞は箸を置き座り直した。


「はい、是非」


「いや、そんな畏まらず、食いながらでもいいんだがね……うん、私はね、元はお前と同じ、人の世に生きた人間だったんだ」




 人ではなかった。


 人であっても人で非らず。


 そう位置付けられた命があるのだと知ったのは物心つく前だったか。


 自分がそうだったかと言われればそうではない。


 刀鍛冶として師匠の側での修行もおえいっぱしには身を立てられるほどになっていた自分は、絢爛豪華を誇る金沢藩の城下に身を置いていた。


 弟子もでき、できた刀身に名を刻むこともできる身であった。


 あの日までは。


 気がついたら何もかも、己の身までも鉄砲水に飲みこまれ、苦しくも命からがら手の触れた近くの松に流されないようにしがみつき空を仰ぎ見た。


 それは地獄絵図。


 天は何も見えないくらいに黒く染ま渦巻いて、黄金の龍が咆哮を上げながら苦しそうに空をのたうちまわり、手の先を見失うほどの雨を降らせていた。


 その後は日照り。


 あの日、天が黒く染まった日に龍神は息絶えたのか。空には雲ひとつなく、怒り狂った太陽が大地を干上がらせた。


 水害の後の日照りは、農村の住む貧しい人間を見境なく喰らい始めた。


 干上がり、ひび割れた田んぼの上で人が倒れる。


 わずかな草の根を、木の皮を、やせ細った鳥や獣を探しては、味などは関係なく、ただただ飢えを訴えてくる胃の中に押し込むが、そんなものはすぐ底をつき、畑仕事ができない高齢者、小さな子供の声が消えてゆく…誰もが口にはしないけれど、きっと口減らしたのだとわかる。そうしてそれを同情はしても非難はしない…いや、できない。


 明日には自分たちもそうなるのではないか、明日には自分も割れた田んぼに倒れるのではないか。


 不気味に哭くあの黒鳥に、亡骸を啄ばまれるのではないか、と。


 そんな状況が続いた後、加賀藩はようやくお救いどころを開いた。


 非人小屋、とそれは呼ばれた。


 わずかな菜粥でも、皆殺到し、それは命をつなげ、子を守る母からはわずかにもちゃんと乳が出た。


 男たちは足が少し遠くまで動く様になり、少しずつ、少しずつ、農村は飢饉から脱していった。


 そんな、絶望と希望を垣間見ながら、自分は、やせ細った体で火の前にたった。


 あぁ、もう、2度と苦しい思いをするものが出ませんように。


 ――願いながら火を灯し。


 もう2度と、お前たちが生きるためと笑う親を、涙にくれながら背負い山に捨行くことがありませんように。


 ――祈りながらふいごを吹き。


 親が、泣きながら愛する子の首に体重をかけることがないように。


 ――嘆きながら炉の壁を割って多々良を流し。


 もう誰も苦しむことのありませんように。


 ――思いを全て込めた魂の一撃を赤い鋼を打ちつけた。


 人が非道を尽くしませんように。


 ――煩悩や汚れを吐き出すように溜まった水に鉄を差し込んで、なんども、なんども。


 一心不乱に叩き上げ、刷り上げた一振りは……


「その時、非人小屋を視察に来ていた藩主の目に止まってねぇ、私は藩お預かりの刀工となったんだよ」


 窓から舞い込んできた桜の花びらが、盃に落ちる。


「藩お預かりになっても、金子が入り、生活が豊かになろうとも、あの日の苦しみを、悲しみを、怒りを忘れないように、私は非人小屋で鍛治を続けた。人になぜか、と問われれば、あの日々が私の終わりで始まりだった。その時にね、思ったんだ。人であって人に非らず、ならば私たちはなんであろうか、と」


 くいっと、盃をかたむけると、喉の節がすっと上がって落ちる。


 話を聞いている皆が、静かに、心の奥底に尋ねる。


 私は何者であろうか、と。


「私の残りの人生はそれを追求するために槌を振り下ろし、擦り上げることで終わったよ、答えが出ないまま、ね」


 次に目が覚めたのは、いつの頃だったろうか。


「ここに、いたんだ」


 激しい雨が降っていた。


 あの日と同じ土手の草むらで、自分を打ち付ける冷たい雨。


 足元は土に埋もれ、身は、腕は、指の一本さえも、なぜかぴくりとも動かない。


 このまま雨に打たれて死ぬのかと思った時、土の中から力任せに引き抜かれた。


 目の前には、顔こそ雨霞で見えないまでも、ぎらぎらと輝く太陽のような青みのかかった黄金の瞳に、蒼天の髪を輝かせる生気にあふれた男がいた。


「貴様、その身を妖に落としたか」


 にやり、笑った口元はそっと、その身に手を伸ばす。


「切っ先が折れておるがなんと美しく力にあふれた刀よ! そうかお前、この刀の刀工か! 随分と惜しまれ、愛され、血に溺れる刀を作ったものよ! お前の鍛えた刀を振るうものには名だたる剣豪がおったのだな! そうしてお前もまた、答えを求めて成仏できなかったのか。いろんな念と、血に呼ばれた刀の妖よ、面白い! 我の臣下となるが良い!」


 男が大きく一振り、雲を切るように振り下ろす。


 ひゅっと、その一振りは天高い空の雲までを切りすて、太陽を呼び、己が身にへばりついた泥と水滴が吹き飛んだ。


「その、お方はもしかして……」


「うん?」


 にっこり笑う。


「それは、ご想像にお任せだな」


 ぞわりっ、冷たいものが背に走った。


「まぁ、その方がここにいるわけでなし、そんなに硬くなることはないよ。後で知ったのだが、その時俺はまだ刀の姿のままでね。ようは刀の姿で土手に突き刺さってたみたいなんだ、間抜けだよね。 それからそのままそのお方のお住まいに連れて行かれ、折れていた切っ先の部分にその方の鱗を継いでいただき、妖術師に直していただいて、ようやくこの姿が取れるようになったというわけだ」


 それでかと、春霞は思った。


 頭の先から髪の毛の先まで美しく整えられたその姿。全体的には刀をうち鍛える鮮やかな紅蓮を思わせる姿の中、その指の一本。左の薬指の爪のだけが空のように輝く空の青なのは……打ち込まれた鱗は、力となってそこに存在しているのだ。


「そうだったのですねぇ」


 ふふっと場を和らげる笑い声。


「加州様は身分育ち関係なく、我ら下々の方に大変お優しいのはそういうわけでございますな」


「お前がいうと、ひどく嫌味に聞こえるなぁ」


 盃を置くと、すっと差し出された煙管をうけとって咥える。


「そんなものではないよ、全てはただの気まぐれだ。いつやめるかもしれんといつも言っているだろう?」


「おや、そうでしたか?」


 春霞の下座に座り、月狗舞の酌を受けていた六花四郎兵衛は肩を震わせて笑う。


 この人も、不思議な人だなぁ、を、ちらり視線をやると、白銀の瞳を細め、にこりと笑った。


「お前には、昨夜の宴はともかく、8年前にあったっきりだったね。随分と大きくなったものだ」


 どきりとして、掠れた声が飛んで出る。


「お、覚えてらっしゃるんですか?」


「勿論だよ」


 雪山の雪崩のように、瞳と同じ色の髪が流れる。


「お前が細石に手を引かれて大門を出た時のとても眩しそうにしながらも、不安げな顔をしたのを覚えているよ。大丈夫だよと声をかけてやることもできなかったが、大きくなってて安心したよ」


「あぁ、春霞はきっと、大変に可愛らしい子供だったんだろうなぁ」


「勿論ですよ。奥の蔭間の大籬と、とある藩のお殿様から、是非にうちに、と、四方八方手を尽くしたり、お声をかけて頂いておりましてなぁ。院の狸では手に負えず助けてくれと泣きつかれましてね、お断りするのはそりゃ大変だったわけでございますよ」


「あぁ、これだけ目鼻立も整ってりゃそうだろうねぇ」


 ふふふと、目を細めながら春霞を見る。


「陰間茶屋なんかに入った日にゃ、珠月見に匹敵するような太夫になっていただろうねぇ」


 大人が二人、さらりと怖いことを言う、と、己が引き取られた先が細石屋で会ったことを心から感謝する。


「そんな顔をしなくても、相手がどんなに手を尽くしても、お前はそんなことにはならなかったから大丈夫だよ。怖い怖い鬼がいたからねぇ」


「鬼……?」


「加州様」


「おっと口が滑ったな」


 ふかり、紫煙を吐き出して笑うと、そうそうと、加州は手を打って袂から和紙に包まれた何かを取り出した。


「そういえば、今日お前をここに呼んだのはね、春霞。一つはせんだってあった時、とても不安そうな目が気になってね。 先ほどの、俺の人の身としての話をしてやりたかったのともうひとつ。これをね、簪にして欲しいんだよ」


「これは…」


雪花珠ゆきはなのたまと言ってね」


 にっこりと六花四郎兵衛が笑う。


「越後の雪狐が、死ぬときに残す妖力の珠だよ」


 珠月見太夫を介して受け取った和紙を広げると、卵くらいの大きさの真白い球が出てくる。


 外の明かりを受けて艶を増し、そして内側からほんのり光を放ったそれは、とても美しくて、しっとりとした手触りである。


「この度、月狗舞が突き出しで道中を行うんだ。その祝儀として珠月見が用意したものなんだが、月狗舞がお前が錺職をしていると先日聞いたようで、ぜひお前の手で簪にして欲しいと言ってね」


「舞が…突き出し…」


「主さん」


 声をかけられ月狗舞の方をみると、そっと片手三つ指をついて、ゆるり頭を下げる


「小さい頃に共に遊んだ主さんに、わっちの門出の飾り、作って欲しいと珠月見ねぇさんにお頼みしんした。どうぞ、どうぞわっちの願い、聞き叶えてくれなんし」


「わっちからもお願いしんす」


 そっと、加州の横で珠月見も軽く頭を下げる。


「可愛いこの子の門出の願い、聞いてやってくれなんし」


「お前が餝りものをうまく作るとは聞いている…赤子に自分から共に過ごした筒井筒の娘の、花の門出の願いを聞き届けてやっちゃくれないかね?」


 六花四郎兵衛もそっと、笑む。


 四対の目に見つめられ、春霞はただ恐縮しながら頷くしかなかったのである。

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