番外編1 前日譚
「マドラレナがフュリオ公爵の後妻? 確かか?」
「はい、そのようです」
ジルヴァの言葉に、側近の一人であるグレンガー宰相が応えた。
場所は国王の執務室。書類の山が次々と文官たちの手によって精査され、最終的にジルヴァの元へと届く。グレンガーの老齢な顔が少々険しくなりつつ渡してきたのは、マドラレナの婚姻に対する許可を聞かせ賜うための書類だった。
「彼女には娘がいたはずだが」
「左様にございます。名はアスタシア。魔術師の娘のため、マドラレナ同様に苗字はありません」
この国の魔術師は基本的に名前だけで、苗字を持たない。そういう慣習だ。
マドラレナのように魔法を使える魔術師は他国に縁がり、それ故にプライベートでは苗字を使う者もいるようだが、魔術師として登録するにあたり、その者とその子供は、名前だけしか名乗らなくなる決まりだ。理由を語るにはアカデミアの1講義では足りないため割愛するが。
魔法と魔術、はたからでは同じように見えるそれを双方使いこなすマドラレナは、魔術師の中でも突出していた。
なにせ魔法と魔術は全く原理が違う。
魔法は言葉を自由に紡ぎ、自然に願うことで、森羅万象に宿る精霊から力を借りて、さまざまな恩恵を受けているという。力は借り物、という認識だ。
かたや、魔術は系統たてられた学問となっており、体内を循環するマナという魔術の要素を使って奇跡を起こしているという。崇高なる魔術、と自称しているあたり、魔術は自らが与えし特別なもの、という認識だ。魔術師はプライドが高く、それ故、魔法を使う国々からは嫌われている。
ジルヴァ自身、国王であり、魔術師でもある。そのため、同業者にあたるマドラレナの凄さはよく知っている。それだけではない。彼女が少々、いや、かなり変わっていることは度々起こす事件で頭が痛くなるほど理解していた。
その彼女が、再婚。しかも、あのフュリオ公爵と。
「まぁ、彼女は魔術卿だ、貴賤結婚にはなるまい」
「畏まりました。では通常通りの裁可を」
また面倒な種が増えた。
いや、結婚自体は問題ない。むしろ、あのフュリオ公爵であれば、マドラレナの手綱を上手いこと引いてくれるだろうと期待している。
身分としても、問題ないだろう。魔術師としてかなりの恩恵をこの国に与えている彼女は、功績を認められて既に魔術卿としての地位を持つ。魔術卿はその特殊性から、準貴族を軽く通り越し、伯爵位と同等の扱いだ。婚姻に不備はない。
マドラレナは、前の夫を病気で亡くしたと聞いている。フュリオ公爵の方は、息子が次期当主として決まっており、娘もとうに嫁いでいるから、表面的な問題はない。
問題なのは。
「その、アスタシアだったな、画商組合からの苦情が上がってるってのは」
「はい、恐れながら……」
歯切れ悪くも、グレンガーは肯定する。
女が画商の仕事を奪おうと歩き回っている。そんな趣旨の陳情が上がってきたのは、つい数日前。
芸術の国と称されるこの国は、国の創王の時代より「芸術」に関する陳情は最優先として取扱う慣習だった。自ら王立の博物館や演劇場、果ては貴族むけの画廊のオーナーという手前、耳に届いたからには、いずれは対応にあたる必要はあるだろう。それでも直接王まで上ってくるあたり、芸術を特別視していることは明らかだった。
陳情に載っていた人物はタシアと名乗っていたが、王直属の調査員が調べるうちに、マドラレナの娘、アスタシアだということが分かった。
人となりとしては申し分なく、学歴も優秀。素行も本来なら問題ない筈だった。
「どうされますか?」
「いつだったか、新年の宴か何かで、マドラレナは娘自慢をしていただろう。その際、娘の絵が評価されないこの国の文化を嘆いていたな。確かに、職人街の職業の男尊女卑が根強いのは時代錯誤な訳で……」
グレンガーの問いに答えるが、ジルヴァは言い淀む。と共に、書記を務める文官の羽ペンが止まった。
そういうところまで気になる細かい性分は、やはり王の器としては未熟だと痛感する。齢22だった4年前、最年少王イーガス5世の次に若く即位した身。帝王学より魔術に傾倒していた自分としては、なかなかに居心地の悪い毎日だった。そろそろ慣れる頃だろうか、否。まだ到底無理な話だ。
こっそりとため息を濁し、言葉を改めた。
「一度会ってみようと思う」
簡潔に言葉にすると、グレンガーをはじめとする側近たちが難色を隠さずにジルヴァを注目する。
「陛下。芸術、強いては創作の世界では、体力のない女性より男性の方が職業としての息が長いのも事実。いくら魔術卿の御息女だとしても、特別扱いをすれば、いずれは民からの反感もありましょう」
「わかってはいる。しかし、そろそろこの国も変わる必要があるだろう」
それでも口を開こうとした側近に、手のジェスチャーで言葉を止める。
「安心しろ、急に王宮へ上げることはしない。あくまで王立画廊の修繕士として迎える。ああ、そうだ」
次に、側近たちだけではなく、部屋にいる者全員、文官や護衛、近衛兵たちも含め見回して、言った。
「女性の絵画士の採用は前代未聞だ。前例がない故、今回は私が直接見定める。芸術庁の者は画廊の支配人に話を通すよう。極秘の視察のため、当日の護衛は最小限にするよう。日程は任せるが、フュリオ公爵とマドラレナ魔術卿に裁可を告げる前で都合をつけろ」
配下の者たちの表情が引き攣った。
平和な時代だ、たまには寝不足で仕事をする訓練でもしておいた方が良い。
◯
「では、採用面接を始める」
「よ、よろしくお願いします」
……天使かと思った。
魔女とまで言われる、あのマドラレナの娘という色眼鏡で臨んだというのに。
鈴のような声は耳心地が良く、艶やかなオリーブがかったブラウンヘアは、彼女の白い肌を引き立てる。控えめなサックスブルーのフレアワンピース姿のアスタシアは、まるで名画に描かれた美の女神に寄り添う天使のように映っていた。
間違っても心境を悟られないよう、ジルヴァは普段以上にポーカーフェイスにつとめながら、目の前の美しい女性に対峙していた。
「では、自己紹介と志望動機を」
「はい!」
気合いを入れて、おそらく今まで何千回と口にしたであろう絵画の熱意と共に、アスタシアは自己PRをしていく。
渡されたポートフォリオのスケッチブックを見ながら彼女の話に頷いてはいるが、あまりに目の前の人物に目を奪われ、右から左へと言葉は素通りしていく始末。
採用面接の書記という設定で護衛騎士のヴァレリーを入り口近くに同室させており、彼女が話すごとに彼がペンを走らせる。自分の判断を間違えたがもう遅い。間違いなく録音士を連れてくるべきだった。
ああ、なるほど。今までの彼女の就活が上手くいかなかった理由がよくわかった。
この美しさが画廊にいてしまっては、絵など売れないだろう。女が画商の仕事を奪おうと歩き回っているとは良く言ったものだ。
「あの…以上です」
「ああ、ありがとう」
さて、と。
これはどうするべきか。
ゆくゆくは女性の雇用を目指していたから、よほどの問題がなければ第一号として採用する気でいた。元々修繕士として雇う気でいたため、画廊に立つこともほとんどない手筈であった。しかし……これは、色々とまた面倒だ。男世帯の修繕士の工房に彼女を放り込んで、問題ないか? 否。間違いなくトラブルは起きるだろう。
(これは……修繕士ですら危ういな)
方針を決めあぐねていると、無言なのが気になったのか、アスタシアが声をあげた。
「あの、採用官様……つかぬことを伺いますが、よろしいでしょうか」
「許す。なんだ」
「間違いでしたらすみません。貴方様は、国王陛下ですよね?」
ですよね? というカジュアルな言葉と、呼ばれ慣れている正式な肩書きがミスマッチで、すぐに受け答えできず、微妙な空気となる。視界の端では、ヴァレリーがペンを置き、いつでも剣を抜けるように姿勢を微調整していた。
気付かれたことに、何故か嬉しさが心を占めていた。
自らの心境の変化に戸惑いを覚えながら、彼女に尋ねる。
「なぜ、そうだと?」
「瞳です」
彼女の答えは短く、そして予想外で。
「瞳?」
「はい。ええと、説明します」
緊張した面持ちでジルヴァに返答し、言葉をつづけた。
「陛下の血筋は初代勇者ヒーロ様まで遡るというのは子供でも知っているこの国の常識です。とある文献に、かの勇者様はこの国とは違う世からの訪問者で、瞳の虹彩が我々とは違う、とありました。なので、その、あなた様の虹彩は、この国の民だけでなく、エルフとも龍族とも違う見たことのないものでしたので、もしや王家の血筋かと。陛下は王家唯一のお方ですし……あの、虹彩っていうのは、瞳の中の柄みたいなもので、種族をはじめ、民族によっても特徴があってですね…」
それは、間違いなく正しい知識だった。しかも、医術書を読んでいないと知り得ないような、かなり専門的な知識だ。
(絵画だけではなく、多方面に博識な様子は、なかなか好感が持てるな)
どうやって自分の身分を隠しながら接しようかと思っていたのに、意外な理由で見抜かれてしまった。
服装も普段とは変えているし、世に出回っている絵姿と顔があまり似ていないから誤魔化せると思っていたが、流石に瞳まで偽装することなど考えてはいなかった。
そこまで裏打ちした理由で見抜かれたのだ。無理に隠す必要もないだろう。
不安そうにこちらの言葉を待つ彼女に、私は微笑みかけた。
「すまないな、女性の採用は王立画廊でも初の試みだから、直に私が見させてもらった」
私の言葉で護衛騎士は演技をやめ、魔術で目眩ししていた剣を携え、すぐに私の側に控えた。
採用面接をしていた部屋のドアは開いていたため、中の様子を把握した私服姿の近衛兵が、これまた平服の書記官を伴ってきた。
その言葉で、彼女は急いで椅子から降りて最高礼をしようとし、ジルヴァは急いでそれを止めた。
「そのままでいい。本業はともかく、今はただの画廊の採用官だ」
「で、ですが…」
「楽にしてくれ」
「い、いいんですか?」
まるで小動物のようにこちらを見上げるアスタシアに、ジルヴァは微笑む。
恐る恐る、といった具合でアスタシアは席に戻る。
「その、陛下はいつもこうやって画廊にいるんですか?」
「ジルヴァでいい」
「……へ!?」
「あまり名前を呼んでくれる者が周りにいなくてな。城の外でぐらい名前で呼ばれたいんだ」
「えっと……不敬罪とかで捕まったりしませんか?」
「問題ない。私がこの格好の時には不問にしよう」
彼女はその言葉に、自分を見て、それから護衛、近衛兵、文官と順に顔色を伺い。
「で、では、ジルヴァ様。その、寛大なるご配慮、ありがとうございます」
緊張してこわばった面持ちのまま、深くお辞儀をした。
「あの、私は市井の育ちなので、宮廷のしきたりですとかは分からないので、本当にご迷惑おかけすると思いますが、母からある程度のマナーは叩き込まれたので、が、頑張ります」
混乱しているのか、途中から明後日の方向へ口走る彼女が何だか面白い。
なかなか宮廷では見ないタイプの女性だ。観察するだけでも飽きないだろう。
「ああ。じゃあタシア嬢、君の採用については、後日遣いの者をやろう」
「はい。本日はありがとうございました」
アスタシアは、市井で育ったにしては貴族の邸宅で見る貴族令嬢のような仕草で席をたつと、改めて深くお辞儀をし、部屋を去っていった。
名残惜しさを感じながら、彼女が去っていく足音に耳をすませる。
「美しい方でしたね」
それを邪魔するように、護衛騎士ヴァレリーが声をかけてきた。子供の頃から側に控えるだけあって、遠慮なく会話してくる彼は、ジルヴァの変化に目ざとく気づいたらしく、ニヤニヤと笑うことを隠そうともしない。
「で、どうするんです? 陛下」
ヴァレリーの言葉で、彼女が置いていったスケッチブックを眺める。
水彩画、パステル画、木炭のデッサンに、点画の油絵まで。
人物画、静止画、風景画。それぞれ繊細で、大胆、セオリーを感じつつも革新的なそれは、その小さなキャンバスとは思えない存在感を放っていた。
「彼女の才能は確かなようだ」
返事をしながら、スケッチブックをゆっくりと、国宝を扱うときほどに慎重に閉じる。自然と、背表紙の装飾に目が留まった。
繊細な柄は、願いを込める讃美歌の装飾文字をモチーフに、エメラルドに光る翡翠貝と金箔で配えられていた。
見たことのないそれ。素材を縁取る線の癖が、内側のポートフォリオと似ていた。
(これも彼女が)
初めて見るそれは、芸術においての新しい時代の幕開けを感じさせる。先ほど彼女に対して抱いた気持ちとは、また別の期待が胸に灯る。
「書記官、芸術庁の各部署へ通達を頼む。ここの離れを改装し、新たに工房を作る。額縁の職人を別に一人手配するように」
「あー、書記さん、雇う職人は既婚者の愛妻家って追記しといて。あと女性が住み込みできるようにクローゼットはそこそこの大きさで……そうだ、ベッドもちょっと大きめで、丈夫でしなる木材使ってね」
「かしこまりました」
「なんっ」
勝手に付け足す護衛と了承する書記官に、言葉が詰まる。
「違う、そういう意味じゃなくてだな! 単純に、この新しい装飾技法は国をあげて守る価値があると」
「いやぁー、陛下もとうとう春ですか。いやぁめでたいめでたい」
「ヴァレリー! 話を聞け!」
「そんなにムキになるなんて、肯定してるようにしか聞こえませんなぁー、陛下ぁ」
それは、揶揄われるジルヴァが、1週間も経たずに彼女を解雇する、10日ほど前の話だった。