2 拾われた額縁
翌日、荷物をまとめて宿を出て、渡されたメモにある通りの場所へと向かうと、確かに画廊が存在していた。
建物は一般的な商人街のテナントといった感じ。窓の外から店内を覗けば、確かに幾つもの絵が飾られている。
雪かきされた店舗の入り口に立ち、ノックする。
恐る恐るドアを開けると、店内のソファで本を読んでいるその男が顔を上げ、笑顔を見せた。
「よかった、来てくれないかと思ったよ」
「本当に画廊を営んでいるのね」
「嘘だと思った? さあ、寒かったでしょ。コートを預かるよ」
「これから働く従業員にエスコートだなんて、面白いのね」
「まぁまぁ。どうせ歳もそう離れていないんだし」
冗談めいて笑うエリアスは、手を差し伸べる。
冷え込んだ手をとる彼の手はとても暖かい。
室内は暖かかったが、暖炉は見当たらなかった。
キョロキョロと部屋を見渡しながら、私は彼に尋ねることにする。
「魔術で部屋を暖かくしてるの?」
「宿屋と違って暖炉を使うわけにもいかなくてね。絵たちは繊細だから」
「維持するの大変じゃない?」
宿の中庭を思い出しながら尋ねる。しかし、何か起点になりそうなものを設置してる気配は無かった。
「ネタバラシをすると、家全体を温める魔道具を使っているんだ。ほら、最近はやりの魔道具。知らない? 魔術師マドラレナが開発したっていう」
「知ってるわ。あれ、本当に凄いわよね」
貴族の屋敷で働いてた時に見たものだ。なるほど、副業と言うが、高級品を導入できるあたり、結構良い稼ぎらしい。
「こんな話をするの、とてもひさしぶり。なんだか嬉しいわ」
「僕もだよ」
心が弾み、自然に笑顔になると、エリアスも笑顔になり、またドキリとする。だめだ、顔面偏差値の高い人物は心臓に負担だ。
案内されたのは2階で、溢れる書類に、客を入れるスペースではないだろうと悟る。
「すまないね、どうしても男一人だと。適当にくつろいでいて」
「ありがとう」
事務所なのだろうそこは、壁一面に本棚があり、絵画関連、魔術、法律、その他様々な本で埋め尽くされていた。
しばらくしてると、コーヒーの良い香りが漂ってきた。
茶器の音を少しさせながらお盆を持ってきた彼に礼をいう。
「どうぞ。ミルクはいる?」
「ありがとう、ストレートで平気」
出されたコーヒーを一口飲み、ほっとする。
昨日会ったばかりの男と二人きりだ、なんだかんだ緊張していたのかもしれない。
しばしコーヒーを片手に歓談する。流行の話、最近の王室ニュース、貴族たちのとっておきの噂や、この近くにある美味しいお店。
「それで、本当に雇ってくれるの? 女の私を?」
会話で温まってきた頃、私のほうから話題を切り出した。
「ああ。昨日見た君の腕は本物だったからね。性別なんて関係ない。最初は事務作業も多いとは思うけど、じきに修復作業や制作もお願いしようと考えている」
「まだ信じられないわ」
「だろうね」
エリアスは肩をすくめた。私は話を続けるよう促す。
「うちはどちらかというと商人とか豪族向けの商売をしていてね。例えば昨日の宿屋みたいに、ちょっと華やかな店内にしたいって要望に応えることが多い。まれに、貴族まではいかないけど、お金のある人向けに有名な画家の絵を買い付けることもある。まぁ年に数度程度かな。それと─────」
ゆっくりと眠くなり。
そこから先、記憶は落ちた。
・ ・ ・
春の訪れまでそろそろ、という冬の終わり。
小国の城下町の商人街のはずれ、賑わいを見せる大通りから少し入ったキツツキ通りにある目的地。
そこにたどり着いたその男は、ノックをせずにその扉を開き、目的の人物を見つけてすぐさま声をかけた。
「おい」
「おーや、これはこれは、画商のシルべお坊ちゃんじゃないかい、いたいけな女の子泣かせたんだって?」
声をかけた途端、女将は嫌味を炸裂である。
「そこまではしていない。職人として向いていないやつを解雇しだだけだ」
はぁ、とため息をついた男は、見知った顔がニヤニヤと自分を見てくることに苛つきながら、宿の食堂の席にドカッと座った。貴族を相手に商売しているとは思えないその態度に、女将は「荒れてるなんて、珍しいね?」と声をかけ、サービスのコーヒーを彼の座った席に置いた。
「どうせそれも本心じゃないんだろう。なーに、おばさんが全部聞いてあげるさね」
「聞かなくていい。……あれは、彼女の絵か?」
「そーよ。よく分かったわね?」
フロントの飾りが増えていることに気づいた彼は、その見事な港町のモノクロ画に、しばらく惹きつけられていた。
「……彼女は、もう実家に?」
「さぁ? またどっかに住み込みじゃないかい?」
「は? どういうことだ」
「彼女、お母さんが再婚するからって少ないお金を渡されて、家を追い出されたって話よ。ひどい話さね」
肩をすくめ、食堂に残っていた食器を片づけ始める女将。
出されたコーヒーを口につけることなく、彼は質問を続ける。
「で、彼女は」
「当面食べてくのに職探しをしていたら、偶然宿泊客が絵描として雇うって話があったらしくてね。あれは、あんたに追い出された翌日かしら」
その言葉を聞いて、彼は考え込む。
「そんなに彼女の絵が気にいっているなら、また雇えば良いじゃない」
「そう、だな」
「おや、やけに素直だね。また雪がひどくなるかね?」
女将の冗談に笑うことなく、彼は一瞥するだけだった。肩をすくめた女将は、言葉を続ける。
「あの子は根っからの職人気質だったから、手に入れるのは至難だよ? また時代が変わればあっという間に人気者さ。そうそう、雇うって言ってた男も、金髪に翡翠の瞳の、やたら綺麗な男だったねぇ」
がた、と音をたてて彼は立ち上がると、すぐさま出口へと足を向けた。
「ご馳走になった」
「はいよ。また中庭の魔法でもかけておいておくれよ」
「気が向いたらな」
振り向くことなく答えて足早に去っていく男に、女将は苦笑し、手つかずのコーヒーを一口飲んだ。
「う、苦。豆の量間違えた」
さあ仕事仕事。そろそろ雪溶けが始まりそうな日差しの中、女将は箒を手にした。
もう、そろそろ雪かきシーズンは終わりそうだ。
・ ・ ・
日付は戻り、タシアが宿を出た翌日に遡る。
「ここは……」
頭がぼうっとする。
鈍い思考をどうにか回しながら、考えを巡らせる。
全体的に灰色。部屋を見回した時の印象だ。
天井は高く、天井近くに小さな小窓がある。淡い外の光が部屋をうっすらと明るくするが、それだけ。
がらんとした部屋は、ドアが2つと、ベッドが一つ。ロークローゼットが1つ。そして、キャンバス台。
ドアの1つは猫の移動用のような、小さな扉が下の方についている。と、ドアが開いた。
「起きたんだね」
にっこりと微笑んだ男が、部屋に入ってきた。名前は確か、エリアスと言ったか。
「何、これ」
「覚えている? 僕が君を雇ったんだよ」
「ええ。けど、業務内容の話をしていたところまでしか記憶がないわ」
「ああ、ここもあの画廊だよ。地下だけどね」
ガシャン。重たい音と共に、ドアの前に鉄格子が現れた。
「何、これ」
思わず、先ほどと同じ言葉が出てきた。
「悪いね、僕は用心深くて。僕が去った後は消すから心配しないで」
そういうことを聞きたいんじゃない。眉を顰めると、彼はまた微笑んだ。王子様みたいだなんて思った私が馬鹿みたいだ。
「君には逃げ出してもらっては困るからね。魔封じの魔術をかけさせてもらったよ」
名前を言ってくれてラッキーだった、と彼は、魔術師にとっての屈辱を味わせるべく言葉を紡ぐ。
「どうして」
「まさか本当に女がまともな仕事を出来ると思っていたんだな」
そのとき、唐突に思い出した。
この人は、前いた画廊に一度、観に来ていた人だ。
買おうとして、見るだけ観て、買わなかった豪商の男。あの時は髪の毛を縛っていて、メガネを掛けていた気がする。
「思い出した。あんた、私のことを画廊で馬鹿にした」
「ああ、そういえばそんなこともあったかな? 画廊で女がいるのは馬鹿げていると思ったが、当然だろう? 精霊魔法の使い手とは思わなかったが……所詮、あんな蛮族の魔法など、洗練された魔術に比べたらおままごとみたいなものだがな」
母と同じ出身国というのはどうやら嘘らしい。私を煽りながら、次に彼は、魔術でいくつかのキャンバスと額縁を出現させていた。
白紙のキャンバスの他に、高そうな絵が描かれたキャンバスが……いや、違う。これは絵じゃない。
「キャンバスに、そのまま絵が、織ってある?」
「魔法で複写すると、それが限界でね」
キャンバスの糸目一つ一つが、すでに色がついている。まるで本に文字が印刷されているかのようだ。
さすがの私でも、言わなくてもわかった。この後の展開が。
「君はこの通り、絵の具で絵を複製すればいい」
「けど、それは!」
「君に拒否権は無いと思うよ?」
爽やかそうな笑顔で、実に楽しそうに答えた。
「食事は1日2回でいいね。その扉はバスルームだから自由に使っていい。安心して、タオルは自動で綺麗になるように魔法を掛けてあるから。じゃあ、期待しているよ」
バタン。彼が去って、出現していた金属の柵は消えた。
絵が複写されたキャンバスと、何も描かれていないキャンバス、いくつかの額縁は、床に転がったまま。