3 そして絵は完成する
それから2週間が経った。結果として、待遇はとても良かった。
贋作の絵を描く必要はあるが、必要最低限の衣食住は整えられ、女として求められることもない。食事はあの扉の小窓から差し入れされていた。意外とリクエストも聞いてくれて、前いた宿のテイクアウトまで買ってきてくれたのは嬉しい誤算だった。
部屋の外に出ることは叶わないが、きちんと給料も渡してくれるという。まぁ、本当かはわからないけど。まともな仕事だったら最長勤務記録更新と喜ぶところだったのに……。
すでに絵は3枚描いた。手始めにそこまで難しくない水彩の風景画を2枚と、乾かす手間がなくすぐ仕上げることのできるパステル画を1枚。元の絵の複写物が隣にあるから、真似して描くこと自体は簡単だった。魔術で解析すれば、ある程度どの色を使ったか分かるから手順もそう難しくない。名画の模写は絵の上達の基本だから慣れてはいる。しかし、それを犯罪として描くのは話が違う。
昨日の話では、その絵たちは早速売れたという。その絵の1つは前いた画廊に置いてあった絵だった。
なるほど、客を装って画廊を巡り、贋作のターゲットにした絵を魔術でこっそり情報を得て複製していたのか。
売れてしまったという事実を思い出し、胃がキリキリとする中、4枚目の額縁に飾りを施しはじめていた。以前いたところでは翡翠貝を使ったが、今回は琥珀貝を細かく砕いたもので装飾していた。琥珀貝も翡翠貝同様に、太陽の光でキラキラと光るが、夜も蝋燭の光でまた輝くのだ。これなら貴族でも興味を持ってもらえるだろう。
新しいキャンバスに塗る絵の具を選んでいると、騒々しい音が上の方で聞こえてきた。
たくさんの足音が駆けてくる音だ。なるほど、そういえばここは地下だった。あの天井付近の窓から聞こえてくるのか。
強盗か、仲間割れか。それとも……
「先輩! ここです、ここに女性がいます!」
「よくやった! すぐさま部隊長に報告を!」
「は!」
キビキビとした声が2人。よかった、衛兵だ。
急いで絵の具を置き、結いていた髪を下ろす。大丈夫、私物など部屋には無いから、すぐにでも脱出できる。
「誰かそこにいるんだな」
「ここにいるわ!」
そう上に向かって声をかけるが、向こうからのリアクションが薄い。
「すまない、私は魔力がないから、この窓の本当の姿が見えないんだ。もう少し辛抱していてくれ。私は……」
と、そこで言葉は掻き消えてしまった。最初の若そうな声の男が魔法を解こうとしたようだが、どうやらかき消されたらしい。
バタバタと駆けてくる音が、次は廊下につながるドア側から聞こえてきた。
バタン、と大きな音を立ててドアが開く。髪を乱しながらエリアスが駆け込み、私のことを一瞥。
「来い」
そう短く声に出すと、強引に私の腕を引っ張って、廊下の外へと連れ出した。
「いたぞ!」
「ちっ!」
有無も言わさず廊下に出ると、廊下の端から街の衛兵らしき人たちが駆けてくる。
(なんでこんなに広いのよ!)
エリアスが舌打ちして私を連れて逃げ出すが、舌打ちしたいのはこちらの方だ。普通のタウンハウス程度の敷地のはずなのに、無駄に魔術で地下空間を広げるなんて。魔術のトラップを起動させながら逃げていくが、無駄に迷路のように入り組んでいる。正直一人では脱出不可能だったろう。やけを起こさなくて本当によかった。
逃げ切るまでの人質として連れ回される事実については、意外と冷静になって考えられていた。それよりも、魔封じをされている私の立ち回りについて、どうするべきか、だ。
そうこうするうちに、ようやくエリアスは衛兵に囲まれた。まあ、向こうはプロだもの。よく逃げ切れると思ったものだ。
こうなれば、私はしばらく死なない。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせ、次の展開を見極める。
「こいつがどうなってもいいのか」
右手に魔力を携えながら、エリアスはジリジリと詰め寄る衛兵にいう。当然ながら、衛兵は険しい顔でピタリと止まった。
が。
コツ、コツと、背後から足音がした。
エリアスに強引に引っ張られるようにして振り向く。目が捉えたのは、地下の無駄に広い大理石の廊下で、ゆっくりと歩いてくる、フードを被ったローブ姿の人物。
異様に存在感を放つ、おそらく魔術師の男。
その人物が通る道を開けるように、衛兵たちは左右に分かれていった。
「ふっ」
発せられたのは、鼻で笑う、どこか聞き覚えのある声。
当然ながら、エリアスの癇に障ったらしく、声を荒げ始める。
「何だ、何を笑ている!」
「いや、さすがだなと思ってな」
その人物は、フードをとり、顔を露わにさせた。
「シルべ、さん!?」
元雇い主が、その黒曜石のような瞳を、私に向けてきていた。
「この事態になっても、君は怖がらない。さすが私の画廊に居座ろうとしただけあって、肝が据わっている」
「な、なんでシルべさんがここに」
「本業だ」
そうだった。そういえば、この人は。
私がその考えに至る一方で、エリアスが主導権を取り戻そうと大声を出す。
「ウダウダ抜かすな! こいつの命が惜しくなければ、さっさと道を開けろ!」
「おい」
「あ?」
「お前じゃない」
そう言ったまま、彼は私のことを見たまま。
「自分の身ぐらい自分で守ったらどうだ」
辛辣な言葉を私に向ける。
それが、合図だ。
バンッ! と強い衝撃で、エリアスの腕は私から弾き飛ばされた。
得意の精霊魔法で守護魔法を展開して、私はエリアスから後ずさる。
「なぜ……確かに魔封じを! 私の魔術が違えるはずが!!」
「精霊魔法を見抜くような人に本名を教えるなんて、そんな馬鹿なことをするわけないでしょ」
そう言い放った私を、どうやら色々悟った彼は睨みつける。
「お前」
「ええ。もちろんSOSを出していたわ。こっそりとね」
あなたが馬鹿にしていた女でも、知恵ぐらいまわるんですよーだ。
そして、そのタイミングを逃さず、前方から激しい光が迸り、エリアスを襲った。
「ぐっ! そんな魔術など……!?」
無意味、と言いかけたのだろうが、彼は動きを静止させた。
「な、にを…」
「生憎、ネタバラシするような阿呆になった覚えはない」
途端に衛兵が四方から駆け寄り、エリアスはあっという間に、呆気ないほど簡単に拘束されていた。捕らえられてもまだ、信じられない、という表情の彼は、声を絞り出す。
「おぼえてろよ…!」
「心配せずとも、余罪も含めて徹底的に洗い出させてもらおう。連れて行け」
その言葉で、衛兵たちが拘束したエリアスを連れて行った。
解放された。途端、緊張が途切れ、地面にへたり込んでしまった。
「大丈夫か」
気遣う声をかけてくれた人にお礼を言おうとしたら、元雇い主が私と目線が合うように座り込んできていた。
「じ、じるべ、さん」
「ジルヴァな、元雇い主の名前ぐらい覚えろ。しかも簡単な方だぞ俺の名前の」
「ご、ごめ、ごめんなさ」
「しかし、よく思いついたな、こんなの。さすが鬼才マドラレナの娘、アスタシア」
久々に本名を告げられて、どきりとした。ちなみに、こんなの、と言うのは、額縁のことだろう。
贋作を飾る額縁に、必ず讃美歌をモチーフにした飾りを施していた。讃美歌と言ってもこの国ではない。あの男がバカにしていた国の言葉だ。その言葉を知らないならば単純に草花の装飾でしかないが、教養のある人が蝋燭のもとで絵を見ると、くっきりと文字が浮かび上がる。そんな仕掛けだった。
SOSに、エリアスにバレてしまう魔法は使えなかった。助けを求める言葉が浮かび上がるよう、3枚の贋作の額縁に描いたのだ。
助けを求めるのは、讃美歌の登場人物で困ったときの節。
犯人の特徴と居場所を告げるのは、言葉一つ一つに隠して。
メッセージに名前は残さなかったが、この言葉を見たのが善良な心の持ち主であれば、必ず然るべき場所へと届けてくれる、そう信じた。
そんなものが持ち運ばれる場所は限られている。
そして、どこに持ち込まれようとも、最終的に必ず見る人物がいる。
私が4日間しかいれなかったのは、王立の画廊。そこのオーナー、つまり、この小国スレヴァスの、国王だ。
とんでもない役職の男に介抱されながら、どうにか階段を登り切り、そこから脱出した。ずっと地下にいたせいで、室内に入り込む外の日差しが眩しくて、目を細めた。
地下への入り口は、あの2階にあった事務所の本棚だった。フィクションの小説ではよくある仕掛けだ。
「ああ、よかった! 助けてくださったんですね、陛下!」
仕掛け扉から外に出た途端、女性の声が耳に飛び込んできた。
鎧姿の衛兵たちが部屋のもの全てを乱雑に押収していく中で、ソファから立ち上がったエプロンの女性は、とても目立っていた。
「あ、お、お、女将さん!?」
駆け寄ってきたのは、つい最近までお世話になっていた、あの宿の女将さんで。
「なんで、ここに?」
「心配したのよ! ここにいるかもしれないって聞いて、もういてもたってもいられなくてね。あなたが無事で本当によかったわ!」
まるで全てのことを知ってる口振りの女将さん。しかも言葉が訛ってない。思わず、彼女と、私の隣にいる元オーナーのジルヴァ様を交互に見る。
「どういうこと?」
「あるときは食事宿の女将、またあるときは、このヘタレ男の乳母。そして、元・宮廷女官長とはぁ、私のことさね!」
えっへん、とワザとらしく訛りながら、胸を張る女将であった。
ああ、そういうことなのか。そういえば王立画廊があることを教えてくれたのは女将さんだった。
女将さんが訛りの割には、やけに所作が綺麗で、ご飯も紅茶も美味しいと思っていた。コーヒーが美味しくなかったのは、宮廷ではコーヒーを出さないからだろう。毒を盛られやすいコーヒーを貴族は飲まないと聞くし。ほんとそれに関しては良く身に染みた………いや、それよりも聞き捨てならないことが。
「へたれ男?」
現・国王の乳母ってのも結構気になるところだが、それよりも、いきなり普通自己紹介で聞くことのないキーワードが出て、思わず聞き返す。冷静に考えて結構不敬だよね?
だが元乳母というだけあって、肝の据わる女将さんは、気にせず話を続けた。
「そうよ。気になったもんだから、聞いたのよ。あなたの絵を大層気に入ってるのに、あなたの額縁を投げ捨てた理由をね。そしたら彼、何て言ったと思う?」
「な、なんと?」
固唾を飲んで答えを待つ私。しかし、女将さんは、目線を私から、横にいる男へと向けた。
「ほら、本人に伝えなよ」
黙々と作業する衛兵たちが、渦中のこちらをチラチラと見る。まぁ上司がコケにされてたら普通に気になるわ。しかも王様だし。
地下でのことが嘘だったかのように、それまで無言だった我が国の国王陛下は、私をまっすぐ見据えて、つぶやいた。
「自分の惚れた人の作品が、他の者の手に渡ることが悔しかったんだ」
「ほ、れ」
ガッシャーン! 誰かが階段から落ちたらしく、怒声が下のフロアから飛んできた。
顔が赤くなっていくことを自覚しながら、しかし、その黒曜石の瞳から目を逸らすことができず。
なんということだ。あの日、確かに彼によって額縁は廃材置き場にポイと投げ捨てられたはず。
「いや、作品って。額縁でしたよ?」
「額縁といえど、あそこまで繊細な作品はそう無い」
「捨ててましたし」
「…ポーズだけだ。魔法で衝撃緩和させて、今は画廊の保管室にある」
信じられない。あの日あそこまで不機嫌そうに言って……あ、そういえば、名前を間違えたような気がする。え、本当にそういうことなの?
「あの、私に惚れる要素なんて?」
「君の容姿はとても魅力的だし、ひたむきに努力する姿も、前を見ようと諦めない姿も、人として美しいと思った……本当はこんなところで言う予定ではなかったんだがな」
確かに、監禁されていた事件現場で話すなど、ロマンチックのカケラも感じさせない。きっと一生忘れないだろう。
「でも、私じゃ身分が釣り合わない、です、よ」
何せ、一番この国で偉い人だ。口が引き攣りながら言うと、なんだか愛しそうに見てきてた彼の表情が、ものすごい意地悪そうな、何か企んでいるような表情に変わった。
「あの女魔術師の娘だ、あそこまで功績を残してる母親をもつのだから、君の身分など、どうとでもなる。それに、今彼女は公爵家の後妻になると言っているわけだし」
……なんだと。聞いていないぞ、母よ。
芸術で有名な小国のとある街に、精霊の国の言葉がわかる女性の絵描きがいた。悪者に囚われてしまった絵描は王様に助けられ、その美しさに見染められて、幸せになりました。彼女は王妃という身分になっても絵を描き続け、その素晴らしい作品は芸術の国をさらに発展させていき、女性の地位向上を確立していった王妃として、後世に語り継がれるのでした。
お読みいただきありがとうございました!
ざまあを書いてみようと思ったはずが、気が付いたらサスペンスものになってました。どうしてこうなった。
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